3.ないわーって言ってすまん。あったわー
俺の家庭教師としてやって来たのは、三十そこそこといった年頃の、物腰の柔らかそうな青年だった。
「初めまして、セラヴィス様。バルムンク魔導技術研究所からやってまいりました、ロベルト・シーケンスと申します」
バルムンク? 結構大手の魔法関連企業だ。教育事業をやっていたかどうかは知らないが、そこの研究員なら押し並べて高度な教育を受けたエリート技術者だろうし、六歳児の教師としては不足なさすぎて釣りがくる程の人材だ。が、いやしかしそれにしては……
「シーケンス先生は魔術師であられるのですか?」
「はい。普段は日用魔道具についての研究開発を行っております。この度、縁あってラングリッサー子爵様よりセラヴィス様の教師としてお招きいただきました。セラヴィス様は魔術にご興味がおありとの事ですので、御父上は魔術についても教えられる教師をご希望され、当研究所にご相談頂いたと伺っております」
ほうほう、それは何とも有難いことである。
しかし、俺が「魔術師なのか?」と口にした理由は、そこの経緯に疑問を持ったからではない。
この先生、魔力量が魔術師としては一見して明らかに少ないのだ。
その疑問についても、先生は続く自己紹介の中で答えてくれた。
「私も子供の頃は魔力量70ほどで、成長期を過ぎても100をようやく超えたという程度にしかなりませんでしたが、こうして魔術に携わる仕事に就くことが出来ています。きっとセラヴィス様も、しっかりと学ばれればお望みのお仕事に就くことが出来ますよ」
ほお……。やっぱりそういうことなのか。
父、わざわざ俺と同じ、魔力量が少ない体質の教師を探してきてくれたようだ。口数少なくて実は心優しいとかイケメンかよ。惚れてまうやん。初等科入学の夢を絶たれた時には軽く恨みもしたが、心底から子供の為を思っての手配に、華麗に手の平を返す俺である。
「セラヴィス様の魔力量は25とお聞きしました。この量ですと、魔力暴走を生じることはまずないので、安全であるという意味ではメリットですらあります」
うんうん。それは俺もちょっと思ってた。魔力量で言うと300を超えた辺りから、人間が無意識で制御しきれる限界を超えるようで意識的な制御なしでは危険があると言われている。長兄オスカーは既に、次兄マチスもいずれはそのくらいには至るだろうが、6歳時で25だとどれだけ伸びしろがあっても50行くか行かないか程度なので安全オブ安全。勿論300だろうと1000だろうと問題なく制御できるが、魔術構築の際にその安全弁となる制御術式にリソースを割り振る手間が要らないのは多分便利……というか、かなり馬鹿にならないレベルで効率が良いと、細かく計算したことはまだないが、予想はしている。
まあこの辺は正式に学び始めてから追々検討を進めて行こう。
「初めての授業である本日は、セラヴィス様の体内にある魔力をご自身で感じてみる練習から初めようと思います」
おー。パチパチパチ。これだよこういう初学者向けのメソッド。そういうのが知りたかった。
「人によってイメージの仕方はそれぞれなのですが、まずは私のイメージでお教えしますね」
はい、と頷いて、先生の授業を真剣に拝聴する。
「目を閉じて、心を安らかに。今、我々は、静かな、静かな、真っ暗闇の中にいます。身体の内部、眉間の奥深く、脳の中心に向かって暗い道を歩いていくイメージを持ってください。光一つない暗闇に伸びる、しかし確かな、真っ直ぐ一本の細い道です。辿り着いた先には固く閉ざされた扉があります。ノブに手をかけ、ゆっくりと開いてください」
勿論実戦で魔術を使う度にこんな悠長な精神統一は行わない。これは主に初学者に魔力解放の感覚を教える為のトレーニングだ。こんな感じのイメージトレーニングを幾度も幾度も繰り返し、身体に魔力の使い方を覚え込ませることによって、やがて殆ど意識することもなく、息をするように自在に魔力を操れるようになるのだ。まあ、人によっては寝起きのルーティンの中に組み込んでいたり、魔力の流れがなんかおかしい時にも使う事はある。準備運動とかストレッチみたいな位置づけだな。
この魔力のイメージ化は、特定の師を持たなかった前世の俺は幼少期、何度も何度も試行錯誤と暴走を重ねた末に自力で辿り着いたのだが、学生時代に周りに聞いてみた所、殆どの場合、最初の頃に普通に教師から教わるものであるらしいとは聞いた事があった。初等教育大事ィ!
