嵐の前の静けさ
(またこの夢か)
眠りについた佳の視界には見覚えのある光景が広がっていた。だが、この間見た夢とは少々内容が違っていた。
眼前には廃村ではなく穏やかな雰囲気の村が広がっており、村民が家や田んぼに囲まれた道を行き来している。
そして一番の違いといえば景色ではなく彼自身だ。僅かだが記憶が戻っており、ここが村のどの位置なのか曖昧だが理解できた。
佳は記憶を頼りに以前夢で見た神社へと向かうことにした。森の中にある神社に向かうには必ず通らなければいけない山道がある。その入り口から見覚えのある小さな人影が山へ入っていくのを目撃した。
(……子供?)
人影を追いかけ山道へと足を踏み入れた佳。村道と違いしっかりと石で舗装されている山道を一段ずつ飛ばしながら駆け上がる。相手は子供のはずなのに全く追いつける気がしない。
木々が生い茂っており山道を照らしているのは微かな木漏れ日だけだった。やがて鳥居が見えてきて彼の全身を強烈な日差しが襲う。あまりの強さに思わず右手で光を遮る。手で小さな日傘を作りながら鳥居をくぐり、奥へ進む。
(いた……やっぱり俺だ)
そこには幼い頃の自分がいた。記憶にない自分の姿を佳は後ろから静かに眺めていた。幼い自分は賽銭箱の奥にある扉に手をかけた。そして周りを伺うように見渡して、誰もいないことを確認すると中へと姿を消した。当然の如く佳のことは見えていないらしい。
「入ってみるか」
幼い頃の自分はここで何をしていたのか。夢が覚めてしまう前に確認しなければ。
扉に手をかけ、勢いよく開いた。
「あれ?」
彼の目に映ったのは神社の室内ではなく、見覚えのある天井だった。重い身体を起こし痛む頭を押さえる。
「はぁ……」
落胆した佳は起こした背中をもう一度ベッドの上へと戻した。
四月五日 金曜日 六時
今日は父も母も朝から仕事がなく、久しぶりの家族全員揃っての朝食だ。週に一度あるかないかの朝の光景に佳は、数日の間に荒んだ彼の心が少しずつ和んでいくのがわかった。
テレビを見ながらお喋りに興じている家族を横目に、佳は朝食を食べながらまだ部屋の隅に置きっぱなしのズタズタになった制服をどう処分するか考えていた。
(昨日は時間が無かったからなぁ…さすがに親に見つかったら問い詰められるよな、替えの制服はあるからいいけどあの制服どうしよう……)
そんなことを考えていたので、母が指摘するまで箸が進んでいないことに彼は気がつかなかった。
「佳、ご飯全然減ってないけど大丈夫?体調でも悪いの?」
「あぁ、最近寝起きが悪くて」
咄嗟に口走った嘘だったが、あながち嘘ではないかもしれない。
「夜更かしせずにしっかり寝なさい」
「わかってるよ……」
佳は夜更かしなんてしていない。むしろ日付が変わる前には寝るように心掛けている。しかし、父は年頃の自分の息子が夜遅くまで起きて何かをしていると誤解しているようだ。溜息をつきたくなったがこれ以上は母にまであらぬ疑いをかけられるかもしれないと思い、テレビへと意識を逸らした。
テレビは朝のニュースを映し出し、画面越しに最近増えている行方不明者に関することを大々的に取り上げていた。顔が公開された複数の行方不明者の中に、見覚えのある女性の顔があった。遠くからだったので正確に顔を認識できてはいなかったが、行方が確認できなくなった日、そして住所があの日バケモノと出会った路地裏の近くであることからしてほぼ間違い無いだろうと彼は確信した。
殆ど役目を果たしていなかった箸を箸置きに戻し、席を立って学校へ行く準備をしに二階の自室へとリビングを出ようと扉に手をかける。
「どうしたの? まだご飯残ってるじゃない」
心配して声をかけてきたのは母だけだったが、父と万尋も訝しんだ目線をこちらに向けている。
「ごめん、食欲が湧かないからやめとく」
佳は家族の返答を待たずにリビングを後にした。自室で制服に着替えた彼は準備をしながら、先程のニュースについて考えていた。
