仲間
四月六日 土曜日 九時
身体を起こし、ゆっくりと伸びをする。どうやら机に伏して寝ていたようで全身の節々が痛む。
「いてて……首寝違えたかな」
佳は軽くストレッチをして首や腕の痛みを和らげようと試みる。机の隅に目をやると、そこには昨晩用意したウエストポーチの周りに小物が散乱していた。散らばった小物の中には折りたたみ式ナイフもある。先日、自衛のために購入していた物だ。佳はそれをウエストポーチの一番出し入れがしやすい部分に入れ、他の小物を適当に机の隅にへと追いやった。
「あぁ、そうだ」
スマホ片手に椅子から立ち上がった彼はおもむろにクローゼットを開き、ボロボロになった制服を取り出した。それを床に放り投げスマホで写真を撮る。
昨晩、バケモノの写真だけでは材料不足だと思った為、一晩中思考した結果である。他にも案はあったものの、今日中に準備することが出来るのは制服の写真だけだった。制服をクローゼットに戻し、一階へと降りる。
冷たい水で顔を洗い意識を完全に覚醒させ、静まり返ったリビングで朝食の準備をする。土曜日だというのに両親は出勤しており、妹は休日を最大限に満喫している(就寝中)ため、リビングには彼一人だけだ。
朝食の準備を終えた佳はテレビのリモコンへと手を伸ばし、適当にチャンネルをニュース番組に切り替える。テレビを横目に即席で作った朝食を胃袋に収める。すると、最近毎朝恒例となっている『集団幻覚』についてのニュースが始まる。
「くだらないな」
箸を止め眉間に皺を寄せていた佳は、ニュースを見て率直な感想を吐き捨てる。ただ、初めて『集団幻覚』に関するニュースを目にした時とは違い、内容自体を馬鹿にしてる訳ではない。彼が悪態をついたのは、キャスターや評論家たちの討論に対してだ。
オブラートに包んではいるものの、バケモノが見える人のことを精神障がい者、もしくは宗教にのめり込んだ精神的弱者だのと罵っている(ように彼には聞こえた)。確かに、バケモノの見えない人からすれば討論通りにしか見えないかもしれないが、それでも佳には癪に障る内容であった。
行き場のない怒りを抑え、テレビの電源をオフにする。再び訪れる静寂の中、食器同士がぶつかる金属音と彼自身の僅かな咀嚼音だけが虚しくリビングに響き渡った。
現在時刻 十一時三十分
家の最寄り駅から約二十分、降車して改札から横断歩道を挟むように佇んでいるそのカフェは土曜日のお昼時ということもありかなり混雑しており、店内には行列ができていた。
(うわぁ……)
このカフェを指定されたはいいものの、流石の佳にもこの混雑の中でバケモノの話をするのは多少抵抗があった。
数分後、頼んだブラックコーヒーのショートを手に、待ち合わせの席へと向かう。すると、そこには既に一人の男性が座っていた。
(あの人が?)
