大狼と人狼
薄暗い視界の中で確実に互いを視認し、刃を交える佳と人狼。以前と違い、拮抗している戦いの状況で先に優位に立ったのは佳であった。
人狼に負けず劣らずのスピードで刀を振るい、距離を取ろうとする人狼の行く手を銃で阻み、攻撃されれば肘や足でのカウンター。僅かな掠り傷程度の佳とは裏腹に、既に人狼は全身が傷だらけだった。
「……」
そんな痛々しい奴の姿を見ても一切躊躇することもなく、佳は止めを刺すため、人狼へにじり寄る。しかし、奴も無抵抗でやられる筈もなく、自分自身の左腕を引きちぎり血飛沫を撒き散らす。咄嗟に両腕で守りの姿勢をとった佳の横を、人狼は攻撃することなくすり抜けていった。
「待て!」
佳はすかさず追いかける。何かを目指すよう一直線に部屋を駆け抜ける人狼は、先程の死体が積み上げられている部屋に入り、そのまま死体の山へと突っ込んだ。その衝撃により、いくつかの死体が転げ落ち、床に打ち付けられて鈍い音をたてる。
人一人分くらいの奴の身体が佳の視界から消える。人狼の奇行に彼が動揺していると、死体の山の一番高いところから人狼が姿を現した。それと同時に何本もの人間の骨と思われるものが軽快な音をたて、転がり落ちる。
死体の山から這い出てきた奴の身体には先ほどまで身体を覆っていた筈の無数の傷が一切見られなかった。それだけでなく切り落とした筈の腕が再び生えている。
「あぁ……そういう事か、人間の肉で再生してるんだな」
佳は刀を構え、再び戦闘態勢に入る。しかし、人狼はその場から動くことなく、次の瞬間、とてつもない声量で遠吠えをした。空気が揺れるほどの声に耳を塞ぐ。
声が収まった次の瞬間、彼の鼻腔に更なる腐臭が舞い込んできた。
「!?」
臭いのする方を向いた彼は、その方向から恐ろしいスピードで接近してくる何かの正体を察した。
崩壊する壁と天井の轟音と共に大狼が姿を現した。この小さな部屋に収まりきらない大きな体躯に大量に貼り付いていた目玉が佳を見下ろしている。大きく建物が揺れ、片膝をついた彼は大狼を見上げながら低い声で呟く。
「大狼……」
佳は自分の頭に血が上っていくのを明確に感じとった。眉間に皺がより、額には青筋が浮かび上がっている。歯を食いしばりながらも鋭い視線だけは大狼から外さない。
二対一のこの状況、感情任せに動くのは得策ではないと思った彼は、刀を構え、相手の出方を待つことにした。
大狼は身体を佳の方へ向けるなり、壁や天井を破壊しながら人狼を遥かに上回るスピードで迫ってきた。大狼の鋭い爪が彼の左頬を掠める。次いで人狼が下から左腕を振り上げ、佳に攻撃の隙を与えない。
刀で攻撃を防いだ佳は、背後に飛び退き反撃を試みる。が、既に頭上から彼の身体を覆う程の大狼の掌が迫っていた。咄嗟に刀でガードしたが大狼の攻撃は彼が想像した以上に強く、押し潰されそうになる。
地面は彼を中心とし、かなりの範囲でヒビ割れた。
「くっ! あああぁぁぁ!」
全身の力を振り絞り、なんとか押し返した佳だったが刀の刃で受け止めた大狼の掌に刃が通っていないことに気がついた。
(皮膚の薄い所を狙わないとダメだな……)
押されている状況にも関わらず、彼はいたって冷静だった。どう自分の身を守るかではなく、どうすれば奴らを殺せるかだけに注視している。自分でも説明がつけられぬほどに、彼は冷静であった。
二匹の猛攻を既でのところで躱しながら彼は現状の打開策を考える。このまま攻め時を待っていても拉致があかない上に、先に限界が来るのは自分であると佳は自覚していた。そして何より厄介なのは大狼の尻尾だ。自由自在な蛇行をする上に、殺傷力と防御力を同時に兼ね備えている。
(一瞬でもいいからあの二匹を引き離さないと)
頭の中で作戦を組み立てながら、彼はある場所を目指していた。なんとか目的の場所に辿り着いた佳は、先ほど大狼が現れた際に崩壊した壁と天井目掛けて走り出す。そして勢いよく壊れた天井から階上へ向けてジャンプした。背後から大狼の尻尾が迫ってきていたが、ギリギリのところで躱す。