(なんで行方不明なんだ? 死体が見つかってないのか? それともあのまま跡形もなく喰われたのか…喰われたってのが一番妥当な考えだな、いくら路地裏でも警察が捜索したら簡単に見つかるだろうし……どうしよう、やっぱり伝えておいたほうが良かったのか?いやでも路地裏に女性の死体ありますとか言って見つかったとしても俺が真っ先に疑われるよなぁ……怖いけどもう一度路地裏に行って手掛かりがないか探してみるか)
思考を一旦止め、目線を下に落とし制服を見る。
「もう替えがないから制服破らないように気をつけないと……」
支度を終え、家族に何も言わずに家を出ようとしたが階段を下りたところで万尋と鉢合わせてしまった。
「……いってらっしゃい兄者」
万尋にはちょっと変わった癖のようなものがある。なぜか兄である自分にだけ毎日のように呼び方を変えるのだ。
(今日は兄者か……)
最初は慣れなかったが今となっては全レパートリーを把握している為、毎日占い感覚で聞いている。
「おう、先行ってるぞ」
彼は目を合わせずに妹の横を通り過ぎる。微かにこちらを伺うように見ている万尋が視界の端に映る。どこか悲しそうに、それでいて何か探りを入れるような目をしていた。
現在時刻八時十分
静かだった教室も時間が経つにつれ、だんだん騒がしくなっていく。やがて騒がしい話し声は隣のクラスからも聞こえてきた。
「おはよう、今日は早いな」
「まぁな」
拓哉がいつも通り話しかけてくるが、彼なりに気を使ってくれているのかもしれない。パーティー以来、紗七にはかなり問い詰められていたが拓哉は普段通りに接してくれている。むしろ、しつこく詰問してくる紗七の話をそれとなくはぐらかしてくれている。
だからこちらもできるだけ気まずくならないよう、普段通り話し返すように心掛けている。そのせいで、拓哉に対する罪悪感は増していく一方だった。
「そういや佳、いつになったら部活来るんだ? 春休み中もあんま来とらんかったし」
「あー……なんか最近思ったんだけど」
佳が考え込むように言葉を区切る。
「何だよ?」
「俺、そんなにバスケ好きじゃないのかもって」
佳が言葉を言い終えると、二人の間に静寂が訪れた。聞こえるのはクラスメイトの会話のみで、肝心の拓哉は口を開けっぱなしにしてほうけている。
遂に呆れられてしまったのかと思い、必死に言い訳を考えようとしたがその思考は拓哉の言葉によって遮られた。
「……じゃあ、サッカー部に行ってみたら?」
「え?」
「あっ、いや……なんでもない……」
何故、彼がサッカー部を勧めてくるかは佳には理解できなかった。別にサッカーが好きなわけでもないし、拓哉に至ってはスポーツの中で一番苦手と言っても過言ではない種目だ。
再度、二人の間に静寂が訪れる。先程よりも空気が重く、気まずくなってしまった。その静寂を破ったのは拓哉だった。
「なら、部活は無理に来いとは言わないから代わりに新入部員の確保くらい手伝ってくれよ」
先程までの気まずい空気が嘘のように、彼は平然と話し掛けてくる。佳も変に間隔が開かないように慎重に言葉を紡ぐ。
「わかったよ……まぁ、気が向いたら部活にも行くよ」
「あぁ」
なんとか会話に一区切りつき、佳はようやく胸を撫で下ろすことができた。しかし安心しているのも束の間、第三者によって話が蒸し返された。
「佳……部活辞めるの?」
何処かで二人の会話を聞いていたらしい紗七が意外そうに首を傾げていた。佳が誤解を解こうとする前に、拓哉が紗七に事情を説明した。
「サボりの事前報告だよ、いつもの」
完璧な演技で呆れたフリをする彼に佳は感心して肯定することをすっかり忘れていたら、紗七が溜息混じりに呟いた。
「はぁ……またか」
どうやら本人が肯定するまでもなく、彼女は拓哉の嘘を信じ切っているようだ。
「サボり魔のくせにそういう所は律儀だよね、佳って」
不本意ではあったが結果的に紗七が納得してくれ、事なきを得た後に会話は終了した。
現在時刻十三時五十分
五限目の終わりを知らせるチャイムが鳴り、体育館から片付けを終えた生徒たちがゾロゾロと教室へと戻っていく。
生徒たちが次々に体育館を後にする中、佳は一人だけまだ体育館に残っていた。
勿論、自主的にではない。出入り口を蜘蛛型のバケモノが塞いでいるからだ。
