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死音録音師・石川深夏の異響怪異譚  作者: 比古狭霧
第一章 死音を拾う者

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第7話「平和学習の叫び」

私立青凪あおなぎ学園高等学校、校長室。

応接セットの机の上には、沖縄修学旅行の行程表と、数枚の資料が整然と並べられていた。


「申し訳ありません。本来なら学校内で解決すべき問題なのですが……」


深々と頭を下げたのは、四十代半ばの男だった。

二年生の学年主任であり、今回の平和学習の責任者を務める比嘉透ひがとおるだ。


「生徒たちが何を聞いたのか、私たちにはどうしても分からないのです」


比嘉は苦痛に顔を歪めながら、一枚の写真に指を添えた。写真には、地面に膝をつき、青ざめて倒れ込む生徒たちの姿が写っている。


「全員が『誰かの叫び声を聞いた』と……。保護者からは現地で何か悪影響があったのではないかと追及され、教員だけでは対応しきれなくなっています」


対面に座る神谷宗太かみやそうたは煙草を吸いたい衝動を抑え、比嘉の言葉に耳を傾けていた。

比嘉の言葉の端々には、生徒を心から案じる真摯しんしさがにじみ出ていた。


「……平和学習の行程、変更した方がいいんじゃないですか? 生徒が倒れたんです」


宗太の問いに、比嘉は一瞬だけ唇を噛み締め、深く、迷うように息を吐き出した。


「……変更した方がいいのかもしれません。生徒を不安にさせたくはないですから」

「なら──」


「でも……」


比嘉は静かに、だが切実な眼差しで宗太を見返した。


「ここで逃げて見なかったことにしたら、あの場所で亡くなった人たちの声は、誰にも届かないまま忘れ去られてしまう気がするんです。……生徒を守るのも、伝えるべきことを伝えるのも、私の責任です」


