サイファ
丘を下りる。
風が変わる。
乾いた土の匂いに、油と焼いた香りが混ざる。
サイファだ。
レインはわずかに息を吐く。
肩の力が抜ける。
視界の先に、門が見えた。
見慣れた石の形。
変わっていない。
馬車がそのまま進む。
門番が顔を上げる。
一瞬、目を細める。
次の瞬間、声が飛んだ。
「おーい! 戻ったぞ!」
声が広がる。
「レインだ!」
「白兎の庭だ!」
馬車が門をくぐる。
靴音が重なる。
人が寄ってくる。
距離が近い。
帝都とは違う。
アクセルが小さく息を吐く。
「……騒がしいな」
レインは少しだけ笑う。
「ああ」
子どもが駆け寄る。
「うさぎー!」
きゅる。
ここちゃんが耳を立てる。
腕の中で少しだけ体を起こす。
むぎが胸ポケットの中で動く。
キュ。
鍛冶屋の親父が手を上げる。
「よう! 長かったな!」
パン屋の娘が身を乗り出す。
「帝都どうだった!?」
声が重なる。
レインは軽く手を上げる。
「順番な」
それだけで、少し落ち着く。
だが、完全には止まらない。
それでいい。
アクセルが肩を回す。
「今回も長かったな」
レインは少しだけ考える。
迷宮。
帝都。
地下機構。
そして、カイン。
「ああ」
短く返す。
ノアが周囲を見る。
少しだけ目を細める。
「近い」
アクセルが言う。
「距離がな」
レインは頷く。
「ああ」
⸻
人の波が少しだけ引く。
視線は残る。
消えない。
レインは門の内側を見る。
石畳。
露店。
声。
全部、揃っていない。
それでいい。
「戻ったな」
小さく言う。
誰に向けたわけでもない。
アクセルが頷く。
「ああ」
ノアが短く言う。
「問題ない」
⸻
レインは一度だけ振り返る。
門の外。
帝国の方角。
遠い。
静かだ。
整っている。
それだけだ。
視線を戻す。
「ギルドに行くか」
アクセルが頷く。
「ああ」
ノアが続ける。
「報告」
⸻
白兎の庭はギルドへ向かう。
見慣れた木の扉。
押す。
軋む音。
中はいつも通りだった。
視線が一度だけ集まる。
すぐに戻る。
日常だ。
受付のミアが顔を上げる。
一瞬。
それから、ぱっと表情が変わる。
「……お帰りなさい!」
レインは軽く手を上げる。
「戻った」
ミアが何か言いかけて、やめる。
そのまま奥へ声を飛ばす。
「マスター! 戻りました!」
アクセルが壁にもたれる。
「早いな」
レインは小さく笑う。
「いつも通りだな」
⸻
奥の扉が開く。
足音。
ドランが出てくる。
一度、全員を見る。
視線が止まる。
「……お前ら」
短く言う。
レインは肩をすくめる。
「終わった」
ドランは鼻を鳴らす。
「そうか」
一拍。
それから言う。
「来い」
それだけだった。
⸻
レインは一度だけ周囲を見る。
サイファの中。
変わらない空気。
戻ってきた。
それだけで、十分だった。
白兎の庭は奥へ進む。
報告のために。
この依頼を、終わらせるために。




