眠りすぎた三日目
明け方になる頃には、船の揺れはかなり穏やかになっていた。
船体へぶつかる波の音も小さくなり、ようやく眠れそうだと思う。
寝台の壁側では、ここちゃんとむぎが並んで丸くなっている。
夜中は揺れるたびに二匹へ手を添えていたが、今はもう支えなくても大丈夫そうだ。
「落ち着いたな」
向かいの寝台から、ノアの眠そうな声がした。
「ああ。やっと寝られそうだ」
ここちゃんの背中へ置いていた手を少し緩める。
むぎはその横で小さく丸まり、動く様子もない。
今度こそ眠れる。
そう思った時。
船内へ鐘の音が響いた。
「……朝か」
目を閉じたまま呟く。
「そうらしいな」
ノアも、すぐに起き上がる気配はない。
「今鳴るのかよ」
「朝だからだろう」
「分かってる」
眠い。
ほとんど寝ていない。
それでも朝食を逃したまま寝るのもどうかと思い、ゆっくり体を起こした。
ここちゃんが耳を一度だけ動かす。
だが、目は細いままだ。
むぎも少し顔を上げただけで、すぐにここちゃんの横へ戻った。
「二匹も眠そうだな」
ノアが寝台から下りる。
「ああ。夜中ずっと揺れてたからな」
「朝食へ連れていくのはやめるか?」
「その方がいいな」
ここちゃんとむぎを床の敷物へ移す。
二匹とも、ほとんど抵抗せずにその場へ伏せた。
水と餌を近くへ置き、窓と扉、それから部屋の中を確認する。
「すぐ戻ろう」
「ああ」
声を落として部屋を出た。
⸻
向かいの扉を叩く。
少しして、テラが顔を出した。
いつもより明らかに眠そうだ。
「寝られたか?」
「途中まではな。揺れ始めてからは、ほとんど寝てない」
部屋の中では、カインも身支度をしている。
「私も似たようなものです。気分が悪くなるほどではありませんでしたが、眠るには難しい揺れでしたね」
「アクセルは?」
奥を見る。
一番奥の寝台から、毛布が動いた。
「起きてる」
低い声がする。
「寝てるだろ」
「起きた」
顔を出したアクセルも、さすがに眠そうだった。
「お前でも寝られなかったのか」
「何回か起きた」
「じゃあ全員同じか」
テラが小さく息を吐く。
「とりあえず飯にするぞ。そのあと寝る」
「賛成」
アクセルが毛布から出てくる。
眠そうでも、朝食には行くらしい。
⸻
食堂へ向かう。
通路を歩く乗客たちも、普段より足取りが重かった。
昨夜の揺れで眠れなかったのは、俺たちだけではないらしい。
朝食を受け取り、空いている卓へ座る。
パン。
卵。
温かいスープ。
少しの燻製肉。
いつもなら真っ先に肉へ手を伸ばすアクセルも、今日は動きが遅い。
「眠そうだな」
「眠い」
「素直だな」
「眠いからな」
それ以上話す気力もないらしい。
俺もスープを口へ運ぶ。
温かい物が腹へ入ると、少しだけ体が戻ってくる。
近くを通った船員へ、テラが声をかけた。
「昨夜はかなり揺れたな」
「ああ。少し波の高い場所を通った」
船員は慣れた様子で答える。
「もう抜けてる。この先は、天気が崩れなければしばらく穏やかだ」
「今夜は寝られそうか?」
「昨夜ほどにはならんと思うぞ」
「それなら助かる」
船員は眠そうな乗客たちを見回す。
「今日は昼まで寝てる奴も多いだろうな」
他人事みたいに笑い、そのまま仕事へ戻っていった。
「戻ったら寝る」
アクセルが言う。
「今日は誰も反対しないぞ」
テラもスープを飲み干す。
「昼までは休むか」
「それがよさそうですね」
カインが頷く。
ノアも眠そうな目でパンを食べていた。
「レイン」
「何だ?」
「ここちゃんとむぎも寝ている。起こさず戻ろう」
「ああ」
朝食を手早く済ませ、船室へ戻ることにした。
⸻
扉を開ける。
ここちゃんとむぎは、まだ敷物の上にいた。
俺たちが戻ってきた気配に、ここちゃんの耳がこちらへ向く。
むぎも顔を上げた。
「ただいま」
水を飲むか確認する。
ここちゃんは少しだけ飲み、牧草を何本か口にした。
むぎも木の実を一つ受け取り、頬へ入れる。
それだけで、また二匹とも動きを止めた。
「まだ眠いんだな」
「ああ」
ノアはもう自分の寝台へ向かっている。
「俺も限界だ」
昨夜と同じように、ここちゃんとむぎを自分の寝台へ上げる。
「こっち来い」
ここちゃんは壁側へ伏せた。
むぎもその横へ移動し、体を丸める。
俺は外側へ横になる。
今度は船もほとんど揺れていない。
「これなら落ちないな」
「レインが一番安心して寝られるだろう」
向かいからノアが言う。
