第十三章: ドッペル・ギャンガー
「あと少しか」
オンケル・ベーレのコクピットで仮眠から目覚めた北斗は、洗顔シートで顔と首筋を拭ってさっぱりさせながら呟いた。シートをそのまま捨てるのは勿体無いので、コンソールや操縦桿を拭ってからダストボックスに放り込む。
「限り有る資源は大切に使わないとな。そうしなきゃ、人類は永遠に新天地を求めて彷徨わなきゃならなくなる」
爆発的に増え続ける人口を支えるには、広大な居住可能地が必要となる。
地球上のみで暮らしていた時代の末期には、人口を間引くか、人類そのものが滅ぶかの二択しかない、と本気で提唱された事もあった。
「それを防ぐために宇宙に出て、さらに新たな太陽系を探し……」
だが、もし新天地『希望』からも人類が溢れだしたらどうなるのか?
「そうしたら、新しい銀河を探しに行くしかないだろうな。それこそ、宇宙の彼方まで……」
そして、エレメント・トンネルで銀河と銀河を繋ぐ。
「その為にも、今、壊されるわけには行かない。俺たちの、人類の未来を繋ぐET:αをな」
北斗は、10年間の旅路を思い返す。あの苦労と喜びを、あの絆を。
「壊させてたまるかよ」
北斗は堅い決意を胸に、呟く。
そして、正体不明の敵に襲われているET:αを納めた特殊コロニー『コークボトル』は、もう目前だ。
いまだ大きな被害を受けたという連絡や、撃破された時に自動的に発進される信号は来ていないので、おそらくまだ無事――と言えるかはともかく、致命的なダメージは受けていないだろう。だが、正体不明な敵の不気味さに、北斗の心は冷たいもので満たされている。
「そろそろか……よし、見えた!」
その時、超望遠に設定したサブスクリーン上にET:αを納めた防御コロニー、コークボトルの姿が豆粒大に捉えられる。だが、次の瞬間、コロニー付近で爆発光が膨れ上がった。
「まさか、コロニーが破壊されたのか?」
北斗は素早くヴァーチャルコンソールを叩いてコークボトルとの通信を開き、
「こちら、識別SST‐BTR70524、フラビオン所属機RMW‐RGS‐259χオンケル・ベーレパイロットの巳桜北斗だ! ET:α、応答せよ!」
とマイクに向かって叫んだ。
現在の北斗はフラビオンで製造され、正式に登録された機体に搭乗していて、通信を繋いだ瞬間にデータとして識別型式や所属国などは送信されている。だが、これも一種の慣例として、また搭乗しているのが人類である事の証明の一つとして、映像及び音声通信でもそれらを読み上げるのが普通となっている。
だが、ET:αからの返答はない。
「くそ……まさかもうやられちまったのか?」
北斗の額に一筋の汗が流れる。もし、ET:αの基幹部が破壊されてしまったら……
北斗たちが旅した、あの10年間が全て無に帰す。そして新太陽系『フォーチュン』で待っている第一次外宇宙探査船団の残留艦隊乗組員たちとの繋がりが切れてしまう。
エレメント・トンネルはセットで制作された対の二機間でなければ超時空跳躍は出来ない。よって、現時点でET:αを破壊されてしまえば手の打ちようが無くなってしまうのだ。
「ゴッド・ストーカー……なぜ、今になってこんな事をする? 人類が新しい世界を拓くことを良しとしないのか? なぜ、沈黙している! 貴様らなら、我々に接触してくる事など容易かろうにっ!」
どんなに叫んでも無駄な事は解っている。が、叫ばずにはいられない。
ET:αに駐屯している防御隊もそれなりの装備を誇っているが、相手が悪過ぎる。
プレシオのような既知の脅威にならば十分に撃退が可能だろう。だが全く未知の、人類が到底届かない技術を用いるゴッド・ストーカーに対してどれだけ抗し切れるか……?
いや、たとえ北斗が間に合ったとしても所詮は一機のインター・セプターである。ゴッド・ストーカーの技術がどう組み込まれているのか解らないが、ゴッド・ストーカーそのものを相手にしてどれだけ効果が有るものだろうか?
