王都を出る
翌朝。
王都に来て十一日目。
俺たちは宿を出て、そのまま王都の門へ向かった。
腕の中にはここちゃん。
胸元にはむぎ。
アクセルとノアも一緒だ。
門を抜ける。
石畳が途切れ、街道へ出たところで一度だけ振り返った。
高い外壁。
その向こうに見える王都の建物。
十日前。
ここへ来た時には、まさか鉱山へ行って、王様にまで会うことになるとは思っていなかった。
「……終わったな」
思わず口にする。
アクセルが前を向いたまま答えた。
「ああ」
ノアも王都を見る。
「長かった」
「十日だからな」
短いような。
長いような。
でも。
帰る場所を考えれば、迷わない。
「行くか」
「ああ」
王都へ背を向ける。
向かう先は、サイファだ。
⸻
街道を歩く。
王都へ来た時は馬車だった。
今回は、自分たちの足だ。
「そういや、帰りは馬車じゃないんだな」
アクセルが俺を見る。
「急ぐ必要はない」
「まあ、今回は依頼で向かってるわけじゃないしな」
「道は分かる」
「それなら任せる」
ノアも短く言う。
「歩くなら、それでいい」
「決まりだな」
ここちゃんを抱き直す。
むぎは胸元で静かにしている。
馬車より遅い。
でも。
急ぐ理由もない。
こうして帰るのも悪くない。
⸻
しばらく歩くと、街道が二つに分かれた。
アクセルが足を止める。
「右は遠回りだ」
「左は?」
「森沿いを通る。近い」
「そっちでよくない?」
「魔物は出る」
「先に言えよ」
森沿いの道を見る。
木々が街道のすぐ近くまで迫っている。
「危ない?」
「右よりは出る」
アクセルの答えは短い。
ノアは森の方を見た。
「私はどちらでもいい」
「だよな」
二人ともSランクだ。
だからといって、何も考えず危険な方へ突っ込むつもりはない。
(近くに何かいる?)
久しぶりに頭の中で問いかける。
《周辺に大型生体反応なし》
返ってきた。
(この先も?)
《現在の情報では判定不能》
(まあ、そうだよな)
何でも分かるわけじゃない。
むしろ。
この返しを聞くと、妙に懐かしい。
「レイン?」
ノアがこちらを見る。
「いや、何でもない」
危ない。
普通に返事しそうになった。
くさえもんのことは、まだ俺しか知らない。
「じゃあ、左でいいか?」
アクセルに聞く。
「ああ」
ノアも異論はないらしい。
森沿いの道へ入る。
⸻
歩き始めてしばらくすると。
空気が変わった。
王都の外を進んでいること自体は同じなのに、木々が近くなるだけで匂いが違う。
土。
草。
風に揺れる葉。
アクセルが小さく息を吐いた。
「落ち着く」
聞き覚えがある。
ノアがすぐに答えた。
「分かる」
「……前にも同じこと言ってたな」
二人がこちらを見る。
「森は落ち着く」
アクセルがもう一度言う。
「うん。そこは知ってる」
ノアも木々を見る。
「街より静か」
「二人とも、そこは本当に合うな」
アクセルは特に気にした様子もない。
ノアも否定しない。
「レインは違うのか」
「嫌いじゃないけど、寝るなら街がいい」
「そうか」
「そこは譲らないぞ」
森で寝る生活は、もう十分経験した。
風が抜ける。
木の葉が揺れる。
静かだ。
こうして歩く分には。
確かに、悪くない。
⸻
森沿いを進んでいる途中。
前方の茂みが揺れた。
アクセルが足を止める。
「来る」
「魔物?」
「ああ」
ここちゃんを抱いたまま、一歩下がる。
むぎは胸元。
俺たちの前へアクセルが出た。
次の瞬間。
茂みから、狼に似た魔物が二体飛び出した。
一体目が地面を蹴る。
アクセルの剣が走った。
一閃。
魔物が倒れる。
もう一体が向きを変えた。
アクセルが踏み込む。
二度目。
それで終わった。
「……本当に出たな」
「ああ」
剣を払って、アクセルが戻ってくる。
「だから言った」
「そこは疑ってない」
ノアは最初から動いていない。
必要がなかっただけだ。
「この先もこんな感じ?」
「出る時は出る」
「参考にならないな」
「出ない時は出ない」
「さらに参考にならなくなった」
アクセルは真顔だった。
たぶん本人は普通に答えている。
