まずは人里。それが無理なら食と住
目を開けた時、真っ暗だった。
「……は?」
一瞬、まだ死んでいるのかと思った。だが目が慣れてくると、頭上を覆う枝葉の隙間から星らしき光が見える。
木。木。木。
「……森?」
身体を起こしかけて、すぐに止まった。腕の中に、白い毛玉がいる。
「ここちゃん」
触れる。温かい。
胸元には、もっと小さな温もり。
「むぎ……」
二匹ともいる。ちゃんと、一緒に来た。
「よかった……」
ここちゃんの頭を撫でる。むぎはまだ状況が分かっていないのか、胸元で小さく動いただけだった。
それから改めて周囲を見る。真っ暗な森。遠くから、何かの鳴き声まで聞こえてくる。
「いや……ここどこだよ」
《森です》
「は!?」
思わず周囲を見回した。誰もいない。
《管理補助AI、くさえもん起動。初期設定を開始します》
「……頭の中?」
《はい》
「AIって……異世界なのに無駄に先進的だな!?」
神様が何か言っていた。管理AIだか補助AIだか、そんなものを付けると。
一拍置いて、別のところが引っかかる。
「……てか、くさえもん?」
《はい》
「変な名前だな」
《名称に対する否定的評価を確認》
「そこは拾うのか……」
思ったより面倒くさそうだ。
《周囲に光源なし。夜間移動は非推奨。睡眠を推奨します》
「こんなところで寝られるか……」
とはいえ、暗闇の中を歩き回る方が危ない。道も分からない。崖があるかもしれないし、さっきから聞こえる鳴き声の正体も分からない。
水も食べ物も気になる。でも、それは朝になってからだ。
「……今日は動かない方がいいな」
手探りで近くを探ると、大きな木があった。根元へ身体を寄せ、幹にもたれて胡坐をかく。ここちゃんとむぎを、一度膝の上へ乗せた。
そこで、自分がまだコートを着たままだと気づく。
「……ちょっと暑いな」
川に落ちた時は、完全に水を吸っていたはずなのに。触ってみる。
「……濡れてない」
コートも、その下のスーツも乾いている。転生したからなのか、神様がどうにかしたのか。
理由は分からない。今はどうでもいい。
コートを脱ぐと、森の夜気が少しひんやりした。でも、スーツとシャツだけでも我慢できないほどじゃない。
「このまま地面に置くよりはいいか」
脱いだコートを膝の上へ広げる。その上にここちゃんを乗せ、むぎも隣へ。二匹が落ちないように縁を軽く寄せ、そのままコートごと抱える。
「これなら少しはマシだろ」
《発言を記録》
「それはいらない」
《記録済み》
「消せる?」
《不要と判断》
「なんか腹立つな」
返事はない。
森の奥で、また何かが鳴いた。低い。知らない声。
俺は二匹を抱く腕に少し力を入れた。
「……寝られる気がしない」
《睡眠を推奨します》
「分かったって」
結局、ほとんど眠れなかった。
⸻
森が明るくなった頃、ようやく身体を起こした。
「……朝か」
首も背中も痛い。胡坐のまま長時間座っていたせいで、脚まで固まっている。
膝の上のコートを地面へ広げ、ここちゃんとむぎをその上へ移す。
「っ……痛て」
ようやく立ち上がって、軽く身体を伸ばす。
ここちゃんは俺よりずっと元気だ。コートの上で鼻をひくひくさせながら、周囲を確認している。
きゅる。
「おはよう」
むぎはまだ丸い。
「お前は寝られたんだな……」
少し羨ましい。
改めて辺りを見渡す。やっぱり森だった。どこを見ても木ばかり。
「よし。まず人里を探す」
水も食べ物も、寝る場所も必要だ。でも、人を見つけられるなら、それが一番早い。
「くさえもん。近くに人いない?」
《周辺に人型反応なし》
