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聖女の傀儡  作者: K
11/18

討伐作戦 後編

 今彼女は何と言った。こちらに迫ってきているあの狼が見えたと言っているのか。だとしても何故このタイミングで、何の拍子で見えるようになったのか。

 考えるほどに頭の中が絡まった糸屑のようにぐしゃぐしゃになっていく。


(考えてる場合じゃない! 兎に角ここから逃げないと……)


 頭を振り、(まと)わり付く疑念を一度振り払う。それと同時に麗華が肩に置かれた佳の手を振り解き、なんと手に持った銃の照準を迫り来る大狼に合わせたのだ。


「鳴神!?」


 芳賀の呼び掛けにも答える様子はなく、麗華の口からは再度、言葉がこぼれる。


「あいつが、凛央を……!」


 嗚咽を噛み殺したようなその声に佳は心を締め付けられる。かけるべき言葉が見つからず、彼女の指先が銃の引き金を引くのをただ呆然と見つめることしかできなかった。

 銃撃音が再び真夜中の森林に鳴り響く。しかし、先ほど芳賀が銃撃した時とは打って変わって、音は大狼の悲痛な叫び声によってかき消された。

 弾丸が奴に命中したのだ。被弾した箇所からは血が滴り落ちている。

 大狼は突進をやめて木の陰に身を隠す。


「ッ! 今のうちに行きますよ」


 我に帰った佳は強引に麗華の腕を引っ張り踵を返す。彼女の細い腕は外気に触れ冷えており、そして僅かに震えていた。

 やがて森林を抜け開けた場所へ出た三人。乱れる呼吸を必死に落ち着かせ、佳は狼が自分たちを追ってきているか確認のために来た道を振り返る。

 目に映る範囲には大狼の姿は見えない。しかし、奴が確実にこちらに迫り来ていることを佳だけが知覚していた。


(ゆっくりとだけど血の匂いが段々と濃くなってきてる、近づいてきてんな……)


 この時、彼の頭の中では多くの疑問が飛び交っていた。妙に自分の鼻が利くことや、麗華が唐突に大狼を視認出来たこと。

 彼は長考しそうな案件を後回しにして、現在進行形で目の前で起こるであろう問題である『大狼をどう迎え撃つべきか』ということだけを注視する。

 地面にへたり込んだ麗華とそれに付き添う芳賀を横目に佳は一人森林の方向へ足を運ぶ。

 ある程度二人から距離を取った佳は通信機で()()に向け話しかける。


「バケモノは俺が相手しますんで、見てて弱点とか何でもいいんで分かったら通信機越しに教えてください」


『待って佳くん! 一人は危険すぎる』


 至って冷静な佳に対してあからさま慌てた声色で悠一が静止を促す。だが佳は彼の意見を意に介さず、反論する。


「麗華さんは精神的にやられてるご様子ですし、芳賀さんの攻撃が奴に当たらないのは悠一さんも見てましたよね? だったら俺がやるしかないじゃないですか、バケモノも俺たちを逃す気はないみたいですしね」


 その言葉の終わりを合図にしたかのように森林から大狼が姿を現した。

 佳はすぐさま銃を構え、間髪入れずに発砲する。軌道は僅かにずれ大狼の身体を掠めるだけで致命傷にはならない。しかし、この銃撃がわずか二十分の短くも壮絶な生死を賭けた戦いの狼煙となった。


「こっからが本番だ、来いよ大狼!」


 不思議と恐怖は感じなかった。この場に偏在しているのは、お互いに向け合った殺意だけであった。




「そろそろ起きなよ……目覚まし時計が無いと起きれないのは相変わらずだな」


 佳の頭の中に声が響く。優しくて落ち着く、とても聞き覚えのある声色だ。

 聞き覚えがあるはずの声なのに何処か違和感を感じるのは何故だろう。彼はまるで耳を塞いで自分で喋っているような妙な感覚に陥っていた。

 結局、声の主が誰かは分からないまま佳は深い眠りから目覚めた。




(何処だここ?)