ちなみにこの、暗闇の中の一本道の先にある扉、というイメージはくしくもかつての俺の編み出したやり方と同じ方法である。ま、扉は多数派みたいだからな。最初に歩いていく先、つまり意識の集中先が頭か心臓かは結構分かれるが、魔力の放出口として用いられるのは扉であることが多い。開け閉めの感覚が掴みやすいモチーフだからだろう。
ちなみにこの放出口のモチーフ自体は自分がやり易ければ何でもよいらしく、たまに妙にオリジナリティのあるものを使う奴もいる。かつての級友や弟子たちとの雑談で聞いた範囲だが、菓子作りが趣味でクリームの絞り袋をイメージするなんていう奴もいたし、そういや中には、槍を持って突撃、壁にぶすっと穴を開けていると言い出す奴がいてその場にいた全員がそれはねーわとツッコみまくったっけな。
なんにせよ大事なのは、己の内面において、魔力と肉体の境を鮮明に意識する事だ。心静かに自己分析を行い、体内に潜む自身の魔力を探し当て、その力を己の手に呼び込む。そこに自分の願望は介在させてはいけない。高望みもせず、卑屈にもならず、ただ真実の鏡を覗き込むように、己の心象世界に潜在する魔力を顕現させる出口を求める。すると、自分の扉がおのずと浮かび上がってくる。
暗闇の中に微妙に粗末な一枚の扉が見えたので、俺は古びた真鍮っぽい丸いノブに手をかけて無造作に引き開いた。すると――
「んん?」
何も起きなかった。
前の俺だと重厚な両開きの大扉を開くや光の奔流が洪水の如く解き放たれ、全身に魔力が漲ったのだが。
「おお! コツを掴むのがとてもお早い。一回でイメージ化に成功したのですね。でもそんなに大きく扉を開いたら湯気が逃げちゃいますね」
別に先生に俺の心象世界が見えているわけではないが、今俺が行った行動が魔力の流れとして察せられたのだろう。が、その妙に具体的な表現は、寧ろ当人である俺の方が意図を把握できず、首を傾げる。
「……湯気?」
目を閉じて、心象世界を今一度覗き込んでみる。開け放った扉の下部、よくよく見れば、漆黒の床を這うように、なにやらうっすらとした、確かに湯気のようなささやかな輝きが……見える。
もしやこれが俺の魔力……
「そう一気に開くのではなく、そっと、僅かに、隙間を開けるような感じでですね」
ええいまだるっこしい!
俺は扉を一旦バンと閉め、「ほわたぁ!」と心の中で叫ぶとその扉の真ん中を指先で突いて穴をぶち開けた。するとそこから、先程よりは色濃くなった光がすうーと流れ出てきた。
「ああ、そうです、そう! いい感じですね。そのように放出孔を細く絞って引き出す感じです!」
誰かが言ってた槍でぷすー、こういう事かと理解した。ないわーって言ってすまん。あったわー。
「素晴らしいですセラヴィス様! いやはや、今日一日で少しでも魔力を体感出来る所まででも行けたらと思っていたのですが、ものの数分で放出までクリアしてしまうなんて!」
はしゃいでいる、と表現してもあながち間違いではないテンションで称賛の声を上げる先生を、俺は苦笑いしながら眺めていた。
才能のありそうな生徒に巡り合った時の教師の喜びというのは俺もよく分かる。俺も弟子たちにしばしば感じたものだ。こいつは伸びるぞ!教え甲斐がありそうだ!って感じでな、教師としてはワクワクが止まらんのだよね。……今の俺のは才能じゃなくてシンプルに経験だから何かほんとごめんなんだけど。
しかし魔力25ってのは、いや、こう改めて向き合ってみると確かに少ないな。
この身に生まれ変わって以降、せいぜいマチスに軽く仕置きする程度の鼻息みたいな魔術しか使って来なかったのであんまり意識していなかったのだが、こりゃあ前とはだいぶ勝手が違いそうだ。あんな魔術やこんな魔術、前世では割と気軽にぶっ放していた数々の魔術が思い浮かぶが、前世と同じやり方ではそよ風すらも起こせまい。
これは、中々手ごわそうな課題だ。
自然と、頬が緩んで口元が歪んでしまう自分に気付いて俺は慌てて口の端を引き締めた。
次に先生は、一冊の魔術書を取り出して、机の上に開いて見せた。
