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船上最後の夜


 階段を下り、船室へ戻る。


 胸ポケットの中で、むぎが小さく動いた。


「もう大丈夫だからな」


 キュ。


 扉を開ける。


 ノアは寝台のそばに座っていた。


 その足元には、ここちゃん。


 俺たちが入った瞬間、耳がこっちを向く。


「大丈夫だったか?」


 テラが最初に声をかけた。


「ああ。警鐘には驚いていたが、暴れたりはしていない」


 ノアが答える。


 ここちゃんの前へしゃがむ。


「ただいま」


 きゅる。


 鼻を動かし、そのまま俺の手へ額を押しつけてきた。


「びっくりしたよな」


 頭から背中へ手を滑らせる。


「外は?」


「終わった。軽い怪我人はいるけど、重傷はいないみたいだ。船も大丈夫だって」


「そうか」


 ノアが小さく息を吐いた。


「むぎは?」


「ここ」


 胸ポケットへ手を入れる。


 掌へ乗せると、むぎが顔を出した。


 キュ。


「無事だったか」


 ノアが手を差し出す。


 むぎはその指先へ鼻を寄せる。


「テラが弓を使うから、途中から俺のポケットに入れてた」


「それがよかっただろうな」


「ああ。俺もその方が安心だった」


 むぎを床へ下ろす。


 少し周囲を見回したあと、ここちゃんの方へ向かっていった。


 ここちゃんが鼻先を寄せる。


 むぎも少しだけ近づき、そのまま横へ座った。


「二匹とも疲れただろうな」


 テラが言う。


「俺たちもな」


「俺はまだ動ける」


 アクセルが言う。


「動かなくていい」


 すぐに返すと、カインが小さく笑った。


「今日はもう休んだ方がよさそうですね」


「そうするか」


 しばらくここで過ごすことにした。


 テラは壁際へ腰を下ろし、カインも近くの寝台へ座る。


 アクセルは空いている場所へ背を預けた。


 さっきまで甲板で戦っていたとは思えないくらい、部屋の中は静かだ。


 ここちゃんは敷物の上。


 むぎもその近く。


 ノアは二匹を見ながら、ここちゃんの頭を撫でている。


「さっきの音、かなり響いてたか?」


 俺が聞く。


「ああ。警鐘も、そのあとの戦う音も聞こえていた」


「やっぱりか」


「ここちゃんは何度か扉を見ていた」


「……気になってたのかな」


「かもしれないな」


 もう一度、ここちゃんを撫でる。


 きゅる。


「終わったからな。もう大丈夫だ」


 少しずつ、体の力が抜けていく。


 戦っている時より、終わったあとに疲れが来るらしい。


 そのまま夕食の時間まで、誰も外へ出ようとはしなかった。


⸻


 夕食の鐘が鳴る。


「行くか」


 テラが立ち上がる。


「ああ」


 ここちゃんとむぎは、今日は部屋で休ませることにした。


 水と餌を確認する。


「すぐ戻るからな」


 ここちゃんの頭を撫でる。


 むぎも布の近くで丸くなっていた。


 扉を閉め、全員で食堂へ向かう。


 さすがに船内はまだ少しざわついていた。


 昼間の戦いについて話している乗客もいる。


 空いている卓へ座ると、いつものように食事が運ばれてきた。


 パンとスープ。


 魚と野菜の煮込み。


 特別な物ではない。


 それが何となくありがたかった。


「普通の飯だな」


 アクセルが皿を見る。


「何を期待してたんだよ」


「別に」


「なら食え」


「ああ」


 素直にパンを取る。


 俺もスープを口へ運ぶ。


 温かい。


 ようやく一日が終わる気がした。


 そこへ、近くを通った船員が声をかけてきた。


「昼は助かった」


「船は問題ないのか?」


 テラが尋ねる。


「ああ。確認は終わった。航海に支障が出るような損傷はない」


「じゃあ予定通り?」


 俺が聞く。


「このまま風が変わらなければ、明日の朝にはグランザへ着けると思うぞ」


