港の市場
アクセルが選んだのは、魚の絵が描かれた看板の店だった。
中へ入ると、焼いた魚と香草の匂いが鼻へ届く。昼を過ぎているが、船員らしい客で店内はまだ賑わっていた。
「空いてるぞ」
アクセルが奥の大きな卓を見つけ、迷わず向かう。
俺がここちゃんを隣の椅子へ下ろすと、知らない場所を警戒したのか、すぐに俺の脚へ体を寄せてきた。
「大丈夫だ」
背中を撫でながら声をかける。
ここちゃんは耳を立てたまま、周囲の音を聞いていた。
向かいでは、ノアが壁に掛けられた品書きを読んでいる。
「焼き魚。魚の煮込み。貝の酒蒸し。海老」
「肉は?」
アクセルも品書きを見上げた。
その隣で、テラが下の方まで指で追う。
「鳥肉ならある。だが、港まで来て最初に頼むのが肉なのか?」
「魚も食う。鳥も食う」
「結局、両方か」
テラが店員を呼ぶ。
焼いた魚に貝、海老、野菜の煮込み、パン。それからアクセルの希望で鳥肉も頼んだ。
「多くないか?」
俺が卓の上へ並べられた木札を見ると、アクセルは当然のように頷いた。
「五人いる」
「半分くらい、お前が食うだろ」
「食べられる」
「否定しないんだな」
しばらくして、料理が次々に運ばれてきた。
最初に置かれたのは、大きな魚を丸ごと焼いたものだった。
皮には香ばしい焼き目。その上から刻んだ香草と、黄色い果汁がかけられている。
身をほぐして口へ入れる。
「うまいな」
塩気は少し強いが、柔らかな身に果汁の酸味がよく合う。
ノアは魚よりも、上にかかった果汁へ視線を向けていた。
「これ、市場にもあると思うか?」
「魚を買うのか?」
俺が尋ねると、ノアは黄色い果汁を指差した。
「こっちだ。果物かもしれない」
「やっぱり果物なんだな」
ノアは魚の身へ果汁をつけ、もう一口食べる。
「酸味があるなら、シャーベットにも使えそうだな」
「魚に合う果物を、シャーベットにするのか?」
「甘さを足せば合うと思う」
もう試す気らしい。
隣では、カインが貝の殻を丁寧に外していた。
「港の市場でしたら、船へ積む保存食も多く扱っていると思います。明日の航海に備えて、すぐに食べられる物を少し追加しておいてもよいかもしれませんね」
テラがパンをちぎりながら顔を向ける。
「まだ買うのか? 食料なら十分あるだろ」
「量は足りています。ただ、船の上で自由に調理できるとは限りませんから」
ノアが炉のことを思い出したのか、カインを見る。
「船の上では、あれは使えないのか?」
「勝手に火を使うのは危険です。使うとしても、船員の許可が必要になるでしょう」
「なら、調理しなくても食べられる物を用意しておいた方がいいな」
ノアが頷く。
「パンや保存肉なら困らないだろう」
「果物もな」
「それは最初から入ってるだろ」
アクセルが鳥肉を齧りながら、空いた皿を自分の方へ引き寄せる。
「つまり、食料を買うんだろ」
「だいたい合ってるのが腹立つな」
テラが額へ手を当てた。
⸻
食事を終え、会計のついでに店主へ宿を尋ねた。
「冒険者なら、一本先の通りにある潮風亭がいい。港にも近いし、飯も出る。船乗りが多いから、朝も早く開くぞ」
「馬車は返したから、厩はなくてもいい」
テラがそう伝えると、店主はすぐに場所を教えてくれた。
礼を言って店を出る。
潮風亭は、名前の通り波を描いた看板を掲げた三階建ての宿だった。
受付にいた年配の女性が、入ってきた俺たちを順番に見る。
「五人かい?」
「ああ。一泊したい」
俺が受付へ近づく。
「空いてるなら、三人部屋と二人部屋を一つずつ」
女性が帳簿をめくり、指先で空きを確認した。
「三階ならあるよ」
それから、俺の腕の中へ視線を落とす。
「その子も部屋へ入れるのかい?」
「汚さない。大人しいから、入れてもらえると助かる」
「それなら構わないよ」
ここちゃんは話題にされているとも知らず、俺の腕の中で鼻を動かしていた。
むぎは胸ポケットの奥。今のところ出てくる気配はない。
テラが受付台へ手を置いた。
「明日の朝は早い。朝食を包んでもらうことはできるか?」
「ああ。出る前に渡せるようにしておくよ」
「助かる」
鍵を受け取り、三階へ上がる。
二つの部屋は、廊下を挟んで向かい合わせだった。
「分け方は?」
アクセルが二つの扉を見比べる。
俺は二人部屋の鍵を取った。
「野営と同じでいいだろ。俺とノア。ここちゃんとむぎもこっち」
「また俺は三人か」
「部屋見てから言えよ」
テラが三人部屋の扉を開ける。
中には寝台が三つ。それぞれの間にも十分な隙間があった。
「テントより広いだろ」
「なら問題ない」
アクセルがあっさり中へ入る。
カインも続き、テラが最後に入った。
俺とノアは向かいの部屋へ入る。
寝台が二つ。
