13 ルース・ロシュードの苦悩
「ルース……トマスさんって何者なの?」
襲撃後、ルースに連れられ部屋に行く途中、堪えきれずベリアは訊ねた。
ルースは未だ周囲を警戒する様子を見せながら、少し拍子抜けしたようにベリアを見る。
「……暗殺者が湧いて出たってのに、真っ先にそれを聞くのか」
「いや、気になるって。ヴァイオリンは趣味の範囲で分かるけど、食事用のナイフを武器に三人の男を沈めるって、おかしいよね?」
「優秀な執事だ。何者なのかは俺も深く知らないが、先代が拾ったと聞くから、生まれつきの執事じゃないだろうな」
先代はルースの祖父だ。まだ存命のはずだが、ベリアは会ったことが無いので、「先代が拾ったから」という言葉の因果関係はわからない。
「それよりも、ベリア。怪我はしてないよな? 大丈夫だったか?」
「あ、うん。平気。庇ってくれてありがとね、ルース」
トマスの万能っぷりについ目を奪われてしまったが、初撃から守ってくれたのはルースだ。あの状態でナイフが飛んできていたことに気づけたルースも執事に負けてないよなぁと考えたところで、ふと思い出す。
「そうだった。ルース、さっき様子が変だったけど大丈夫?」
襲撃される前、ルースは青ざめた顔色をしていた。襲撃者がいることに気づいたからではないだろう。あの取り乱しように対して、襲撃者が現れた後の対応が冷静すぎる。
しかし、ルースは不思議そうに首を傾けた。
「何のことだ?」
「え。さっき踊ってる途中で……」
「そんなことよりもベリア。気をつけろよ。さっきの連中はおまえを狙ってたんだから」
「あ、うん……」
あからさまに話を逸らされた。
そのことに気づきつつも、いや、気づいたからこそ、ベリアはそれ以上深くは訊ねられずルースの話題に乗る。もとより、気になっていたことではあるが。
「やっぱりあれって、フレデリカ様の件で雇われたのかな?」
「だろうな。捕まえたやつらが雇い主を吐けば楽だが、どうだろうな」
「……フレデリカ様は大丈夫かなぁ」
ぼそりと呟く。
ひとりごとのつもりだったが、ルースはしっかり聞き取ったらしくため息を吐かれた。
「……ベリアはすぐ他人の心配をするな」
「え、駄目?」
「駄目ってわけじゃないが……」
言い淀んだルースはベリアをじっと見つめる。どちらからともなく、歩む足は止まっていた。
するりと伸びてきたルースの手が、ベリアの髪を一房すくう。空気の澄んだ夜空のように鮮やかな藍の双眸には、何かを請うような切実な光が宿っているような気がした。
雰囲気にのまれたベリアは何も言えなくなる。
「駄目じゃないが……」
ルースは弄ぶようにベリアの髪を指に絡め、息を吐き出した。
「――無性に腹が立つ」
腹が立つ、というその言葉のわりには。
どこか悲しい色が混じった声音だった。
*
――深夜。
ルースは自室で書き物机に向かっていた。
火を灯したランプの下、パラパラと束になった紙――テア・ヘルマからの報告を読み進める。
ヘルマは優秀なデザイナーだが、同時に優秀な情報屋でもある。仕立屋という立場を活かし、店を訪れる客や、呼ばれて赴く貴族の屋敷の使用人や夫人などからいろんな情報を仕入れてくるのだ。
ルースがヘルマに頼んだのは、現在この国に出回っているとある麻薬についてだ。
かつて隣国ウェルシアから流れてきた一族が持ち込み、豪商と名を馳せるまでになった要因の麻薬――リリファ。
同じ名前の植物から作られ、その中毒性と危険性の高さのために、国内では禁じられている危険薬物だ。原料となる植物の栽培も認められない。
何故ルースがそんな薬物について調べているのかと言うと。
きっかけは、数日前。ちょうど入学式の日。学園からの帰り道で、野犬に出くわしたことだった。
飢えた目をした野犬は、しかしただ飢えているだけにしては挙動がおかしかった。その目は確かに敵意を宿していたが、対峙していたはずのルースには向けられておらず、牙と爪を剥いた先は野犬自身の肉体だった。
異様な光景に驚いたのは一瞬で、ルースはすぐに判断を下し、獣に剣を立てた。
その時点で麻薬の存在が頭に掠めていたのは、ルースがロシュード家の人間だったからだろう。
リリファを持ち込み財を成し、爵位を手に入れ、そして一転してその危険性を訴えることで、ウェルシア出身にもかかわらずこの国に溶け込むことに成功した一族。それが、ルースの生家ロシュード子爵家の過去だった。
(まさかと思って目星つけて調べてみたら……)
はあ、と思わずため息がこぼれ落ちる。
麻薬を動物が作りだし、嗜むわけがない。原因は人だ。少し調べるだけで、リリファが密輸されていることをルースは知った。
他の麻薬ならいざ知らず、因縁深いリリファでは放っておくわけにはいかない。
(王都で麻薬の裏取引が確認されるようになったのは半年前……冬になる前――第一王子に貴族の不正事件が頻繁に暴かれた時期か。……仮にその不正が麻薬と関係があるのなら、取引はもっと前からあったのかもな。んで、最近出回る量が増えたと。……流通経路を確保したか、国内で有力な貴族でも味方につけたか。あるいはその両方か)
