第5話 陽極寮のギャルと博士の助手
陽極寮のエントランスを出ると、春奈は自然と背筋を伸ばした。
さっきまでの新入生モードを、少しだけ奥へしまう。周囲にはまだ寮へ荷物を運ぶ生徒や、案内ドローンの指示に従って移動する新入生たちがいる。彼らから見れば、春奈は入寮初日からどこかへ出かける、やたら目立つカリスマモデルの同級生だろう。
実際には、入学初日から博士に呼び出されるブラック助手である。
「入学初日から研究区直行って、青春どこ行った?」
春奈がぼやくと、右耳の認証デバイスからアリアの声が返ってきた。
『出雲孔雀の助手に、青春休暇は設定されていません』
「ブラックすぎて泣けるんだけど」
『涙腺反応は確認されていません』
「そういうとこAIっぽくて嫌い」
『現在はAIとして応答しています』
「はいはい、猫かぶり上手いねー」
春奈は軽口を叩きながら、中央学区へ続く通常ルートから外れた。学生証をかざすと、壁面の一部が淡く光り、一般学生用の案内には表示されない細い通路が開く。研究区へ向かう職員用連絡路だ。
新入生が使う場所ではない。
けれど春奈の学生証には、出雲孔雀の助手としての特別権限が登録されている。大原春奈という身分は、ただの学生としてだけ作られたものではない。孔雀の研究を手伝い、AMSの深部に触れ、場合によっては学園側にも見せられない処理を行うための顔でもある。
通路に入ると、外の喧騒が一気に遠のいた。
壁は白く、床には青い誘導ラインが走っている。数メートルごとに認証センサーがあり、春奈が通るたびに静かな電子音が鳴る。普通なら息苦しさを覚えそうな管理空間だが、春奈にとってはもう見慣れた景色だった。
慣れている自分が少し嫌になる。
「で、孔雀先生は何の用なわけ? まさか入学祝いとか言わないよね」
『メッセージには、“入学祝いと助手業を兼ねた実に効率的な用件”とあります』
「最悪の予感しかしないんだけど」
『予感ではなく、高確率の推定です』
「アリア、そこは励まして?」
『頑張ってください』
「雑っ」
春奈はため息をつきながら、研究区の奥へ進む。
表向きの研究棟は、整然としていて美しかった。企業共同ラボ、AMS材料研究室、AI同期解析室、医療連携部門。世界中の研究者が憧れる最先端の設備が並んでいる。だが、孔雀の本当のラボはそんなきれいな場所にはない。
春奈は通路の突き当たり、何の変哲もない機材倉庫の前で足を止めた。
学生証をかざす。
何も起きない。
次に、春奈は小さく舌打ちした。
「孔雀先生、また認証変えた?」
『音声認証が追加されています』
「うっざ」
春奈は半眼になり、扉へ向かって言った。
「世界一の天才美人科学者、出雲孔雀先生、開けてくださーい」
数秒の沈黙。
扉が開いた。
春奈は心底嫌そうな顔をする。
「ほんとにそれで開くの、やめない?」
中は、外見どおりの倉庫ではなかった。
広い地下空間に、最新鋭のAMS解析装置、医療用再構築ポッド、AI同期モニター、用途不明の機械群が所狭しと並んでいる。壁一面には春奈の過去の検査データや、AMSコアの出力波形、天機学園内の管理ログが浮かんでいた。世界の叡智を詰め込んだような設備の隙間に、飲みかけの栄養ドリンクと、読みかけの論文と、なぜか派手なファッション誌が積まれている。
人類の未来とゴミ屋敷が同居していた。
「相変わらず、すごいのか終わってるのかわかんない部屋」
「機能美だよ、春奈」
奥から出雲孔雀の声がした。
白衣を羽織った孔雀は、巨大なモニターの前で椅子を回し、楽しげに春奈を見る。年齢不詳の顔には疲れがなく、むしろ入学式を終えた新入生より元気そうだった。
「入学おめでとう。では早速、助手の仕事だ」
「祝いと労働を同時に出すな」
「効率的だろう?」
「人の心をどこに置いてきたの?」
「研究室のどこかにはあるはずだ」
「探してから喋って」
孔雀は笑い、指先でモニターを弾いた。
空中に、新入生のAMS適性データが広がる。名前、所属、寮、適性系統、展開可能時間、同期安定率、管理AIとの接続負荷。それらが一覧化され、上位数名のデータだけが抽出されていた。
春奈は眉をひそめる。
「いきなり個人情報ぶちまけないでくれる?」