カッターシャツに黒いベストを羽織ったその男性は窶れた顔をしており、落ち着かない様子で周りをキョロキョロと見回している。
「あの、すみません、鈴木悠一さんですか?」
「ッ! は……はい、そうです」
男性は声をかけると一瞬ビクッと身体を震わせ、それと同時に手元に持っているマグカップが音を立てた。マグカップにはまだコーヒーが入っており、しかもまだ一口も飲んでいないようだ。
男性が身体を震わせた拍子にコーヒーが零れそうになったのを見て佳も僅かに身体をビクつかせて、席に座るタイミングを逃してしまいその場で棒立ちする形となってしまった。
「ど、どうぞ座ってください」
「あ……はい」
席に着くように促された佳は悠一の向かいに腰を下ろす。
「ふぅ……初めまして、名前は知ってると思うけど鈴木悠一です、よろしくね」
一度深呼吸をして彼は佳に名刺を差し出した。敬語でなくなっているのは多少なりとも緊張が解けた証拠だろう。改めて丁寧に自己紹介され、佳は意外感を覚えた。
(偽名じゃなかったんだ)
如何にもな名前だったので佳はてっきり悠一が偽名を使っているのだろうと警戒していた。
「葉崎陽太です、こちらこそよろしくお願いします」
その為、彼は偽名として斜向かいに住む葉崎さん宅の長男の名前を勝手に借りていた。
両者ともに二回目の自己紹介を終えた(片方は偽名だが)のはいいものの、それ後数分間は互いに沈黙を守ったままだ。佳は話す内容を事前に考えて来たつもりだったが、いざとなると何から話せばいいのか分からなくなってしまった。
相手も相手で、悠一はこちらの様子を伺って何度か話を切り出そうとはしていたが、話す内容が纏まらないのか、なかなか声を発せずにいた。しかし佳は、このままでは埒が明かないと思い前置きも無しに悠一の前へ一枚の写真が映っているスマホ画面を突き出した。
「何が……見えますか?」
突然の佳の行動に戸惑った様子の悠一だったが写真を目にした直後、まるで銅像のように身体が動かなくなった。
数秒後、彼は硬直していた身体をゆっくり動かしスマホ画面に指をさし、視線をこちらに向ける。
「こ、これって……もしかし」
「何が見えたか答えてください」
動揺した悠一の言葉を佳が遮る。視線をスマホに戻した悠一は神妙な面持ちで画面を見つめ直している。
そして、悠一が再び口を開く。先程よりも幾分か落ち着いた口調で。
「バケモノだね、狼に蛇みたいな尻尾が付いた……僕の見たのとはかなり見た目が違うね、でも……」
悠一が唾を飲み込むのがわかった。音が聞こえてきそうなほど鮮明に。
「一つだけ共通点がある……バケモノの身体中に張り付いているもの」
それを聞いた佳は悠一に向けて突き出していたスマホをうつ伏せの状態で机の上に置いた。そして悠一に向け、軽く頭を下げた。
「改めて自己紹介させてもらいます、本当の名前は碇佳です、嘘ついててすみませんでした」
「あ、そうなんだ……気にしなくて大丈夫だよ」
そう言う悠一に、佳は顔を上げて笑顔を向けた。
「自分以外にも見える人がいて少し安心しました」
「それはお互い様だよ」
そして互いにバケモノに関する情報交換を始めた。佳はブラックコーヒーのサイズをグランデにしておけばよかったと後悔した。
現在時刻 十八時
家の最寄駅から改札を抜けると既に太陽が半分沈んで空が赤みを帯びており、佳は急ぎ足で帰路へとついた。
「ただいまー」
佳は玄関とリビングを介する扉に声が遮られない程度の声を張った。リビングから微かに「おかえりー」と、気怠そうな万尋の声が帰ってきた。
今日得られた情報を整理するため、佳は自分の部屋へと直行する。しかし、直ぐに机に向かうつもりが疲れのせいか、ついベッドの上で横になってしまった。
「さすがに疲れたな……でもバケモノ調査にも進展があったからいいか」
一人ブツブツ呟きながら情報整理がてら、今日の出来事を思い返す。眠りについてしまう前に。
遡ること六時間前
「つまり、悠一さんの見たバケモノは鷹のような形状だったんですね?」
悠一が見たと言うバケモノの詳細を聞いた佳が復唱するように問い返す。
「うん、間違いないよ」
佳の復唱を悠一は肯定する。それに答えるように佳が頷き、間髪入れずに復唱する。
「それ以外の特徴は俺の見た蜘蛛型と狼型と同じ」
「うん、人間より何倍も大きい身体に胴体の至る所に埋め込まれている人間の部位」
今までにないくらい真剣な表情で悠一が答える。お互いに熟考していると、腕を組んで考え込んでいた悠一が先に口を開いた。
「……少し気になったんだけど」
「なんですか?」
「どうして蜘蛛型は佳くんを襲わず、観察しているんだろう?」