「うるさい。寝るぞ」
「ああ。おやすみ」
「おやすみ」
ここちゃんの頭を一度撫でる。
目を閉じた。
今度は眠りへ落ちるまで、ほとんど時間がかからなかった。
⸻
ふと目を覚ます。
丸い窓から、赤みがかった光が差し込んでいた。
「……ん?」
体を起こす。
さっきまで朝だったはずだ。
窓を見る。
海の上へ、傾いた日の光が伸びている。
「夕方?」
思わず声が出た。
昼のことを何も覚えていない。
鐘が鳴ったのかどうかすら分からない。
「寝すぎた……」
頭はまだ少し重いが、朝よりずっと楽になっている。
ここちゃんを見る。
俺が動いたことで起きたらしく、寝台の上で耳を立てていた。
むぎも、ここちゃんの横から顔を上げる。
「お前らもずっと寝てたのか?」
きゅる。
キュ。
「元気は戻ってそうだな」
ここちゃんがその場で伸びをする。
むぎも体を起こし、鼻を動かした。
向かいの寝台を見る。
空だ。
「ノア?」
部屋の中にもいない。
ノアがいないなら、俺より先に起きたらしい。
「どこ行ったんだ?」
二匹へ水を飲ませてから、ここちゃんを抱き上げる。
むぎへも手を伸ばした。
「行くか?」
キュ。
掌へ乗る。
そのまま腕を登ってきたため、胸ポケットへ入れる。
ここちゃんを抱き、向かいの部屋へ行った。
⸻
扉を叩く。
「起きてるか?」
返事はない。
もう一度叩く。
「開いてる」
低い声が聞こえた。
扉を開ける。
寝台の一つで、アクセルだけが横になっていた。
「まだ寝てたのか」
「起きてる」
目は閉じている。
「テラとカインは?」
「甲板」
「ノアも?」
「ああ」
「いつ起きたんだ?」
「知らない」
「お前は?」
「昼に一回起きた」
「飯?」
「ああ」
やっぱり飯で起きたのか。
「それから?」
「また寝た」
「そうだと思ったよ」
アクセルは少しだけ目を開ける。
「レインは寝すぎだ」
「お前に言われたくない」
「俺は昼に起きた」
「飯食ってまた寝てるだろ」
「ああ」
何の反論にもなっていない。
「夕食の鐘で起きろよ」
「起きる」
そこだけは妙に信用できる。
扉を閉め、甲板へ向かった。
⸻
外へ出る。
昨夜の荒れ方が嘘のように、風は弱かった。
空は赤く染まり、海も同じ色を映している。
少し離れた場所に、ノア、テラ、カインがいた。
最初に気づいたのはカインだった。
「レイン」
こちらへ顔を向ける。
テラとノアも振り返った。
「ようやく起きたか」
テラが言う。
「よく寝ていたな」
ノアも少しだけ口元を緩める。
「誰も起こしてくれなかったのかよ」
「起こす必要がなかった」
ノアが答える。
「昨夜ほとんど寝ていなかっただろう」
「まあ、そうだけど」
「ここちゃんとむぎも一緒に寝ていたからな。そのままにしておいた」
そこまで見ていたらしい。
「二匹は?」
テラが尋ねる。
「元気。起きて水も飲んだ」
俺の腕の中で、ここちゃんが耳を動かす。
胸ポケットからは、むぎが顔だけを出していた。
「ならよかった」
「みんなは昼飯食ったのか?」
「ああ。簡単にな」
テラが答える。
「パンと保存食を少し食べただけだ」
「私はあまり腹が減っていなかった」
ノアが言う。
「カインは?」
「私も少しだけです。今日は寝ている方が長かったですから」
「アクセルは?」
三人が一瞬黙る。
「……何だよ」
「起きてきた」
テラが言う。
「昼の鐘が鳴ったらな」
「そこまでは予想通りだ」
「それで飯を食ったあと、また寝た」
「それも見た」
さっきまで寝ていた。
「今日は全員、ほとんど何もしてないな」
「ああ」
テラが夕暮れの海を見る。
「たまには、こういう日があってもいいだろ」
確かに。
三日目は、ほとんど眠って終わった。
だが、昨夜の揺れを考えれば悪くない。
海も今は穏やかだ。
「明日はドワーフ大陸が近いんだったな」
「ああ。このまま順調ならな」
テラが答える。
明日は航海四日目。
昨日聞いたシーサーペントの話もある。
だが、今から気にしても仕方がない。
「そろそろ戻るか」
ノアが言う。
「二匹にも餌をやるんだろう?」
「ああ。俺も腹減った」
「もうすぐ夕食の時間ですね」
カインが空を見る。
夕日を最後に眺め、俺たちは船室へ戻ることにした。
三日目は、ほとんど何もしなかった。
眠って。
起きて。
少し海を見ただけ。
それでも、昨日までより体は軽い。
明日には、ドワーフ大陸が近づく。
今夜こそ。
ちゃんと眠れそうだった。




