16 放課後と二つの出会い
(ん――……まだかなぁ)
ぼんやりと教室の窓の外を眺めながら、ベリアはあくびを噛み殺した。
一日の授業が終わった放課後。
ベリアは一人寂しく教室でルースを待っていた。
ここ最近はルースと一緒に登下校をしている。いつも通りならば、授業が終わり次第、すぐにルースが迎えに来てくれるはずだった。
だが、閑散とした室内を見れば分かるとおり、クラスメイトたちが皆出払ってしまうほどの時間が経過し、ベリアは一人だ。
(やっぱり、何かあったのかな。探し行こうかな……?)
下手に動いてすれ違ってはいけないとじっと待っていたのだが、そろそろ心配になってくる。教師に捕まって雑用を手伝っているとか、友人たちとついうっかり話が盛り上がってしまっているとかそういうのならいいが、昨日あんなことがあっただけに呑気に構えていられる気分ではない。
よし、行こうと立ち上がった、ちょうどそのとき。
ガラッと教室のドアが開く音が響いた。
「! ルー――、え……?」
ルースが来た! と、ぱっと顔を輝かせたが、しかしそこに居たのはルースではなかった。思わぬ人物の姿に、ベリアは驚きよりも困惑の表情を浮かべた。
*
「きゃっ」
どん、と誰かがぶつかってきて、咄嗟にその腕を引いた。
それが誰なのか認識した直後、ルースは舌打ちしそうになった。
(こいつの存在を忘れてたな……)
油断がなかったと言えば、嘘になる。
最近は、麻薬のこと、ベリアのことに頭と時間を使っていて、余裕もあまりなかった。
普段なら躱せたものを。寝不足も相まって注意力が欠けていたらしい。
「ご、ごめんなさい。あの、怪我はないですか?」
飴色の髪がふわりと揺れる。
ルースが苛立たしげに眉間にしわを寄せたせいだろう。緑の瞳には、ほんの少し怯えの色が混じっていた。
――ミシェイラ・バートリー。
主人公のような立ち回りをする少女。
ルースが九割方転生者だと睨んでいる人間だ。
その真偽がどちらであろうとルースは構わない。ベリアの代わりに主人公を演じてくれていることには、感謝に似た思いすらある。
だが、自分に関わられるのは迷惑だ。
乙女ゲームのシナリオなどというふざけた代物に付き合う気は毛頭無い。
彼女の腕を掴んでいた手をパッと放す。
「こちらこそ、不注意だった。そっちも怪我は無いな? じゃあ俺はもう行く。悪かったな」
軽く接触した程度だ。互いに怪我などするはずがない。
もう用はないよなと、ミシェイラの横を通り過ぎようとするが、彼女はしつこく食い下がった。
「い、痛!」
立ち去るルースを追いかけようとしたミシェイラは、まるでその一歩を踏み出した途端、激痛が走ったかのように、片足を押さえて蹲った。
先程の衝突で足を捻りましたと言わんばかりに。
(当たり屋かよ!?)
無視をして見捨てるのは簡単だ。
だが、周囲には人がいて、ルースとミシェイラの一部始終を見ている。そして涙目でこちらに訴えてくる彼女は、第二王子のお気に入り。無視する方が後々確実に厄介になる。
溜息が出そうになるのをぐっと堪えて、ルースは渋々ミシェイラに手を差し伸べた。
「大丈夫か。医務室までなら手を貸そう」
自分でも驚く程、平坦な声だった。
ミシェイラはびくりと肩を震わせて、それでもルースの手を取った。
「ありがとうございます。優しいんですね」
「……」
(よく言う。仕向けたくせに)
ミシェイラを横抱きにしたルースは不機嫌な顔を隠しもしない。
ミシェイラの演技は堂に入っていた。手を借りて立ち上がろうとしてふらつき歩けないと無言で訴えてきたのだ。
うだうだと無駄に時間を潰す方が面倒だった。
気持ち的には荷物のように担いでしまいたかったが、仮にも貴族の令嬢を荷物扱いはできない。
珍しい組み合わせだからだろう。周囲の人々は呆然と見ていた。
あるいはそれは、ルースがベリア以外の女子と一緒にいること自体が珍しかったためかもしれない。
(……さっさと終わらせよう)
「あの、あたし、ミシェイラ・バートリーと言います。今度、このお礼をしたいので、お名前を伺っても良いですか?」
良くない。
その言葉を呑み込んだ代わりに、溜息がこぼれ落ちた。
知ってるくせに。という思いが拭えない。
「……ルース・ロシュード」
投げやりな名乗りに、ミシェイラは小声で「やっぱり、ルース・ロシュードなんだ……」と呟く。頭と頭が近いので、ルースの耳はその呟きをしっかり拾っている。
「ルース様って、珍しい髪色なんですね。灰色なんて初めて見ました」
ミシェイラが手を伸ばし、ルースの髪に無遠慮に触れた。
(……床に落としてやろうか)
