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スパイスは神の調味料


 翌朝。


 目を覚ますと、アクセルはもう起きていた。木にもたれたまま、脇腹の傷を確認している。


「傷、大丈夫なのか?」


「ああ」


 昨日より顔色はいい。ここちゃんの白い光のおかげなのか、出血も止まっていた。


 とはいえ、治ったわけではない。


「歩けそうか?」


「問題ない」


「その台詞、昨日も聞いたな」


 アクセルは立ち上がる。


 ゆっくり。かなり、ゆっくり。


 顔には出さないが、脇腹を庇っているのは分かった。


「……本当に大丈夫か?」


「ああ」


 まあ、歩けないわけではなさそうだ。


 ここちゃんは朝から草を食べている。むぎも、昨日拾っておいた小さな種を両手で持って齧っていた。


 二匹も元気そうだ。


 俺は残っていた木の実をいくつか食べる。昨日の魚は、もうない。


「じゃあ、人のいるところまで頼む」


「分かった」


 ようやく、人のいる場所へ向かえる。


 その前に、小川へ寄る。昨日から世話になっている水場だ。


 しゃがんで手ですくい、まず自分が飲む。冷たい水が喉を通る。


 アクセルも隣で水を飲んだ。


 次はここちゃん。


 いつものように手で飲ませようとしたところで、アクセルが腰の小さな袋へ手を入れた。


「これを使え」


 出てきたのは、飾り気のない簡単な器だった。


「……あるのか」


「ある」


 昨日。


 葉っぱを折って、石の窪みに乗せて。必死に水皿を作ったことを思い出す。


(……まあ、昨日は一人だったしな)


 器へ水を汲む。


 ここちゃんの前へ置くと、鼻を近づけて飲み始めた。


 むぎは手のひらへ乗せ、器を近づける。小さな舌で水を飲む。


「よし」


 二匹が飲み終わってから、器をアクセルへ返した。


 アクセルはそれを受け取る。それから、自分が持っていた携帯用の水入れにも川の水を汲んだ。


 口を閉じる。


 これで道中の水もある。


 ここちゃんを抱き上げる。むぎは胸元へ。


「行くか」


「ああ」


 俺たちは小川を離れた。


⸻


 歩き始めてすぐ分かった。


 遅い。


 アクセルが。


 いや、怪我人なんだから当然なんだけど。


 一歩ずつ、確かめるように進んでいる。


「休んだ方がよくないか?」


「まだいい」


「傷が開いたら意味ないぞ」


「分かっている」


 本当に分かってるんだろうか。


 それでも、昨日とは全然違う。


 アクセルは道を知っている。俺はついていけばいい。


 それだけで、ずいぶん気が楽だった。


 しばらく進んだところで、前方の茂みが大きく揺れた。


 ここちゃんの耳が立つ。アクセルが止まった。


「レイン。下がれ」


 声が低くなる。


 反射的に一歩下がった。


 次の瞬間、茂みから何かが飛び出してくる。


「……何だ、あれ」


 狼に似ている。


 でも、でかい。


 俺の知っている狼より明らかに大きい。口から覗く牙も長い。


 見た目だけなら、普通に怖い。


「これ、魔物か?」


「ああ」


 魔物が地面を蹴った。


 速い。


 こっちへ飛びかかってくる。


 その瞬間、アクセルの剣が走った。


 一度。


 それだけだった。


 魔物が地面へ倒れる。


「……」


 終わった。


 倒れた魔物を見る。牙はでかい。爪も鋭い。


 あれに噛まれたら、たぶんただでは済まない。


(もしかして、この辺の魔物はそんなに強くないのか?)


 少し考える。


(……いや。俺なら死ぬな)


 当の本人は何事もなかったように魔物の前へしゃがんでいる。


「何してるんだ?」


「素材を取る」


 牙を抜く。爪もいくつか外した。


「それ、使えるのか?」


「ああ。売れる」


「へえ」


 アクセルは取った素材を、腰に下げていた小さな袋へ入れた。


 牙だけでも、袋の口より大きく見える。


 なのに、そのまま吸い込まれるように消えた。


「……それ、どうなってるんだ?」


「魔法袋だ」


「魔法袋?」


「見た目より多く入る」


「そんなものがあるのか」


 小さな袋を見る。俺の無限収納を思い出す。


 物を入れられる。取り出せる。


 そこだけなら似ている。


 でも、アクセルのものにはちゃんと袋がある。俺のは何もないところから出し入れできる。


 同じようなものなのか。全然違うものなのか。まだ分からない。


(……わざわざ見せない方がいいか)


 今は、それでいい。


「残りは?」


「置いていく」


「そのままで?」


「ああ」


「そうか」


 アクセルは必要なところだけ持っていくらしい。


 今は任せておく。


 アクセルが立ち上がる。


 その瞬間。


「っ」


 ほんの少し、顔が歪んだ。


「ほら。痛いんだろ」


「少しだ」


「だったら無理するなって」


「この程度なら問題ない」


「またそれか」


 本当に聞かないな。


⸻


 怪我のせいで、歩く速さは相変わらず遅い。


 でも、その分、周りを見る時間はあった。


 ここちゃんが食べられそうな草。むぎが食べられそうな種や木の実。俺が食べられそうなもの。


 目につくたびに、くさえもんに確認する。


《食用可》


《食用不適》


《毒性あり》


「これは食えるのか」


《食用可》


 木の実をいくつか摘む。


 そのまま無限収納へ入れようとして、手を止めた。


 さっき見た魔法袋には、ちゃんと袋がある。俺のは何もない。


(わざわざ見せない方がいいか)