 ベッドで目を覚ました佳は身体を起こし見覚えのない部屋に困惑する。

 部屋は暗く、カーテンから差し込む微かな光が部屋の陰鬱さを増している。更に彼の警戒心に拍車をかけるように身体中には至る所に包帯が巻かれていた。

 流石の彼もこれには動揺した。見知らぬ部屋に包帯でぐるぐる巻きにされ寝かされているのだから、自分がまともな状態でないと思うのが妥当だろう。

 とにかく場所の把握も含め、この重苦しい空間を少しでも和らげるために窓を開けて換気しようと立ち上がろうとした佳は、思った以上に足の力が入らず何も無い所で躓いてしまう。


「くそっ、身体が思うように動かない」


 愚痴をこぼしながらもなんとか立ち上がりカーテンへと手を伸ばす。真っ暗な部屋全体を陽の光が明るく照らす。太陽の位置や空の色を見るに、今は早朝だろうか。


(眩しい……)


 雲一つない晴天という事もあり日の光がとても強く、その強さに耐えられなくなった佳は右手で光を遮る。その時、ふと右腕に巻かれた包帯に目を向けた。

 先程までは視界が悪く気がつかなかったが、包帯に紛れて一頭の白い蝶々が止まっていた。

 白い蝶は腕から離れ窓から元気よく羽ばたいて行く。それをボンヤリと眺めていた彼は背後で何かが割れる音が聞こえて咄嗟に振り返る。そこには驚愕の表情を浮かべながらこちらを見つめている良子の姿があった。

 彼女の足元には先程まで持っていたであろう食器が粉々になって散乱している。


「け、佳さん!? 傷口が開いたらどうするんですか! 早くベッドに戻ってください」


 焦った様子でこちらに詰め寄ってきた良子は彼の身体を強引にベッドに座らせる。


「全身傷だらけで右腕と両足が骨折してるんですから暫くは安静にして……ってなんで立って……あれ?」


 傷口の確認をしていた良子は昨夜まで全身にあったはずの彼の外傷が一つも見当たらないうえに、骨折した筈の手足をなに不自由なく動かしている彼の姿を見て当惑する。

 彼が立ち上がっていたことも今更になって気が付いたようだ。


「そんな……全治六ヶ月以上は確実にかかるほど重傷だったのに、たった一夜でほぼ完治してるなんて……」


「すみません、何があったか教えてくれませんか?」


 怪我の後遺症か記憶が曖昧な佳は自分の身に一体なにが起こったのか尋ねる。

 躊躇いながらも良子は昨夜起こった一連の出来事を語り始めた。


「貴方は私と悠一さんを守ろうとして、大狼に殺されかけたんです」




 胴体に銃弾を喰らっているにも関わらず、物凄いスピードで迫る大狼に佳はマガジンを取り替える時間も惜しく、今持つ銃を捨てハンドガンで応戦する。

 初心者とはいえ的が巨大なだけによっぽど距離がなければ外す事はない。しかし、弾丸は全て避けられてしまった。


(動きが早すぎて弾が当たらない!)


 リロードをしている隙に大狼は既に彼の眼前まで迫っていた。だが、大狼は佳を攻撃する事なく凄い勢いで素通りする。佳は瞬時に振り返る。

 焦りのあまり気温が低いにも関わらず、額からは数滴の汗が滲んでくる。大狼が向ける殺意と視線は佳でも芳賀でもなく麗華に向けられていた。


「やばい!」


 佳は咄嗟に持っていた折り畳みナイフを取り出し、全身の力を使って大狼目掛けて投げつける。

 命中したか確認する暇もなく、佳は大声で二人に警告する。


「逃げてください! そいつの狙いは麗華さんだ!」


 理由は分からない、だが大狼の殺意が今この場で麗華だけに向けられているのは確かだ。もしかしたら麗華が奴を視認できるようになった事と何かしら関係があるのかもしれない。


(考えるのは後だ、今は麗華さんをどうにかしないと)


 幸い、投げつけたナイフは大狼の足に突き刺さっており奴の速度は急激に落ちている。

 大狼が蛇のような尻尾でナイフを抜こうとしている隙に佳は二人の元まで駆け寄る。


「芳賀さん、俺が時間を稼ぐので麗華さんを安全な場所までお願いします」


 芳賀が出来る限り早く運べるように麗華の装備を剥ぎ取る。

 彼の気迫に押されたのか、芳賀は無言のまま頷く。


「待って、私も戦うわ……凛央の……仇をとらないと」


 装備を取られまいと必死の抵抗をみせる麗華に、佳は優しい声で言った。


「貴方は強い、でも優しすぎる……」


 佳は彼女が肉塊になってしまった人を見た時も、大狼に向け銃を放った時すらも、今にも涙を流しそうなほど悲しそうな表情をしていた事を忘れることはないだろう。

 普段は冷静沈着で強気なのに、バケモノにすら哀れみを感じずにいられない彼女の優しさに佳は居た堪れなさを感じずにはいられなかった。今も彼女の悲しみに満ちた表情に目を合わせられない。

