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慣れてきた朝


 翌朝。


 目を覚ますと、最初に見えたのは寝台の横に座るここちゃんだった。


 昨日はあれだけ疲れて眠っていたのに、今はもう耳を立ててこちらを見ている。


「おはよう」


 声をかけると、ここちゃんは寝台へ前足をかけた。


 起きたなら撫でろ。


 たぶん、そういうことだろう。


 上半身を起こし、頭へ手を伸ばす。


 額から耳の付け根まで撫でると、ここちゃんは目を細めた。


「昨日より元気そうだな」


 向かいの寝台から、ノアの声がする。


 すでに起きていたらしい。寝台へ腰を下ろしたまま、ここちゃんの様子を見ていた。


「ああ。少しは慣れたみたいだ」


 昨日は水と餌を口にしたあと、すぐに眠ってしまった。


 今朝は撫でる手を止めると、鼻先で催促するくらいには戻っている。


「むぎは?」


 ノアが部屋を見回す。


「布の中じゃないか?」


 昨日、むぎが丸くなっていた布へ近づく。


 だが、中にはいない。


「いないな」


「寝台の下は?」


 ノアが立ち上がり、自分の寝台の下を覗く。


 俺も床へ膝をつき、こちら側を確認した。


「いない」


「なら、どこに――」


 小さな物音がした。


 窓際。


 置いていた鞄の後ろから、むぎが顔を出す。


「いた」


 俺が手を差し出すと、むぎは一度だけ鼻を動かし、迷うことなく掌へ乗った。


「こっちも元気そうだな」


 持ち上げると、昨日のような眠そうな様子はない。


 腕を伝い、そのまま肩まで登ろうとする。


「待て。朝から元気すぎる」


 落ちないように手を添えると、むぎは肩の上で体勢を整えた。


「いつもの感じに戻ったな」


 ノアがこちらを見る。


「ああ。少し安心した」


 ここちゃんも俺の足元を一周し、水入れへ向かっている。


 知らない部屋ではあるが、昨日ほど周囲を警戒してはいない。


 眠って、起きても俺たちがいた。


 それで、ここが危険な場所ではないと分かったのかもしれない。


⸻


 二匹に水と餌を用意する。


 ここちゃんは牧草を何本か食べたあと、部屋の中をゆっくり歩き始めた。


 むぎも床へ下ろすと、壁際を通り、昨日は近づかなかった窓の下まで行く。


「慣れるの早いな」


 俺が言うと、ノアは窓の鍵を確かめた。


「安全だと分かれば、動けるんだろう」


「昨日は心配したけどな」


「ああ。食べて、眠れたなら大丈夫そうだ」


 ノアが歩いているここちゃんへ目を向ける。


 ここちゃんは部屋の隅を確認したあと、今度はノアの足元へ向かった。


 鼻先を靴へ軽く当てる。


 ノアの動きが止まった。


「どうした?」


「ここちゃんが来た」


「見れば分かる」


 ノアは驚かせないようにゆっくり屈み、ここちゃんの頭へ手を伸ばした。


 額を撫でる。


 ここちゃんは逃げず、その場で目を細めた。


「昨日より落ち着いているな」


「ああ。ノアのことも分かってるだろ」


「そうか」


 ノアは、しばらくここちゃんを撫でていた。


 その間に俺は着替えを済ませ、出発の準備をする。


 荷物は昨夜のうちに確認してある。


 あとは宿で用意してもらった朝食を受け取り、西桟橋へ向かうだけだ。


「そろそろ出るか」


 俺が言うと、ノアはここちゃんから手を離した。


「ああ」


 ここちゃんを抱き上げようと手を伸ばす。


 だが、俺より先にノアがここちゃんの体へ腕を回した。


「私が抱いていく」


「珍しいな」


「昨日、かなり疲れていたからな。もう少し様子を見ておきたい」


 ここちゃんを胸元へ抱き、ノアが立ち上がる。


 抱かれたここちゃんは一度だけ耳を動かしたが、暴れる様子はない。


 ノアの腕の中で、そのまま落ち着いている。


「嫌がってないな」


「ああ」


 ノアは少しだけ腕の位置を直した。


「これなら大丈夫そうだ」


 心配していたのは、俺だけではなかったらしい。


 むぎは俺の足元へ戻ってきた。


 胸ポケットへ入れようと手を伸ばしたところで、扉を叩く音がした。


「起きてるか?」


 テラの声。


「今開ける」


 鍵を外し、扉を開ける。


 廊下にはテラ、アクセル、カインが並んでいた。


「準備できたか?」


「ああ。こっちは終わった」


 アクセルの視線が、ノアの腕の中へ向く。


「今日はノアが抱くのか」


「ああ。昨日より落ち着いているか、見ておきたい」


