四日目の警鐘
四日目の朝。
目を覚ますと、船室の中は明るかった。
昨夜は一度も大きな揺れに起こされなかったらしい。
体を起こす。
壁側では、ここちゃんとむぎが並んで寝ていた。
ここちゃんは俺が動いた気配で耳を立て、少し遅れて目を開ける。
むぎはまだ丸いままだ。
「おはよう」
ここちゃんの頭へ手を伸ばす。
きゅる。
額を押しつけてくる。
「昨日一日寝たから元気だな」
「レインもだろう」
向かいからノアの声がした。
「俺はここちゃんほど元気じゃない」
「昨日は夕方まで寝ていた」
「それは寝不足だったからだ」
「ここちゃんも同じかもしれない」
「……それなら一緒だな」
ノアが小さく笑う。
ここちゃんを床へ下ろし、むぎも掌へ移す。
むぎは少し鼻を動かしたあと、ようやく目を覚ましたらしい。
キュ。
「お前も起きたか」
二匹へ水と餌を用意する。
昨日の朝とは違い、ここちゃんはすぐ牧草を食べ始めた。
むぎも木の実を持ち、頬へ入れている。
「問題なさそうだな」
「ああ」
ノアがここちゃんの背中を撫でる。
「今日は海も穏やかそうだ」
丸い窓の向こうに見える海は、昨日の夕方と変わらず静かだった。
⸻
朝食を済ませたあと、船室へ戻る。
航海四日目。
順調なら、今日のうちにはドワーフ大陸へかなり近づくはずだ。
「今夜には港へ着くのか?」
アクセルが尋ねる。
「そこまでは聞いてないな」
テラが答える。
「風次第だろう。今日中に着くかもしれないし、明日の朝になるかもしれない」
「着いたら肉を食う」
「朝からそれかよ」
「船の飯にも肉は出ただろ」
「少ない」
「もう少し我慢しろ」
それ以上は続けず、テラが丸い窓へ目を向けた。
「昼になったら甲板へ出るか?」
「天気がよければな」
俺が答える。
ここちゃんは敷物の上。
むぎは朝からテラの肩へ移り、今はそこで周囲を見ている。
「ノアは?」
「今日は部屋にいる」
ノアがここちゃんへ目を向けた。
「昨日はほとんど寝ていたからな。今日は無理に外へ出さなくてもいいだろう」
「ここちゃんは?」
頭を撫でる。
「俺たち甲板行くけど、行くか?」
ここちゃんが一度だけ顔を上げた。
俺を見る。
少し鼻を動かし、そのままノアの足元へ移動する。
「……今日は留守番らしい」
「そうみたいだな」
ノアが屈み、ここちゃんの額を撫でる。
「私もいる。任せておけ」
「ああ」
むぎを見る。
テラの肩からこちらへ顔を向けていた。
「むぎは行くのか?」
キュ。
「行く気ありそうだな」
「甲板へ出る時は胸元に入れる」
テラが言う。
「ああ。頼む」
昼間なら任せてもいい。
夜は俺のところへ戻す。
それでいい。
⸻
昼を過ぎ、船員へ確認してから甲板へ上がる。
むぎはテラの胸元。
顔だけを出し、海の匂いを嗅いでいる。
昨日までより、船員たちの動きが少し慌ただしい。
「何かあるのか?」
俺が周囲を見る。
「到着が近いからかもしれないな」
テラが答える。
積み荷を確認する者。
縄を見る者。
帆を調整する者。
船員たちがあちこちを行き来している。
海は穏やかだった。
風も強くない。
「今日は何も出ないな」
アクセルが海の先を見る。
「何を期待してる?」
「昨日の蛇」
「出ない方がいいって言っただろ」
「出たら倒すだけだ」
「お前はそればっかりだな」
カインが少し笑う。
「何も起こらず着くのが一番ですよ」
「戦えるならどっちでもいい」
「それ、一番駄目なやつだろ」
俺たちは甲板の出入口に近い場所へ座る。
むぎはテラの胸元から顔を出したまま、鼻を動かしていた。
海の上は静かだった。
昨日までと同じ。
波の音。
風。
船体の軋み。
このまま何事もなく進む。
そう思っていた。
突然。
鐘が鳴った。
カン。
カン。
カン。
食事の時間とは違う。
何度も強く、甲板中へ響き渡る。
「何だ?」
アクセルが立ち上がる。
船員たちの動きが一気に変わった。
「乗客は船室へ!」
「護衛は配置につけ!」
「右舷に魔物!」
声が飛ぶ。
船縁にいた船員たちも、すぐに槍や弓を取る。
テラの手が反射的に胸元へ向かった。
「レイン」
「ああ。むぎ」
俺も手を出す。
テラがむぎを取り出し、俺の掌へ乗せた。
「むぎ、こっちな」
キュ。