「村とか街は?」
《現在の情報では特定不能》
「まあ、そうだよな」
そこまで便利ではないらしい。
昨日、神様は剣だの魔法だの魔物だの、いろいろ説明していた。でも、ここちゃんとむぎを連れていけると分かってからは、それどころじゃなかった。
「……ちゃんと話、聞いとけばよかったな」
異世界に行くとは聞いた。森のど真ん中とは聞いてない。
いや。もしかしたら言ってたのかもしれない。もう分からない。
「とりあえず歩くしかないか」
ここちゃんを抱き、むぎも胸元へ。
適当に歩いて迷うのは怖い。なるべく地形を覚えながら進む。
しばらくすると、頭の中に声が響いた。
《周囲に水源反応》
「水?」
人里は見つかっていない。でも、水は必要だ。
「先に寄るか」
示された方向へ進むと、やがて水音が聞こえてきた。
木々の向こうを、細い小川が流れている。大人なら一跨ぎできそうな幅だ。
「おお……」
しゃがみ込んで水をすくう。
「飲める?」
《飲用可》
「助かる」
まず自分で飲む。
「……うまい」
ただの水なのに、やたらとうまい。
もう一度、両手に水を溜める。
「ここちゃん、飲むか?」
顔の前へ差し出すと、ここちゃんが鼻を近づけた。ぺろぺろと水を舐め始める。
「よしよし」
むぎもようやく起きたらしく、胸元から小さな顔を出した。
キュ。
「おはよう、むぎ」
今度はむぎの前へ手を寄せる。少しずつ、水を舐める。
二匹とも飲んだのを確認して、ひとまず息を吐いた。
「……でも、これ持って歩けないな」
水筒もない。器もない。
手ですくって飲めても、水そのものは持ち運べない。
「夜は、この辺まで戻った方がいいか」
少なくとも、二匹が水を飲める場所から離れすぎない方がいい。それだけは覚えておく。
⸻
水を飲んだら、次は腹だった。
「……腹減ったな」
昨日から何も食べていない。
ここちゃんは近くの草へ興味を示している。
「待て待て。変なの食うなよ」
《鑑定を推奨》
「鑑定?」
目の前の草を見る。
《食用可》
「……お」
こんなこともできるのか。
ここちゃんの前へ草を置く。匂いを嗅いで。
もしゃ。
「食うんだ」
少し安心した。
次はむぎ。
「こいつが食えそうなのも探さないとな」
地面を見ると、小さな種のようなものや木の実が落ちている。
「これ、むぎ食える?」
《食用可》
「じゃあこれは?」
《食用可》
「よし」
小さなものをいくつか拾って、むぎの前へ。むぎは匂いを嗅いでから、小さな手で一つ持った。
キュ。
「よしよし」
これで二匹の飯は、とりあえず確保。
問題は俺だ。
森を歩きながら、目についたものを鑑定していく。
丸い木の実。
《食用可》
「採用」
次。
赤黒い実。
「……これ食える?」
《毒性あり》
「やっぱりな」
見た目からして怪しかった。
木の根元には、大きなキノコ。
「これは?」
《食用不適》
「だよな」
その隣。
「こっちは?」
《食用可》
「見分けつかないな……」
鑑定がなかったら、たぶん魔物に殺される前にキノコで死ぬ。
《鑑定精度が向上しました》
「ん?」
《使用回数により精度が向上します》
「使えば使うほど?」
《はい》
「それ、先に言ってくれ」
《現在説明しました》
「そういう意味じゃないんだよな……」
頭の中のAI。やっぱり少しおかしい。
食べられる木の実とキノコを少し確保する。腹いっぱいにはならないが、飢え死にはしなさそうだ。
⸻
昼を過ぎても、人の姿はなかった。道らしい道すらない。
「本当にどこなんだ、ここ……」
木の実をかじりながら、小川沿いを歩く。
その時、水面で銀色の影が動いた。
