手掛かり
四月七日 日曜日 五時
思っていた以上に疲れていたのか約十一時間、一度も目を覚ますことなく爆睡していた佳だったが、久々に夢を見なかった為か今日はいつもより寝起きが良かった。
いつも通り朝のルーティーンとシャワーを済ませた佳は朝食前の気分転換がてらウォーキングをしようと思い至った。理由はそれだけではない。バケモノに襲われる可能性がある以上、家族がいる間はあまり家に居たくないのだ。
「あら、こんな早くにお出かけ?」
靴を履き終えた所で、リビングから顔を覗かせた母に呼び止められた。
「少し歩いてくるだけ」
「そう、暗いから気をつけて行ってらっしゃい」
母に見送られながらまだ薄暗く僅かに肌寒い外へと駆け出した。しかし、彼はすぐに足を止めることになった。
「「あっ……」」
隣の家から出てきた拓哉と目が合い、お互いに一瞬硬直する。
「よぉ拓哉、こんな早くにどうした?」
先に口を開いたのは佳だった。
「なんか早く起きちまったから歩こっかなって、佳こそどうしたんだ?」
「俺も同じ、用事まで時間あるし」
「そうか、じゃあ一緒に歩こうぜ」
拓哉の提案を断りたかったが彼を納得させられる理由も目的も考えつかなかった為、その提案を受け入れることにした。
「あぁ、いいよ」
二人は特に目的もなく、ただ街を歩き回ることにした。
「最近、紗七とはどうなんだ?」
出し抜けに話題を振られ、佳はすぐには反応できなかった。
「……どうって……なにもないけど」
あからさまに不機嫌になった佳を見て、拓哉はこちらを弄るような声で再び質問する。
「ほんとかぁ〜? 紗七に遊び誘われたりしてないの?」
「ないってば」
「だったら佳から誘ってやれよ〜」
いつもの事で慣れてはいるが、この話題になった時の拓哉ほどうざい生物はおそらく地球上どこを探しても存在しないだろう。
「もういいだろ、この話は終わりだ」
「紗七は本気でお前のこと好きなんだぜ?」
話を無理やり終わらせようとしたが、突然真剣な眼差しで言われ佳は言葉に詰まった。口を噤んでいる佳を見兼ねて拓哉が再び口を動かす。
「まあ、お前が恋愛に興味ないのは昔から知ってるけどさ〜……いや、もしかして美波ちゃんのことが?」
「なんでそうなるんだよ」
拓哉の冗談を聞き流しながら、足を止めることなく進めていると十字路が見えてきた。
「どっちに進む?」
「こっちの道に公園なかったか? そこ行こうぜ」
目的地なく歩くのも良かったが、遠くに行くのも億劫に感じられたので近場の公園に行くことを拓哉に提案する。
「あぁ、あそこの公園な〜、小さい頃よく行ったよな」
(小さい頃か……)
佳は記憶のない頃の自分を想像してみた。が、脳裏に浮かぶのは夢の中で見た自分によく似た男の子だけだ。
拓哉の了解を得て、十字路を左に曲がり懐かしの公園へと訪れた。記憶のある限りだが、昔に比べるとだいぶ遊具が減ってしまっていたがそれなりに大きな公園だ。
早朝であったが、ランニングをしている人や犬の散歩をしている人が数人見受けられる。
「なんかだいぶ雰囲気変わっちまったな」
周りを見渡しながら拓哉が独り言を呟く。
「そういえば、拓哉は最近どうなんだ? 平塚高の彼女とは」
「優見と? うーん、最近は特になにもないけど……」
優見とは他校に在学している拓哉の彼女の名前だ。半年ほど前から付き合っており、付き合いたての頃はよく自慢話に付き合わされていた。
その為、面識はなくとも彼女の容姿は写真で嫌というほど見せられ良く知っている。
「あ……そういえば、なんか仲の良かった友達が不登校になったとか言ってたな」
「いじめか何かか?」
「それが、理由がよく分かんないんだと、そんでこの前相談されたんだよ」
拓哉がやれやれといった感じに肩を竦める。
「理由が分かんなかったらどうしようもないだろ」
「それ、優見に直接言ってくんね?」
「自分で言えや」
拓哉の馬鹿げた提案を聞き流していると、突然右側面を照らすように暖かな光が差し込んできた。あまりの眩しさに佳は右手でその光を遮る。