そのまま胸ポケットへ入れる。
顔だけを出したむぎの頭へ指を添えた。
「ここにいろよ」
キュ。
「助かる」
テラが弓へ手を伸ばす。
その時。
前方から船員の叫び声が響いた。
「シーサーペントだ!」
昨日の商人の話が頭をよぎる。
続けて別の声。
「一匹じゃない!」
「群れだ!」
「まじかよ」
船縁の向こうを見る。
海面が、いくつもの場所で大きく盛り上がっていた。
「冒険者の方!」
船員が俺たちへ駆け寄る。
「ご協力をお願いします!」
「分かった」
テラが弓を構える。
カインも腰のナイフへ手を伸ばした。
アクセルはすでに剣を抜いている。
「やっと来たか」
「嬉しそうにすんな!」
「倒せばいいんだろ」
「船員の指示を聞けよ!」
「分かってる!」
胸ポケットへ手を当てる。
中でむぎが小さく動いた。
(大丈夫。出てくるなよ)
海面から一匹が飛び出した。
長い青黒い体。
大きく開いた口。
並んだ牙。
「来るぞ!」
船員の声。
シーサーペントが船縁へ頭を伸ばす。
アクセルが踏み込んだ。
一歩。
二歩。
振り下ろした剣が首元へ入る。
そのまま一気に振り抜いた。
頭が胴から離れ、甲板へ転がる。
残った長い体は船縁へぶつかったあと、そのまま海へ落ちていった。
「一匹!」
「早いな!」
近くの船員が声を上げる。
だが、見る暇はない。
反対側でも水しぶきが上がった。
船員たちが長槍を突き出し、その後ろから護衛の冒険者が剣を振るっている。
別の場所では矢と魔法が飛んでいた。
こっちだけが戦っているわけじゃない。
《左舷側、接近》
「左!」
振り向く。
一匹が船縁のすぐ近くまで頭を上げていた。
二人の船員が槍で牽制する。
だが、シーサーペントが大きく頭を振った。
「うわっ!」
一人の槍が弾かれる。
船員が体勢を崩した。
開いた口が、そのまま船員へ向く。
「危ない!」
俺は咄嗟にシーサーペントへ手を向け、無属性の衝撃を放つ。
横から衝撃を受けた頭が大きく逸れた。
牙が船員のすぐ脇を通り過ぎる。
その腕をカインが掴んだ。
「こちらへ!」
後ろへ引き戻す。
シーサーペントが再び頭を上げる。
そこへテラの矢が飛んだ。
一本が目元へ刺さる。
頭が止まった一瞬を逃さず、護衛の冒険者が首元へ剣を叩き込んだ。
船員も槍を突き出す。
何度か暴れたあと、シーサーペントの力が抜ける。
巨体が船縁を滑り、海へ落ちていった。
「助かった!」
船員が息を整えながら言う。
「怪我は?」
「ない!」
「ならよかったです」
カインがすぐ海へ視線を戻した。
その時。
《右舷側、二体接近》
「右から二匹!」
海面を割って、二つの頭がほぼ同時に上がる。
アクセルが右側の一匹へ向いた。
だが、そちらには船員たちもすでに動いていた。
「こっちは任せろ!」
二人が長槍を構え、その後ろから護衛の冒険者が剣を抜く。
「アクセル、左です!」
カインが叫んだ。
もう一匹が、少し遅れて左側から船縁へ頭を伸ばしてくる。
カインの腕が振られる。
投げたナイフがシーサーペントの左目へ突き刺さった。
頭が大きく逸れる。
「助かる!」
アクセルが体を入れ替え、一気に踏み込む。
剣が首を横から薙いだ。
切り離された頭が甲板へ落ちる。
胴体は船縁へぶつかり、そのまま海へ沈んでいった。
カインはすぐに落ちた頭部へ近づき、目元に刺さったナイフを引き抜く。
「次が来ます!」
休む暇もない。
さっき右側へ向かった一匹は、船員と護衛が迎え撃っていた。
長槍で頭を近づけさせず、その隙に護衛の剣が首元へ入る。
大きく暴れたあと、シーサーペントは海へ沈んだ。
少し離れた場所では、護衛と船員たちが別の二匹を相手にしていた。
船縁へ近づかせないよう槍で牽制し、その後ろから矢と魔法が飛ぶ。
一匹が大きく仰け反り、海へ沈む。
もう一匹も押し返され、船から距離を取った。
胸元で、むぎが動いた。
手を添える。
「大丈夫だ。もう少しだけな」
キュ。
小さな声が返ってくる。
《右舷側、接近》
くさえもんの声が響く。
「右!」
見る。
一匹が海面から勢いよく頭を上げた。
狙われた船員が長槍を構える。
だが、シーサーペントは槍を横から弾き、そのまま大きく口を開いた。
「下がれ!」