手が滑ったと言えば言い訳も利くだろう。幸い、ミシェイラの片手はルースの髪を弄んでいる。支えている手を放せば抵抗する間もなく落ちるはずだ。さぞ滑稽な絵面になるだろう。
だが、それでまたどこかを痛めたと言われては敵わない。相手はプロ級の当たり屋だ。ほんの少しの傷でもこの世の終わりのように痛がるに違いない。
「……綺麗な色ですねっ!」
ルースが返答しなかったからだろう。少し沈黙した後、取って付けたようにミシェイラはそう言った。
本来ならその沈黙の間に二、三の会話があったのかもしれない。本来、というのはもちろんゲームテキストの話である。
(ごり押しだな)
演技力はあってもアドリブには弱いようだ。
しばらく沈黙が続き、ようやく医務室に辿り着いた。
これでようやく解放されると思ったのも束の間。常駐している医師が面倒な頼み事をしてきた。
「おや、ルース君。久し振りだね。ちょうど良かった、少し空けるから留守番を頼んでいいかい?」
「いや、俺は」
「すぐだから、ほんの少しだから。え? いい? ありがとう。すぐ戻るよ!」
「聞けよ!」
訂正。頼み事なんてものじゃない。やんわりとした命令と同じだ。
なまじ顔見知りだからあの医師は遠慮が無い。いろいろと世話になっていて断りづらいのもある。
「い、行っちゃいましたね……」
医務室内の簡素なソファに下ろしたミシェイラも呆然としていた。
ミシェイラが本当に怪我をしているかどうかは置いておいて、やってきた怪我人に目もくれずどこかへ行く医師は、医師としてどうなのだろう。
(ああ、だがこの女がいるなら俺は行ってもいいか)
要は人がいればいいのだ。
あの医師はどうせ鍵を閉めるのが面倒で留守を頼んだだけなのだから。
教室に人がいなくなる前にベリアのもとに行かなくては何があるか分からない。あまり迎えに行くのが遅くなると、勝手に動き回る可能性もある。
ここはミシェイラに任せてさっさとベリアを迎えに行こう、と医務室を出ようとしたところで、引き止めるように服の裾を引っ張られた。
「あの、待ってなくていいんですか」
「……留守番なら、一人いれば十分だ」
「そうですけど……ベリアさんのところに行くんですか?」
「どこに行こうが勝手だろう」
冷たく言い放ち手を振り払うと、ミシェイラの肩が驚いたように揺れた。
もともとルースは愛想がいい方ではないし、性格もどちらかと言えば冷淡で社交的とはほど遠い。必要があればそう振る舞うこともできるが、今は特に必要性を感じない。
それに。
ルースは、直感的にミシェイラという少女が嫌いだった。
瞳を潤ませ、自分を弱々しく見せる人によっては庇護欲がそそられるような仕草も、ルースにとってみればただ腹が立つだけ。
厚かましくも、誰かに守ってもらおうとごく自然に思う人間。そういう類の人間は前世から大嫌いだ。
ルースは冷たい一瞥をくれ、今度こそ立ち去ろうとした。が、またもしつこくミシェイラはルースの腕を掴んで引き止めてくる。
「おい、いい加減に――っ」
言いかけたルースは言葉を呑み込む。
ミシェイラの目が先程までとは打って変わって、つまらないものを見るような、静かなものになっていたからだ。
「――ルース様は」
口を開いたミシェイラの声は、心なしかいつもよりワントーン低く。
その目は。
「ルース様は、ベリアさんのことが好きなんですか?」
その目は、虚無と、孤独を映していた。
(なんだ……?)
ルースはその目を、いつかどこかで見たことがあるような気がした。
「ミシェイラ。怪我をしたと聞いたが、無事か」
扉が開く音と、さも心配そうなそんな声で、ルースは我に返った。
「殿下! ごめんなさい、実は、大したことはなくって……」
ミシェイラは既にいつも通りの無邪気な少女に戻っていて、駆けつけてきた第二王子に眉を下げながらも笑みを見せる。
ルースは二人が話す横をするりとすり抜け、医務室を出た。
廊下を足早に歩きながら、考える。
嫌な予感がした。
ミシェイラ・バートリーが何者であるか。
そんなものに一片の興味もなかったが、それは、間違ったことではなかったか。
(とにかく、ベリアに近づけるべきじゃないな)
ベリアはきっとミシェイラのあの孤独に寄り添おうとする。そういう少女だ。
ルースは容易に想像できるその未来が気に食わない。手を差し伸べてくれるからと一方的にベリアに助けを求める人間が気に食わない。
無意識に逸る足を進めて、ベリアが待っているはずの教室のドアを開ける。
開けて、目を見開いた。
「――……」
がらんとした教室内にベリアの姿はなく、
数歩先の床の上に、見覚えのあるハンカチだけが落ちていた。