「だが」
そう、だが。
諦めるなどと言う選択肢は北斗には有り得ない。いつでも、どんなピンチでも全身全力で乗り切って来たのだ。
「天は、自ら助くる者を助く、だ」
祖母かゑでが、母が、そして幼き頃に亡くした父が北斗に良く聞かせてくれた言葉だ。
窮地に追い込まれた時、ただ助けを待っているより自ら状況を打開しようと動く者こそに、天はその手を差し伸べてくれる。運が、道が切り開かれる。
「ああ、そうだとも。アリス、待っていてくれ。俺は必ず、君の元へ還る!」
北斗は、自分に活を入れるため、声に出して叫ぶ。すると、北斗の叫びに対したかのようにコロニー制御室からの返答が返って来た。
『こちら、ET:α 制御室管制室長、ナイア・ハーキュレス! 北斗先輩?』
同時に、北斗の右上方に浮き上がった透過スクリーンに、肩まで伸ばしたダークブラウンの髪と茶色の大きな瞳が見る者に理知的な印象を与える、艶っぽい美女が現れた。
ナイア・ハーキュレスはフラビオン生まれの三十九歳、フラビオン国立技術大学を次席卒業した才女で、北斗や雅臣の後輩である。その高い見識と能力を買われ、第一次外宇宙探査船団の技術管理主任に抜擢されていた。だが、船団に直接乗り組む事は無く、極秘事項だったエレメント・トンネルの片割れをこちらの天の川銀河に設置管理する任務を担当し、船団が無事に希望銀河に到着したのを確認してからこの宙域にET:α及び防御コロニー一式を設置し、そのまま運用責任者として駐在している。
「ナイアか! ああ、俺だ。現在の状況は?」
再会を懐かしむ間もなく、北斗がナイアに尋ねると
「状況は芳しくないわ。敵の断続的な攻撃スパンが徐々に縮まってきているの。ところで、さっきアリスがなんとか叫んでいたけど、あれはなんなの?」
北斗の叫びはしっかり聞かれていたらしく、ナイアが不審げに聞き返して来たが
「なんでもない。ナイア、それより敵のデータを全部転送してくれ」
それはさらっと交わして北斗が頼む。もちろん、まさか聞かれていたと思わなかったので内心はヒヤヒヤしながらで有る、が。
『……了解。でも、取れたデータは少ないし、変則的過ぎて参考にもならないと思うわ』
直後、北斗の右前にデータスクリーンに敵の各種情報が転送されて来る。
「さすがナイア、早いな。それにして、も……」
静止画像や動画もかなりの量が送られて来ているが、動きが速すぎてまともに捉えているものは全く無い。
辛うじて確認出来るのは、どうやら人型をしていることと、サイズがインター・セプターとほぼ同程度と言うこと、そして一体しかいないらしいということだ。
「人型か。大きさからすると機動ロボット兵器か?」
画像関係以外の、運動・軌道データも送られて来ているが、ナイアの言うとおりあまりにも変則的過ぎてコンピューターでも解析や予測が全く出来ない。
「遊んでいるのか?」
だが、北斗は長年の戦闘経験から相手がまだ本気で攻撃を仕掛けて来ていない事を悟った。
「何を考えている。様子見? いや」
違う。
これは……
「待って、いる……?」
何を? 誰を?
