北方都市ヴァルカン
朝。
目を覚ますと、最初に聞こえたのは水の音だった。
昨夜も聞こえていた川の流れ。
明るくなってから聞くと、思っていたより近く感じる。
隣では、ここちゃんが身体を丸めていた。
きゅる。
「おはよう」
頭を撫でてから身体を起こす。
同じ部屋では、ほかの皆も少しずつ起き始めていた。むぎも自分の場所で動き出している。
キュ。
まずは、ここちゃんとむぎの朝の餌と水を用意する。
それを済ませてから、昨日は暗くてほとんど見えなかった窓の外へ目を向けた。
窓を開ける。
「……おお」
思わず声が出た。
川音亭のすぐ近くを、広い川が流れている。
その向こうには建物が続き、さらに街の外側へ目を向ければ、水を張った田畑が朝日を反射していた。
細い水路が何本も伸びている。
そのさらに奥には、山並み。
「すごいな」
俺が窓枠へ手をつく。
隣まで来たノアも、外へ視線を向けた。
「水が多い」
「ああ。昨日は暗くて分からなかったけど、本当に水の街なんだな」
山から流れてきた水が川になり、街の中を通り、そのまま周囲の農地へ広がっているように見える。
ここちゃんも窓際へ寄ってきた。
きゅる。
「落ちるなよ」
抱き上げて外を見せる。
白い鼻が、ひくひくと動いた。
⸻
扉が叩かれた。
「朝食だ」
「はい」
カインが扉を開ける。
宿の者が持っていたのは、昨日受付で見せてもらった木製の箱だった。
持ち手の下へ、四角い箱が何段か重なっている。
「五人分な」
「ありがとうございます」
カインが受け取り、大きな卓へ運ぶ。
「これが昨日の箱か」
テラが近づき、一段目を覗き込んだ。
「ああ。昔見た出前の箱にちょっと似てる」
「でまえ?」
テラが俺を見る。
「俺のいた世界の話」
「またそれか」
軽く笑いながら、テラも椅子へ座った。
箱を一段ずつ外していく。
中には皿や椀がきれいに収められていた。
パン。
卵料理。
野菜。
焼いた肉。
果物。
温かいスープ。
「追加料金は掛かりますが、これは楽ですね」
カインが料理を並べながら言う。
「ああ」
俺はここちゃんを見る。
二匹を連れて毎回食堂へ移動しなくていいだけでも助かる。
「腹減った」
すでに席についていたアクセルが言った。
「まだ全部並んでないぞ」
テラが肉の皿をアクセルから遠ざける。
「待ってる」
「手が伸びてたけどな」
「気のせいだ」
たぶん違う。
⸻
朝食を終える。
使った皿と椀を元の箱へ戻し、蓋を閉める。
カインが箱を持ち上げた。
「階段横でしたよね」
「ああ。俺も行く」
廊下へ出て、一緒に階段のところまで向かう。
返却用の棚には、すでに別の部屋から出された木箱がいくつか置かれていた。
「結構使ってる人いるな」
俺が空いている場所へ箱を置く。
「食堂まで行かなくていいですからね」
カインが答えた。
「共用台所もありますし、滞在の仕方を選べる宿なんでしょう」
「それは便利だな」
部屋へ戻り、出かける準備をする。
俺はここちゃんを抱き上げる。
むぎは胸元へ。
「行こう」
⸻
川音亭を出た。
昨夜とは、まるで景色が違う。
「おお……」
また声が出た。
まず目につくのは、やっぱり水だった。
宿の前を流れる川。
通りの脇を走る水路。
建物の間から見える別の流れ。
橋もあちこちに架かっている。
だが、昨日の夜には見えなかったものは、それだけではなかった。
通りには多くの人が行き交っている。
食料品を積んだ荷車。
籠を背負った住民。
店先へ商品を並べる商人。
駅へ向かう旅人。
冒険者らしい姿もある。
「昨日とは全然違うな」
テラが行き交う人々を見ながら言った。