そして、なんとか届いた片手を頼りに身体を持ち上げ、階上へと這い上がる。いくら狭い部屋とはいえ、高さは三メートルほどある。にも関わらず、彼はその高さを悠々と飛躍して見せた。それだけではない。片手だけで身体を持ち上げる様は重力を感じさせないものだった。
階上に上がった佳は刀を鞘に納め、息を潜めた。そして体格からして先に後を追って上がってくるのが人狼であると、彼は予想していた。そして案の定彼の予想は的中し、人狼は跳躍力だけを頼りに階下から上がってくる。それと同時に背後の地面からは聞き覚えのある轟音と共に階下から天井を破壊したと思われる大狼が這い上がってくる。
緊張のあまり佳の額から汗が滴る。しかし、その緊張は二匹のバケモノに挟み撃ちにされた事によるものではなかった。
「人生初のスカイダイビングがこんなんとか嫌だな」
そう言うと覚悟を決めた佳は軽く深呼吸をし、今出せる全速力で人狼へと突撃した。ラグビーのタックルを彷彿とさせる彼の突撃は、自身の身体諸共、人狼をビルの外へと放り出した。
正確な高さは分からないが、彼が目視しえた限り地面までの距離は二十メートルほどある。地面には大狼が壁や天井を壊した時にできたであろう瓦礫が大量に散らばっており、この高さからその上に落ちれば致命傷は免れない。
そんな状況で人狼が抵抗しないはずもなく、一人と一匹は降下しながら取っ組み合いを始めた。佳は上を譲るまいと必死に抵抗する。
なんとか上を死守したまま人狼を下敷きに地面へと打ち付けられた佳だったが、あまりの高さによる反動で再び宙に身体が放り出される。しかし、先程よりも高さが低いこともあり上手く受け身が取れ、僅かな擦り傷を負うだけで済んだ。
落下時に舞い上がった砂埃で視界は完全に遮られてしまった。佳は臭いを頼りに人狼のいる場所まで駆け寄る。
やがて僅かに視界が晴れていく。下敷きとなった人狼は地面に叩きつけられた衝撃と瓦礫の角により身体中の節々があり得ない方向に曲がっていた。まだ微かに息をしている人狼は痛みに唸りながら悶えている。
彼はそんな人狼を見下ろしながら、ゆっくりと銃を構える。そして、頭部と心臓部に向けて二発ずつ躊躇いなく発砲した。悶えていた人狼は徐々に動かなくなっていく。佳はそれをただ静かに見守っていた。
彼の心はスッキリすることも、落ち着くこともなく、ただ怒りと虚しさだけに包まれていた。
(これでいい……これでバケモノの被害も多少は抑えられる、俺の記憶もきっと……)
「きっと……」
そう彼が口にした瞬間、右側から砂埃を掻き分けて大狼の掌が迫ってきた。不意を突かれた佳は回避する間も無く、大狼の攻撃をモロに受けてしまう。その拍子に握っていた銃が彼の手から離れる。
勢いよく吹き飛ばされた佳は何度か地面を跳ねたのちに廃墟の壁に背中から叩きつけられる。
「がはっ……!!!」
地面に崩れ落ちた佳は血反吐を吐きながらも立ち上がろうと両手を地につけようとする。しかし、バランスが上手く取れずに再度地面に崩れ落ちる。そこで彼は初めて自分の右腕が千切れかけている事に気がついた。肘と肩の関節あたりの肉が裂け、大量の血が流れる中、僅かに筋繊維と骨が見えている。動かす度に激痛が走る。それでも右腕を抑えながらなんとか立ち上がった彼の目に信じ難い光景が映った。
「なに……やってんだ……」
そこにはまるで我が子に寄り添う親のように、大狼が既に動かなくなった人狼を介抱していた。人狼が事切れている事に気がついた大狼はその大きな口から悲愴に満ちた呻き声を上げる。
まるで大切な人を失ったかのような声に彼は動揺して、その場を動けずにいた。不快なはずの声に同情してしまいそうになっている自分に対して更なる不快感を感じでいるはずなのに、それにすらも同情している自分自身がいる。この無限ループがどうしようもなく彼を動揺させていた。