「俺、なのか?」
そうだ、北斗が駆る、このオンケル・べーレには、彼らの、ゴッド・ストーカーの技術が組み込まれているのだ。
「そうか、奴らは……」
観察、しているのだ。人類が、いや神崎雅臣が、自分たちの技術をどう使用しているのかを。何に使っているのかを。
北斗がそう思い当たるのとほとんど同時に、
「っ!?」
凄まじい速度で、銀紫に輝く巨大な少女が眼前に現れた。
しかも、減速動作など一切せず、オンケル・ベーレの直前十数メートルと言う距離でピタリ、と停止したのだ。
「これが、本家の慣性制御、か……」
静かに佇む、巨大な少女型の物体。完璧な慣性制御が可能ならば、このような芸当が可能なのか。
北斗は、人類の遥か先を行く技術力に驚愕したが、それ以上にその外見に戸惑いを覚えていた。
「アリ、ス……?」
北斗が呻くように呟く。そう、メインスクリーン上に大写しとなったその姿は、北斗が愛する可憐な少女と瓜二つであったのだ。
ただし、髪型の形状は整ってはいるが、のっぺりとした平坦な質感で髪の毛一本一本が再現されている訳ではなく、顔には鼻や唇の凹凸は有れど、目の部分には蒼く光る水晶玉のようなものが埋め込まれているだけだ。豊かなバストや折れそうなほど細い腰など、ボディラインも艶めかしいアリスのものそっくりだが、メタリックな光沢を放つ表面には継ぎ目やリベット、ボルトなどの類は全く見当たらず、各部の間接も露出していない。
だが、北斗には一目でそれがアリスだと解った。
表情も何もない、得体の知れない素材で造られた巨大な少女は、紛れもなく『アリス』だったのだ。
「う……」
巨大なアリスが、蒼く輝く巨大な瞳をじ、とオンケル・ベーレ……いや、北斗に向け、細い両腕を伸ばして来る。
とん、とごく小さな衝撃を伴い、華奢な指先がオンケル・ベ―レの両腕に触れた瞬間。
「な、なに……? なんだ、これ……は……」
北斗は、巨大なアリスの蒼い瞳の中に自分が吸い込まれるような感覚を覚え、意識を失った。
「ん? ここ、は……」
目を開けると、北斗は群青の海を臨むなだらかな丘陵に立っていた。
傍らには、荷物を満載した大型オフロードバイクがキン、キンと音を立ててクラシックな水平対向空冷二気筒のガソリンエンジンを冷やしている。
この場所には、見覚えが有る。
日本州北海道地区、宗谷丘陵。
「俺は……?」
どうしてしまったんだ。たった今まで、宇宙空間に在たはず……
この光景、匂い、空気……これはかつて、まだ二十代前半の頃。バイクツーリングに訪れた時の記憶だ。
「北斗!」
と、後ろから涼やかな声で名を呼ばれ、北斗が振り向くと高級SUVの窓から手を振るアンヌマリーの姿が見えた。
その美しい笑顔を見た瞬間、北斗は記憶の中の自分と同化した。
「相変わらず、無駄にせっかちな奴だな」
運転席で笑っているのは雅臣だ。
「うるさいな、バイク乗りは早起きなんだよ」
北斗は雅臣に言い返しながら助手席のドアを開けてアンヌマリーの手を取り、車から降りるのをサポートする。
「ありがとう。でも、本当に早かったわね」
北斗に礼を言った後、後席に据えられたチャイルドシートから、スヤスヤと眠っている幼いアリスを抱き上げたアンヌマリーが笑い掛けた。
「ああ、なんだか眠れなくてさ。朝イチで小樽を出発したんだ」
「ふふ、相変わらずお子ちゃまなのね。ワクワクして眠れないなんて!」
「な……!」
アンヌマリーにからかわれ、真っ赤になって反論しようとする北斗だが、
「アンヌマリーの言うとおりだ。北斗、お前はアンヌマリーとアリスに会うのが楽しみで眠れなかったんだろ?」
雅臣からの追い打ちが掛かり、これ以上反論しても無駄と北斗は判断した。
「ああ、雅臣の言う通りだよ。邪魔者が常時一緒なのが業腹だが」
だが、せめてもの抵抗とまぜっ返すと、
「なるほど、俺とは会いたくなかったということか?」
北斗の皮肉に気付いた雅臣が、嫌味ったらしく応えた。
「ああ、良く解っているじゃないか。アンヌマリーとアリスにさえ会えれば俺は満足さ」
「ほう、そうか。じゃあ今夜はまた一人孤独にキャンプでもするんだな。私たちはオホーツク海を臨む洒落たペンションで、親娘三人水入らずでゆったりと楽しむから」
