拠点、最初の夜
夕暮れ。
庭に橙色の光が落ちる。
今日はもう、宿には戻らない。
俺は庭を見渡す。
草が揺れる。
塀の向こうに、サイファの街の屋根が見える。
「……ここが帰る場所、か」
小さく呟く。
アクセルがうなずく。
「拠点だ」
言い直すな。
でも。
否定はしない。
⸻
台所に立つ。
アクセルとノアはそれぞれ静かに過ごしている。
今日からここは、俺の担当だ。
鍋を火にかける。
野菜を手早く刻む。
軽く炒める。
乾燥ハーブをひと振り。
香りが立つ。
《神の調味料、使用確認》
「いちいち言うな」
肉と野菜の煮込み。
味を見る。
……悪くない。
皿に盛る。
ここちゃん用に刻んだ葉野菜。
無添加のドライフルーツを少し。
むぎ用には小さく刻んだ肉と野菜だ。
⸻
食卓へ運ぶ。
木製の椅子は少し硬い。
アクセルが座る。
ぎし、と鳴る。
「……硬い」
「森より?」
「森は土だ」
比較対象どうなってる。
ノアが静かに座る。
「十分だ」
淡々としている。
⸻
「いただきます」
湯気が立つ。
アクセルが一口。
少し目を細める。
「香りが強い」
「いい意味で?」
「悪くない」
合格らしい。
ノアも口に運ぶ。
「落ち着く味だ」
《最適配合》
(黙れ)
⸻
ここちゃんは野菜をもしゃもしゃ。
ドライフルーツを見つけて、きゅる。
満足そうだ。
むぎは皿の横で手で野菜を持ち、器用に食べる。
キュ。
食べ終わると、俺の足元をちょろちょろする。
⸻
食後。
椅子を庭に持ち出す。
夜風が涼しい。
ここちゃんはクッションの上で丸くなる。
むぎは俺の胸ポケットに戻る。
キュ。
定位置だ。
アクセルが拠点を見上げる。
「屋根がある」
「あるな」
「雨でも濡れん」
そこかよ。
少しの間のあと。
「悪くない」
最大級の評価らしい。
⸻
ノアが空を見上げる。
月が高い。
少しだけ、声の温度が変わる。
「……精霊大陸には」
ぽつり。
「幻の香草があるらしい」
俺が顔を向ける。
「香草?」
「香りだけで感覚が研ぎ澄まされる、と」
アクセルが聞く。
「食えるのか」
ノアはうなずく。
「食用だ」
俺は少し身を乗り出す。
「どんな匂いだ」
「森と、雨と、少し甘い香りが混ざったような香りだと聞く」
想像する。
悪くない。
《未知香草、興味度上昇》
(いちいち分析するな)
⸻
風が抜ける。
庭の草が揺れる。
ここちゃんが、きゅる、と鳴く。
むぎが胸ポケットの中で、キュ、と小さく応える。
俺は夜空を見上げる。
拠点ができた。
ここが、帰る場所になった。
それだけで十分なはずだ。
でも。
「海の向こう、か」
小さく呟く。
夜の向こう。
さらにその先。
船で渡った先の大陸。
森と雨と甘い匂いが混ざるという、幻の香草。
想像するだけで、胸が少しだけざわつく。
少しの沈黙の後。
アクセルが立ち上がる。
「寝るぞ」
「早いな」
「明日もある」
ノアも静かに立ち上がる。
「いずれ、だな」
《精霊大陸、距離:海越え》
(いちいち言うな)
俺はもう一度だけ空を見る。
ここが帰る場所。
けれど。
海の向こうにも、匂いはあるらしい。
白兎の庭は、静かな夜に包まれた。
その先を、少しだけ思いながら。
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