「朝か」


「ああ。着いてすぐ降ろすわけじゃないが、朝食のあとには下船できるだろう」


「分かった。ありがとう」


「こっちこそな」


 船員は軽く手を上げ、そのまま仕事へ戻っていった。


「いよいよですね」


 カインが言う。


「ああ」


 テラも頷く。


「明日の朝にはドワーフ大陸か」


 ノアが静かに言った。


「やっとだな」


 船に乗ってから四日。


 途中で高い波に揺られ、最後にはシーサーペントまで出た。


 長かったような。


 短かったような。


「まずはギルドだな」


「ああ」


 古い地図に残された印。


 あれが示す場所について調べる。


 グランザで何か分かるかは、まだ分からない。


 それでも。


 ようやく次の場所へ進める。


⸻


 夕食を終え、船室へ戻る。


 扉を開けると、ここちゃんが顔を上げた。


「ただいま」


 むぎも布の中から出てくる。


 キュ。


「元気そうだな」


 まず二匹の水を確認する。


 ここちゃんは牧草も食べていた。


 問題なさそうだ。


 向かいの部屋へ戻る前に、テラがむぎへ手を出した。


 むぎは掌へ乗り、そのまま腕を登ろうとする。


「もう遊ぶのか?」


 俺が言う。


「元気は戻ったみたいだな」


 テラが笑う。


「でも今日はもういいだろ。夜だし」


「ああ」


 むぎを俺へ戻してもらう。


「また明日な」


 キュ。


「じゃあ俺たちも寝るか」


 アクセルが言う。


「今日は早いな」


「明日着くんだろ」


「そういうところはちゃんとしてるんだな」


「普通だ」


 テラたちは向かいの部屋へ戻っていった。


 扉を閉める。


「片づけるか」


「ああ」


 明日の朝には船を降りる。


 船室へ出していた物をまとめていく。


 着替え。


 二匹の餌。


 水入れ。


 敷物。


 朝まで使う物だけを残し、それ以外は無限収納へ戻す。


「最初からあまり出してないから早いな」


 俺が言う。


「船の中で広げる必要もなかったからな」


 ノアも近くの荷物をまとめる。


 少しすれば、床の上はほとんど片づいた。


 残っているのは、二匹が使う物くらいだ。


「これでいいか」


「ああ」


 丸い窓を見る。


 外はもう暗い。


 海しか見えない。


 この向こうにドワーフ大陸がある。


「明日か」


「そうだな」


 ノアも窓へ視線を向ける。


「まずはグランザのギルド」


「ああ。そこで情報を集める」


「分かった」


 それ以上は話さず、寝る準備を始めた。


⸻


 むぎを掌へ乗せる。


「今日は頑張ったな」


 キュ。


「怖かっただろ。ゆっくり寝ろよ」


 指先で背中を軽く撫でる。


 ここちゃんも敷物からこちらを見ていた。


「お前もな」


 きゅる。


 二匹を寝台へ上げる。


 ここちゃんが壁側へ伏せる。


 むぎもその近くへ移動し、小さく丸くなった。


 俺は外側へ横になる。


「今日もそこか」


 向かいの寝台からノアが言う。


「もうこれでいいだろ」


「ああ」


「二匹も慣れただろうし」


「レインもな」


「俺?」


「二匹がそこにいれば安心して寝られる」


「……まあ、それはそう」


 否定はできない。


 ここちゃんの背中へ手を添える。


 むぎもすぐ近くで動かなくなった。


 船は静かに揺れている。


 波も穏やかだ。


 今日みたいな警鐘も、もう鳴らなくていい。


「寝坊するなよ」


 ノアが言う。


「昨日だけだって」


「かなり寝ていた」


「だから昨日だけ!」


 小さく笑う声が聞こえた。


 目を閉じる。


 船の上で眠るのも、これが最後。


 次に目を覚ました時。


 グランザ港は、もうすぐそこまで来ているはずだ。

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