今日の六限目はどの学年も体育館を利用しない為、部活の時間まで体育館は閉鎖される。その上、扉は両側共に鍵を使わないと開くことができない。片付けを終えた今、バケモノが塞いでいる扉以外は施錠されているため利用できない。
バケモノの足辺りに僅かに隙間はあるものの下手をすればバケモノに接触してしまう。それに近づいて襲われない保証はどこにも無い。
「……どうしよう」
バケモノと睨めっこをしながら一人困り果てていると何処かから彼を呼ぶ声が聞こえた。
「どうした碇? 早く教室戻れよ、もう扉閉めるぞ」
佳は一瞬、バケモノが声を発したのかと勘違いして身の毛がよだつ思いをした。だが、すぐにその渋い声の主は体育教師の稲垣次郎であると彼は認識した。
稲垣先生は身長百八十センチはあった筈だが、殆どバケモノの大きな胴体で隠れてしまっており、おそらく鍵束を持っていたのだろう。ジャラジャラと金属音がこちらまで届いてくる。
佳は別の扉からの脱出を諦めかけていたが、都合よく鍵を持った稲垣先生が今ここにいる。それを上手く利用することにした。
「あー……実は施錠されていない扉を見つけたんですよ」
「本当か? ったく……」
大きく溜息を吐いた稲垣先生がバケモノをすり抜け体育館に足を踏み入れる。その光景は何度見てもきみが悪く、佳は顔を顰めそうになったが、さすがにそれがバケモノの見えていない先生に対し失礼なことであると判断できるほどには彼はまだ精神的に正常と言えるだろう。
「それで、どこの扉なんだ?」
体育館内をキョロキョロと見渡す先生はどこか焦っているように見える。
「俺が閉めときましょうか? 鍵も職員室まで持って行きますよ」
「ん? そうか」
ダメ元で鍵の入手を試みたつもりだったが、先生は思いのほかあっさりと渡してくれた。
「実はこの後出張でな、悪いが鍵の方は頼んだぞ」
「わかりました」
佳の了解を得た先生は踵を返し足早に体育館を後にした。それを見送った彼は別の扉へと向かった。鍵束の中から体育館の扉用の鍵を探し出し、鍵穴へと差し込む。
「両側鍵が必要とか面倒くさい造りしてるなぁ」
愚痴をこぼしながらもようやく体育館を出れた佳は気にかかることもあり、バケモノによって塞がれていた扉の様子を伺う。
「やっぱり……」
彼の予想通り、先程まで扉を塞いでいたバケモノが何処にもいない。薄々そんな気はしていたが、あのバケモノはこの学校に住み着いているのではない。自分を監視するためにいるのだと。
自意識過剰だと自分の考えを一蹴していたが、バケモノは明らかに彼のいる所に現れる。特に一人の時は。
(……あと五日)
体育館の扉を施錠し終えた佳は、残りのタイムリミットを頭の中で何度も咀嚼しながら小走りに職員室へと向かった。
現在時刻十六時二十分
「なぁ佳、今日部活ないから久し振りにゲーセン行かね?」
掃除が終わり席に戻ってきた佳は、開口一番に拓哉にそう告げられた。
「……悪い、今日は用事があるから行けそうにないや」
歯切れの悪い返答をしてしまったのは、佳が用事を放り出して拓哉とゲームセンターに行ってしまいたいと思ったからだ。しかし、あの場所を早急に調べなくてはバケモノの手掛かりが警察の手に渡ってしまうかもしれない。
「そっか、じゃあ日曜の部活終わりに遊ぼうぜ」
「あぁ、いいよ」
遊びの約束を取り付けていると、ホームルームをする為に佐原先生が教室へと入ってきた。楽しく雑談をしていた生徒達が各自の席へと腰を下ろしていく。
皆が席についたのを確認して、佐原先生はいつもより幾分か低いトーンで話し始めた。
「最近、学校近辺で殺人事件や行方不明者などが増えています、犯人らしき人はまだ捕まっていないそうなので皆さん気をつけてください、帰る時は出来る限り大人数で、寄り道などせずに帰宅するようにしてください」
「まじかよー」
寄り道する気満々だった拓哉は残念そうに感嘆の声を上げた。それに釣られたのか、他の生徒達も口々に発言しだした。残念がる者や、我関せずな表情で無関心な者。
皆が放課後の予定の話題を焦点にしている中で、佳だけは『殺人』という言葉に敏感に反応していた。
冷や汗が頬を滴り落ち、自然と掌に力がこもる。