「まあ、行くか」
「ああ」
ここちゃんは腕の中。
むぎも胸元。
二匹とも、いつも通りだ。
俺たちはまた歩き始めた。
⸻
昼。
道から少し外れたところで休むことにした。
ここちゃんを腕から下ろす。
近くへコートを広げると、その上で鼻を動かした。
むぎも胸元から出す。
「先に飯にするか」
帰り道用に買っておいた二匹の食事と、水を用意する。
ここちゃんが食べ始める。
むぎもコートの上で、小さな手に食べ物を持った。
「よし」
二匹を横目に見ながら。
俺は深鍋を取り出した。
アクセルが見る。
「使うのか」
「せっかく買ったからな」
王都の宿で試した深鍋。
あの時は厨房だった。
今日は旅の途中だ。
「こういう時に使えるか試したかったんだよ」
火を起こす。
深鍋に水を入れる。
帰り道用に買ってあった干し肉を少し使う。
そして。
王都で買った香草。
「これも」
香りを確かめて、ほんの少しだけ鍋へ入れる。
アクセルが黙って見ている。
「今日は何も言わないんだな」
「何をだ」
「薬」
「前に食った」
「成長したな」
「何の話だ」
真顔だ。
横でノアが僅かに口元を動かした。
鍋から湯気が上がる。
香草の匂いも混ざってきた。
「お」
王都の宿で嗅いだ香り。
でも。
外で火にかけているせいか、少し違って感じる。
森の匂いと混ざっている。
「なんか、こっちの方が合う気がするな」
アクセルが鍋を見る。
「森だからか」
「かもな」
味を見る。
「うん」
十分だ。
三人分に分ける。
むぎは食事を終えていたので、胸元へ戻す。
ここちゃんはそのままコートの上で落ち着いている。
「いただきます」
まず一口。
干し肉の味に、香草の匂いが混ざる。
豪華なものじゃない。
でも。
旅の途中で食べるなら十分だ。
ノアも普通に食べている。
アクセルも一口。
止まらない。
「どう?」
「悪くない」
「もう警戒しないんだな」
「食えるのは分かった」
「進歩だ」
「だから何の話だ」
また同じ顔。
少し笑う。
王都で試した時は。
料理に使えるかどうか、それを確認するだけだった。
でも今は違う。
買った鍋を旅に持ち出して。
買った香草を普通に飯へ入れている。
こういう使い方ができるなら。
買ってよかったな。
⸻
昼食を終える。
火を片づける。
深鍋も片づけた。
ここちゃんを抱き上げる。
「行くぞ」
きゅる。
むぎは胸元。
また三人と二匹で歩き始める。
⸻
その日のうちにサイファへ着くわけじゃない。
道はまだ続く。
日が傾けば、進むのをやめる。
夜は野営。
明るくなれば、また歩く。
森沿いを進み。
休んで。
食べて。
また進む。
それを繰り返した。
急ぐ旅ではない。
王都へ向かっていた時とは違う。
今は。
帰っている。
⸻
ある日の午後。
森を抜けた。
視界が開ける。
「あ」
足が止まる。
遠く。
見覚えのある外壁が見えた。
王都のものとは違う。
もっと見慣れた。
俺たちが出てきた街。
「サイファだ」
口にすると。
ようやく、本当に帰ってきた感じがした。
アクセルも外壁を見る。
「帰ってきたな」
「ああ」
ノアは黙って街を見ている。
ここちゃんが腕の中で鼻を動かした。
胸元からも。
キュ。
「お前らも分かる?」
きゅる。
「……まあ、そういうことにしとくか」
街へ近づいていく。
門が見える。
門番も見える。
その一人が。
こっちを見た。
止まった。
「……ん?」
隣の門番へ何かを言う。
そいつもこっちを見る。
そして。
門の内側が、少しざわつき始めた。
「……なんか嫌な予感する」
アクセルが俺を見る。
「そうか?」
「お前はしないのか」
「しない」
「だろうな」
ノアが門の方を見る。
「増えてる」
「何が?」
「人」
「見れば分かる」
門の内側。
明らかに人が増えている。
「……帰ってきただけだよな?」
誰に聞くでもなく呟く。
ここちゃんが。
きゅる。
胸元から、むぎも。
キュ。
「うん。とりあえず行くか」
サイファの門へ向かう。
帰ってきた。
そのはずなのに。
どうやら。
静かには入れそうになかった。