「……魚?」
もう一度。
いる。
「魚いるな」
しゃがみ込む。
「くさえもん。あれ食える?」
《対象距離が遠く、詳細鑑定不可》
「そこまでは分からないのか」
《接近を推奨》
「近づいたら逃げるだろ」
試しに手を伸ばす。
逃げた。
「ほらな」
少し考えて、周囲を見る。落ちていた枝を一本拾った。
「……これで刺せないかな」
《成功率:低》
「やる前から言わなくていい」
先端を石へ擦りつけ、できるだけ尖らせる。
「異世界に来て最初に作る武器が魚用の棒か……」
岸の乾いた場所へコートを広げ、ここちゃんをその上へ乗せる。むぎは胸元のままだ。
浅瀬へ入る。
魚影。
「そこ!」
突く。
逃げる。
「くそ」
二回目。
外す。
三回目。
「うわっ!」
足が滑って、水しぶきが上がった。
岸からここちゃんが見ている。
「見るなよ」
きゅる。
気のせいか。呆れられているような気がする。
もう一度。
今度は焦らず待つ。
魚が来る。影を見て。
「今!」
突き出す。
手応え。
「……お?」
持ち上げる。魚が暴れた。
「取れた!」
《捕獲成功》
「見たか!」
《確認済み》
「少しくらい褒めてくれてもいいだろ」
でも一匹では心許ない。
「もう一匹」
《成功率は依然低》
「分かったから、見てろ」
一匹目より、少しだけコツが分かった。影そのものじゃなく、少しずらして狙う。
何度か外して。
「よしっ!」
二匹目。
「二匹!」
《捕獲数:二》
「数えなくていいから」
それでも嬉しい。
木の実とキノコだけだった今日の食事が、一気にまともになった。
⸻
さらに周囲を歩いていると、岩肌に白いものが見えた。
「……これ何だ?」
《岩塩》
「塩?」
手を止める。
「……勝ったな」
《何にですか》
「食生活に」
魚。塩。
これだけでかなり違う。
少し削って持っていく。
⸻
日が傾き始めた。結局、人里は見つからなかった。
「……今日も森か」
正直、かなり嫌だ。でも、暗くなってから動く方が危ない。
それに、水を持ち歩けない。
小川の近くで寝られる場所を探すと、岩が少し張り出した場所を見つけた。雨や露くらいなら多少は避けられそうだ。
「今日はここにするか」
下を確認する。土と落ち葉。
ただ、岩陰になっているせいか地面が少し湿っている。
「……この上にコート敷くのは嫌だな」
ここちゃんとむぎを休ませる場所だ。濡れた地面へ直接敷きたくない。
しゃがみ込む。
神様は、この世界には魔法があると言っていた。手を地面へ向けてみる。
「……こういうのにも使えるのか?」
湿気を外へ押し出すように意識する。
その瞬間。
空気の中にある何かへ、ほんの少し触れた気がした。
じわり。
「……あれ?」
手を当てた辺りの土から、少しずつ湿気が抜けていく。
もう一度。
表面が乾いた。
《無属性魔力制御:微弱乾燥成功》
「おお……」
初めて使った魔法。地面の乾燥。
「地味だな」
《有用です》
「まあな」
ここちゃんとむぎが湿った場所で寝なくて済む。それなら十分だ。
乾いた地面へコートを広げる。
「ほら。今日はここな」
ここちゃんを乗せる。むぎもその隣へ。
昨日は俺の膝の上だった。今日はちゃんと地面へ置ける。
少しだけ進歩した気がする。
そこで、小川を見る。
「……夜中も水飲むよな」
俺なら起きて汲める。でも、二匹が好きな時に飲めない。
周囲を探して、大きめの柔らかい葉を見つけた。一応、鑑定する。
《食用可》
「これなら大丈夫か」
葉を折って、浅い舟みたいな形にする。
上手く立たない。
「……まあ、そうなるよな」
