表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死音録音師・石川深夏の異響怪異譚  作者: 比古狭霧
第二章 音を抱く者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/14

第9話「うわん」

事務所のソファで、

宗太がスマホの画面を見ながら鼻で笑った。


「おい深夏、ちょっとコレ観てみろよ。マジで笑えるから」


「 近所の廃校舎で『うわーん!』って叫び声が聞こえるらしくて、突撃した配信者が逃走したんだってよ。コメント欄で、都市伝説の『うわん』じゃねえかって騒がれてる」


宗太が画面を深夏に向ける。

薄暗い校舎の廊下を進む配信者。その頭上から突然──『うわーーーん!』と間の抜けた叫び声が響き、配信者が「うわああ!」とカメラを揺らして逃げ出していた。


画面のコメント欄は大盛り上がりだった。


> 犬で草

> 腹痛いw

> 叫ぶだけwww

> 語彙力ゼロw


「やらせにしては笑えるよな」


宗太が吹き出すと、深夏は膝の上の『死響子』を持ち上げた。

真鍮の筐体に配された表示ランプが、不意に二度点滅した。


深夏が首を傾げる。

だが、すぐに何事もなかったように灯りは消えた。


「……違う」

「『うわん』じゃないよ」


宗太は苦笑しながらスマホを閉じ、煙草の箱をポケットに放り込んだ。


「こんだけはっきり『うわん』って叫んでるのにか?」


「……まあ、一応仕事として管理会社から調査依頼が来てんだよ。配信者のせいで肝試しに来るバカが増えて迷惑してるらしくてな」





夜の十時。


使われなくなった旧町立第一小学校。

割れた窓ガラスから湿った夜風が吹き込み、真っ暗な廊下に二人分の足音が響いていた。


死響子の背面ディスプレイが反応し、一瞬だけ文字が滲んだかと思うと元に戻った。


【TARGET:未検出】

【TARGET:……】


「……気のせい?」


深夏はそのまま歩き出した。



「動画だとこのあたりだな。天井から突然『うわーん』だそうだ。動画で聞く限りじゃ、ただの大声を出した、やらせかイタズラにしか──」


「うわーーーーーん!!」


宗太が言葉を言い切るより早く。

天井から声が降ってきた。


「……本当に同じだな」


宗太は苦笑しながら懐中電灯で照らす。

声のトーンも質も、まさに動画で聞いた通りだった。


だが、間髪入れずに二発目が響く。


「うわーーーーーーん!!」


今度は距離が近い。

ビリビリッと、重い振動が伝う。


窓ガラスだけではない。

宗太の胸ポケットのライターまで細かく震えた。


「すげぇ声量だな」

「……今、校舎揺れたか?」


宗太の顔から笑みが消える。

ただの大声にしては振動波が異常だった。


そして、三発目。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!! 」


今度は叫び終わらない。


十秒。

二十秒。

三十秒。

四十秒。


息を吸う素振りすらなく、鼓膜を打ち破るような大音量が延々と鳴り響き続ける。


「……おい、人間ってこんな長く叫べたか……!?」


宗太が思わず耳を塞ぎ、顔を歪める。

間髪を容れず、四発目が襲いかかった。


「うわん!!」

「うわん!!」

「うわぁぁぁぁぁん!!!」

「うわん!!」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」


人間ではない不規則で狂気じみた連続音。

学校全体が共鳴し、天井板がミシミシと嫌な音を立てて軋む。廊下の壁からパラパラと古い埃が落ちてきた。


「クソ、なんだこれ! 動画と全然違うじゃねーか!」

「やめろ……もう聞きたくねぇ……!」


逃げ出したいほどの不快感と恐怖に、宗太が身体を硬直させる。

動画を見て笑っていた時の空気は、跡形もなく消え去っていた。


そんな狂乱の音の中で、深夏だけが静かに死響子を向けた。


「……やっぱり、違う」

「何が違うんだ……!」

「『うわん』じゃない」


深夏は死響子のゲインを上げる。

【80 → 95 → 110】


カチ。


死響子のダイヤルが、指を離したにもかかわらず、

ほんのわずかに一目盛りだけ勝手に動いた。


【111】



ザザザッ──。


真鍮のノズルが空間に漂う音を捉え、音の輪郭を削り出していく。

スピーカーから吐き出される怪叫が、徐々に分解されていく。


『……う……』


深夏はさらにダイヤルを回す。


『……ぁ……』


もう一段。


『……た……』


宗太が顔を上げる。

「……待て」


さらに絞る。

ザザッ──。


『……た……す……』


「おい、嘘だろ……」


最後にダイヤルを止めた瞬間。

『──たすけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』


歪んだ怪叫の正体は、助けを求め続けた最後の悲鳴のように聞こえた。

宗太が額に汗を浮かべ、死響子を見つめる。


「どういう事だ? ただ叫んでただけじゃないのか」

「でも、なんで『うわん』になる……?」


「……今、なんか操作したか?」

「……してない」


「じゃあ何で急に……」


深夏がポツリと、言葉を落とした。


「何日も叫び続けたから」


「喉が潰れて」

「言葉が崩れて」

「最後に残ったのが、あの音だったの」


宗太は事前に調べていたメモを思い出し、喉を鳴らした。


「……江戸時代の火事か。確か暗い蔵の中で……」

「誰にも届かない声を、一人で叫び続けてたって事か」


深夏は天井を見つめた。


「言葉は消えた」

「……でも」

「怖かった気持ちだけは、音になって残った」


深夏が死響子のスイッチを押し込むと、ノズルが空間に漂う残響を静かに吸い上げていく。


カチリ。


重い金属音が響き、校舎を揺らしていた狂叫はピタリと止んだ。

廃校舎に、本物の静寂が降り積もる。


──ギ……ィ……。


校舎のどこかで、小さく扉が軋んだ。

もう、誰も閉じ込められてはいない。





帰り道。


街灯の下を二人で並んで歩く。

宗太がスマホを取り出し、検索画面の妖怪図鑑を眺めた。


【うわん:古い屋敷や寺の天井から、突然『うわん』と大声で叫びかかって人々を驚かせる妖怪】


「……違うな」

「何が?」


「多分昔の人は、面白がったり怖がったりして名前をつけたんじゃない。……忘れないためだったんだろ」


深夏は一瞬目を見開き、それからほんの少しだけ口元を緩めた。


「……うん。声にならなかった悲しみに名前をつけて、忘れないように残したんだと思う」


宗太は煙草に火をつけた。

紫煙が夜の空気に解けて消えていく。


「『うわん』の奥にある叫び、か……」



その瞬間──。


ピッ。


死響子の表示が一瞬だけ乱れた。


【TRACE:Learning...】

【TRACE:RECORDED】


「……変なの」



【ID:0513】

【TARGET:失われた救出要請】

【TYPE:残響型(ECHO)】

【SOURCE:崩壊音韻】

【TIME:22:14】



それは明確な言葉ではなかった。

けれど。


長い間、誰にも届かなかった叫びが。

ようやく、誰かに届いた音になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