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猫と瞬狼、そして怪しい新人


 冒険者ギルドの扉を押す。


 軋む木の音と一緒に、酒と革、それから金属の匂いが混ざった空気が流れてきた。


 思っていたより広い。


 いくつも並んだテーブルには、装備を身につけた人たちが座っている。壁には紙や木札のようなものが大量に並び、奥には長いカウンターがあった。


(本当に冒険者ギルドなんだな)


 名前だけ聞くと、ゲームとかアニメの中みたいだ。


 そんなことを考えていると、さっきまで騒がしかった室内が少し静かになった。


「……瞬狼?」


「戻ってきたのか」


 やっぱりアクセルだ。


 街に入ってから何度目か分からない。視線が一斉に隣へ向いている。


 アクセルは気にせず、そのまま奥へ進んでいく。


 ただ、途中からその視線が俺にも移ってきた。


「誰だ、あれ」


「見たことないぞ」


「瞬狼と一緒に入ってきたな」


「何だ、あの服」


 聞こえてる。


(まあ、俺も見るよな)


 変な服を着た知らない男。腕には白いうさぎ。胸元にはハムスター。


 その隣を、この街ではかなり有名らしい狼獣人が歩いている。


 逆の立場なら、俺だって見ると思う。


(……怪しいな、これ)


 自分で納得してしまった。


⸻


 アクセルについてカウンターへ向かう。


 そこにいたのは、茶色い髪の女性だった。


 頭には猫みたいな耳がある。綺麗な顔立ちで、背筋をまっすぐ伸ばしていた。


 俺たちに気づいた彼女の目が大きくなる。


「……瞬狼様?」


 まただ。


 アクセルが軽く頷いた。


「久しぶりだな、ミア」


「ご無事だったのですね」


「ああ」


 知り合いらしい。


 ミアと呼ばれた女性は、アクセルの裂けた服と脇腹の傷を見て眉を寄せた。


「そのお怪我は?」


「ワイバーンだ」


「……また無茶を」


「仕留めた」


「そういう意味ではありません」


(あ)


 門番と同じ反応だ。


 俺は横にいるアクセルを見る。


 本人は平然としている。


 ワイバーンを倒した。だから問題ない。


 どうも本気で、それで話が終わっているらしい。


(やっぱり無頓着なのか、この人)


 門で感じた疑問が、少しだけ濃くなった。


 ミアの視線がこちらへ移る。


 まず俺。次に、腕の中のここちゃん。胸元から顔を出しているむぎ。


 それから、もう一度俺。


「……そちらの方は?」


「レインだ」


 アクセルが答えた。


「森で助けられた」


「え?」


 ミアが止まる。


 周囲からも、小さく声が漏れた。


「瞬狼が?」


「助けられた?」


 何か変なのか?


「いや、倒れてたから傷の手当てをしただけです」


「倒れていた……」


 ミアがアクセルを見る。


「ワイバーンを仕留めた帰りに力尽きた」


 アクセルが自分で補足する。


「それをレインに助けられた」


「そういうことです」


 説明としては合っている。


 でも、周囲の視線が全然減らない。


(そんなに珍しいことなのか?)


 アクセルが助けられること自体が、珍しいのかもしれない。


 まだよく分からない。


 ミアが小さく息を吐いた。


「失礼いたしました。私は受付担当のミアと申します」


「レインです。よろしくお願いします」


 軽く頭を下げる。


 初対面の相手に挨拶する。


 こういうところは、元の世界と変わらない。


 その時、腕の中でもぞっと動いたここちゃんが、前足をカウンターへ乗せた。


「ここちゃん?」


 もう一歩。


 ぴょん。


 カウンターの上へ乗る。


 白い毛玉が、ミアを見上げた。


 きゅる。


「……」


 ミアの猫耳が、ぴくっと動いた。


「……かわいい」


 小さい声だった。


「え?」


「いえ」


 すぐに表情を戻す。


 でも、耳がまだここちゃんを向いている。


 ここちゃんが鼻をひくひくさせる。


 ミアの口元が、ほんの少し緩んだ。


(好きなんだな)