「おぉー! あったけぇ」
「日も出てきたし、そろそろ帰ろうぜ」
両腕を広げて正面から太陽の光を浴びている彼に帰宅を促した佳は一足先に公園を後にしようと歩き出した。
「そうだな」
佳の後に続いて彼も帰路へと着く。たわいもない会話を交わしながら来た道を真っ直ぐ帰って行き、ようやく家に到着した。
「なぁ、佳」
別れの挨拶をして家に入ろうとした佳を拓哉が背後から呼び止める。
「なに?」
「いや……月曜日も部活あるから、月曜日は来いよな」
部活をドタキャンしたことを意に返さぬ様子の彼の笑顔に罪悪感を感じつつも、佳はそれを悟られないように平常心を保つ。
「あぁ、わかった」
返答を聞いた拓哉は安心した様子で家の中へと入っていった。佳もそれに続くように自分の家の玄関を開いた。
十三時
佳は集合場所であるこの駅の改札を通り抜ける。改札を出ると既にそこには悠一の姿があった。
「おはようございます、来てくれないかと思ってたんですが……来てくれてよかったです」
「まあね、結局家にいた所でどうにもならないと思って」
悠一は少し照れた様子で右手で頭を掻きながら言った。
「悠一さんさんがいるとこっちとしても心強いです、それじゃあ早速行きましょう」
佳が「こっちです」と指をさし、女性の運転免許証に書かれた住所へと向かうため足を動かそうとしたその時、それを止めるように悠一から問いかけられた。
「佳くん! ほ……本当に大丈夫なの?」
「ここまで来てなに言ってるんですか、早く行きますよー」
しかし佳は彼の問いを軽くあしらい、足を止めることはなかった。それを見て諦めたのか、悠一は「不安だなぁ」と溜息まじりに呟き大人しく佳について行くことにした。
十三時三十分
「……ここですね」
「……ほんとにあってるの?」
悠一が佳の持つ運転免許証を覗き込み、住所を確認する。駅から少し距離があり少し疲れていたが、それを忘れるほどに目的の女性の家は高い塀に囲まれた豪邸だった。
「表札は女性の苗字と同じですし……あってると思います」
佳も本当に住所があっているか不安で、何度も目の前に建つ豪邸と運転免許証を交互に見る。石製の表札には東条と大きな字が彫られている。
「それじゃあインターホン押しますよ、予定通りでお願いしますね」
「わ……わかった」
悠一がそう答えると佳はインターホンを押した。そしてすぐに佳は悠一の後ろに回り、悠一はインターホンの前へと移動した。そして数秒が経つとインターホンから女性の声が聞こえてきた。
『はい、どちら様ですか?』
「はじめまして、私は探偵をやっている鈴木悠一という者です」
悠一が予定通りの芝居を始めた。少しぎこちない部分もあるが作戦に支障は出ないだろう。
『探偵さんがなんの御用でしょうか?』
インターホン越しにもわかる猜疑心が含まれた声に佳と悠一に緊張が走る。
「じ……実は最近起こっている殺人事件や行方不明事件の調査をしていまして、娘の凛央さんついて少しお話を伺っても宜しいでしょうか?」
『…………』
インターホンからの返事は無く、数分が経過した。
「返事……ないですね」
「そうだね……やっぱりこの作戦ちょっと無理があったんじゃない?」
「行けると思ったんですけど……今日は諦めて、また改めて訪問してみましょうか」
女性からの返事がなく話を聞くことを諦め、踵を返そうとした二人は、玄関の開く音に足を止める。扉からはメイド姿をした二十代くらいの女性が出てきた。少し離れた玄関から一つに纏められた長髪を僅かに揺らしながら歩いてくる。
「メイドって実在するんですね……」
二人は驚きのあまりその場に立ちすくむ。
「奥様がお待ちです、ご案内いたしますのでこちらにどうぞ」
鋭い目付きをしたメイドは礼儀正しくお辞儀をした。
先程インターホン越しに聞いた声に誘導され、二人は豪邸に足を踏み入れた。案内された部屋は想像よりも広く、悠一が挙動不審になるほどだ。
「悠一さん……もう少し落ち着いてくださいよ……」
佳がひそひそ声で囁く。