「ちょ! 待てよコラ! ふざけんな!」
「あ? 嫌なら勝手にペンションに泊れば良い。ただし、私たちに話しかけたりしないでくれよ?」
「こ、この……お前ってやつは……」
「なんだ? 何か文句でも有るなら聞いてやるだけ聞いてやる、が」
「……ぐぬぬ」
「くふふ……」
大人げないセリフをぶつけ、額を突き合わせ威嚇し合う二人の男を見てアンヌマリーがくすくすと笑う。
「ん……ふわぁぁ……」
その時、アンヌマリーの腕に抱かれたアリスが目を覚まし、大きく欠伸をしてから北斗の姿を見付け、
「あっ! ほくと!」
ぱあっと笑顔になり、歓声を上げた。
「あらあら、アリスったら」
そして、飛び降りんばかりの勢いでアンヌマリーの手から離れたアリスが、
「ほくと! ほくと!」
北斗の名を連呼しながら満面の笑みで駆けて来る。
北斗はそんなアリスを微笑ましく見詰め、小さな体を抱き止める為に両手を広げてしゃがんだ。
「おいで、アリス」
「ほくと!」
北斗の声に応え、全身を投げ出すようにして抱きついて来たアリスの軽く華奢な体をぎゅうっと抱きしめた後、
「そーれ!」
掛け声とともに高い高いしてやると、アリスがキャッキャと歓声を上げてはしゃぐ。
「ほくと、だいすき!」
そして、北斗の腕の中に収まったアリスは、小さな桃色の唇を北斗の頬へと押し付け、キスをした。
「ありがとう。俺もアリスの事が大好きだよ」
胸がほんわかとした温かさで満たされるのを感じ、北斗はアリスの頬にキスを返す。
「あらあら、ラブラブね」
「……納得いかん」
そんな北斗とアリスを見て、嬉しそうに笑うアンヌマリーと苦々しげに吐き捨てる雅臣を尻目に、北斗とアリスは楽しげに戯れた。
……と……ほくと…………
『北斗先輩! 返事をして!』
「っ!」
甘やかな記憶の底から引きずり出された北斗が我に返ると、メインスクリーン一杯に深い海を想わせる蒼色が映し出されている。
「なんだ、これは!?」
北斗が叫び、カメラのズームを戻すと、それは巨大アリスの瞳だった。
『北斗先輩! しっかりして! そいつから離れて!』
スピーカーからナイアの声が響く。
「う……ナイアか! 俺、どれくらい気を失って……」
『早く! まずいわ、あなたのインター・セプターの両腕が……!』
「え?」
北斗の指がエアロコンソールを踊り、機体各部の状況を映す小ウインドウが浮かび上がる。
「なん……だと?」
その中で、巨大アリスに触れられたオンケル・ベーレの両腕先のマニュピレーターが……
「浸食されている、のか……?」
そう、巨大アリスの指先と、触れられたマニュピレーターが不可思議な虹色の光を放ちながら同化しつつあった。
“ほく……と……”
「な……」
突然、頭の中に直接響く声を感じ、北斗はメインスクリーンに視線を移す。
“ほくと……だい……すき……”
「くっ……」
スクリーン上には、再び巨大アリスの蒼い瞳が大写しとなっている。
“ほくと……ほくと……あいして……る”
そして少しずつ、オンケル・ベーレの頭部へ、まるで口づけするかのように自らの唇を近づけて来た。
「くそっ!」
脳内に響く、アリスの『偽物』の声を振り払うように叫んだ北斗は操縦レバーを引き、囚われた両腕を振り解こうとした、が
「動かない!?」
幾ら操作しても、動かないのは両腕だけでない。足も、頭も、攻撃も……全ての操作が受け付けられなくなっていた。
その間にも、巨大アリスの唇はオンケル・ベーレのフェイスガードへと近付いて来る。
このまま、接触されたらまずい……
北斗のカンが激しく警鐘を打ち鳴らす。だが、どうしようもない。
「くそっ! この偽物め! アリスを、俺のアリスを穢すなあっ!!」
北斗の絶叫がコクピット内に響く。
が、巨大なアリスの顔は、北斗の叫びになんの興味も示さす近付いてくる。
まるで閉じる様に瞳の蒼い光を消し、鼻部の下には、唇をすこし突き出したかの如き突起まで造りながら。
「うおおおおおおおっ!!」
もう一度、北斗は叫んだ。