 なんとなく分かった。


 さっきまで周囲にあった妙な緊張も、少しだけ薄くなった気がする。


「ずいぶん懐いているのですね」


「はい。ずっと一緒なので」


 ここちゃんを抱き上げる。


 ミアがほんの少し名残惜しそうな顔をした。


 気のせいかもしれない。


⸻


「本日はどのようなご用件でしょうか」


「ああ……」


 そうだった。


 ここへ来た目的。


「仕事を探してまして」


「お仕事でしたら、冒険者登録をご希望ですか?」


「登録すれば、俺にもできる仕事がありますか?」


「もちろんです。最初は簡単な採取や運搬など、危険の少ない依頼もございます」


「それならお願いします」


 よかった。


 いきなり魔物を倒してこいと言われたら、どうしようかと思っていた。


 森で見た魔物だって、アクセルは一撃だったけど、俺なら普通に死ぬ。


「登録は全員Fランクからとなります」


「Fランク」


「はい。冒険者のランクは、F、E、D、C、B、A、Sの順に上がります」


「Sまであるんですね」


「Sが最上位です。登録後は依頼実績や功績に応じて、ランクが上がっていきます」


「なるほど」


 分かりやすい。


 つまり、俺は一番下から始める。


 当然だ。


 この世界に来て三日目。冒険者どころか、この世界のことすらほとんど知らない。


 むしろ下以外から始めろと言われても困る。


 ミアが一枚の書類を取り出した。


「では、こちらへお名前をお願いします。種族は……人族でよろしいですね?」


「人族?」


「はい」


(人族っていうのか)


 さっき街で見た、俺と変わらない見た目の人たち。


 こっちではそう呼ぶらしい。


「はい。たぶん、それで大丈夫です」


「たぶん?」


「あ、いや。大丈夫です」


 危ない。


 余計に怪しくなるところだった。


 差し出されたペンを受け取る。


 紙を見る。


 そこで、手が止まった。


(……あれ?)


 書類には文字が並んでいる。


 見たことがない。


 アルファベットでもない。漢字でも、ひらがなでもない。


 記号みたいな文字。


 なのに、読める。


(氏名……種族……?)


 普通に意味が分かる。


「……何で?」


「どうかされましたか?」


「あ、いえ」


 とりあえず、名前を書いてみる。


 レイン。


 そう書いた。


 つもりだった。


「……」


 紙の上を見る。


 日本語じゃない。


 書類に並んでいるのと同じ、見たことのない文字で名前が書かれている。


(何だこれ)


 自分で書いた。手を動かした感覚もある。


 頭の中では確かに「レイン」と書いていた。


 でも、出てきた文字は知らない。


 なのに、読める。


(待て)


 そこで、今さらものすごく基本的なことに気づいた。


(俺、普通に会話してるな)


 アクセルとも。門番とも。ミアとも。


 最初から。


(日本語で通じるわけないよな)


 ここ、日本じゃない。


 というか、世界が違う。


(何で今まで気づかなかったんだ)


 森では、そんなことを考える余裕がなかった。


 アクセルと普通に話せたから、そのまま受け入れていた。


(くさえもん)


《はい》


(これ、どうなってるんだ?)


《転移時の適応処理です》


(適応?)


《日常生活に必要な言語および通常文字への適応が実施されています》


 少し黙る。


(……それ、先に言ってくれない?)


