流れる景色
翌朝。
いつもより少し早く目を覚ました。
隣では、ここちゃんが身体を丸めている。
きゅる。
「おはよう」
頭を撫でると、耳がゆっくり動いた。
むぎも俺のそばに置いた寝床の中で動き始めている。
キュ。
「今日は列車だぞ」
昨日のうちに荷物はほとんど片づけてある。
ここちゃんとむぎの朝の食事と水を用意し、俺たちも着替えを済ませた。
「忘れ物はないな?」
テラが部屋を見回す。
「ああ。あとは今使った物だけだ」
敷物や二匹の食器を片づける。
寝台や卓、棚の周りも確認し、出した物が残っていないことを確かめてから一階へ下りた。
⸻
食堂では、すでに朝食が用意されていた。
野菜のスープにパン、山羊乳のチーズ、卵料理。それから、薄く切った燻製肉。
「ちゃんと肉もあるな」
アクセルが席へ着く。
「昨日も確認してただろ」
「朝は朝だ」
全員で朝食を取る。
今日は列車へ乗るだけだ。
昼を少し過ぎた頃にはボルカニアへ着く予定なので、船旅の時のように何日分もの食事を考える必要もない。
食事を終える頃、宿の主人が紙包みを持ってきた。
「頼まれてた分だ」
「ありがとう」
中にはパンと燻製肉が、食べやすいよういくつかに分けて包まれている。
「これなら途中で腹が減っても大丈夫だな」
アクセルが言う。
「たぶんな」
「たぶん?」
「お前次第だろ」
主人が笑った。
「またグランザへ来たら泊まれよ」
「ああ。その時は頼む」
部屋の鍵を返し、鉄床亭を出た。
⸻
朝のグランザを歩く。
ここちゃんは俺の腕の中。むぎは胸元にいる。
きゅる。
キュ。
この数日で何度か通った道だ。
だが今日は、その先にある駅から列車へ乗る。
大きな屋根が見えてくると、アクセルの歩く速度が少し上がった。
「早いぞ」
テラが言う。
「遅れたら困る」
「まだ時間あるだろ」
「あるうちに着けばいい」
「珍しく慎重だな」
返事はなかった。
たぶん、列車に乗りたいだけだ。
⸻
駅へ着き、切符を確認してもらう。
案内された乗り場には、以前見た物と同じ大きな魔導列車が停まっていた。
金属で覆われた車体には大きな窓が並び、先頭には魔石を中心に組まれた装置が見える。
「これに乗るんだな」
テラが見上げる。
「ああ」
扉の前には、すでに乗客が並んでいる。
俺たちも列へ続いた。
⸻
車内へ入る。
左右には、何人かずつ向かい合って座れる長い椅子が並んでいた。
表面は厚い布で覆われている。
手で軽く押すと、中には綿がしっかり詰められていた。
「馬車よりは楽そうだな」
テラが座面を押す。
「ああ。ずっと座ってても痛くなりにくそうだ」
「ポケットコイルは入ってないな」
アクセルが言う。
「何でお前が確認するんだよ」
「知ってるから」
「作ったのは俺だぞ」
「使ってる」
「それは知ってるだけだろ」
テラが笑う。
「でも、これも悪くない」
アクセルはそのまま窓際へ座った。
全員がまとまって座れる場所を選ぶ。
俺はここちゃんを膝へ乗せた。むぎは胸元にいるままだ。
ノアとアクセルが窓側。
その向かいに俺とテラ、カインが座る。
頭上には荷物棚があり、窓の下には小さな卓。天井には魔導具の灯りも付いていた。
「中も広いですね」
カインが周囲を見る。
「ああ。馬車とは全然違うな」
通路も、人がすれ違える程度には広い。
荷物を抱えた乗客が通っても、それほど窮屈には感じない。
ノアは窓の外へ目を向けていた。
別の線路にも、何本かの列車が停まっている。
「これが動くのか」
「ああ。もうすぐな」
⸻
しばらくすると、駅員が車内を歩きながら出発を知らせた。
乗客がそれぞれ席へ着く。
開いていた扉が音を立てて閉じると、少し間を置いて足元から低い振動が伝わってきた。
「動いた」
ノアが言う。
列車はゆっくりと進み始める。
最初は人が歩くくらいの速さだったが、駅の柱が一つずつ後ろへ流れていくうちに、少しずつ速度が上がっていった。
ガタン、ガタンと一定の音が足元から響く。
駅の屋根を抜けると、窓の外へグランザの街が広がった。
建物や通り、工房が次々に後ろへ遠ざかっていく。
「速いな」
アクセルが窓へ顔を向ける。
列車はさらに速度を上げ、街を出る頃には近くの景色が流れるように過ぎていた。
「とんでもないな」
普段より、少しだけ声が弾んでいる。
「窓へ張りつくなよ」
「分かってる」
そう言いながら、視線は外へ向いたままだ。
テラも今日は本を出さず、流れる景色を見ている。
カインは窓の外と車内を交互に見ていた。
「これだけ速いのに、思ったより揺れませんね」
「ああ。船よりずっと楽だな」
振動はある。
だが、馬車のように石や窪みへ乗り上げるたび身体が跳ねることはない。
厚い座面も、かなり効いている。
⸻
ここちゃんは最初、聞き慣れない音がするたび耳を動かしていた。
俺の膝の上で、少し身体を固くしている。
「大丈夫だぞ」
頭を撫でる。
きゅる。
しばらくすると、危険がないと分かったのか、少しずつ身体の力が抜けていった。
胸元のむぎも、時々顔を出して窓の方を見ている。
キュ。
「見えるか?」
流れる景色が何なのかまでは分からないだろう。
それでも、鼻を動かしながらしばらく外を見ていた。
収納から小さく切ったドライフルーツを出す。
「少しだけな」
ここちゃんへ一切れ。
むぎにも、さらに小さくした物を渡す。
ここちゃんは俺の掌から受け取り、そのまま膝の上で食べ始めた。
むぎも胸元から顔を出し、両手で持つ。
キュ。
「列車でもいつも通りだな」
テラが言う。
「それが一番だろ」
ここちゃんを撫でながら、窓の外を見る。
港町の建物はもう見えない。
代わりに草地や岩の多い場所が続き、その向こうには山並みが見える。
時々、小さな集落や畑も通り過ぎた。
見る物は多い。
だが、一定の音を聞きながら暖かいここちゃんを膝へ乗せていると、次第にただ景色を眺めるだけになっていった。
⸻
「レイン」
ノアの声で顔を上げる。
「何だ?」
「街が見える」
窓の外へ目を向けた。
遠くに、大きな建物が並んでいる。
グランザより明らかに広く、線路も一本ではない。
その上を、別の列車が進んでいる。
「もう着くのか?」
思わず言う。
景色を眺めているうちに、かなり時間が経っていたらしい。
列車は少しずつ速度を落としていた。
流れていた景色がゆっくり形を取り戻し、建物や道、歩く人の姿がはっきり見えるようになる。
工房らしい大きな建物も増えてきた。
やがて、巨大な駅の屋根が見えた。
「ここがボルカニアか」
テラが言う。
列車はさらに速度を落とし、長い駅の中へ入っていく。
最後に小さく車体が揺れ、完全に止まった。
朝にグランザを出て、まだ昼を少し過ぎたくらい。
馬車ならもっと時間がかかるはずの距離を、俺たちは座って景色を眺めているだけで通り抜けてしまった。
扉がゆっくり開く。
その先には、大陸の中央にある街。
ボルカニアが広がっていた。