このまま、この偽物に口づけされたら自分は機体ごと取り込まれてしまう。なんの根拠も無いが、北斗は本能的にそう察した。
だが、オンケル・ベーレの操作系はすべて奪われたまま、何をしようと一切反応しない。本来ならこう言った危機に必ず作動するウォーニングシステムはおろか、最悪のケースを想定して取り付けられている、最小限の操作をメカニカルに行うための完全手動操作システムですら、だ。
「……アリス、すまない」
北斗は決意した。肉体が、自らの意思で動く今のうちに。
シートの後ろに装備された、ハンドタイプのレーザーガンを取り出す。
そして、北斗は銃口を自らの頭に向け、引き金を引こうとした。
その瞬間。
『ダメええええええっ!!』
北斗の耳に、良く馴染んだ少女の声が響いた。
「アリス!?」
そう、それは愛する少女の、紛い物ではない生の声だった。
次の瞬間、凄まじい衝撃と音がオンケル・ベーレの機体を震わせ、弾き飛ばす。
「うお!」
視界が急速に回転し、北斗の全身がシェイクされる、が、今まで無反応だったウォーニングやアラートが点灯し、コクピット内に警告音が鳴り響き始めた。
「機能が戻った! と言うことは……」
北斗の手が素早く動き、機能停止させていたオートバランサーをオンにする。すると、コマのように回転していたオンケル・ベーレの機体がほとんど揺り返しも無くピタリ、と安定した。
「これは……慣性制御か」
通常、インター・セプターのオートバランサーでは、あれだけの勢いで回転していた機体を安定させるにはかなりの揺り返しを伴う上、小刻みな姿勢修正を何度も行わなければならない。
だが、オンケル・ベーレはほとんと修正なしで安定したのだ。これならば、相手からの攻撃を回避した後、すぐに反撃に移れるだろう。
「インター・セプター同士の戦闘で無敵だな……と、それより!」
機体の自由が戻ったということは、恐らくあの巨大アリスと離れられたはずだ。
そして、その直前に聞こえた、アリスの声……
『北斗! 大丈夫!?』
再び響く、愛しい少女の声に
「アリス! ありがとう。俺は大丈夫だ!」
北斗は、胸の奥に灯る温かいものを感じながら応えた。
「だが、なぜ君がここに……」
各スクリーンに視線を走らせ、アリスの乗っているはずの機体を探しつつそう問いかけた時。
「なんだ、あれは?」
北斗は茫然と、メインスクリーンが捉えた不可思議なモノを凝視した。
「マリア、アンナ、マルタ、それに……」
その、奇妙なモノは、大気圏内用のクラシックなステルス戦闘機のようにも、地球の海中を飛ぶように泳ぐエイのようにも見えた。
だがそんなモノではない。それは、背中のシェル・アーマーを立体三角形に展開したマリアの腕に抱かれたアリスと、アーマー後部を押す様に掴まったマルタ、その腰辺りに腕を回して、後ろから抱き付いたアンナだった。
そのあまりにもシュール過ぎる光景に、さすがの北斗も呆気に取られ呆然となる。
しかし次の瞬間、アンドロイドの三人だけでなく、アリスがほぼ生身の状態で宇宙空間に浮かんでいる事実に気付いた。
いや、正確には生身、ではない。
華奢な体には、ウェディング・ドレスを思わせる形状をした水色に近いメタリックブルーの華やかな装甲をまとい、小さな頭にはコバルトブルーに輝くティアラの如きヘッドギアを被り、そこからどういう原理なのかは解らないが半透明に煌めくヴェールのようなものがヒラヒラとなびいている。両肘から先にはドレスと同色の長手袋を着け、長いスカートに隠された両足の先にもドレスと同色だが、クリスタルガラスの様な質感を見せるハイヒールを履いている。
だが、顔や豊かな谷間を覗かせる胸元、なでやかな両肩から伸びる白く美しい二の腕には何かを着けている様には見えない。
その、あまりにもゴージャスかつ可憐なアリスの姿に、一瞬全ての状況を忘れ見惚れてしまった北斗だったが、すぐに我に返り
「アリス! 何をやっているんだ!! いや、大丈夫なのか!?」
と叫んだ。すると北斗の叫びに対して、
『うん、大丈夫。私は……生身の、普通の体じゃないの。生体サイボーグ、だから』
アリスは少しだけ、震える声で答えた。
なん、だって……?
