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聖女の傀儡  作者: K
13/18

覚悟

「随分と早い登校だな、朝練に参加するって訳でもねぇのによぉ」


 目付きだけでなく口調があからさまに喧嘩腰の拓哉が左手をポケットに入れた状態で仁王立ちをしている。

 佳に対して彼がこのような態度を取るのは珍しい。少なくとも佳の記憶では過去に一度、中学二年の時だけだ。


「ま、まあな……悪いけど急用ができたんだ、一限は欠席するって佐原先生に伝えといてくれないか?」


 過去の記憶を頼りにするならば、今の拓哉は誰にも止められない。なので佳は逃げるようにしてこの場を立ち去ろうと試みた。しかし案の定、拓哉の右手に胸ぐらを捕まれ動きを止められる。


「……万尋ちゃんから聞いたぞ、昨日どこにいた?」


 その質問に佳はなぜ彼が怒っているのかを何となく理解した。

 本当のことを話せば拓哉は納得はせずとも、怒りは収めてくれるだろう。だが、話せば行動を共にすると彼は言い張るだろう。そうなると昨夜の麗華の様に狙われるかもしれない。それはできるだけ避けたかった。だから、佳はまた嘘を重ねることを選んだ。


「知り合いの家に泊まってたんだよ」


「家族に連絡も入れずにか?」


「急に決まったことだったからな、それに山奥で連絡入れられなかったんだよ」


 重苦しい静寂が漂い互いに睨み合う中、先に動きを見せたのは拓哉だった。


「チッ、そうかよ」


 不服そうにしながらも、佳の胸ぐらから手を離す。


「紗七のこと忘れた訳じゃないだろ? 家族まで傷つける様なことするなよ」


 捨て台詞を吐いた拓哉は教室への中に姿を消していく。それを認めることも無く、佳は駆け足でその場を後にした。




 目的地に着いた電車を降り、見慣れた改札口を通る。未希に送ってもらった地図を頼りに、悠一の務めている会社に向けて駆け出す。

 佳は焦っていた。電車内でいくら悠一にメッセージを送っても既読すらつかない。更には目的地に近づくにつれて嫌な匂いが濃くなっていくのを感じ取り、嫌な予感が彼の脳裏をよぎる。


(バケモノの臭いだ……近くにいる)


 鼻がよじれる程の悪臭が気になるものの、今は悠一の元へと急ぐ。

 平日の朝方ということもあり、高層ビルが建ち並ぶここら一帯は人に溢れかえっていた。社会人に高校生、男に女、様々な匂いが入り交じるこの状況下で、悠一の匂いを嗅ぎ分けるのは今の佳でも至難の技である。

 やがて人波を抜け、道幅に余裕が生まれるくらいには人数が減っている通りを走っていた佳は不意に足を止める。彼の鼻が的確に悠一の痕跡を捉えたのだ。それだけではなく、何度も嗅いだ覚えのある不快な臭いに思わず顔を顰める。

 地図に示された目的地とは正反対にも関わらず、嗅覚に頼り臭いのする方へと駆け出す。

 脳裏によぎる最悪の事態を振りほどくかのように、彼はガムシャラに走った。気がつけば周りにはほとんど人影が見当たらなくなっており、日の当たらぬ路地裏へと迷い込んでいた。

 臭いがすぐそこまで近づいている。佳は躊躇うことも忘れてノンストップで角を曲がる。ぶつかりそうになる壁を手で押し退け、崩れ落ちそうになる膝に力を入れ踏ん張る。

 無意識に足元に向けてしまった視線をゆっくり真正面に戻すと、数メートル先に血を流し倒れている悠一が横たわっていた。

 頭が真っ白になり立ち尽くす佳だったが、彼が倒れているすぐ横に佇む大きな黒い陰を認め、真っ白になっていた頭に血が上り充満する。

 全身に力を入れた佳は気がつけば走り出していた。

 大狼もこちらの接近に気が付いたようだが、何故だか何をするでもなくその場から逃げ去っていく。バケモノがいなくなり怒りが行き場を失い心の中に停頓する。

 倒れる悠一の側まで駆け寄り、地面に両膝をついて震えた声で精一杯に呼びかける。


「悠一さん……いったい何があったんですか、悠一さん!」


 右手は肩、左手は悠一の左手首に脈を確かめるように手を添える。出血が多すぎるのか、既に脈が風前の灯火だ。

 佳の訴えが届いたのか、瀕死の悠一の意識が戻る。


「佳……くん……」


 朦朧とした意識の中、彼は何か伝えようとしている。ゆっくりと上げられた右手を掴もうとした佳だったが、一瞬頭の中に何かがフラッシュバックする。それが彼の動きを静止させた。

 瓦礫の下敷きになり血を流し倒れ込む成人男性の姿、悠一ではない他の誰か。なぜか涙が溢れ出てきて止まらない。


(今のは……誰だ?)