 木の実をコートのポケットへ入れる。


 今はこれで十分だ。


「さっきから何をしている」


「食べられるものを探してる」


「食料ならあるだろう」


「ここちゃんとむぎの分もいるし、何が食べられるか覚えておきたいんだ」


「……そうか」


 アクセルはそれ以上聞かなかった。


 しばらくして、ふと妙な匂いがした。


「ん?」


 足を止める。


「どうした」


「なんか匂わないか?」


 道脇に生えている草。


 見た目は普通だ。


 一本摘んでみる。


《食用可》


 指で軽く揉む。香りが強くなった。


「……これ」


 鼻に近づける。


 少し刺激のある香り。どこかで嗅いだことがある。


「胡椒っぽいな」


「コショウ?」


「いや、こっちの話」


 葉先をほんの少し齧る。舌に軽い刺激が走った。


「少しピリッとする」


「草を食うのか」


「毒はないみたいだからな」


 もう一度、香りを確かめる。


 胡椒そのものではない。でも、肉に合いそうな香りだ。


「これ、料理に使えるかもしれないな」


「草を?」


「香りをつけるんだよ」


 アクセルが草を見る。怪訝な顔をしている。


 まあ、試してみれば分かる。


 何本か摘んで、コートのポケットへ入れた。


⸻


 昼前。


 今度は、小さな獣が藪から飛び出した。


「あ」


 声を出した時には、アクセルの剣が抜かれていた。


 一閃。


 小さな獣が地面へ落ちる。


「……速いな」


「食えるぞ」


「いや、それもだけど」


 アクセルは何事もなかったように剣を戻す。


 昨日、死にかけていた人とは思えない。


「怪我してるんだよな?」


「ああ」


「その状態でそれか」


「この程度なら問題ない」


「それ、便利な言葉じゃないからな」


 でも。


 俺が昨日、枝を尖らせて、魚相手に何度も失敗して、やっと二匹取ったのとは明らかに違う。


 ワイバーンも一人で倒したと言っていた。


(やっぱり、この人かなり強いんじゃないか?)


 この世界でどのくらいなのか。まだ基準は分からない。


「一回休もう」


「まだ動ける」


「飯にする」


 アクセルが黙った。


「食うだろ?」


「ああ」


 よし。


 休ませる理由としては、これが一番早そうだ。


 少し開けた、乾いた場所を選ぶ。


 コートを地面へ広げる。ここちゃんをその上へ下ろし、むぎも胸元から出してコートの上へ乗せた。


 二匹とも、しばらくここで休んでもらう。


 アクセルが朝に汲んだ水を出した。


 借りた器へ少し注いでもらい、ここちゃんとむぎにも飲ませる。これなら、水場から離れていても大丈夫だ。


 アクセルが仕留めた獣を手早く処理する。


 そこは任せた。どう見ても俺より慣れている。


 俺は火を起こす。


 小枝。乾いた葉。


 そこへ、ほんの少しだけ魔力で熱を足す。


 煙が上がり、火がついた。


「よし」


 両手が空いているだけで、ずいぶんやりやすい。


 肉を串に刺して焼く。岩塩を振る。


 ここまでは昨日と同じ。


 そして、さっき見つけた草を取り出した。


「それを使うのか」


「ああ」


 細かく刻む。量は少しだけ。


 焼けてきた肉へ散らす。


 途端。


 ふわっと香りが立った。


「……おお」


 それだけで、急に違う。


 ただ焼いているだけだった肉が、料理っぽくなる。


 アクセルの耳がぴくりと動いた。


「匂いが変わったな」


「だろ」


 まず自分で一口食べる。


 塩気。肉の脂。そこへ、鼻に抜ける香り。


 後からほんの少しだけ刺激が残る。


「……うまいな」


 もう一口。


 昨日の魚も、塩があるだけで十分うまかった。


 でも、これは違う。


「やっぱり香りがつくと、一気に料理感が増すな」


 思わず笑う。


「これは嬉しい」


 昨日までは、食べられるものを探して、火を通して、腹を満たす。それだけだった。


 でも、少し香りを足しただけで、ちゃんと食事をしている感じがする。


「アクセルも食ってみて」


 肉を渡す。


 アクセルが一口齧った。ゆっくり噛む。


「……うまいな」


「そうだろ」


 もう一口。今度は少し大きい。


「この草だけなら、たぶん大してうまくない」


 残った葉を見る。


「でも肉と合わせるといい」


「そういう使い方は知らない」


「そうなのか」


「ああ」


 アクセルが知らない。


 それ以上のことは、まだ分からない。


 森を見る。


 昨日までは、何が食べられるか。何が危険か。そればかり考えていた。


 でも、こんなものもある。


 なら、他にもあるかもしれない。


 香りの強いもの。辛いもの。苦いもの。


 組み合わせれば。


「……色々探してみたいな」


「何をだ」


「うまいもの」


 アクセルが少し首を傾げた。


 ここちゃんはコートの上で草を食べている。むぎも、拾った種を齧っている。


 アクセルは焼いた肉。俺も同じもの。


 食べられるものを一つ知る。道具を一つ知る。この世界のことを、一つ知る。


 そうやって少しずつ。


 ただ生き延びる場所から、暮らせる場所に変わっていくのかもしれない。


「そろそろ行くぞ」


 アクセルが立ち上がる。


「傷は?」


「問題ない」


「……分かったよ」


 もう止めても無駄そうだ。


 ここちゃんを抱き上げる。むぎを胸元へ戻す。コートを着る。


 俺たちはまた、ゆっくり歩き始めた。


 人のいる場所へ向かって。

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