北斗の脳が、疑問符でオーバーフローしそうになる。
(サイボーグ? なんだ、それ。アンドロイドとは違うよな? アンドロイドは人間に似せて、と言うか人間を再現する様に造られたロボット。サイボーグは、その逆か? ロボットに似せて造られた人間……いや、違う。サイボーグってのは、人間の体の一部を機械化した……待て、あの時雅臣は何て言っていた? ストーカーズ・ドロップを応用してアリスを治療した、と……治療、だけじゃなかったのか? アリスが、サイボーグ……?)
混乱し、愕然とする北斗に、
『北斗、詳細は後ほど説明します。その前に、アリスとオンケル・ベーレをドッキングさせて下さい。そうすれば……』
と、マリアが言い掛けたその時。
『マリア! 来るぞ!』
マリアから離れ、宙に浮いていたマルタが叫ぶ。
はっと我に返った北斗が目前に浮かび上がったアラートスクリーンを見ると、宙に浮かび静止していた巨大アリスがふら、とブレたと見えた次の瞬間、凄まじいスピードでデタラメな機動を再開した。
『各自散開! 回避後、マルタとアンナはドッペル・ギャンガーを撹乱! ただし、無理はせず私たちに近付かせないようにしてくれれば良いわ!』
『アンナ、わっかりましたー!』
『マルタ、了解! ったく、それを無理って言うんだっつーの!』
素早くマリアの指示が飛び、それに答えた二人が、こちらも凄まじいスピードで偽アリスに向かって行く。
と、アンナがピタ、と停止しクルリとこちらを振り返り
『そこぉ!!』
叫び様に前にちょこんと突き出した両腕の袖から、青白色の重力砲を撃ち出した。
超圧縮された重力波の弾幕が北斗たちに向かって伸びてくる。このままでは、オンケル・ベーレやアリス、マリアがその中に呑み込まれてしまう。
「お……」
思わず声を上げそうになった北斗だが、アリスとマリアが落ち着いているのと、一瞬だが視界の端に捉えた紫銀の筋を確認して辛うじて黙った。
と、何とも表現し難い振動と音がコクピット内に響き、オンケル・ベーレの目前に迫っていた偽アリス……マリアが『ドッペル・ギャンガー』と呼んだモノにアンナが撃った重力砲が命中し、
“キエヒヒヒヒヒ!”