 幾ら思い出そうと記憶を漁っても、一切の手掛かりが見つからない。

 涙を流し呆然としている彼に、悠一が僅かな余力で言葉を絞り出した。


「佳くん……やっぱり君は凄いね……バケモノは……二匹で行動してたよ」


 二匹。以前に懸念していたがやはり凛央を襲ったのも大狼と人狼の二匹なのだろう。しかし、今の佳には頭の中に内容が上手く入ってくるほど正常な精神状態ではなかった。

 謎のフラッシュバックにより心がズタズタにされた感覚に陥っていた彼は、ただ悠一の声に耳を傾けることしか出来ずにいる。


「最後にお願いが……あるんだ……」


「最後なんて……そんな冗談やめてください」


 周りに死が訪れることは覚悟していた筈なのに、抗いようのない現実を受け入れられない佳は頼りない涙声で彼を咎める。


「……娘を、家族を守って欲しい」


 最後にそう言い残し、眼前まで迫っていた悠一の右手は力なく地面に崩れ落ちてゆく。地に着く前に掬い上げた佳だったが、冷え切った掌に愕然とする。


「大丈夫ですよ……バケモノなんて……全部幻覚ですよ、悠一さんの傷だって目が覚めればきっと元通りですよ……二度も死にかけた俺が言うですよ……だから大丈夫ですよ……大丈夫……ですから」


「……」


 バケモノが幻覚でないとは言い切れない。自分だって何度か死にかけたが目覚めれば無傷だった。だから悠一も大丈夫だと、彼は今本気でそう思っていた。

 ポケットから滑り落ち、ヒビ割れたスマホから着信が鳴り響いている事にも気が付かず。既に悠一の脈が止まっているという真実から目を背けながら。




 四月十三日土曜日

 車道を跨いだ向こう側に建てられている葬儀屋を眺めながら佳は膝くらいの高さまで積まれた小さな花畑のレンガの上に一人座っていた。

 すっかり日は暮れ、葬儀屋以外は静まり返り僅かに設置された外灯だけがまばらに世界を照らしている。まるで世界の中心と言わんばかりに強い光を放っている葬儀屋で今、悠一の葬儀が執り行われていた。

 今までのバケモノ、というより大狼と人狼の傾向として被害者の殺害自体が本質的な目的ではないと彼は感じていた。

 あくまで憶測だが、捕食のためであろう。必要最低限の食事をできるだけ目立たぬように刈り取る。でなければ被害者や目撃者も二桁にとどまることなどなかっただろう。しかし、一つ疑問が残るとすれば凛央の件だ。何故あそこまで固執するように追いかけていたのか。なにか奴ら独自の選別の仕方があるのか、理由は定かではない。

 それを踏まえた上でも、亡くなった悠一にすらまた被害を加える可能性を考慮し、近くで見張っていたのだ。というのは本来の目的ではなく、本当は彼の最期を見届けようと思いきたものの、部外者である上に彼の家族に合わせる顔がなくこうして外で一人居座っている。


(何やってんだ……俺)


 佳は俯き掌を見つめながら自虐を始めた。


「勝手に巻き込んだ挙句、自分だけ無傷で皆には大丈夫なんてほざきやがる」


 自分自身に対する怒りが収まらず、血管が浮き出るほど強い力で拳を握る。鼻先もツンとして痛い。


「約束しただろ……()()()()()って」


 言い聞かせるようにして放った言葉に佳は自分で言ったにも関わらず違和感がある。そう感じていると急に全身の力が抜け、握っていた拳も脱力していく。


(……誰を守るんだっけ?)