「ああ。夜はもっと静かな街かと思ってた」
「ボルカニアより落ち着いているだけですね」
カインが周囲を見回す。
その言葉が一番しっくりくる。
北部の中心として、人も物も集まっている。
ボルカニアほど街全体が慌ただしく動いていないだけだ。
「生活の街って感じだな」
俺が言うと、テラが頷いた。
「工房だけの街じゃないからな」
金属を打つ音も聞こえる。
工房もちゃんとある。
だが、それ以上に目につくのは食料品店や衣料品店、道具屋、食堂、住宅。
そこで暮らす人のためのものが、街の中に自然と混ざっていた。
⸻
少し広い通りへ出る。
そこを走っていた荷車には、細長い穀物が入った袋が何袋も積まれていた。
「あれ、リイスじゃないか?」
俺が荷車へ目を向ける。
テラもそちらを見る。
「グランザで買ったやつか」
「ああ。たぶん同じ」
さらに歩けば、店先にも大きな袋が積まれている。
グランザでは、数ある穀物の中の一つだった。
ここでは扱われている量が違う。
「本当に産地なんですね」
カインが店先の袋を見る。
「ああ」
少し先では、荷車からリイスの袋を次々と店へ運び込んでいる。
別の店には野菜。
果物。
瓶詰め。
乾燥させた食材。
北部で作られた物が、このヴァルカンへ集まっているのだろう。
「あとで市場も見たいな」
俺が店の並ぶ方へ視線を向ける。
テラがすぐにこちらを見た。
「先に調べ物だぞ」
「分かってるって」
リイスの本場だ。
グランザとは違う料理もあるかもしれない。
それは普通に気になる。
⸻
街の中央へ近づくほど、道幅も広くなっていった。
人の数も増える。
そして。
俺は広場の手前で足を止めた。
「……噴水か」
広場の中央。
大きな石造りの設備から、水が高く吹き上がっている。
テラが俺の視線を追った。
「噴水?」
「ああ。水を上へ吹き上げるやつ」
「それは見れば分かる」
「いや、そうだけどさ」
テラが少し笑う。
この世界でも普通にあるんだな。
吹き上がった水は日の光を受け、何本もの筋になって流れ落ちている。
その周囲では子供たちが走り回り、縁へ腰掛けて話している人もいる。
近くで店を開けていた年配のドワーフが、俺たちを見て声を掛けた。
「珍しいか?」
「ちょっとな。あれも魔導具?」
「ああ」
男は噴水へ顔を向ける。
「山から流れてくる水を使ってる。ヴァルカンは水に困らんからな」
「ずっと出してるの?」
「基本はな。落ちた水もそのまま水路へ流れる」
「無駄にならないんだ」
「そういうことだ」
男が少し誇らしげに笑った。
「この街の目印みたいなもんだよ」
噴水から落ちた水は、確かにそのまま脇の水路へ流れている。
「いいな」
テラが噴水を見上げる。
「ああ」
ボルカニアのような巨大な工房群はない。
だが、豊かな水がある。
周囲には広い農地があり、そこから食料が集まる。
街には多くの人が暮らし、商店も宿も工房も揃っている。
北部の中心として栄えている理由が、少し分かった気がした。
⸻
噴水の広場を抜ける。
カインが通りの先にある案内板を確認した。
「冒険者ギルドは、この先ですね」
「じゃあ行くか」
テラが歩き出す。
「ああ」
ボルカニアよりのどか。
だが、田舎ではない。
人も物も集まる、北部の主要都市。
そして、どこへ行っても水の流れる音がする。
北方都市ヴァルカン。
昨夜は水の音しか分からなかった街が。
朝になって、ようやくその全貌を見せていた。
ここちゃんを抱き直す。
きゅる。
胸元では、むぎも小さく動いた。
キュ。
俺たちは北部冒険者ギルドへ向かった。