少しくぼんだ石の上へ置くと、なんとか安定した。小川から水を汲んで入れる。
「よし」
見た目は完全にその場しのぎだ。でも、朝までもてば十分。
ここちゃんが近づいて匂いを嗅ぐ。
「水だぞ」
むぎも隣から覗いている。
これで二匹の水も確保できた。
⸻
「次は火だな」
魚は取れた。塩もある。
でも、生では食べたくない。それに、夜の森で火があるのとないのとでは、安心感が全然違う。
乾いた枝を集める。
「火打石……ないよな」
《……》
「ライターも?」
《……》
「ないよなぁ」
枝を見る。嫌な予感。
「まさか擦るの?」
《推奨》
「本気か……」
その時。
《無限収納が使用可能です》
「…………は?」
手が止まった。
「何?」
《無限収納》
「何それ」
《転生特典の一部です》
「ちょっと待て」
《はい》
「物を入れられる?」
《可能です》
「どのくらい?」
《実質上限なし》
沈黙。
「……なんで今言った?」
《優先度判定の結果――》
「今日ずっと使えた?」
《はい》
「俺、木の実とか塩とか魚とか全部持って歩いてたんだけど」
《確認しています》
「先に言えよ!」
森に声が響いた。
ここちゃんの耳が立つ。むぎもこちらを見る。
「あ、ごめん」
二匹を撫でてから、もう一度問いかける。
「……中に何か入ってる?」
《現在、空です》
「空なのか!?」
《保存機能としては優秀です》
「今欲しいのは道具だよ!」
異世界転生。無限収納。容量ほぼ無限。
中身、ゼロ。
「便利なんだか役に立たないんだか、分からないな……」
《評価に異議があります》
「却下」
試しに二匹取った魚のうち、一匹を収納してみる。
魚が消えた。
「……これは便利だな」
《高評価を確認》
「調子に乗るな」
残りの一匹。
今日の夕飯。
⸻
結局、火は自力で起こすしかなかった。
枝を擦る。回す。
「っ……!」
手が痛い。
煙は出る。でも火にならない。
「これ、本当に点くのか……」
何度目か。
ふと、さっき地面を乾かした時の感覚を思い出した。
「……熱もいける?」
《試行可能》
「失敗したら?」
《失敗します》
「聞いた俺が悪かった」
棒へ意識を向ける。
ほんの少しだけ。
熱。摩擦。
そこへ、さっき触れた何かを押す。
煙が濃くなる。
「お」
小さな赤。
「きた!」
息を吹く。
ぱち。
火が生まれた。
「よし!」
《無属性魔力制御:熱量補助成功》
「魔法って便利だな」
今度こそ素直にそう思った。
魚を焼く。岩塩を少し振る。
じゅう、と音がして香りが立った。
「……うまそう」
一口。
「……うまい」
魚と塩。それだけ。
でも朝から歩いて、人里を探して、木の実を拾って、魚を追い回して。ようやく食べる温かい飯だ。
「最高だな……」
ここちゃんは、昼間に見つけた食べられる草を食べている。むぎには、鑑定しながら拾った小さな種と木の実。
二匹が食べて、ちゃんと水も飲めることを確認してから、俺も残りの魚を食べる。
「今日は……まあ、なんとかなったな」
人里は見つからなかった。
でも。
水がある。食べ物もある。火もある。寝る場所もある。
昨日よりはずっとマシだ。
「明日こそ人を探そう」
ここちゃんの頭を撫でる。むぎはコートの上で小さく丸くなった。
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
その時。
森の奥から、重い音がした。
――ドサッ。
「……何だ?」
ここちゃんの耳が立つ。むぎも顔を上げた。
風に、微かに血の匂いが混じる。
俺は暗い森を見る。
何も見えない。
でも。
何かが、向こうにいる。