分厚い書物の序盤の方にあたるそこには、ページいっぱいに大きく、ひとつの簡単な魔法陣が記されている。
「これは炎を発生させる魔法陣です」
先生の声に頷きながら、俺もまじまじとその図形を見つめる。魔法陣の中心に炎を生み出すという以外に一切の機能が入っていない、実にシンプルで、大変にポピュラーな魔術である。これ単体だと蝋燭ひとつ灯せない、魔術とも呼べない魔術だが、これに持続時間や熱量を制御する様々な構造を追加することで多種多様な効果を生み出すことができる。炎熱のエネルギーとしての有用性を考えれば至極当然な事ながら、魔術師ならそれこそ、親の顔よりも見ることになる奴だ。
いかな魔力25とはいえ、流石の俺でもこれ単体なら何の苦も無く生成出来る。
しかし俺は、意識してゆっくりとそれを書き始めた。掌を上に向け、その上にささやかな魔力を束ねていく。束ねた魔力を糸のように細く伸ばし、掌大の円をくるりと描く。線を細く、面積も小さく書くのは魔力量の消費を抑える基本的なテクニックだが、今回は線の細さに主眼を置き、魔法陣の直径は少し大きめに書いている。あんま小さく書くと見づらいし。いや今は老眼じゃないから見えるか。
簡素で簡単で美しい、繊細な光の糸で紡ぎ上げた文様を紡ぎあげ、その完成形を一瞬だけ眺めてから、点火。
眺めた時間と同じくらいの一瞬、火花のようなごくごく小さな炎を発し、それは虚空へ溶け消えた。
「え?」
「え?」
先生が呆気にとられたような声を上げたので、俺もついつい同じ声を上げる。そこで先生の意図にはたと気づいて、俺は軽く声を上ずらせた。
「あっ、やってみろって意味じゃなかったんですね。失礼しました、早とちりしたようで」
いかんいかん。先生にも段取りってもんがあるからな。それを崩してしまったようだ。申し訳ない。
「…………」
「…………先生?」
そんな予定がちょっと狂った程度で怒るなよー。
っていや別に怒ってる訳じゃないのか? 大の大人が口をぽかんと半開きにして……なんだろ。呆れてる?
先生はぽつりと独り言のように呟きを漏らした。
「初めてで、それ程に均一で繊細な魔力線で魔法陣を……その速度で描画出来るなんて……」
呆れでもなくまさかの感嘆だった。
……ああー。学び始めの頃なんて昔過ぎて忘れてたけど、簡単に魔法陣を描いてみるって言っても、初心者にはそれ自体が足の指に筆挟んで文字を書くかの如き至難の業だったかもしれない。うっかりしてたわ。慣れって怖い。今の魔術の出来は特に速度の面ではお世辞にも褒められたレベルじゃないが、初学者の技と思って見れば話は別かもしれない。
「セラヴィス様は、その……以前にも魔法を学ばれた経験がおありなのでしょうか」
どうやって誤魔化そうかなーと悩んでいるうちに先生の方から遠慮がちに尋ねてきた。
「あー……。実は以前から興味はあり、家の書庫で書物を読んでみたりなどはしていました」
嘘じゃないがちょいと苦しいかな?
とはいえ前世も魔術師で神の力で転生しちゃいました!とか真実を述べてしまうよりはなんぼかマシな回答だろう。そんなことを言ったら最後、妄想癖を患った子供認定されて滅茶苦茶心配されること請け合いである。まあ、中にはそういう魔術もあるというのは既知の事実だし、それが真実だと誰もが納得する程の圧倒的な実力を示してみたりすれば、或いは信じさせることも可能かもしれないが……今生はそういう力押しで生きる人生はしないことに決めているのだ。だって折角神様に貰った平穏ライフだしね。
俺の言い訳に、先生は案の定、あまり納得がいかない様子で「うーん」と唸っていたが、熟考の末に頷いてくれた。
「きっとセラヴィス様は、私などには想像も出来ない程の稀有な才能をお持ちなのでしょう。分かりました。今後の授業は、セラヴィス様の知識を都度確認しつつ臨機応変に進めてまいりましょう」
「はい! 宜しくお願いします!」
めいいっぱいの笑顔にいたいけな子供アピールを乗せて、俺は元気よく頷いた。