「クソ……お前らのことを考えると本当に気分が悪くなる」
頭によぎる雑念を振り払い、彼は鞘から刀を抜いた。使い物にならなくなった右腕をブラリとさせながら相手を仕留める事だけに集中した。
殺気を感じ取ったのか、大狼は今までで一番の雄叫びを上げ、佳に対して威嚇する。彼は威嚇に怯む事なく駆け出し、相手との距離を詰める。対する大狼は地面の瓦礫の山を大きな掌で掬い上げ、佳に向けて投げつける。
瓦礫が更に細かくなり、石飛礫となり佳に迫り来る。身を翻し、刀で防御し、多少の傷を顧みずに彼は石飛礫を躱しながら前へと進む。
眼前まで迫る彼に対し、大狼は拳をなぎ払う。それを全力の跳躍で躱した佳は、巨大な体躯をした大狼をゆうに越えていく。後を追うようにして大狼が、上空に舞い上がった彼の姿を見上げる。
左手に握った刀を逆手にし、そのまま全体重を乗せて大狼の頭部目掛けて刀を突き落とす。しかし、刀身は三分の一ほどしか刺さらず致命傷には至らなかった。痛みに悶え、暴れ出す大狼の頭部から振り下ろされないように佳は刀を掴み踏ん張る。しかし、右腕に上手く力が入らず振り落とされてしまう。それと同時に大狼に刺さった刀がパキッと音を立てて折れた。使い方が乱暴だったのだろうか、既に刀の刀身はボロボロだ。
「がっ……!」
地面に叩きつけられた佳は全身の痛みに耐えながらも立ち上がろうとする。が、無茶をしすぎたのだろう。彼の身体は刀同様すでにボロボロだった。彼自身の身体が彼の言うことを聞かなくなっている。
「くっ……そ……」
それでも必死に立ち上がろうとする佳。やっとの思いで顔を上げた彼の視線の先には、人狼に寄り添う大狼の姿があった。その姿は儚く、今にも消えてしまいそうな気がした。
佳は、これ以上彼らを傷つけることに躊躇いを感じ始めていた。しかし、奴らは獣だ。野放しにすればまた多くの人の命を奪うかもしれない。
なんとか膝立ちの状態まで起き上がり、手元に残ったナイフを手にする。大狼がこちらに意識を向けていないうちに足に力を入れた次の瞬間、先ほどまで哀愁漂っていた大狼が血相を変え人狼を喰らい出した。
そのまま人狼を跡形もなく喰らい尽くした大狼は、まるで何者かに操られているような足取りでその場を去って行く。しばらく唖然としたままその光景を見ていた佳の右半身を太陽の光が照らす。どうやらビル群の間から太陽が顔を出したようだ。ヒリヒリと右腕に走る痛みを感じながら、彼はその場から動けずにいた。
いきなりの事に混乱していた頭が徐々に平静を取り戻していく。先程までの出来事を整理しながら彼は画面がズタズタになったスマホから通話をかける。すると、少し遠くの方から着信音が聞こえてきた。佳が音のする方へと顔を向けると、そこには麗華と芳賀の姿があった。
「あ、麗華さんに芳賀さんじゃないですか、今電話しようと思ってたんですよ」
佳の声には張りがなく、僅かな物音にすらかき消されてしまうほどか細くなっている。
そんな彼の声に反応する事なく、二人は近づいてくる。
「やっぱり止めるべきだった……」
静まり返ったこの廃墟地帯に麗華の悲しみと後悔の入り混じった声を遮るものは何もない。にも関わらず、佳には彼女の声が聞こえていなかった。
無理もないだろう。戦いによる疲労と脱力感、多量の出血に朦朧とする意識。既に彼が瀕死であることは一目瞭然だった。
「芳賀さんは車をお願いします」
「あぁ」
そう言うと芳賀は踵を返し、軽く駆け出した。
「やりましたよ、人狼だけ……です…………が……」
「……ッ」
とうとう力尽きてしまい倒れそうになる彼を、麗華が支える。そして自分よりも体格のある佳を背中に背負い、芳賀の向かった方角へ歩き出す。
「悠一さんの言っていた通り、貴方は他者の為にこんなになるまで無理をするんですね……」
独り言のように呟いた彼女の声は静まり返った廃墟に