(今更怖がってどうする、もう決めたことだろ)
そう自分に強く言い聞かせる。だが、彼の心が落ち着く前にホームルームの終わりを告げる佐原先生の声が聞こえてきた。
いつもより早くなった心臓の鼓動と先生の声が、まるで不協和音のように彼の頭の中に響き渡った。
現在時刻十六時四十分
ホームルームが終わり、真面目な生徒達は殆どが真っ直ぐ家に帰っただろう。しかし、佳はいつも利用しているバスを使わず徒歩であの場所へ向かっていた。
心臓の鼓動はまだ治まらないが彼は歩みを止めるつもりはなかった。会社帰りのサラリーマンや主婦、学生でごった返す商店街に背を向け対照的に人の気配が全く感じられない路地裏へと彼は足を踏み入れた。
太陽の光が届いていない細道を、スマホのライトを頼りに進んでいく。かなり入り組んだ路地裏だが、彼は迷うことなく目的の場所まで辿り着いた。
「何もない……か」
少し開けたその場所を、彼は隅から隅まで見渡した。しかし、そこには女性の死体は疎か、血痕一つ残っていなかった。
それだけではない。ここに来る道中、彼が襲われた時に破壊されボロボロになった筈の壁や地面が元に戻っていたのだ。
「はぁ……何もかも元通りになってやがる、こりゃ警察も見つけられない訳だ」
全身から力が抜け、佳は壁にもたれ掛かるようにして座り込んだ。彼はスマホの画面で時間と日付を確認する。
「明日に賭けるしかないな、何かの手掛かりになれば良いけど……」
未だにネットで知り合った顔も知らない人物と会うのには抵抗があるが、彼にはこの路地裏に一人で来るより気持ち的に幾分かマシに感じられた。それに、相手が嘘をついているのかどうかは拓哉に試したように写真を見せて確かめれば良いだけのことだ。
家に帰るため立ち上がろうとした佳は、壁際に設置された換気扇の裏に何かが落ちているのに気がついた。スマホのライトで手元を照らしながら、恐る恐る手を伸ばしそれを掴み取る。伸ばした手をゆっくり引き戻す。
黒い塊がこびり付いたそれは行方不明になっている、つまり彼がこの路地裏で見た女性の運転免許証だった。
彼は躊躇いつつも、運転免許証を鞄の中に仕舞い込んだ。何か手掛かりになるのではないかと信じて。
現在時刻十七時二十分
佳は一旦学校付近のバス停まで戻り、家に帰って来た。
「ただいまー」
「お帰り」
開けっぱなしのリビングの扉の向こうから、万尋の小さな声が聞こえた。この時間だと、まだ両親は帰って来ていない。
万尋はソファーで横になって一人テレビを見ていた。
「ねぇ、兄者」
怠けている妹を横目に佳は自室へと向かおうとしたが、声をかけられ足を止めた。
「ん? どうした」
「今日は部活なかった筈だよね……先生も寄り道しないようにって言ってたのにどこ行ってたの?」
ソファーの背中から顔だけを覗かせた彼女は無表情ではあったが、疑いの目を向けられていると彼は感じた。
「いや、実は……」
うちの妹は少し頑固なところがあり、一度疑いだすといくら弁解してもキリがない。しかし今回は、想定していた出来事だったので事前に対策方法は考えておいた。
佳はソファーまで近づき、手に持っていた小さな袋を万尋の眼前に突き出した。
「万尋の入学祝いのプレゼント受け取りに行ってたら遅くなった」
勿論、嘘だ。徒歩五分程度にあるコンビニでつい先程受け取って来たのだ。だが、段ボールから出してしまえばそれも分からない。
「そう……危ないから今日じゃなくても良かったのに」
袋を受け取った万尋は嬉しそうだったが、申し訳なさそうにポツリと呟いた。
「出来るだけ早く渡したかったからさ」
これは本心だ。当日に渡せず悔やんでいた位だ。
「ありがとう」
万尋のその一言で疲弊していた心が少しばかり癒されていき、自然と笑みが溢れる。
「……あぁ」
たった一言そう呟き、嬉しそうに袋を開ける妹に背中を向け、自室へ戻る。
明日、午後十二時に最寄り駅から二十分の駅前にあるカフェで待ち合わせ。所詮ネットだ。相手の『バケモノを見た』という主張が嘘である可能性は十分にある。
今のうちに色々と対策を練っておこうと、佳は机に向かう。そんな彼の顔からは、先程までの表情は無くなっていた。




