15 ベリア・コグニスの後悔
残酷な描写あり、です。
ルースと知り合った夜会で、出会った少女がいた。
名前を、アニア・エルキスと言った。
「――ルース様!」
彼女は無邪気にルースに走り寄る。
頬は紅潮し、猫目の大きな瞳はきらきらと純粋な喜びに輝いていた。
飛びついてきた彼女をルースは軽々避けたが、その表情はほんの少し優しげなもの。ほんの幼い頃から付き合いがあるそうで、妹のような存在だとベリアは後に聞いた。
くるくると表情を変える彼女は、ベリアが名乗ると憧れの視線をベリアに向けた。
「伯爵家!? じゃあ、お嬢様じゃない! すごーい! はっ、じゃあ、ルース様この方と結婚するの!?」
「阿呆か。しない」
「そ、そっか。よかったぁ」
そのやり取りだけで、アニアがルースに想いを寄せているのは明白だった。
その後二人で話すことになって。
アニアは不安そうに、ベリアに何度も訊ねた。ベリアは、ルースと結婚したいか。ルースが気になっていないか。
恋敵が増えるのではないかと冷や冷やしていたのだろう。
その様子はとても可愛らしく、いじらしく、微笑ましかった。
ベリアがアニアと穏やかな時間を過ごせたのはほんの少しの間だけだった。
アニアと出会った数日後に、ベリアはとある骨董商の詐欺をルースと共に暴いた。
もともとベリアはそれが目的で、ロシュード子爵家からの招待を受けたのだ。
ゲームのロシュード子爵が詐欺に遭っていたことを知っていたから。どうにか未然に防げないかと。
その目的は為すことができた。
だが、それと引き替えに、ベリアはアニアに不幸をもたらした。
詐欺をしていた骨董商は、アニアの父親だった。
アニアのたった一人の肉親だった。
捕まった骨董商イルド・エルキスは間もなく獄中死した。
たった一人残されたアニアは、悲しみを憎しみに変え、その矛をベリアに向けた。
……――真っ赤な夕焼けが、空を覆っていた。
仰向けに押し倒されたベリアは、光のない紅の瞳を見つめていた。猫目で、可愛らしく輝いていたはずの、アニアの瞳。
光を奪ったのは、ベリアだ。
ルース・ロシュードの未来を守るために、アニア・エルキスの光を奪ったのだ。
「……許さない」
怨嗟のうめきが、馬乗りになったアニアから発せられる。
瞳から、表情から、憎しみがあふれ出ていた。
「絶対に、許さない!」
悲鳴じみた叫びと共に、アニアはナイフを持つ手を振り上げた。
ベリアはどうしようもない過ちと後悔に泣きそうになって、歯を食いしばった。食いしばって、笑みを作る。
「……それで、アニアの気がすむのなら」
間違えたのは、自分だ。
ならば、その結果を被るのも自分でなければならない。
アニアの気持ちがこんなことで晴れるのなら。
命を差し出すことがアニアのためになるのなら。
ベリアはそれを受け入れる。
「――ッ」
ナイフを振り下ろしかけたアニアの動きが、止まる。
――そして。
その胸から、白刃が生えた。
ベリアはゆっくりと目を見開く。
「……アニ、ア……?」
何が起きたのか分からず、ただその光景を見つめる。呆然と。
生温い血が、頬に飛び散って。
ぐらりと、アニアの身体が傾いた。
次に見えたのは、藍色の苛烈な瞳。
「……ルース」
呟きは、ほとんど音にならなかった。喉がひりついて掠れていた。
ベリアの上に倒れこんだアニアは、ピクリとも動かない。剣を抜かれた身体からは、際限なく血が流れ出す。
ぽたり、と水滴がこぼれた。
こぼしたのは、血のこびりついた剣を持った少年。
彼は、泣いているのに、笑っていた。
壊れてしまったのではないかと思うほどに、歪な表情。苦しげな表情。
「――違う」
涙がこぼれた。
「違う。違う。違うッ!!」
ひりついた喉で叫ぶ。