「高適性者の安全管理上、必要な確認だ。君にも関係がある」
「あたし新入生なんですけど」
「その前に私の助手で、内蔵型AMSコアの世界唯一の成功例で、管理AIの管轄外に片足を突っ込んだ規格外個体だ」
「言い方」
春奈は文句を言いながらも、モニターを見る。
一般的な新入生のAMS展開可能時間は数時間。高適性者で半日近く。中には、入学時点でかなり優秀な数値を出している者もいる。天機学園の倍率を考えれば当然だが、それでも上位者のデータは見事だった。
その中に、一つだけ突出した名前があった。
大野秋音。
春奈の指が止まる。
孔雀は、それを見逃さなかった。
「妹君は優秀だな。入学時点で一日規模の展開可能時間。制御、解析、継続力、どれも同学年では頭一つ抜けている」
「妹君って言い方やめろ。あと、勝手に見せんな」
「見たかっただろう?」
「見たかったけど、そういう問題じゃない」
春奈はモニターから目を逸らそうとして、結局逸らせなかった。
秋音の数値は、誇らしいほど高かった。制御型と解析型に強く、同期安定率も異常に高い。全身展開の継続時間は、入学時点で約一日。一般学生が数時間で限界を迎えることを考えれば、破格だ。
だが、春奈は嬉しいだけではいられなかった。
秋音は努力する子だった。
才能があるのに、それに甘えない。兄が感覚でこなしたことを、秋音は何度も繰り返して自分のものにした。悔しがって、泣きそうになって、それでも翌日にはまた机に向かっていた。だから強くなる。だから伸びる。
この数値は、秋音がそこまで積み上げた証だ。
そして同時に、危険な場所へ近づく資格でもある。
『春奈、心拍上昇を確認』
「今それ言う? マジ空気読んで?」
『出力波形にも微細な揺れがあります』
春奈は胸元に手を当てた。
確かに、コアが少し熱い。秋音の名前を見ただけで、内側がざわつく。昨日今日始まった反応ではない。秋音に関わることになると、春奈の感情は簡単に跳ねる。
孔雀は楽しそうに、しかし目だけは研究者のそれでモニターを見ていた。
「君のコアは、入学式で妹君を視認した瞬間にも反応している。今も同じだ」
「言い方! それ、ただの限界シスコンみたいじゃん!」
「違うのか?」
「違……わないけど、言うな!」
『事実です』
「アリアまで敵に回るのやめて?」
孔雀はくつくつと笑いながら、春奈の前に別のデータを表示した。春奈自身のコア出力波形だ。通常のAMロイドなら、管理AIの許可、外部デバイスの展開、同期率の上昇、出力段階の移行が順序立てて記録される。
しかし春奈の波形は違う。
感情の動きに合わせて、コアが直接反応している。管理AIの許可を経由しない、内側からの出力変動。危険域には届いていないが、通常のAMロイドにはありえない動きだった。
「つまり、シスコンで出力上がってるってこと?」
「言い方を選ばないならそうだ」
「選んで?」
「妹への強い保護衝動が、君のAMSコアと深く結びついている可能性が高い」
「急に真面目に言われると、それはそれでしんどい」
春奈は椅子に座り、足を組んだ。
軽口を叩いていないと、落ち着かなかった。秋音のことになると、自分の中の春太が簡単に顔を出す。守りたい。近づきたい。抱きしめたい。名前を呼びたい。けれど、それをしてはいけない。
その矛盾が、コアにまで影響している。
厄介すぎる。
「暴走の危険は?」
春奈が聞くと、孔雀は笑みを薄めた。
「現時点では低い。ただし、君の出力は管理AIが完全には縛れない。感情が鍵になるなら、妹君が危険に晒された時、君がどこまで跳ねるかは未知数だ」
「止められる?」
「君自身が止まる気ならな」
「うわ、最悪」
『必要に応じて、私が補助します』
アリアの声が入る。
春奈は少しだけ表情を緩めた。
「頼りにしてる」
『ただし、最終制御権はあなた自身にあります』
「わかってる。そこが一番怖いんでしょ」
『はい』
アリアは、珍しく即答した。
春奈はその素直さに苦笑する。普通の管理AIなら、危険性を数値で返すだけだろう。けれどアリアは違う。怖いという表現を理解し、それを春奈に隠さない。
孔雀が作った、不完全な管理AI。
完璧でないからこそ、信用できる存在。