 きっとこの人には敵討ちはできない。して欲しくないという彼の私欲もあったかも知れないが、兎にも角にも彼女をこの場から遠ざけるべきだと判断した。

 麗華から銃を取り上げた佳は二人に背を向け大狼を睨みつける。


「あとはお願いします」


 この言葉を合図に佳と芳賀は互いに反対方向へと駆けていった。

 芳賀に担がれた麗華が何か呟いたような気がしたが、離れた佳の耳には届かなかった。

 既にナイフを抜き取っていた大狼は佳ではなく麗華の方に視線を向けている。


「おいおい、お前の相手は俺だぞ」


 声をかけた所で奴の標的は変わることはないが、多少意識をこちらに誘導することが出来た。

 先程に比べてかなり足取りが鈍くなっている大狼の足元目掛けて躊躇なく発砲する。しかし、足に怪我を負った状態でやっと目で追えるほどの素早さだ。そう簡単に攻撃は当たらない。


(危険だけど距離詰めないとな……)


 近づこうと彼が足を踏み出すのと同時に、大狼も踏み出した。怪我を負っているとは思えないほどの速さでこちらに迫り来る。その突進を躱す事は容易であったが、麗華たちを追わせない為に佳は後方に跳ぶようにして転がり再度奴の足元に照準を合わせる。

 今ここで奴を倒すつもりは無い。できるだけあの二人と大狼の距離を離さなくては。

 銃弾に僅かに怯んだ大狼だったが、すぐさま追撃を始める。行かせまいと佳も負けじと応戦する。再び弾丸を大狼の足元に撃ち込む。だが、奴は怯むことなく佳の頭上を飛び越えて行った。


「まじかよ!」


 動揺を隠せずつい口に出してしまった佳だったが、すかさず頭上の大狼を銃で撃ち抜く。見事に銃弾は奴の腹を撃ち抜き、そのまま佳の後方で倒れ伏した。想像以上のクリティカルヒットだったのか大狼が起き上がる様子はない。

 佳はようやく自分の呼吸が荒くなっていた事に気が付き、軽く深呼吸をする。そして息を整えた彼はマガジンを交換し、大狼の心臓を狙う。

 躊躇いはなかった。しかし、彼の指が引き金を引く前に大狼の蛇のような尻尾が彼を襲った。


「ぐっ……!」


 右側から薙ぐようにして放たれた奴の攻撃を何とか右腕で防いだ佳だったが、あまりの威力に右腕の骨は砕け身体は軽々と吹き飛ばされた。


『佳くん! やっぱり僕も加勢する、すぐそっちに行くから!』


「大丈夫……です! 悠一さんは小屋にいて下さい、麗華さんが戻った時に奴を視認できる人は貴方以外にいない、誰が彼女を守るんですか……ごほっ!」


 吹き飛ばされた衝撃で体内の何処かが傷ついたのか、通信機越しに大声を出した彼は吐血する。


『で、でも……』


 佳は心配をしてくれるのは当然ありがたいと思っているが、奴の標的はあくまで麗華だ。だから今立ち上がった大狼も自分に追い討ちをかけるのではなく、麗華を追うだろう。

 彼はてっきりそう思っていた。しかし、起き上がった大狼は麗華たちが逃げた南西の方角ではなく北に向かって駆け出したのだ。


「なっ、何処に向かって……まさか!」


 この方向にあるのは()()しかない。だがどうして場所がバレたのか、そんな事を考えている暇はない。

 佳は身体中の痛みと右腕の激痛に耐えながら、全身の力を振り絞り大狼を見失わないように全力で追いかける。

 田畑まで駆け下りていった大狼をなんとか捕捉し続けている佳は奴の進路に違和感を覚えた。


(なんで最短ルートで行かないんだ……いや違う、俺たちが通ってきた道を辿っているのか!)