意味不明な、笑っているかの如き奇声を上げてそいつが弾き飛ばされる。
『まだまだぁっ!』
いつの間にか、ドッペル・ギャンガーに迫っていたマルタが、目にも止まらぬ速さで追撃を開始し、両手に持った紅い光剣を乱れ切りに叩きつけ始めた。
アンナはくるくるとボールのように回転して球形機動を取りながら、超高速で移動しているドッペル・ギャンガーを重力砲で撃ち続け、マルタには当てる事無く見事に命中させている。
ただ、やはり万が一を考えているのか、先ほど一撃で弾き飛ばした程の力ではなく、当たっても僅かに機動がズレる程度だ。
「すごい、な」
そのスピードとコンビネーションに北斗が感嘆の声を上げた時、
『北斗!』
いつの間にかオンケル・ベーレのコクピット前に来ていたアリスから声が掛けられた。
「アリス! 大丈夫なのかい?」
さきほど聞かされた『生体サイボーグ』と言う単語の事を意識して、北斗はアリスに慈愛の声を向ける。
『う、うん、大丈夫……ね、そっちへ行っても良い?』
だが、アリスの口調には、自らの秘密をカミングアウトしてしまったと言う負い目が見え隠れしていた。
それを察した北斗は、アリスに
「ああ、おいで。ちょっと狭いと思うけどね」
と優しく応える。
オンケル・ベーレのコクピットは二人乗りではないが、かなり広めに造られているので、小柄なアリスならドレス状の装甲で固められた今の状態でも、北斗の膝の上に乗せれば収まる事は出来るはずだ。
それに、あの装甲はメタリックな質感を持っているが、どうやら素材は硬質金属ではない、もっと他の何か、で出来ている様で、通常の服のようにアリスの体へしなやかに纏わりついている。
「じゃあ、ハッチを開けるから……」
北斗は、アリスを迎える為にコクピット内の酸素を一時排出し、ハッチの開閉スイッチを操作しようとしたが
『北斗、待って下さい! 来ます!』
マリアの叫びが響き、次の瞬間凄まじい勢いでオンケル・ベーレとアリスたちの間にドッペル・ギャンガーが滑り込んで停止した。
“ほほほほくとととととあいあいあいしてしてしてるるるるるるる”
意味不明な言葉を喚きながらオンケル・ベーレに向かって近付くドッペル・ギャンガー。
蒼く輝く瞳は片方が潰され、血の様に紅くシャバついた液体を宇宙空間に撒き散らしている。また、滑らかなボディのあちこちに有る切裂跡からは、瞳からのものとは違う赤黒いゲル状の物質がドロドロと流れ出ていた。
「これ、は……」
マルタとアンナの戦果か。
ドッペル・ギャンガーのスピードと動きに追従して、更にこれほどのダメージを与える事が出来るとは……
北斗は、その戦闘能力の高さにぞくり、と背筋に走るモノを感じた。
『おらああっ!』
と、頭上方向から双剣をクロスに構えたマルタがドッペル・ギャンガー目掛けて突っ込んで来る。
“キヒッ!”
ドッペル・ギャンガーが耳障りな声を響かせ、北斗たちの目の前から急速にバックステップして離れた。
『ちっ! 仕留めきれねえ! さすがに疾いぜ』
それまでドッペル・ギャンガーが居た位置で急停止したマルタが悔しげに呟く。が、良く見ると左肩のプロテクターが欠損し、頭部・腰部のプロテクターもかなり破損している。
『マルタ姉さま、大丈夫?』
マルタを追うようにしてすいっと横に並び停止したアンナも、いつのまにか左足の膝から下が無くなっていた。
『どっちかっつーとお前の方が重傷だろうが。人の心配してる場合かよ』
アンナに対し、ぶっきらぼうに答えるマルタだが、その声には気遣いと怒りが籠っているのが明らかだ。怒りはもちろん、ドッペル・ギャンガーに向けられたものだろう。
(アンドロイド……ロボットとは思えない、な)
北斗は二人のやり取りを見てそんな事を考えたが、今はそれどころではないと思い直し、スクリーンに拡大されたドッペル・ギャンガーの状態を確認した。
「……再生、してるのか!」
すると、いつの間にか紅い液体を流していた瞳が蒼に戻り、ボディのあちこちに出来ていた裂傷も治りかかっているのに気付き驚愕する。
“ほく……と……”
と、見られている事に気付いたように、ドッペル・ギャンガーの呼ぶ声が北斗の脳裏にこだまする。
この、未知の存在に造り出された『物体』にも、先ほどのマルタとアンナの様な人間の感情に近いプログラムが有るのだろうか、と詮無い事をふと考えた北斗だったが、
『おい、ボーっとしてんな! そいつを倒すにゃたたみ掛けないとキリがねえんだよっ!』
と言うマルタの叫びに北斗は我に返り、
「アリス! 無事か?」
先ほどまで、ドッペル・ギャンガーに割って入られて見えなくなっていたアリスの身を案じて叫んだ。
『大丈夫! ここにいるよ』
すると、アリスからの返事が聞こえ、サブスクリーンにアリスを抱いたマリアの姿が映し出される。だが良く見ると、マリアが展開しているタートル・シールドのあちこちにも傷が付いており、いつの間にかドッペル・ギャンガーからの攻撃を受けている事に気付かされた。
「くそ、俺には何も見えてないとはな」
(何がエースだ。片腹痛いぜ)
北斗は唇を噛み締め、自嘲の笑みを漏らす。
「いや、だが……」
(なにかおかしい。いくらなんでも、全く追えないなんて有り得るのか?)