窓からは倉庫の屋根と何本もの帆柱。その向こうに青い海が見えた。
「船も見えるな」
ノアがすぐに窓へ寄った。
俺も隣へ立ち、港へ並ぶ船を眺める。
「明日乗る船は、どれだろうな」
「西桟橋だ。ここからでは分からない」
「あとで見に行くか」
「ああ。確認しておきたい」
ここちゃんを床へ下ろす。
部屋の中を一周し、寝台の下、窓際、扉の前と一通り確認してから、俺の足元へ戻ってきた。
「ここなら大丈夫そうだな」
胸ポケットが小さく動き、むぎも顔を出す。
窓の外から聞こえる海鳥の声に、小さな耳が動いていた。
ノアが窓から離れる。
「市場へ行く時間は、まだあるか?」
外は夕方には少し早い。
船の手続きは終わった。宿も決まった。
「ああ。約束したからな」
扉を開けると、ちょうど向かいの部屋からアクセルたちも出てきた。
「市場へ行くのか?」
アクセルが廊下の先へ体を向ける。
「行く。港も見たいしな」
「肉はあるか?」
「港なんだから魚を見ろよ」
「魚も見る」
部屋へ鍵をかけたテラが、取っ手を引いて確かめる。
「出るなら、暗くなる前に戻るぞ。夜の港町は酒場の客も増えるからな」
「詳しいな」
俺が尋ねると、テラは鍵を懐へ収めた。
「騎士団で港町へ行ったことくらいある。酔った船乗りの相手までしたくないだろ」
「それは嫌だな」
階段を下り、宿を出る。
海の方へ続く通りには、さっきよりも人が増えていた。
⸻
市場へ近づくにつれ、声と匂いが重なっていく。
魚を売る声。
値段を交渉する商人。
荷を運ぶ者の掛け声。
焼いた貝に香辛料、海水の匂い。
見慣れた市場とは、並んでいる物も違った。
ノアは先ほど見つけた露店へ真っ直ぐ向かう。
籠の中には黄色い皮の丸い果物。その隣にも、見慣れない色や形の果実がいくつか並んでいた。
「これだな」
ノアが黄色い果物を手に取る。
露店の女が笑った。
「さっき魚にかかってた果汁なら、それだよ。酸っぱいけど、魚や貝に合う」
「そのまま食べる物ではないのか?」
「かなり酸っぱいね。砂糖を入れれば飲み物にもなるよ」
ノアが果物を眺める。
「これは買っておきたい」
「シャーベット用か?」
「それも試したい」
「じゃあ、少しだけな」
黄色い果物をいくつか買う。
ほかにも見慣れない果物はあったが、今回は見るだけにした。
「珍しく我慢したな」
俺が言うと、ノアがこちらを見る。
「明日から船だ。増やしすぎても仕方ないだろう」
「ちゃんと考えてた」
「失礼だな」
俺が袋を受け取り、人目のある場所ではそのままアクセルへ渡した。
「頼む」
「おう」
アクセルが魔法袋へ収める。
その直後、隣の店へ顔を向けた。
「肉がある」
「港まで来て、最初に見つけるのが肉かよ」
市場には干した魚、塩漬けの肉、硬めに焼いたパン、干した果物など、船へ積むための保存食もいくつも並んでいた。
カインは包装や匂いを確認しながら、保存期間の長い物を選んでいく。
「調理せず食べられる物を、少し追加しておきましょう。船室で食事を取ることになっても、これなら困りません」
テラも品物を手に取り、硬さを確かめる。
「量は控えめにな。すでに十分ある」
「承知しています」
カインは必要な分だけを店主へ渡した。
少し先では、アクセルが必要な分とは思えない量の塩漬け肉を抱えている。
「アクセル」
テラが低い声で呼ぶ。
「何だ」
「戻せ」
「保存食だぞ」
「多すぎる」
「食える」
「保存する気がないだろ」
俺が二人の間へ入り、アクセルの腕から半分を取った。
「これくらいでいい」
「少ない」
「まだ収納に肉がある」
「港の肉は別だ」
「何が違うんだよ」
結局、予定より少しだけ多く買った。
果物と保存食、それから魚。
旅に持っていく物が、また少し増える。
《食料在庫、増加》
(分かってる)
《当初の予定量を超過》
(入るからいいだろ)
《容量については指摘していません》
(またそれか)
俺が小さく息を吐くと、ノアがすぐにこちらを見た。
「くさえもんか?」
「ああ。買いすぎだって」
《表現の改変を確認》
(だいたい同じだろ)
ノアは手元の袋を見てから首を横へ振る。
「必要な分だ」
「アクセルの肉まで含めて?」
「それは多い」
「そこは即答なんだな」
市場の先には、広い港が見えている。
何本もの桟橋。
並ぶ船。
積み荷を運ぶ人々。
風に乗って、帆と縄が軋む音が届く。
ノアが港へ目を向けた。
「次は船を見に行こう」
「西桟橋も確認しておきたいんだろ?」
「ああ」
「暗くなる前に戻るぞ」
テラが空の色を確かめる。
まだ日が沈むまでには時間がある。
「少しだけなら大丈夫だ」
俺はここちゃんを抱き直し、市場を抜けた先にある海と船へ目を向けた。