「いや、むしろなんでこの豪邸に入って佳くんは落ち着いていられるの!? 」
愚痴をこぼしながらも悠一は何度か深呼吸をし、落ち着きを取り戻そうとする。しかし、それを意に返さなぬ様子でメイドはさっさとソファまで案内する。
「こちらにお掛けください」
いかにも高そうなソファの向かい側には豪華な装飾を身に付けた五十代くらいの女性が腰掛けていた。しかし、かなり窶れており顔の表情も暗く俯きがちだ。
実年齢は四十代くらいだろう。彼には奥さんがそれほどまでに疲弊して見えたのだ。悠一にも同じように見えたのだろう。彼はソファに座らずにたじろいでいる。
「どうぞ、遠慮せずにお掛けになって……」
「失礼します」
精気を感じないその声に促され、二人はソファへと腰掛けた。
「麗華さんから用件はお聞きしています……凛央についてお話を伺いたいと……」
今の話を聞くに、麗華が案内をしてくれたメイドで凛央が佳たちの目的の女性であり、この家の娘さんだろう。
「はい、行方不明になる前の娘さんの様子について少し教えていただけたらと思いまして」
緊張のあまり黙り込んでしまっている悠一のかわりに佳が言葉を返す。
「あなたは……?」
自分が本来の役目を果たせていないことに気がついた悠一はハッとしたように彼女の疑問に答える。
「あ、息子の佳です、とても頭の回る子で助手として仕事を手伝ってもらっているんです」
言うまでもなくそういった体である。
「そうなんですね……」
「それで早速なのですが東条さん、行方不明前の娘さんの様子をお伺いしてもよろしいですか?」
悠一が本物の探偵らしく質問をする。その横で佳が手帳とペンを取り出し、本物の助手らしくメモの準備をする。
「はい……凛央は行方不明になる前、何者かに後をつけられていると言っていました」
「ストーカーの類ですか?」
悠一が慎重に詳細を聞き出す。
「多分そうだと思います……警察に協力していただきました、ですが凛央をつけている者などいないと断言されました」
「「!?」」
それを聞いた二人は凛央さんをつけていたのはバケモノであると確信した。
「そのストーカーについて、娘さんから詳しく聞いたりしていませんか? 例えば大きさや特徴など」
佳が今にも互いのソファの間に置かれている机を乗り出しそうな勢いで質問をする。
「え……っと、たしか身長は百八十くらいで男性ではないかと言っていました、特徴は全身黒い服を着ていたのか目ぼしい情報は何も……」
「そんな……本当ですか!? バケモノを見たとは言ってなかったですか?」
「ち、ちょっと……」
机を乗り出すようなことはしなかったが佳はかなり興奮しており、悠一がそれを落ち着かせようと彼の肩を手で押さえる。
「え……バケモノ?」
奥さんが困惑してしまっていたが、佳はそれでも質問を続けようとした。しかし、それを横から少し強い口調で静止する者がいた。
「大変申し訳ありませんが、あまり訳のわからないことを質問されるのは控えていただけないでしょうか? 奥様のお身体にも障ります」
「あ……すみません」
麗華の静止により、自分が失礼な態度をとっていることにようやく気がついた佳は、少し平常心を取り戻した。しかし、心の中では未だに疑問の種が芽生えている。
「息子が失礼しました」
悠一が頭を下げて謝る。
「いえ……気にしないで、話の続きをしましょう?」
「すみません、それでは凛央さんが行方不明になった日のことを詳しく教えていただけますか?」
注意を受けた佳に変わり悠一が質問をする。そして佳は話を聞くことに専念することにした。
「はい……凛央は四月四日のお昼あたりから一切連絡が取れなくなったんです」
その日は佳が狼型のバケモノと遭遇した日であり、凛央の死体を目撃した日でもある。
「その日、凛央さんはどちらにおられたのですか?」
「その日はいつものように会社に出勤していました、ですが……」
一度言葉を止め、胸に両手を当て深呼吸してから奥さんは再び言葉を紡ぐ。
「同僚の人が言うには、十一時くらいに逃げるようにして会社を飛び出して行ったそうです……」