こんなことをしたかったわけじゃない。こんな結末を望んだわけじゃない。こんな顔をさせたかったんじゃない。
これでは、何一つ守れていないではないか。
守るどころか、むしろ――。
「あ……ああ……っ、ごめ……ごめんなさっ……わたしが。わたしのせいで――!」
ベリアは壊しただけだ。
明るく無邪気なアニアを。彼女を大切にするルースを。二人の関係を。
助けたい、という自己満足で。
助けられる、という傲慢さで。
――壊した。
「……っ、う……ああっ……!」
いつの間にか空が濃い藍色に染まっていた。
星も月も見えない、暗い空だった。
*
薄暗い室内は、静寂に満たされていた。
ルースがベリアを連れてきたのは、彼の自室近くの部屋だった。
普段、客間で話すことが多いので、ベリアの初めて来る場所だ。
暖炉が一台置かれた広い部屋。暖炉の前にテーブルと、それを囲うように、大きなソファ一つと一人がけのソファ二つが置かれている。
二人は、大きなソファに隣り合って座っていた。
どちらも何も言わず、静かに、ホットワインを少しずつ減らしていた。
ベリアはカップを傾けて、最後の一滴までホットワインを飲みきる。それを机の上に置き、靴を脱いで脚を折り曲げた。行儀悪く膝を抱えて、顔を埋める。
「ねぇ、ルース」
「何だ」
ルースは行儀の悪さを咎めなかった。ただ静かに相槌を打つ。彼の手にあったカップは既に空だった。
「ごめんね」
「……」
謝罪に返る声はない。
彼はもう、それを受け取る気がないからだ。
それでもベリアは言い募る。
「ごめん……」
ルースは黙ったまま、隣で聞いてくれていた。
(優しいな、ルースは)
腕の中で苦笑をこぼし、ベリアは顔をあげ、わざと明るい声で笑った。
「ありがと、ルース。付き合ってくれて……って、何?」
ルースはじっとベリアの顔を覗き込んでいた。ベリアは不思議そうに瞬きをする。するとゆっくりその手が伸びてきて。
「やっぱり、泣かないんだな」
まるで涙を拭うようにルースはベリアの目尻を親指の腹で撫でた。
「えっ!?」
思わぬ行動にベリアは飛び上がる。
「な、泣かっ、泣かないけど……!? 泣いて欲しかったの!?」
触れられた目尻を押さえながら、上擦った声で言う。動揺が抑えられない。
(びっくりした、びっくりした、びっくりした……!)
ルースとの距離が近いのは昔からなのに、自分でも何にそんなに動揺したのかは分からない。ただただ驚いていた。予想外の行動だったせいだろうか。それとも怖いぐらい真剣なルースの表情がやけに大人びていたせいか。
「……別に泣いて欲しいわけじゃない。泣いた方がマシだと思っただけだ」
「ど、どういう意味……??」
「おまえは甘えるのが下手だって話だ」
「ええ? 家族はともかく、ルースにはかなり甘えちゃってると思うけど……?」
「そうか? なら、もっと甘えてくれていい」
「もっと!?」
こんな夜更けに付き合わせといて、怖い夢を見たと泣きついておいて(泣いてないけど)、さらにもっと甘える?
ベリアの理解の範疇を超えた発言だった。
「ええ……? 一緒に寝て欲しいとか、そういうこと?」
「それは甘えすぎだ」
「だよね、ごめん!」
怖い夢を見た子供が親にする要求の定番だが、生憎ベリアはそこまで子供じゃないし、ルースは親でもない。
(っていうかわたし、親にも言ったことないけど!)
ベリアは姉だから。そんなことで小さな弟妹たちから両親を取るわけにはいかなかった。
「じゃ、じゃあ、わたし部屋に戻るね! お休み、ルース」
幼い頃に抑えた願望を口走ってしまった気恥ずかしさに、ベリアはそそくさと立ち上がる。
ルースは部屋まで送ろうとしてくれたが、扉を開けたところにエマが待機していたので、エマとふたりで部屋に戻った。