 そこで佳は自分の記憶があやふやになっていることにようやく気がついた。

 片手で頭を抱えるが脳は追憶を許さなかった。僅かな痛みに嫌気がさした彼は鼻腔にたまる鼻水を一気にすする。ズズズっと鈍い音を鳴らす鼻が周りの匂いも共に吸い込む。

 その中に目の前から近づいてくる人の匂いがし、ずっと俯いていた顔を咄嗟に上げた。


「わっ! びっくりした……」


 気づかぬうちに佳の眼前まで未希が迫っていた。目元を腫らした彼女は少し憔悴しており、声に張りが感じられない。

 佳には彼女が何故ここにいるのかが分からなかった。


「ど、どうしてこんな所に」


「……一人になりたくて」


 会話が続かない。気まずい雰囲気の中で彼が次に発した言葉は謝罪ではなく質問だった。


「俺はどうすればいいと思う? 」


 顔だけは未希に向けているものの、視線は虚空を見つめている。無表情で見つめ返してくる彼女を機にも溜める事なく、佳は更に続けた。


「バケモノ共に対抗すべきか、これ以上誰も巻き込まないために慎ましく生きていくべきか、それとも……」


 そこで言葉を言い淀む。

 言いかけた直後、尚も無表情で見つめてきていた未希は一拍置いて深呼吸をし、力ない声で語り始める。


「麗華さんから詳細は伺いました、どういう経緯で父と知り合ったのかも、バケモノがどういった存在かも」


 淡々と話す彼女はまるで小学生には見えない。自分よりも強く、そして前を見据えているように佳には感じられた。


「父が一度だけ貴方のことを私に語ってくれました、その時の父はとても楽しそうでした、自分より周りを見ていて先のことも見据えているって」


 当時を想起したのか未希の声は僅かに震えていたが、すぐにキリッとした声色になる。


「偉そうなこと言うかもしれませんが、何をすべきかは貴方自身が一番よく分かっているんじゃないですか?」


 澄んだ瞳が佳を見据える。彼女の確信にも近い疑念が、彼が真実に向き合うための原動力となったのだろう。


『……娘を、家族を守って欲しい』


 頭の中で彼の最後の言葉を反芻する。佳は自分の両手に視線を落とす。そして今の自分にできる最大限のことを考えた。

 覚悟を決めた佳は両手を力強く握りしめ、視線を未希へと向ける。


「そうだな、ありがとう未希ちゃ……!」


 急に鼻腔に入り込んできたこの汚臭。忘れもしない背後からの強烈な臭いに冷や汗が止まらない。

 背後の確認すらせず、佳はすかさず後ろに隠すように未希を守る体勢を取った。

 目の前にはよだれを垂らした人狼が立っていた。あからさまで隠す気のない殺意、その矛先は佳ではなく未希に向けられている。

 まさかと佳は嫌な予感がした。そしてその予感は見事に的中した。


「な、なん……ですか……この生き物」


 背後では得体の知れない生物を目の当たりにした未希が小動物のように怯えている。

 麗華の時と同じく、突然だった。なんの前触れもなくバケモノが視認できるようになった。しかし、佳は一つの共通点を見つけた。麗華も未希も奴らから強い殺意を向けられたということ。

 分かったところで今はどうしようもない。そう結論付けた彼は威圧するように視線を細める。


「? ……何してんだあいつ」


 てっきり未希に襲い掛かるとばかり思っていた人狼は手に持っていた何かを地面へと放り投げる。そしてそのまま闇の中へと姿を消していった。


「未希ちゃん、離れるなよ」


 そう言うと未希は彼の佳の背中にしがみつく。

 臭いで既に人狼が近くにいないことは分かるが、警戒を怠ることは出来ない。恐る恐る奴のいた場所に近づくと、そこにはなくしていたはずの佳のスマホが無造作に置かれていた。


「わざわざ届けにきたってことか……?」


 前にも鞄を家に届けられたことを思い出し、佳は眉を顰める。奴らの目的が理解できなかったが、彼の意思が揺らぐことはない。

 更なる犠牲者が出てしまう前に佳は行動をとる。ヒビ割れたスマホを手に取り、ある人物に連絡を入れた。

 数回の呼び出し音の後、スマホ越しに聞き慣れた女性の声が響き渡る。


『こんな時間にどうしたんですか、佳』


「麗華さん……少し力を貸して欲しいのですが、お時間いただいてもいいですかね?」


『構いませんが、何をするつもりなんですか?』


 佳は軽く深呼吸をし、三度(みたび)、覚悟を決める。


「悠一さんの娘の未希ちゃんの護衛を任せたいんです、それと……大狼と人狼を俺一人で倒します……いや、殺します」


 その声からは、先ほどまでの弱々しさは消えていた。

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