75話 ゴーアヘッド症候群 ➄(終)
『ゴーアヘッド症候群』───
それは、踏み出せない事の責任を他者に求める人間心理。
チーズ・ヴァーガーはその”発症者”であり、自分が社会と関わらない理由をナルソシ・アスナイの信者達やエルフ族に求めた。
そして、自身の全ての恐れと願望は”右の首”へ託した。
右の首の持つ『未観測の事実を書き換え』、『未来を仕組む』能力がいつか自分を理想郷へ導くだろうと信じ、その過程に幸福を見た。
─── 4月21日(8:30)
ここは聖リヴォル・ヴァレッジ学園……
私の名は『アリシア・ヴァラクーダ』……
私は一体、私の身に何が起きているのか分からない!
今日の朝から、学園に着いた辺りからの『尿意でも便意でもない下腹部の違和感』!
その正体は……私の陰部に…と、突然生えた!
『男性器』によるものだった───ッ!
本当に嫌なんだけど、確かめる為に……本当、それだけが理由なんだけど……私は、その『男性器』に触れて感触を確かめてみた。
それは本当におぞましい事なんだけど……
それは確かに私の肉体の一部だった。
触った感触がちゃんと伝わって来た。
そ、そして……何よりも不可思議な事は……
『なぁ、そんなに怖がる必要は無いんだぜ?』
こ、この『陰茎』……喋る!
言葉を発するんじゃなくて、私の脳に直接語りかけてくる!
『俺は君に何をしようって訳じゃないんだ。』
「や、やめて!黙って!」
私は堪えきれず、無我夢中にトイレの個室から駆け出していた。
「なんでさっき”アリシア”なんて頼ったのぉ?ゥチら頼ってよぉ。」
彼女は私の友達だった。
服装はいつも乱れているけど、根は真面目な尊敬出来る人。
「え、何の話……?」
「だからさぁ、さっき廊下で”アリシア”に資料押し付けてたっしょ?」
「あ、あー……あの時のこと……ね。」
「あー、そっかぁ名前同じだからかァ!」
そう……あの金髪の女子生徒、『アリシア』って言うのね。
まぁ『アリシア』なんてどこにでもある普通の名前か。
「なんかさぁ、友達がアイツと同じクラスらしいんだけどさぁ、なんかヤバいらしいよ?」
「なんつーか?不良っつーか?」
やっぱり、偏見なんだけど何となく素行は悪そうだなと思っていた。
でも、彼女が不良だったのかなんて……今はどうでもいい……
ずっとさっきの光景が頭から離れない。
未だに現実とは思えないのに………いつまた、あの『陰茎』に話しかけられるか……
結局その日は授業もまともに受けられず、初めて担任教師から叱られたけど、その間も自分が何を言われているのか全く聞こえなかった。
そして、次の日は学園に行くことすら出来なかった。
ストレス性の発熱。
昨日のことから、私の心は音を立てて瓦解し始めた。
こんなこと、誰に相談すれば良いんだろう。
一体、この『陰茎』はいつまで私に生えているの?
もしかして、このままずっと?一生?
そ、そんなの……とても耐えられない!
なんなのよ……
わ、私の人生を返して……!
『おいおい、言っておくが俺はお前の敵じゃあ……』
「イヤァァッ!黙って!もう私に喋りかけないで!」
どうして私にだけ突然こんなものが”生えて”くるの?
私、本当に下ネタって大嫌い……
───アリシア・バァラクーダ視点
6月24日(??:??)
「な、何なの?いま見えた光景は……」
「それは、あなたの”すぐ隣にあった話”。」
憶えている。
あいつは私が”あの日”資料を押し付けられた黒髪のリヴォル・ヴァレッジ学園の女子生徒。
「あなたと同じ名の彼女は、4月21日、己に生えたチ◯コを拒絶した。自ずと運命は閉ざされていき、『チ◯コが生えた』という因果に発端する全ての事象が彼女にとっては『災い』となってしまった。」
それが……私の”すぐ隣にあった話”?
そんな、”全てがまるで違う話”が?
「さぁ、あなたに問うけれど、あなたと彼女の違いは一体なに?」
「……下ネタが好きだったかどうか…とか?」
「惜しいのでもう一度だけ答えさせてあげます。」
やっぱこの神様うぜぇー。
なんだその上から目線は。神様だからか?
