夜明け、そして河口へ
翌朝。
目を覚ますと、外はまだ薄暗かった。
ここちゃんを抱き上げる。
むぎも胸元へ入れて、船上へ出た。
夜が、少しずつほどけている。
昨日まで黒かった海も。
空が白み始めるにつれて、少しずつ色を取り戻していた。
風はまだ冷たい。
ここちゃんを抱き直しながら、前を見る。
今日も海――
「……何かある」
アクセルが言った。
「ん?」
視線を追う。
水平線の上。
黒い海と明るくなり始めた空の間に、何かがある。
最初は雲かと思った。
でも。
動かない。
「……陸?」
「ああ」
アクセルも目を細めている。
少し離れたところにいたテラが、同じ方向を見た。
「精霊大陸だ」
「おお……」
思わず声が出た。
二日間。
右を見ても左を見ても、ずっと海だった。
その先に。
初めて、陸がある。
「やっと見えたな」
「ああ」
アクセルの視線も、海ではなく遠くの影へ向いている。
ノアも前を見ていた。
いつもより少し長く。
でも、何も言わない。
船が進むほど。
遠かった影が、少しずつ形になっていく。
最初は一本の線だったものが。
岸になって。
その奥に、森が見えてきた。
「本当に別の大陸まで来たんだな」
異世界に来ただけでも十分すごい話なのに。
今度は海を越えて、別の大陸だ。
腕の中で、ここちゃんの耳が動いた。
きゅる。
胸元からも、むぎが顔を出す。
キュ。
「見えるか?」
二匹と一緒に前を見る。
朝の光が増えるほど。
精霊大陸の輪郭も、はっきりしていった。
初めての船だから。
二匹が調子を崩さないか、最初は少し気にしていた。
でも、ここまで見てきた限り。
ここちゃんは落ち着いている。
むぎもちゃんと食べている。
二匹とも水を飲んで、船室では俺のそばで休めていた。
大きく調子を崩している様子もない。
ここちゃんの頭を撫でる。
きゅる。
それから、胸元から顔を出しているむぎにも指を伸ばした。
キュ。
「あと少しだぞ」
二匹を撫でながら、もう一度前を見る。
海の先にあった陸は。
もう、はっきりと大陸の形になっていた。
⸻
しばらくすると。
海しかなかった景色に、陸が占める場所が増えてきた。
岸。
その向こうに続く森。
近づいているのが、目で分かる。
「昨日までと全然違うな」
「ああ」
アクセルも前を見たまま答える。
二日間ほとんど変わらなかった景色が。
今日は、少し目を離すだけで変わっていく。
船はそのまま沿岸へ近づいていく。
その時。
アクセルが鼻を動かした。
「……匂いが変わった」
「匂い?」
俺も鼻から息を吸う。
潮の香りはする。
でも。
それだけじゃない。
「……土っぽい?」
「ああ」
テラが前を見る。
「もうすぐ河口だ」
「河口」
改めて前を見る。
海の先にある陸が、左右へ分かれている。
その間へ。
船が向かっている。
海の広さが、少しずつ狭くなる。
左にも陸。
右にも陸。
遠かった森が近づいてくる。
そして。
船は、その間へ入っていった。
「……川だ」
さっきまで。
どこを見ても海だった。
今は違う。
左右に岸がある。
その向こうには森が続いている。
水も、どこまでも広がってはいない。
進む先がある。
テラが言う。
「王都へ続く大河だ」
「本当に船のまま入るんだな」
「ああ」
前に聞いてはいた。
でも。
実際に海からそのまま川へ入るのを見ると、変な感じだ。
船は止まらない。
流れる水の中を、そのまま上っていく。
「普通に進むな」
俺が呟く。
水の精霊が抵抗を抑える。
前に聞いた話を思い出す。
こういう時にも働いているのかもしれない。
海を走ってきた大きな船が、そのまま川を上っていく。
見ているだけでも面白かった。
⸻
川へ入ると。
景色はさらに変わった。
両岸に森がある。
鳥の声が聞こえる。
時々、虫の羽音も混じる。
海の上ではずっと聞いていた水を切る音も。
今は、川の流れる音に重なっている。
ここちゃんが腕の中で耳を動かした。
むぎも胸元から少しだけ顔を出している。
見える範囲では。
森は、普通の森に見えた。
異常が広がっていると聞いてきたから。
少し身構えていたのかもしれない。
でも。
目に入るのは。
木があって。
鳥が鳴いて。
虫も飛んでいる森だった。
今は、初めて見る景色の方へ目が向く。
「ノア」
「何?」
「この辺、知ってる?」
「知ってる」
「そっか」
ノアはそれ以上話さず、両岸の森を見ている。
テラも前方へ視線を向けたまま。
俺とアクセルだけが。
初めて見るものを追うように、何度も左右へ目を向けていた。
⸻
それからも、船は大河を上り続けた。
曲がるたび。
見える森の形が変わる。
少し前まで海しかなかったのが嘘みたいだ。
アクセルも。
今度は遠くの水平線じゃなく、岸や森へ視線を動かしている。
「忙しいな」
俺が言う。
「何がだ」
「見るもの」
アクセルが少しだけ間を置いた。
「ああ」
否定はしなかった。
まあ。
俺も同じだ。
二日分まとめて景色が変わってるみたいな気分だった。
さらに進む。
どれくらい川を上った頃か。
前を見ていたアクセルが、また目を細めた。
「……あれは?」
「どれ?」
指された先を見る。
森の向こう。
木々の間から。
細長いものが見えている。
自然の形じゃない。
「塔?」
テラがそちらを見る。
「王都の外塔だ」
「王都?」
「ああ」
もう一度見る。
まだ遠い。
街そのものは、ここからじゃよく分からない。
でも。
森の向こうに立つ塔だけは見える。
十日歩いて。
三日目の船旅。
ようやく。
本当の目的地が見えてきた。
ノアも外塔の方を見ている。
テラは乗員へ視線を向けた。
船の上で、人が動き始める。
何をしているのかまでは、俺には分からない。
ただ。
到着が近いらしいことだけは分かった。
テラがこちらを見る。
「着くぞ」
「はい」
アクセルも前を見る。
俺も。
ここちゃんを腕に抱いたまま。
胸元のむぎと一緒に、森の向こうを見た。
船は大河を上りながら。
少しずつ。
精霊王都へ近づいていった。




