靄
灰緑の霧は、細く揺れている。
森の空気に溶け込むようで、溶け込まない。
距離は十歩ほど。
近くも遠くもない。
形は定まらず、だが確かに存在している。
アクセルが半歩前に出る。
剣の柄に手をかける。
「斬るか」
低い声。
テラが手で制する。
「待て」
動きはない。
だが、霧は揺れている。
こちらを測るように。
ノアが静かに言う。
「密度が低い。観察を優先する」
霧の一部が、細く伸びる。
糸のように。
ゆっくりと。
こちらへ。
速度は遅い。
だが、迷いがない。
アクセルが剣を抜く。
金属が擦れる音が、森に小さく響く。
「来る」
霧の先端が、わずかに形を変えた。
揺らぎが尖る。
刃のように。
その瞬間。
むぎが、強く鳴いた。
キュッ!
胸ポケットの中で、小さな体が震える。
次の瞬間。
音が消えた。
風も。
葉擦れも。
森の呼吸が、止まる。
“欠けた”。
空気の一部が、削り取られたような感覚。
灰緑が揺らぐ。
霧が、形を保てなくなる。
崩れる。
音もなく。
抵抗もなく。
跡もなく。
霧は、消えた。
森に、音が戻る。
鳥が一羽、遅れて鳴く。
沈黙。
アクセルが低く言う。
「……何だ、今の」
剣は構えたまま。
ノアは霧があった空間を見つめている。
目が細い。
思考している。
だが、断定しない。
テラが周囲を警戒する。
「再形成の兆候はない」
俺は胸に手を当てる。
むぎは、丸まっている。
キュ。
何事もなかったように。
ここちゃんが、きゅる、と鳴く。
森は静かだ。
だが、さっきまでとは違う。
何かが、削れた。
確実に。
ノアがゆっくり息を吐く。
「……干渉が、消えた」
それ以上は言わない。
誰も答えを持っていない。
俺は胸ポケットを軽く押さえる。
(今のは――)
まだ言葉にならない。
だが、確かに感じた。
靄は、消えた。
だが。
こちらを、見ていた。
森の奥は、静まり返っている。
これは、終わりではない。
始まりだ。
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