《支障なく意思疎通が行われていたため、報告優先度を低と判断しました》


(そういうところなんだよな……)


 相変わらず。


 便利なんだけど、何かがズレている。


「レイン様?」


「あ、すみません」


 ミアが不思議そうにこちらを見ている。


 危ない。


 また一人で黙り込んでいた。


「文字に何か問題がございましたか?」


「いえ。大丈夫です」


 大丈夫なのかは分からない。


 でも、読める。書ける。話せる。


 なら、今はありがたく使わせてもらおう。


 教えてもらったばかりの「人族」を、種族欄へ書き込んだ。


⸻


 書類へ目を通していたミアが、ふと顔を上げた。


「レイン様は、瞬狼様と正式なパーティを組まれるご予定ですか?」


「パーティ?」


 アクセルを見る。


 そんな話はしていない。


「いや。人里まで案内してもらっただけです」


「借りがある」


 アクセルが言った。


「しばらくは俺がつく」


「え?」


 初耳だった。


「人里までじゃなかったのか?」


「借りを返していない」


「案内してもらっただろ」


「足りない」


「……そうなのか?」


「ああ」


 本当に、この人の基準がよく分からない。


 俺としては、人のいるところまで連れてきてもらった時点で十分なんだけど。


 ミアが俺たちを交互に見る。


「同行されること自体に問題はございません。ただ、正式なパーティ登録にはランク差による制限がございます」


「ランク差?」


「はい。一定以上ランクが離れている場合、正式なパーティとして登録することはできません」


「そうなんですか」


 さっき聞いたランクを思い出す。


 俺は登録すればF。


 アクセルは――。


 そういえば、まだ聞いていない。


 ミアの視線がアクセルへ向く。


「瞬狼様はSランクですので」


「……S?」


 一瞬、意味が入ってこなかった。


 いや、入ってきた。


 だから止まった。


 さっき聞いたばかりだ。


 F。E。D。C。B。A。


 そして、S。


 一番上。


 俺はゆっくりアクセルを見る。


「……アクセル、Sランクなのか?」


「ああ」


「ああ、って……」


 何でもないことみたいに返された。


 ワイバーンを一人で倒した。森で遭遇した魔物も一撃だった。


 門番にも知られていた。街を歩くだけで振り返られた。


 このギルドでも、入っただけで空気が変わった。


(そういうことか)


 ようやく繋がる。


 森でアクセルが魔物を一撃で倒した時。


 この辺の魔物が弱いのかと思った。


 違った。


(魔物が弱かったんじゃない。アクセルが強かっただけだ)


「……それなりに有名って言ってなかったか?」


「それなりだ」


「それなりで、みんな名前知ってるのか?」


「ああ」


「……そうか」


 アクセルは不思議そうでもない。


 本気でそう思っているらしい。


(やっぱり、少しズレてる気がするな、この人)


 また一つ、疑問が増えた。


 でも、まだ会って二日だ。


 この世界の基準だって、俺はほとんど知らない。


 今はそういう人なのかもしれない、くらいにしておこう。


 ミアが小さく咳払いをした。


「正式なパーティ登録については、レイン様のランクが上がってから改めてご相談いただけます」


「分かりました」


「同行して依頼を受ける場合にも、内容によって確認が必要になることがございますので、その際は受付へお声がけください」


「はい」


 分からないことは聞けばいい。


 今の俺には、その方が安全だ。


 ミアがもう一度、書類へ目を落とす。


「では、登録手続きを続けますね」


「お願いします」


 今の俺は、まだFランクですらない。


 アクセルが一番上だとか。瞬狼がどれだけ有名だとか。


 気になることは色々ある。


 でも、まずは働けるようにならないと。


 腕の中では、ここちゃんが大人しくしている。


 むぎは胸元から少しだけ顔を出していた。


 周囲からは、まだ時々視線を感じる。


 瞬狼と一緒に現れた。見たことのない服を着ている。白いうさぎとハムスターを連れた、登録前の男。


(……やっぱり怪しいよな、俺)


 自覚はある。


 この世界の種族名すら、今知ったばかりだ。


 文字が読める理由にも、今さら気づいた。


 知らないことばかり。


 それでも、ここで暮らしていくなら。


 一つずつ知って、一つずつできることを増やしていけばいい。


 まずは。


 冒険者としての第一歩から。

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