 それに気がついた佳はすぐさま悠一たちに伝える。


「大狼がそっちに向かっています、あの速さなら多分五分程度で着くと思うのですぐに逃げて下さい!」


 しかし、佳の忠告に対して返事は一切なく、彼の言葉は真っ暗な夜空へ虚しく消えていった。


「くそっ、さっきまで普通に使えてただろ!」


 声を荒げた佳はいつの間にか壊れて使い物にならなくなっていた通信機を地面へ叩きつける。

 現状を伝えられないのなら、どうにかして奴を止めなくては。だが、彼が全力疾走して何とか大狼を視界に捉えられている今の現状で奴を止める方法が思いつかない。




 何分経っただろうか。常に最高速度を保っていた佳の息は今にも途切れてしまいそうな程か細くなっていた。

 小屋が視界に入り、飛びそうな意識が現実に引き戻される。目の前で小屋が大狼に壊されいく。

 小屋からは二人の男女の悲鳴が聞こえてきた。悠一と良子だろう。手持ちにはハンドガン一挺にナイフ一本だけだ。

 左手にハンドガンを握りしめ、小屋に向かってひた走る。瓦礫の山と化した半壊状態の小屋を掻き分けると、そこには地面に倒れた悠一と良子がいた。

 見たところ軽く怪我をして出血してはいるが重傷ではない。

 大狼は良子には目もくれず、悠一へとにじり寄っていく。佳は即座にハンドガンを構えるが、疲労のせいか照準がブレて上手く定まらない。

 手の震えを抑えながらハンドガンを懐に戻し、ナイフを手に駆け出した佳は大狼の足にそのナイフを突き立てた。

 ナイフの肉を裂く感触が手に伝わるのと同時に、左横腹に激痛が走った。

 蛇のような尻尾が彼の左横腹に噛み付いていたのだ。噛み口は深く、少しずつ肉が抉られていくのが分かる。


「ぐあっ! あぁぁ……」


 痛みに懸命に耐えながらも、大狼の足に刺したナイフを抜き取り、そのまま大きく振り被って奴の尻尾を切り裂く。しかし、その蛇のような尻尾は思いのほか頑丈で、僅かな切り傷を残す程度しかダメージを与えられなかった。

 次の瞬間、大狼がとてつもなく大きな叫び声を上げた。そして突然と暴れ出し、その衝撃で佳は瓦礫の山まで吹き飛ばされる。

 半壊状態の小屋が更に壊れていく。

 いつの間にか立ち上がっていた悠一が良子を担ぎ避難しようとしていた。その頭上に大きな小屋の破片が今にも崩れ落ちそうになっているが、悠一はそれに気がついていない。

 佳は脇腹から流れ出す血を気に留めることなく、立ち上がる。

 出血と全身の激痛に意識が朦朧となっており、気がつけば彼は悠一を吹き飛ばしていた。途切れかけていた意識が戻り、両足の骨が砕ける音が鮮明に聞こえてくる。


「ああああああああぁぁぁぁぁぁ!」


 あまりにも鋭い痛みに悶える佳だが、その痛みから逃れる術がない。


「佳くん! 今助けるから待ってて」


「に、逃げて……ください」


 絞り出した微かな声で訴えるも、悠一の耳には届かない。


――か……たす…………こっ……戻り……――


 薄れていく意識の中で幻聴まで聞こえてきた佳は、妙な静寂に違和感を覚える。

 先程まで暴れていた大狼はどうしたのだろうか。そんな疑問が頭をよぎる。僅かな余力で首だけでゆっくりと振り返ると佳の背後にこちらを見下ろす大狼が佇んでいた。

 体力の消耗した身体と驚きが相まって、佳の頭の中は真っ白になる。

 佳は懐に閉まったハンドガンの存在すら忘れ、抵抗することなくただ漠然と大狼を眺めているだけだった。しかし驚いたことに、大狼は佳を攻撃することなく彼を下敷きにしていた小屋の破片を口で咥えて退かしたのだ。そして何事も無かったかのようにこの場を去っていったのだ。

 助かって安堵したのか、それとも気力が限界を迎えたのか、彼はそのまま底なし沼に落ちていくようにゆっくりと意識が刈り取られていく。


――大丈夫だよ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――


 薄れてゆく意識の中、その言葉だけが鮮明に彼の頭の中に響き渡った。

 聞き覚えのある妖艶な女性の声。その声の主が誰なのか、思い出すことなく佳は眠るように意識を失った。

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