 アクセルがここちゃんの顔を覗き込む。


「元気そうだな」


 ここちゃんは少しだけ鼻を動かした。


「昨日より、ずいぶん落ち着いていますね」


 カインも柔らかく笑う。


「むぎは?」


「ここだ」


 俺が足元を見る。


 むぎは扉の外へ出ると、迷わずテラの靴へ近づいた。


「ん?」


 テラが足を止める。


 むぎは靴から裾へ、そのまま服を伝って登り始めた。


「おい。朝からそこへ行くのか」


 テラが落ちないように手を添える。


 むぎは構わず腕を登り、最後には肩へ収まった。


「戻ったな」


 俺が言うと、テラは肩の上へ視線を向ける。


「昨日は大人しかったからな。これくらいの方が安心はする」


「ああ」


 むぎがテラの肩から周囲を見回している。


 昨日は俺の胸ポケットから出ようともしなかった。


 今はもう、自分からテラへ登る余裕がある。


 それだけで、少し肩の力が抜けた。


「二匹とも、慣れてきたみたいだな」


 俺が言うと、カインも頷いた。


「眠って、周囲が安全だと分かったのでしょう。食欲もあるのでしたら、ひとまず心配はなさそうですね」


「ここちゃんは食べた」


 ノアが答える。


「むぎも、朝から動いていた」


「なら問題ない」


 アクセルが階段へ向く。


「じゃあ行くぞ」


「お前、朝飯のこと考えてるだろ」


 テラが言う。


「用意してもらってるんだろ?」


「包んでもらってる。下で受け取る」


「なら忘れるなよ」


「お前が言うな」


⸻


 部屋を出る前に、もう一度忘れ物がないか確認する。


 寝台の下。


 机の上。


 窓際。


 何も残っていない。


 荷物の大半は収納の中だ。


「大丈夫そうだな」


 俺が鍵をかける。


 向かいの部屋も、カインが中を確認してから扉を閉めた。


 五人で階段を下りる。


 ノアに抱かれたここちゃんは、昨日よりも周囲をよく見ていた。


 人の声が聞こえると耳を向け、階下から匂いが漂うと鼻を動かす。


 それでも、ノアの腕から逃げようとはしない。


「重くないか?」


 俺が尋ねる。


「問題ない」


 ノアはここちゃんを抱き直す。


「昨日より体に力が入っていない。落ち着いている」


「そこまで分かるのか?」


「昨日は、ずっと周りを警戒していたからな」


 よく見ていたらしい。


 ここちゃんもノアの腕の中で、かなり体を預けている。


「気に入られたんじゃないか?」


「そうなら嬉しい」


 ノアは少しだけ口元を緩めた。


 肩の上では、むぎがテラの髪へ鼻を近づけている。


「引っ張るなよ」


 テラが注意する。


 むぎは聞いているのかいないのか、今度は反対側の肩へ移ろうとした。


「元気になった途端、それか」


「嫌なら俺が預かるぞ」


「いや。このままでいい」


 テラはむぎの前へ指を出す。


「落ちるなよ」


 むぎはその指へ前足を置き、また肩の上へ戻った。


 昨日は見られなかった光景だ。


 それが思っていた以上に安心する。


 一階へ降りると、受付には昨日の年配の女性がいた。


 俺たちを見ると、すぐに包みをいくつか取り出す。


「おはよう。朝食、用意してあるよ」


「ありがとう。助かる」


 受け取った包みを、アクセルが魔法袋へ収める。


「宿代は昨日もらってるから、あとは鍵だけだね」


「ああ。世話になった」


 二つの部屋の鍵を返す。


「気をつけて行っておいで」


「ありがとう」


 宿を出る。


 外はまだ朝の空気が残っているが、港へ続く道にはすでに人が行き交っていた。


 船員。


 荷を運ぶ者。


 俺たちと同じような乗客。


 冷たい風に、海の匂いが混じる。


 旅はまだ始まったばかりだ。


 今日からは四日以上、海の上で過ごすことになる。


 慣れない場所は、これからも続く。


 それでも、二匹がこうして少しずつ順応してくれるなら大丈夫かもしれない。


「レイン」


 ノアに呼ばれて顔を上げる。


「何だ?」


「西桟橋は、あっちだ」


「分かってるよ」


「違う方を見ていた」


「ちょっと考えてただけだ」


 ノアは何も言わず、港の方へ顔を向けた。


 その腕にはここちゃん。


 テラの肩にはむぎ。


 昨日よりも少しだけ、いつもの二匹に戻っている。


 俺たちは朝の港を歩き出した。


 目的地は、西桟橋だ。

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