第57話 禍福は糾える縄の如し
博士はおもむろに壁に文字を書いた。
『因禍為福、成敗之転、譬若糾纆』
「これは『史記 南越伝』にある故事成語だ。キミは知っているかな?」
博士は何かを期待するように僕を見たが、まるでわからない。
そもそも読めもしない。
僕が顔を横に振ると、その様子を見て落胆することもなく博士は語りだす。
「禍福は糾える縄の如し――この言葉は、私の作った幸福バランサーの設計思想そのものである」
そういうと博士は講義を始めるが如く、ぱらぱらと資料を開いた。
「その意は『幸福と不幸は、まるでより合わせた縄のように交互にやってくる』ということ――つまり先ほど説明した陰陽太極図と同様、災禍と幸福は表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がないだという教訓の言葉だ」
「それって――不幸が訪れたら必ずその後には幸福がやってくる。つまりそういうこと?」
僕の言葉に博士は「まさに」と言わんばかりに、僕を指差す。
うーん……。
僕は頭を抱える。
「もともと本来この世界の幸福にバランスなど存在しなかった。私が幸福バランサーを作るまではな。その頃に比べて今は、本当にマシになったのだぞ」
「じゃあ人間はみな等しく、幸福バランサーによって最低限の幸せは保証されているってことになるのかな」
「そう。ヒトは幸福バランサーによって、幸福のチケットが『等しく』配分されている。それは人生のうち、その不幸と同じだけ、幸福が待っているのだ」
本当にそうならば、それはとても素晴らしいことだと思う。
幸福の尺度はそれこそ人それぞれだが、それぞれのその尺度に合わせた幸福が、皆に『等しく』与えられているのであれば、世の中捨てたもんじゃないと思う。
でも――そうなると、僕にとっての幸福な出来事は、まだまだこれからってことなのだろうか。
皆に等しく配分された『幸福のチケット』を僕も持っているとするならば、僕は今まで生きてきて、一体どれほどのチケットを消費したのだろう。
「僕が不幸に苛まれたのは、弟が起こした災害によって、弟の『幸福な記憶』から作られた『不幸のチケット』が、僕になだれ込んだからって言ったよね?」
「ああ、その通りだ。もちろんキミが元々持っていた『不幸のチケット』も含むだろうがな」
「そう考えると――僕は生まれてこの方、幸福を感じたことはないのだけれども」
「そんなことあるはずない。少なくともいくつかはあるはずだ。――ヒトは忘れる生き物だ。そして現にキミは、あんなにキラキラした目で、私にコーヒーを淹れたではないか」
その点について、僕はなんだか腑に落ちなかった。
だって喫茶店を持つという夢は、僕はとうに諦めたのだから。
コーヒーを淹れるときの僕は、そんなにも目をキラキラさせてたのだろうか。
「ちょっといいか?」
隣で静かに話を聞いていた大臣が、挙手をして博士に疑問を投げかける。
「少し気になったのだが、その『幸福のチケット』をもっと増やしたり出来ないのか? ……上手く言えないのだが、要するに配分される『幸福のチケット』と、元々ヒトが持っている『不幸のチケット』があるのはわかった。しかし何故『不幸のチケット』は無くならないのだ? そのような技術があるのであれば、いっそのことこの世から『不幸』そのものを無くせないのか?」
大臣のその問いかけに、思わず僕も、確かにその手があった! などと心底共感した。
だが、博士は少し渋そうな顔をして言った。
「確かにその考えは理解できる。私も初めはそれが目指すべき理想だろうと考え、研究を進めた。しかしそれでわかったことがある。前に説明したが、ヒトは生まれ持って『無』であり『不幸』なのだ。もちろん自然的に『幸福』も発現することもある。しかしほとんどが『不幸』で割合を占めているのだ。その『不幸』による残骸である記憶を再処理したとしても、その『幸福のチケット』は次世代へと回される。つまり『幸福の総量』は常に『不幸』を上回ることはなく、その関係は常に一定なのだ」
大臣はその話を理解できないのか、首を傾げた。
博士はその反応を見て、分かりやすい言葉に言い換えた。
「要するに追い付けないということだ。常にイタチごっこ。過去の『不幸な記憶』を掘り起こして再処理出来ればいいのだが、ヒトは忘れる生き物だからな。しかも放っておいても不幸はどんどん膨らむ一方だ。その不幸な記憶の残骸を再処理して、また幸運を生産したとしても、それはつまりそもそもが『不幸ありき』なのだからな」
「確かに、そう言われるとそうだな」
「なるほど……」
僕と大臣は、博士の話をようやく理解した。
その話を聞くと、まるでこの世は不幸を前提に回っているような気がした。
でも闇があれば光もあるのだと、その幸福の均衡を守るために博士は幸福バランサーを作ったのだ。
その幸福の尺度は人によって、大小さまざまだろう。
でもほんの些細な幸せでも、それは誰かの不幸の記憶によって成り立っているのだと考えると、とても貴重で尊いものに思えてくる。
しかしただそれだけを聞くと、まるで食物連鎖の生態ピラミッドのようなものを連想してしまいそうだ。
でもこれは弱者が、ただ淘汰され搾取されるというようなものではない。
幸福は等しく、皆に配分されるのだ。
自分の幸福は、誰かの不幸から生まれ、そして自分の不幸は、いつか誰かの幸福へと繋がる。
誰かの幸福は、誰かの不幸から生まれ、誰かの不幸が、誰かの幸福へと繋がる。
その幸福の輪廻は、そのサイクルの中で、幸福の記憶だけが積まれていくのだ。
もちろんその記憶はいつしか忘却され、儚く消えゆくものではあるのだが。
だが不幸な記憶は余すことなく、幸福への機会へと生まれ変わる。
僕はその博士の導き出した幸福論に、ただひたすらに感動したのだった。