それについては佳も何度か考えた事はあったが思い当たる節がなく答えが出なかった為、それ以降はあまり深く考えないようにしていた。
「俺にもわからないです……そういった性格なのかも知れません」
「そうだよね……」
「あ、そういえば俺も気になることがあるんですけど……バケモノを見た当日、夢とか見ませんでしたか? 」
「ん、夢? 確か見ていなかったと思うけど、どうして?」
「そうですか、いえ……大したことじゃないので忘れてください」
もしかしたら夢を見たのは自分だけではない可能性も考慮していたが、反応を見るにどうやら悠一は本当に夢を見ていないようだ。
「それよりもこれからどうするか考えませんか?」
「そ、そうだね、でも具体的に何をすればいいのか……」
悠一がまた考え込み唸っている所に、佳はある提案を持ちかけた。
「これを見てください、この人について調べてみませんか?」
そう言うと佳は、裏路地で拾った女性の運転免許証をカバンの中から取り出した。
「!? これってもしかして……」
さすがの彼もこの女性の顔に見覚えがあったのだろう。なにせ昨今テレビで大々的に取り上げられているニュースで顔写真が公開されたのだから。
「この人もバケモノを目撃している可能性があります、何かしら手掛かりを見つけられるかも……明日の予定は空いてますか?」
「え? う……うん、特に予定はないよ」
「じゃあ明日にでもこの住所に伺ってみませんか?」
佳は机上に置かれた運転免許証へと目線を落とした。書かれていた住所はそれほど遠くはない。むしろ彼の家からであれば、このカフェよりも近い。
「さ……さすがにそれはやめておいた方がいいんじゃないかな?」
彼の懸念通り、赤の他人であり警察官でない自分たちが行方不明者の家を訪問したとして、まともに相手なんかしてもらえないだろう。
「俺に提案があります、子供想いの親なら多少なりとも協力してくれると思いますよ」
そして二人は明日の十三時に目的地の最寄り駅で集合する約束を交わした。
作戦会議が終わる頃、気がつけば十七時を過ぎており、そろそろ解散しようという話になった。
「それじゃあ、明日もよろしくお願いします」
「本当に行くの?」
お互いに会計を済ませ店を出た後、前方を歩く佳に背後から不安そうに悠一が訊ねる。
「俺達には時間が無い、今日バケモノに襲われる可能性だって十分あります、悠長に殺されるのを待つなんて俺はごめんですよ」
「……どうして……どうして君はそんなに強いんだ?」
なおも前方を歩いていた佳は、悠一が足を止めたことに気がついていなかった。
「正直……僕はもうバケモノに関わりたくない、君と会った目的だって最低な理由さ、バケモノが見える人達と一緒にいる事で少しでも生き残ろうとしたんだ」
ようやく足を止めた佳は、彼の目的が何だったのかを理解した。しかし、それがわかった所で佳がこれからとる行動は変わらなかっただろう。
「悠一さんは命を賭けてでも守りたい人がいますか?」
背中を向けたまま佳が呟く。
「え?」
悠一は聞き取れなかったわけではなく、佳の唐突な発言に答えることができなかったのだ。
「俺だって怖いですよ、でもバケモノが見えるのは俺たちだけ、大切な家族や友人を守ることは国にも警察にもできないんです、バケモノが視認できる俺たちにしか……できないんですよ」
ようやく振り向いた佳の目には強い意志が宿っていた。自分が失いかけていた純粋な勇気が悠一を感化させた。
悠一は無意識に拳を握っていた。
「まさか年下に諭されるなんて、いい歳した大人が情けないなぁ」
「悠一さんって、奥さんの尻に敷かれるタイプでしょ?」
自虐的な発言をする悠一に、先程までの真剣な眼差しが嘘のような清々しい笑顔で佳が微笑む。
「そ……そんなことない……と思う……」
「ははは、俺の父さんとそっくりです」
再び佳は歩き出し、それに遅れないよう悠一も後に続く。
「あんまりからかわないでほしいなぁ……」
緊張が解け、二人の間に自然と笑みが溢れる。
夕日に照らされた二人は、運命に抗うため、大切な人を守るために前に進み始めた。
そんなこんなで明日の十三時に再び悠一と会う約束をした。疲れた身体が休息を求めていたが、その前に彼にはやることがあった。
携帯を手に取り、目的の番号へ電話をかける。
『おう佳、どうした?』
「実は明日予定が入っちゃってさ、部活行けそうにないや、悪いな拓哉」
『……そうか、まぁ月曜日もあるから気が向いたら来いよ』
「あぁ、わかった」
電話を切り携帯を充電した後、佳はそのままご飯も食べず、風呂にも入らず、眠りについてしまった。