船員が後ろへ飛ぶ。
間に合わない。
俺はすぐに手を向けた。
無属性の衝撃を横から叩き込む。
シーサーペントの頭が大きく流れ、牙が船員の肩先をかすめて空を噛んだ。
「今だ、テラ!」
「ああ!」
弦が鳴る。
一本目の矢が開いた口の脇へ刺さる。
二本目は目元。
シーサーペントが頭を振り、こちらへ向き直ろうとする。
その時、護衛の一人が杖を掲げた。
魔法陣が浮かぶ。
放たれた魔法が頭部へ直撃した。
シーサーペントの体が大きく仰け反る。
テラがもう一本矢を放つ。
矢が喉元へ深く刺さった。
長い体から力が抜ける。
頭が船縁へぶつかり、そのまま海へ落ちた。
「大丈夫か!」
近くの船員が、さっき狙われた男へ駆け寄る。
「ああ。かすっただけだ!」
服の肩口が少し裂けている。
だが、血はほとんど出ていない。
「よかった」
俺も息を吐く。
反対側を見る。
護衛と船員たちも、残っていた個体を押し返したところだった。
海面に見えていた長い影が、少しずつ船から離れていく。
「追うな!」
「船を守れ!」
船員の声が飛ぶ。
誰も追撃しない。
しばらくして。
「周囲にシーサーペントなし!」
見張り台から声が響いた。
甲板のあちこちで、ようやく息を吐く音がした。
⸻
「船体を確認しろ!」
「怪我人はこっちだ!」
戦いが終わった途端、船員たちは別の仕事へ移る。
船体を確認する者。
軽い怪我をした仲間を手当てする者。
甲板へ落ちたシーサーペントの頭を片づける者。
俺たちは邪魔にならない場所へ下がった。
「怪我は?」
テラが全員を見る。
「ない」
アクセルが答える。
「私も大丈夫です」
カインがナイフを拭く。
「俺も平気」
胸ポケットへ手を当てる。
「むぎも大丈夫そうだ」
キュ。
「よかったな」
テラが少し表情を緩める。
「さっきは助かった、テラ」
アクセルが言う。
「ん?」
「最後のやつ」
「レインが逸らしたから狙えた」
「それでもだ」
「なら、次は自分でも周りを見ろ」
「ああ」
カインが二人を見て、少し笑った。
今のやり取りを聞いて。
ふと気づく。
さっきカインは、普通にアクセルと呼んでいた。
戦っている最中には、テラにも敬称なしで声をかけていた。
いつからだ?
少なくとも、誰も気にしていない。
呼ばれた二人も、当たり前のように返事をしていた。
たぶんノアがここにいても、同じなんだろう。
《関係構築率、九十パーセント》
(何だよ、その数字)
《推定値です》
(残り十パーセントは?)
《不明》
(適当じゃねえか)
《否定》
(じゃあ何なんだよ)
《不明》
(やっぱ適当だろ)
こんなところで妙な数字を出すな。
だが、言いたいことは何となく分かる。
最初は少し距離を取っていたカインも、今ではすっかりこの中に混ざっている。
誰かが決めたわけでもない。
気づいたら、そうなっていた。
それくらいがちょうどいいのかもしれない。
「レイン?」
カインがこちらを見る。
「どうしました?」
「いや。何でもない」
「そうですか」
言葉遣いは相変わらず丁寧だ。
そこまで変わる必要はない。
近くにいた船員がこちらへ歩いてきた。
「協力、感謝する。おかげで船体にも大きな損傷はない」
「ならよかった」
「軽い怪我人はいるが、命に関わる者はいない。群れの数を考えれば十分だ」
船員はアクセルたちにも頭を下げる。
「かなり助かった」
「こっちも助けてもらったしな」
俺が言う。
船員や護衛が押さえてくれたから、間に合った場面もあった。
船員が笑う。
「この船を守るのは俺たちの仕事だからな」
アクセルが海を見る。
「もう来ないのか?」
「来なくていい」
テラが即座に返した。
「そうですね」
カインも頷く。
船員が苦笑した。
到着を目前にして戦いはあった。
それでも、船は止まっていない。
航海へ影響するような損傷もないらしい。
「戻るか」
俺が言う。
「ああ」
ノアとここちゃんは船室で待っている。
胸ポケットにはむぎ。
戦いの間、ずっと大人しくしていてくれた。
「むぎ、戻るぞ」
キュ。
俺たちは船員たちの作業を邪魔しないよう、階段へ向かった。
戦いが終わった今。
真っ先に気になったのは、警鐘や戦いの音を聞いていたここちゃんの様子だった。




