川音亭
ヴァルカンの駅へ降りる。
長い列車旅を終えた乗客たちが、荷物を持ってホームを歩き始めた。後ろの貨車では、夜だというのに積み下ろしが続いている。
俺の腕の中で、ここちゃんが白い耳を動かした。
きゅる。
「着いたぞ」
胸元からは、むぎが顔を出している。
キュ。
湿り気を含んだ空気。
遠くからは、水の流れる音も聞こえていた。
ボルカニアとは明らかに違う。
ただ、もう外は暗い。街がどんな場所なのかまでは、まだよく分からなかった。
「まず宿だな」
テラが肩を回す。
「ああ。今日はもう休みたい」
朝から夜まで列車に乗っていた。
途中で食事もしたし、ガルドンではホームへ降りて夕食も済ませている。あとは宿を決めて寝るだけだ。
「宿、どうします?」
カインが尋ねる。
「できれば五人で使える大きい部屋があるところ」
ここちゃんとむぎもいる。
全員でまとまって泊まれる方が楽だ。
「共用台所もあると助かるな」
テラが言う。
「あとは、食堂の飯を部屋で食べられたらもっと楽」
二匹を毎回連れて食堂へ行く必要もない。
「両方あるところ、聞いてみましょう」
近くを通った乗務員へ、カインが声を掛けた。
「すみません。この辺りで、大きめの部屋がある宿をご存じですか?」
「何人だ?」
「五人です。動物も二匹います」
「それなら《川音亭》を見てみるといい」
「どんな宿です?」
「川沿いの宿だ。大きい部屋もあるし、共用台所もある」
「食事は?」
「食堂がある。頼めば部屋にも持ってきてくれるぞ」
それはいい。
「駅から遠いですか?」
「そう遠くない。駅を出て右へ進んで、二つ目の橋を渡った先だ」
「ありがとうございます」
礼を言い、駅舎を出た。
⸻
駅前には宿や食堂、商店が並んでいた。
ボルカニアほど工房や人でごった返してはいないが、夜でも通りには人の姿がある。
開いている店も多い。
仕事帰りらしい住民。
旅人。
荷車。
食堂からは話し声と料理の匂いも流れてくる。
「やっぱり大きい街だな」
俺が周囲を見る。
「北部の中心だからな」
テラが答える。
「ああ」
ボルカニアより少しのどかなだけだ。
静かな田舎町という感じではない。
通りの脇には、石で囲まれた水路が流れていた。
灯りを反射する水は、暗くても澄んでいるのが分かる。
「街の中にも水が流れてるのか」
テラが足元を見る。
「かなり多いですね」
カインが水路の先を見る。
少し歩くと、一つ目の橋があった。
下を流れる川は水路よりずっと広い。流れは穏やかだが、水量は多かった。
「ボルカニアとは音が違うな」
ノアが言う。
「ああ」
工房の金属音より、水の音の方が目立つ。
それでも通りから人の声が消えるわけではない。
宿。
商店。
食堂。
住宅。
夜の街は、まだ普通に動いている。
二つ目の橋を渡る。
その先の川沿いに、大きめの建物が見えてきた。
石造りの一階に、木を多く使った上階。
入口の上には、流れる川と水車を描いた看板が掛かっている。
《川音亭》
「ここだな」
扉を開ける。
⸻
中へ入ると、正面に受付。
その奥には食堂があり、まだ何組か客が残っていた。
金剛炉の館ほど豪華ではない。
だが、決して小さな宿でもない。
二階へ上がる階段も広く、受付の横には大きな荷物を置ける場所もある。
受付にいたドワーフの男が顔を上げた。
「泊まりか?」
「ああ。五人で使える大きめの部屋、空いてる?」
「空いてるぞ」
「動物が二匹いるんだけど」
ここちゃんと、胸元のむぎを見る。
「部屋を汚さなけりゃ構わん」
「助かる」
「共用台所もあるって聞いたんだけど」
「ああ。食堂の奥だ。宿泊客なら使っていい」
「食事は部屋にも運べる?」
「ああ」
男が頷く。
「料金は追加でもらうがな」
「それでいい」
「料理は箱に入れて持っていく。食い終わったら、食器を箱へ戻して階段横の棚に置いといてくれ」
「箱?」
「見りゃ分かる」
受付の横を示される。
そこには、持ち手の付いた木製の箱がいくつか重ねてあった。
四角い箱が何段かに分かれていて、中へ皿や椀を収められるようになっている。
「なるほど」
昔見た出前の箱みたいだ。
料理をまとめて運んで、食べ終わったらそのまま返す。
「便利だな」
「自分で作る客もいるし、食堂で食う客もいる。好きにすりゃいい」
「じゃあ明日の朝から部屋で頼める?」
「頼めるぞ」
「それでお願いする」
今日はもう夕食を済ませている。
今から食べる必要はない。
「何泊する?」
明日はまず、ヴァルカンの冒険者ギルドへ行くつもりだ。
この辺りの古い土地や、昔の集落について情報を集めたい。
その結果次第では、もう少し滞在することになるかもしれない。
「まず二泊で」
「分かった」
宿帳へ名前を書き、料金を払う。
鍵を一つ受け取る。
「部屋は二階の奥だ。五人でも余裕はある」
「ありがとう」
⸻
二階へ上がる。
階段を上がったすぐ横に、さっき聞いた返却用の棚があった。
何段かに分かれていて、そのうち一段には木製の箱が置かれている。
「これか」
テラが見る。
「食べ終わったら、あそこに置くだけみたいだな」
「楽ですね」
カインが頷いた。
廊下の奥へ進み、部屋の扉を開ける。
思っていたより広かった。
寝台が五つ。
大きな卓と椅子。
荷物棚。
窓際には長椅子もある。
金剛炉の館のように居間と寝室が分かれてはいないが、五人で過ごしても窮屈ではない。
「いいじゃん」
俺は部屋を見回す。
「十分だな」
テラも荷物を置く。
ここちゃんを床へ下ろし、牧草と水を用意する。
むぎも胸元から出して、餌と水を置いた。
きゅる。
キュ。
二匹とも、すぐに食べ始めた。
「平気そうだな」
テラがここちゃんを見る。
「ああ。今日は長かったから心配してたけど」
列車の中でも食べていた。
水も飲んでいる。
今も普段通りだ。
それだけで安心する。
「今日はもう荷物も最低限でいいだろ」
カインが言う。
「ああ」
着替えと、二匹の世話に使う物だけ出す。
夕食も済んでいる。
あとは身体を休めるだけだ。
⸻
窓を少し開ける。
川の音が聞こえた。
近くの通りからは、人の話し声もわずかに届いている。
静かすぎるわけではない。
それでも、ボルカニアの夜とはかなり違った。
「明日はギルドだな」
テラが言う。
「ああ」
「何から聞く?」
「まず昔のヴァルカン周辺についてかな」
古い記録では、北部にあった街や集落の多くが消えたり、名前を変えたりしていた。
その中で、昔から今まで名前が残っていたのがヴァルカンとマハル。
「ここで昔の土地や集落について何か分かれば、その先を決める」
「何もなければマハルですね」
カインが言う。
「ああ」
いきなり向かう必要はない。
まずはヴァルカンで調べる。
それで手がかりがなければ、次の候補がマハルだ。
きゅる。
ここちゃんが牧草から顔を上げる。
「今日はもう寝よう」
長い列車旅だった。
北部の主要都市、ヴァルカン。
その姿をちゃんと見るのは、明日でいい。
窓の外を流れる川の音を聞きながら。
ヴァルカン最初の夜は、ゆっくりと更けていった。