しかし、『違い』と言われれば、それは一体なんであろうか。
下ネタの好き嫌い、と言えばそれまでの気もする。
「…………。」
「どうしたのかしら。分からないのかしら。」
ムカつく神に何とか言わせる為、あれこれと思考はしてみたものの……それらしい答えには至らなかった。
「───それは、一歩を踏み出したかどうか。」
「一歩を?」
「それがどんな因果であっても、それを受けあなたは一歩を踏み出した。」
私の人生はあの日……4月21日、漆畑出(性剣)と出会ってから大きく動き始めた。
それは、私が『チ◯コが生えた』という因果を受け、一歩を踏み出したからなのだろうか。
「あなたは人生における選択を迫られた時、その因果を肯定し、一歩を踏み出した。」
「そう……だっけ?あんまり憶えてないけど……」
でも、言われてみれば確かにその通りなのかもしれない。
チ◯コが生えた時も、敵に遭遇した時も、傷を負わされた時も……そんな外的要因による不運を呪ったことは無かったのかもしれない。
王城占拠、魔王軍四天王シルベリア・マギラス、グレムリン対決、ヴァナナ・ミルク……そして、チーズ・ヴァーガー……
私は4月21日の出来事に端を発する幾度もの闘争を思い返す。
重症を負おうとも、私は一度も敗北しなかった。
いつだって、限りなく敗北に近い勝利を噛み締めていたはずだ。
それは……私が運命を呪わず、覚悟をし、踏み出したから?
「でも、その覚悟だって……結局は遺伝とか、そういう生まれた時からのどうしようもない因果の結果でしかないんじゃ……」
「そう。確かに『覚悟』を出来るかどうかも遺伝などで大昔から決まっている。」
やはり神の口調は淡々として冷徹だった。
こいつは結局、私に何を言いたいのだろうか。
「しかし、例え大昔から連なる因果として『覚悟が出来ない』という事実があったとしても、それを証明することは不可能。」
「踏み出すのか、踏み出さないのか、それを決定するのは『0(過去)』から『1(未来)』を繋ぐ、現在の自分だけ。」
「現在の自分に迫られた”選択”を肯定するのか、否定して呪うのか、それを決められるのは自分だけ。例えそれが大昔から既に決定されていたのだとしても……それは『未観測の事実』なのだから。」
「そう……か。」
大昔から連なる因果なんて言うのは、存在したのだとしても、それは誰にもどうやっても確認出来ないこの世の『未観測の事実』。
そして、右の首の能力は……チーズ・ヴァーガーが一歩を踏み出さずに願いを叶える力。
「あなたは理想的な未来を創る力を持たずとも、『未来』という『未観測の事実』から目を背けなかった。」
「未来なんか知らなくても、私は自分自身を肯定していた。」
もし、私が一度でも運命(未来)を呪っていたのなら……あの”全てがまるで違う話”も、すぐ隣にあったのかもしれない。
自分を決められるのは自分だけ。
淡々と私を詰めてくるこの神に腹が立っていた。
だけど、やっとコイツの伝えたい事が理解出来た。
もしかして、そもそもこの『神様』って……
「あんたは、『私』なの?」
「そう、私はあなた自身。あなたの中の自分を肯定しようとする部分。」
そうだ……あの時、私の精神と漆畑君の精神が入れ替わった時、私の精神は自分の身体の奥底へ飲まれた。
この暗闇の空間は自分自身の中。
自分を決められるのは自分だけ───結局、全て自分との対話だった訳か。
気付けば、今の今まで見えていたはずの『神様』の姿は消えていた。
ここにいる私と同化して消えた……
私の中へ還ってゆく『神』は最後に言った。
「あなたは、勝利したの?」
4月21日の出来事から始まり、6月24日に世界を闇に覆わんとするチーズ・ヴァーガーとの闘争の果てに『死亡した』という結果。
「あなたの信じた漆畑出なら、きっと今頃チーズ・ヴァーガーを破っている。」
「あぁ。勝ったよ。私は『勝利』したんだ。」───
───呪いの解かれた朝
6月24日(8:17)
右の首が世界へ施す呪いはアリシア・バァラクーダと漆畑出により解かれた。
誰にも感じることの出来ない呪いを解き、二人の勝利者は命を失った。
未来の出来事とは、それは宇宙創生という因果から連なる確定した事実なのかもしれない。
しかし、それは『未観測の事実』。
踏み出すのか、踏み出さないのか、それを決めるのは自分だけの過去を持つ自分だけ。
『未観測の事実を書き換える』力は全ての人間に与えられた能力である。
アリシア・バァラクーダの勝利は同時に漆畑出の勝利でもあった。
そして、”地球人”の勝利でもある。
漆畑出が生前に見たUFOのOS2とユートピアシステムを巡る陰謀。
それにより開かれた異世界への門。
OS2の被害者となった地球人・漆畑出は異世界にて、遂にチーズ・ヴァーガーとの闘争の中で『魔法』の領域へ到達した。
それは地球人類の『科学』が、古代から探求され続け遂に存在を否定された『魔法』へ到達した瞬間。
教会広間の長椅子に斃れるアリシア・バァラクーダの亡骸へ一人の幼女が駆け寄った。
幼女の瞳には先程までの無機質さは消え、涙が浮かべられていた。
ここで終わる物語にとって、終わったその先の事は『未観測の事実』だ。
呪いは解かれた───
アリシア・バァラクーダは鬼の幼女の魔法で蘇生されるのか……そんな未来を肯定するのかどうか、それはあなたの決める事だ。
『➋ 大海原篇』
『便所から始まる性剣の伝説』
───(完)




