忘年会帰りに死にましたが、うちの子たちを置いていく気はありません
冷たい。
肺が焼ける。
雪道で足を滑らせた瞬間、視界がひっくり返った。
次の瞬間には、川の中だった。
氷のような水が、全身に食い込む。
息ができない。
コートとスーツが水を吸って、身体に絡みつく。
重い。
動かない。
(……まだ、いける)
手を伸ばす。
空を切る。
もう一度。
届かない。
(くそ……!)
足を動かす。
沈む。
肺に水が入る。
焼ける。
意識が削られていく。
独身。
一人暮らし。
頼れる家族はいない。
――いや。
いる。
白い、ふわふわ。
――ネザーランドドワーフの、ここちゃん。
丸くて、小さくて。
黒い瞳が、まっすぐこっちを見る。
鼻先が、ぴくりと動く。
頬をうずめると、干し草の匂いがする。
小さな、もふもふ。
――ゴールデンハムスターの、むぎ。
茶色と白が混ざった、まだらな耳。
ちょこんと立って、前足を揃える。
手のひらに収まる、小さな温もり。
夜中に回し車で走り回る音。
今日の世話、まだだ。
牧草は朝の分だけ。
水も替えてない。
(……待ってる)
水を掻く。
身体は、もう言うことをきかない。
(帰らないと)
白い毛並み。
小さな手。
(……帰る)
息が途切れる。
暗転。
⸻
ふっと、意識が浮かぶ。
白い空間。
「……本当に、すまぬ」
低い声。
振り向くと、白髪の老人が深く頭を下げていた。
「おぬしは、本来今日死ぬはずではなかった」
「……は?」
声が出る。
「管理領域の誤差。わしの責任じゃ」
頭が追いつかない。
「ちょっと待ってください」
喉が乾く。
「死ぬはずじゃなかったって……どういうことですか」
一拍。
息を吸う。
「……戻してください」
神はゆっくり顔を上げる。
「時間は巻き戻せぬ」
「肉体は既に崩壊した」
「神界の理は、神であろうと破れぬ」
言葉が、重く落ちてくる。
逃げ場がない。
「……じゃあ、俺は」
喉が詰まる。
「終わりですか」
「いや」
神は一歩近づく。
「補償はする」
手のひらに、青い光が浮かぶ。
「異世界メギドへ転生させる」
「記憶は保持」
「加護も与える」
普通なら。
喜ぶ話だ。
でも。
「……残してきたペットは?」
神の眉がわずかに動く。
「魂の転移は原則一体」
「ペットは生きておる」
「連れていくのは難しい」
――その瞬間。
迷いは消えた。
「無理です」
神が目を細める。
「能力は手厚くする。困らぬよう管理AIもつけよう」
「いりません」
一拍。
息を吸う。
「――あいつら、待ってるんで」
静かに言う。
「ここちゃんも、むぎも」
「帰らないと、ダメなんです」
視線を逸らさない。
「置いていくくらいなら」
ほんの一瞬だけ、言葉を切る。
「……いらないです、転生」
長い沈黙。
神が、ゆっくり息を吐く。
「……なるほど」
その目が、わずかに柔らぐ。
「能力より、家族か」
「当然です」
神はしばらく黙り込む。
やがて。
「特例を通そう」
光の文字が浮かぶ。
「魂三体同時転移」
「加護枠縮小」
「管理AIは簡易型」
「それでも良いか?」
「お願いします」
即答。
神が、小さく笑う。
「面白い」
光が溢れる。
意識が沈む。
《管理補助AI:起動準備》
最後に、声が届く。
「最適化するなよ、全部は」
⸻
森。
土の匂い。
湿った空気。
腕の中に、柔らかい感触。
「……ここちゃん」
白い毛並み。
温かい。
ちゃんと、いる。
震える指で撫でる。
「むぎ……」
胸元の、小さな重み。
動いている。
――よかった。
力が抜ける。
《管理補助AI起動》
「……は?」
「名前は?」
《くさえもん》
「……ポンコツ臭しかしない」
《誤った認識を検知》
「俺の感情は最適化するな」
小さく息を吐く。
ここちゃんを抱く。
むぎの温もりを感じる。
「……まぁ、なんとかなるか」
一歩、踏み出す。
その時。
ほんの一瞬だけ。
足が止まる。
「……あれ」
前を見る。
ただの森。
何もない。
でも。
さっきまでと、少しだけ違う気がした。
ここちゃんの耳が、ぴくりと動く。
むぎが、小さく動く。
キュ。
「……気のせいか」
もう一歩、踏み出す。
今度は普通に進めた。
小さく笑う。
でも。
さっきの違和感だけは――
残ったままだった。
⸻