麻薬がどこから持ち込まれたのかは考えるまでもない。隣国ウェルシアだ。隣国と言ってもほとんど国交を断っている。ルトリードは、治安が悪く怪しい組織がのさばっているウェルシアを危険視し、人の行き来も、物の行き来も禁止していた。
だが国境間の移動を完璧に断つことは不可能だ。管理するのは人の目なのだから、抜け穴、隙はいくらでもある。金を積めば目を瞑る人間も山ほどいるだろう。
(リリファにウェルシア……俺一人で対応したくない案件だな。下手に動くと変な疑いをかけられそうだ。だが、放っとくのも駄目だよなあ……)
ヘルマの報告書を一通り読み終えたところで、部屋にノックが響く。
入室の許可を出すと、執事のトマスが顔を出した。
「トマス。何か分かったか?」
トマスには捕まえた襲撃者の尋問と処理を任せていた。
しかし、トマスは眉を下げて首を振った。
「申し訳ありません。尋問にかける前に、隠し持っていた毒で……」
「死んだのか」
「はい」
「そうか。自害用の毒を持っているとは……雇い主を吐いてくれれば楽に収拾がつくのにな」
それが分かっているから、捕まった際に無駄口を叩かない玄人を雇ってきたのだろう。
襲撃者を送り込んだのが誰であるのかは分かりきっている。
フレデリカ・ディナイア伯爵令嬢を付け回し、襲った男の父親だ。ベリアがストーカーの顔を知っていたので、すぐに調べ、それがモーリッツ侯爵家の三男であることが分かった。
さらに調べたところ、モーリッツ侯爵家の三男は、未だにフレデリカに夢中で、ベリアを危険視している様子はない。となればベリアの命を狙うのは、息子の醜聞を恐れる父親だ。
だが、彼らが刺客を送り込んだという証拠はない。証拠もなしに、侯爵家を糾弾することは不可能だ。言い掛かりだと逃れられるだけならまだ良い方で、名誉毀損だと訴えられるかもしれない。
「申し訳ありません。坊ちゃん」
「いや、向こうが一枚上手だったというだけだ。ご苦労だった、トマス」
「はい。それでは後の処理がありますので、私はこれで。……あまり夜更かししては駄目ですよ、坊ちゃん」
トマスの視線が机に広げられた紙に移り、きゅっと眉間にしわが寄せられる。
叱るような強い口調ではなく、身を案じるような心配げな声音だったので、ルースは苦笑を返した。
「ああ、トマスもしっかり休めよ」
「……はい。では」
まだ何か言いたそうな顔をしていたトマスだが、すぐに扉を閉めて去って行った。
(最近あんまり寝てないのバレてるな、あれは……)
麻薬の件やベリアが巻き込まれているストーカーの件など、最近は調べ事が多く眠る時間があまり取れていない。もともと睡眠時間は短い方なので、そこまで体調に影響は出ていないが、端から見ると心配になるのだろう。
申し訳ない気持ちはあるものの、心配してくれる人がいるというのはどこかむずがゆくも心地良い。
(前世はこういうことなかったからな……親は基本放置だったし……。あいつぐらいか、俺に構ってたのは)
小学生の頃に出会った女子高生のことだ。誰あろう、彼女こそが前世のルースの横で乙女ゲームをプレイしていた人だ。
友達に勧められて買ってみたけど、一人じゃ攻略できるか分からないから手伝ってと言われた。途中までは手伝ったが、結局彼女はそのゲームを全てクリアせずに放り投げた。勧めてきた友達と喧嘩してしまったとかなんとかで。
彼女の名前は覚えているが顔はおぼろげだ。でも表情豊かで、よく笑う人だった。
そしてベリアに負けず劣らずのお人好しの阿呆だった。
(……捨て犬はすぐ拾うし、いじめ現場には啖呵切って突っ込むし、道を教えて欲しいとか言う怪しい男に付いて行きかけるし……思い出せば出すほどどうしようもないな)
彼女は自分が傷つくよりも、他人が傷つくことを恐れていた。
他人のことばかり気にかけて、自分のことは後回しにして。
そうして、彼女は他人を助けるために命を落とした。
『抜け目がないけど、優しいせいで不器用な人』
今日ベリアが言ったあの言葉。似たような言葉を、前世でルースは彼女から聞いた。
『君は、優しいよね。でも、そのせいで不器用だ。抜け目はないみたいだけど』
ずっと昔に失った女性と、今そばにいる少女の言葉が混じり合い、頭の中で反響する。
『彼女』とベリア。似ているところが多いと感じるのは、ただの気のせいか。
「馬鹿らしい。気のせいに決まっている」
自分に言い聞かせるように呟く。
それでも、二人の共通点、類似点を見つけるたび、気づくたび、ルースは怖くなる。
また、同じように失ってしまうのではないかと。
他人のために簡単に命を投げ出してしまうのではないかと、怖くなる。
(……ああ、くそ)
余計なことを考えた。このままではきっと眠れない。
顔をあげたルースは、ゆっくりと立ち上がった。
ちらりと視線を向けた窓の外では、深い深い闇が空を覆っていた。