北斗は自問自答し、本来なら動く物体に追従して切り替わるはずのサブスクリーンが、さっきからほとんど働いていない事に気付いた。マルタやアンナの姿も、一か所に留まっている時は映すが機動を始めるとほとんど追っていないのだ。
(まさか、追尾スクリーンがフルマニュアルになったままなのか?)
北斗はエアロコンソールを操作し、設定メニューを呼び出して確認してみた。が、一部操作のみマニュアルのセミオートで、北斗自身で設定したカスタムセッティングのままである。
「いったい、どうなってるんだ? 何かエラーでも起こしているのか?」
北斗が再び、設定メニューをもっと階層の奥深くまで辿ろうとした時。
『北斗! 避けて!』
アリスの、悲鳴に近い声が北斗の耳に響いた。
咄嗟にアクセルとレバーを急操作し、機体を軋ませ錐揉みながら反転する。と、コンマ数秒前まで自機が位置していた空間を彗星の様に銀紫の光が突き抜けて行った。
「くっ!」
その衝撃派で弾き飛ばされたオンケル・ベーレは、五回ほど回転した後にピタ、と安定する。
『北斗! まだっ!』
「ちいっ!」
アリスが再び叫び、北斗は先ほどとは逆方向へ急回避した。
「っ!」
恐らく数十メートルの超至近距離を、耳障りな衝撃音とともに通過していく紫に輝く光の矢。
北斗は衝撃で弾き飛ばされるのに任せ、それに加速を重ねて素早く離脱する。
と、オンケル・ベーレのコクピット直前にアリスを抱いたマリアが現れ、スピードを合わせて併進して来た。
『北斗、そのまま全速で戦域から遠ざかって下さい。その間に私たちでドッペル・ギャンガーを食い止めます』
マリアの声がコクピットに響く。
「く……」
追尾スクリーンがまともに動かなくては足手まといなのは明らかだ。
しかし、だからと言ってアリスを残して離脱など出来ようはずもない。
『アリスは貴方にお任せします。恐らく15分ほど時間は稼げると思いますので、その間に出来る限り遠くまで離脱して下さい。そうすれば、サロメが……うっ!』
『きゃ!』
悲鳴と共に、アリスを抱いたマリアの姿がスクリーンからかき消え、代わってドッペル・ギャンガーがその巨大な姿を現す。
「アリス! マリア!」
マリアが展開していたシールドに、凄まじい勢いでドッペル・ギャンガーが体当たりしたのだ。
“キィヒヒヒヒヒ!”
一瞬、オンケル・ベーレに掴みかかろうとしたドッペル・ギャンガーだったが、つい、と上方を見上げたまま、あっという間にスクリーンから姿を消す。
『ちいっ! スピード上げやがった!』
その直後、スクリーンをマルタが駆け抜け、ドッペル・ギャンガーを追った。
データスクリーンに投影されたマルタのデータシャドウは、右肘から先が失われ、各部に危険を示すランプが点灯している。
「アリス! アリスはどこだ!」
しかしマルタの惨状を心配する間もなく、北斗はアリスの行方を捜す。
『おじさん、あそこ!』
すると、いつの間にか右隣に並んでいたアンナが、表皮が剥がれボロボロになった右手の人差指で十時の方向を指し示した。
「アリス!」
その方向、かなり離れた宙域にアリスらしき人型がかすかに見えている。
「くそ! 今行く……」
北斗がそう叫び、アクセルを床まで踏み込んだ瞬間。
“クェヒヒヒヒヒヒ!”
耳障りな、哄笑の如き奇声を響かせながら、アリスが漂っている空間をドッペル・ギャンガーが奔り抜けた。
更新遅くなってしまいました。
次回投下は明日、九月二日(月)の予定です。
よろしく!