時間帯もちょうど佳が学校終わりに商店街を歩き始めた時間と一致する。
「……それから、行方が分からなくなったんですね?」
悠一が少し躊躇いがちに最終確認をする。
「はい……」
「それでは最後に、凛央さんの勤め先の会社の名前を」
「探偵さん……」
悠一の言葉を遮って奥さんはソファから崩れ落ちるようにして机に突っ伏した。一見、土下座のような体制に見えるその姿勢にメイドの麗華が戸惑い始める。
「奥様!?」
麗華が奥さんの横に駆け寄る。
「どうか、どうか凛央を見つけてください……誰でもいいから凛央を……大切な一人娘なんです」
奥さんは机に突っ伏したまま、「お願いします、お願いします」と涙声で言い続けている。凛央の死に際を目にしていた佳は、懇求する奥さんの姿を見て罪悪感で心が苛まれていく。
どう反応するべきか悩んでいた佳の横で、悠一が立ち上がり奥さんに手を差し伸べる。
「奥さん……凛央さんは必ず私達が見つけ出してみせます! ですので安心してください」
悠一の目には強い意志がこもっている。昨日までの彼とは別人の様だ。
「ありがとうございます、お願いします……」
奥さんが悠一の差し伸べた手を両手で握りしめながら涙を零している。
「すみませんが、今日はもう帰っていただけませんか? 奥様は心身共にかなり衰弱してしまっているので……これ以上は」
麗華が奥さんを心配そうに見つめながら強い口調で言い放つ。二人はそれに潔く従うことにした。
「わかりました、何か分かりましたらまた後日に来ます」
「はい、それでよろしくお願いいたします、お嬢様の勤め先の住所を記載しますので手帳と書く物をお借りしても? 」
それまで無言を貫き話を聞く側に徹していた佳は、いきなり自分に白羽の矢が立ち少し戸惑いつつもメモ用の手帳とボールペンを麗華に手渡した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
そう言うと麗華は生前、凛央の勤め先であった会社の住所を書き記した。しばらくして佳は手帳とボールペンを返してもらった。そして長居は無用と思い二人は豪邸を後にする。
玄関を出るまでの無駄に広い廊下や煌びやかな装飾、そしてそれらを照らすシャンデリアの輝きが奥さんの心情を鏡合わせにしているようで、彼らはどうにもいたたまれない気持ちになった。
十四時三十分
「さっきはすみませんでした、取り乱しました」
豪邸を後にし、喫茶店へ入り席に着くやいなや、開口一番に佳は先程の自分の醜態を謝罪した。自分から偉そうに作戦を立て、あまつさえほぼ強引に付き合わせたこともあっての発言だ。
「それを言うなら、僕も最初戸惑ってたからお互い様だよ」
しかし、悠一はそんなことを意に介さぬと言わんばかりの笑顔で答える。
「ふぅ……これからどうしよう?」
それでも、先程までの探偵ごっこで精神的に疲れたであろう悠一は軽く溜息をする。
「とりあえず、得られた情報を整理しておきましょう、行動に移すのはその後ってことで」
悠一の質問に対し、佳が情報整理をしようと提案する。
「そうだね、それじゃあ始めようか」
二人は近くにあった小さな喫茶店で寛ぎながら情報整理を始める。
「まずは凛央さんをつけていた者の存在ですけど、悠一さんはどう思います?」
「警察が見つけられなかったってことを考慮して、バケモノであることは間違い無いと思うんだけどなぁ」
「警察が裏で手を引いてる可能性は拭い切れませんが、そうですね、やっぱり認めざるを得ないんですかね……」
佳の一言により二人の間の緊迫感が増す。警察が何かを隠している可能性もあるし、完全に信用できるわけではない。しかし、今は目先のことに集中しなくてはいけない。
一拍おいて佳が懸念していたことを口にする。
「……人間型のバケモノがいる……ってことですかね」
佳は「人間型のバケモノ」というフレーズに胸騒ぎを覚える。今まで感じたことのない様な嫌悪感が彼の心の中を騒つかせていった。