校長が引きつった笑みを浮かべて間に入る。

宗太は資料を再度確認して閉じた。


「分かりました」

「こちらでも事前に確認します。現地で何が起きているのか、それから生徒たちの安全確保を優先する形で」


学校を出ると、夕方の風が校門前を抜けていった。

宗太はスマホで依頼内容を確認しながら歩く。


「安全管理の補助スタッフ、ね」

「……うん」


隣を歩く深夏は、いつもの黒いオーバーサイズパーカー姿だった。

「……そういやお前、まさかそれで沖縄に行くつもりじゃないよな?」


「だいじょうぶだよ?」

「だいじょばねーよ!」


「沖縄の6月を舐めるな。気温だけじゃない。湿度も日差しも東京とは違う。その格好で歩き回ったら、怪異に会う前に熱中症で倒れるぞ」


「……」


「死音を聞く前に、自分が救護される側になる気か」


深夏は少しだけ不満そうに、パーカーの袖を見つめた。


「……これは調査用の装備」

「分かってる。だから余計に言ってるんだ」


宗太はため息をつき、あらかじめ用意していた衣類をカバンから取り出した。

黒の冷感インナーに、風通しの良い黒の半袖シャツ、ダークグレーのカーゴパンツ、そして小型機材ホルスターを取り付けられる薄手のベストだ。


「黒が好きなのは知ってる」

「……分かってるなら」


「だから用意した。黒で、死なない服だ」

「……宗太先輩、心配性」


「お前が無頓着むとんちゃくすぎるんだ」

「……りょ」





羽田空港、搭乗口前。

集合場所には、青凪あおなぎ学園の生徒たちが大勢集まっていた。


「うわー、沖縄とかマジ修学旅行って感じ!」

「海入れるかな? 海水パンツ持ってきた?」

「先生、ホテルの近くにコンビニありますー?」


制服姿の生徒たちが楽しそうにはしゃぎ、引率の教員たちが「静かにしなさい」「列を崩さない!」と慌ただしく声をかける。

その賑やかな喧噪けんそうから少し離れた場所で、比嘉は一人、名簿を指で追いながら何度も人数を確認していた。


「……31、32、33……」


汗を拭いもせず、穴が空くほど名簿を見つめる比嘉に、宗太が声をかける。


「随分と念入りですね」

「……あ、神谷さん」


比嘉はハッとしたように顔を上げ、手元の指を止めた。

「全員を無事に帰すのが、私の仕事ですから。一人でも欠けさせるわけにはいかないんです」



搭乗が始まると、深夏は滑走路の向こうに並ぶ機体を見つめていた。


「飛行機って、不思議」

「……何が?」


「大きいのに、音が綺麗」

「綺麗?」


「うん」

「離陸前。補助電源の低い音。エンジンが回り始める音。油圧が動く音。フラップが開く音」


深夏は指を一本ずつ折りながら続け、少しだけ目を細めた。


「全部、鳴る順番が決まってる。車輪が出る音も、翼が動く音も、全部理由がある」

「だから安心する。何の音なのか分かるから」


「……お前、もしかして飛行機が怖いのか?」

「嫌いな訳じゃない」


「本当は怖いんだろ?」

「飛行機自体は怖くない」


「飛行機が壊れる時の音が怖い」

「金属が限界になる音。空気が変わる音。機械がいつもの順番を外れる音」


「……そういう事を、いつも考えてるお前の頭の中の方が、よっぽど怖えーよ」





機内のドアが閉まり、滑走路へ向かう機内で比嘉が通路を往復していた。


「シートベルトしっかり締めろよ。気分悪くなったらすぐ教員かCAさんに言うように」

「先生、さっきから確認しすぎだって」


男子生徒が苦笑しながらベルトの金具をカチリと鳴らす。

比嘉はなおも不安そうに生徒一人ひとりの顔を覗き込んでいたが、やがて着陸誘導灯のサインが灯ると、浅い息を吐いて自分の座席へと戻っていった。


やがて、機体が滑走路を猛スピードで滑走し、ふわりと地面を離れる。

シートを通じて強い重力と振動が体に伝わってきた。


「うわっ、浮いた!」

「すげー、街がちっちゃい!」


窓の外を覗き込んで歓声をあげる生徒たちの喧噪の中で、深夏は窓の外を凝視ぎょうししたまま小さく呟いた。


「……エンジン音、左右で少し違う」

「……おい、それ大丈夫なやつなんだろうな?」


深夏は静かに目を閉じ、機体の振動に身を委ねた。


「問題ないよ。風向きと機体の角度で聞こえ方が変わってるだけ」

「順番通りなら大丈夫。壊れてないって分かるから」


「……だから、お前が言うとなんか、大丈夫でも怖くなるんだよ」





羽田を離陸してから数時間後。

那覇空港へ降り立った二人を迎えたのは、東京とは質の違う湿った熱気だった。


ターミナルを出た瞬間、南国の陽光と湿んだ風が肌を撫でる。

深夏が珍しく小さく呟いた。


「……暑い」

「だから言っただろ」


二人は胸元に配布された『補助スタッフ』のIDカードを取り付け、待機していたチャーターバスへ乗り込む。

車内には、今回の修学旅行に参加する生徒たちがすでに着席していた。


『私立青凪学園高等学校、二年生。

平和学習を目的とした沖縄修学旅行』


深夏と宗太の手元にも、生徒たちと同じデザインのしおりが配られていた。


『一日目。

首里地区見学。

昼食。

南部戦跡での平和学習。

そして──旧避難壕跡ひなんごうあと(ガマ)見学』


バスがゆっくりと動き出す。

窓の外には、青い海と鮮やかな亜熱帯の緑が広がっていた。


「やっぱ、東京と全然違うな!」


「音も違うよ」

「風の音。木の揺れ方。車の走る音。みんな違う」


その時、前方のマイクから比嘉の声が響いた。

「えー、みんな。今日の午後の予定を説明します」


比嘉はマイクを持ち、座席の間を見渡した。

「まずは昼食を取ったあと、南部へ移動します。午後は平和学習として、ガマと呼ばれる場所を見学します」


後ろの男子生徒がひょっこり顔を上げて手を振る。


「先生ー」

「ガマって何ですか? カエルの親戚ですかー?」


車内にどっと笑い声が広がった。

「違います」


比嘉は苦笑混じりに頭を振った。

「ガマというのは、沖縄の方言で自然にできた洞窟のことです」


「沖縄戦のとき、多くの一般人や兵士が避難場所として使った場所です。暗くて、狭くて、水も足りない中で、人々が身を寄せていた歴史があります」


車内の冗談めかした空気が、少しだけ静かになる。


「兵士だけじゃない。君たちと同じくらいの年齢の生徒たちも、そこで看護作業をしたり、避難生活を送っていました。今日はその現場を直接見て、当時の人たちが何を感じていたのかを学んでもらいます」


比嘉は窓の外に広がる青い空を見つめた。

「……全員でしっかり見て、考えてください」





沖縄本島、南部。

ガマ周辺に着くと、真夏の強烈な湿気や青々としたガジュマルの木々に包まれた。


「うわ、あっつ……湿気ヤバくない?」

「マジでそれ。早くホテル戻ってエアコンつけたい」

「静かにしなさい! 遊びで来てるんじゃないのよ!」


生徒たちは暑さに文句を言いながらバスから降り、教師たちはそれを慌ただしく注意する。

どこにでもある、少し退屈で平和な修学旅行の日常風景だった。


比嘉は生徒たちを集める。

「暑いから水分補給してくださいね。無理はしないように」


「先生、心配しすぎー」

「大事なことだからな」


生徒たちから小さな笑いが起きた瞬間、

一人の女子生徒がふと首を傾げた──。


「……あれ?」


「どうした?」

「今……誰か喋らなかった?」


「先生じゃね?」

「違う……」


女子生徒は周囲を見るが、そこには同じ班の生徒たちと、

引率教師と深夏と宗太達、ガジュマルの葉が風で擦れ合っているだけだった。


「気のせいだって」


男子生徒が笑う。

その数秒後。女子生徒の表情が劇的に引きつる──。


「……やめて」

「お願い……来ないで……!」


少女はその場に膝から崩れ落ちた。

「助けてぇ!!」


「おい!?」

「どうした!?」


連鎖するように、隣にいた別の生徒が急激な過呼吸を起こして倒れ、離れた場所にいた男子生徒が吐き気を訴えてうずくまる。


「な、なんだ!? 急病か!?」

「保健の先生呼んで! パニックになるな!」


日常の和やかな空気が、一瞬で悲鳴と錯乱さくらんに塗り潰されていく。

生徒たちの叫び声が響き渡る中、深夏はそっと目を閉じた


(どこ……? 教えて、死響子!)


音を探す。発信源を特定しようと全神経を研ぎ澄ます。

右、左、足元……違う。


「……おかしい」


死響子を取り出し、空間へ向ける。

ノズルを回す。ゲインを怪異探索モードへとダイヤルを上げる。


しかし、

画面は黒いままだった。


【録音対象なし】

【残響反応:0】

【死音波形:検出不能】


「……ここには、怪異が存在しない──」

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