その不完全さを知っている者は、この学園でもごくわずかしかいない。
孔雀はモニターを切り替えた。
「さて、妹君と君の限界シスコン反応も重要だが、今日の本題はもう一つある」
「また言った。あと本題それじゃなかったんだ」
「入学式の新入生登録時、管理ログに妙なノイズが混じった」
空中に、細い波形が表示される。
春奈は椅子から身を乗り出した。
「何これ。ノイズ?」
「ただのノイズなら、私は君を呼ばない」
「うわ、嫌な言い方」
『侵入未遂と断定するには情報不足です』
アリアの声が、いつもよりわずかに硬くなった。
『管理領域への直接干渉は遮断済みです。被害は確認されていません。ただし、外部から登録処理の反応を試すような動きがありました』
「試す?」
春奈は眉をひそめる。
孔雀が頷いた。
「扉を壊そうとしたわけではない。鍵穴の形を確かめた、という方が近い」
「気持ち悪」
「同感だ。しかもタイミングが悪い。新入生の適性登録時だ。高適性者の情報が流れる瞬間を狙った可能性がある」
「秋音も含まれる?」
「当然含まれる」
春奈の表情から、軽さが消えた。
ラボの空気が少し沈む。孔雀も笑っていない。アリアの応答も止まっている。機械の駆動音だけが、静かに響いていた。
「火災の時と似てる?」
春奈は自分でも驚くほど低い声で聞いた。
孔雀はすぐには答えなかった。
それが、答えのようなものだった。
「断定はしない」
「孔雀先生がそう言う時って、大体ろくでもない」
「学習しているな」
「そりゃ、あんたの助手何年やってると思ってんの」
孔雀は薄く笑った。
だが、その目にはいつもの悪ふざけがない。
「火災事件のログは、いまだに欠損が多い。AI暴走で片づけるには不自然すぎる部分がある。今回のノイズと直接つながる証拠はないが、偶然と片づけるには気味が悪い」
「誰かが、また適性者を見てるってこと?」
「可能性はある」
「目的は?」
「それを調べるために、君を呼んだ」
「入学初日の新入生にやらせる仕事じゃないんだけど」
「君はただの新入生ではないだろう?」
春奈は言い返せなかった。
その通りだ。
自分はただの新入生ではない。大原春奈として天機学園に入学したけれど、その身体には内蔵型AMSコアがある。管理AIの許可を完全には必要としない、世界で唯一のAMロイド。火災事件の生存者で、秋音の兄だった存在。
そして、おそらく何者かにとっては、見逃せない異常個体。
孔雀は春奈に小型端末を投げた。
春奈は反射的に受け取る。
「何これ」
「研究区と学園内ログを閲覧するための補助端末だ。もちろん学生用の権限では見えない範囲も見える」
「うわ、持ってるだけで怒られそう」
「怒られたら私の名前を出せ」
「それ余計怒られるやつじゃん」
孔雀は楽しそうに笑った。
「春奈。君には二つの顔がある。陽極寮の新入生として、学園生活を送りたまえ。友人を作り、授業を受け、対抗戦に参加し、青春を謳歌するといい」
「急にまともなこと言うじゃん」
「同時に、私の助手として目を開けておけ。この学園で何かが起きようとしているなら、最初に気づけるのは君かもしれない」
春奈は端末を握りしめた。
少し重い。
物理的な重さ以上に、そこに乗せられた役割が重かった。
春奈は軽く息を吐き、いつもの調子で言う。
「青春と裏仕事の二重生活とか、属性盛りすぎじゃない?」
「今さらだろう。美少女ギャルモデルで、内蔵型AMロイドで、妹を溺愛する元兄で、私の助手だ」
「並べるな。情報量で死ぬ」
『否定可能な要素がありません』
「アリア、追撃やめて?」
少しだけ、空気が緩む。
孔雀はモニターを閉じた。
「今日のところは戻っていい。陽極寮での立ち位置も作らねばならんだろう」
「言われなくても。あたし、社交性だけは高いんで」
「自分で言うのか」
「事実だし」
春奈は椅子から立ち上がり、端末を制服の内ポケットへしまった。
ラボを出る前に、もう一度だけ秋音のデータが表示されていた場所を見る。すでに画面は閉じられている。それでも、数値は頭から離れなかった。
一日展開可能。
制御・解析ともに上位。
同学年トップクラス。
誇らしい。
でも、怖い。
優秀な適性者は、いつだって誰かの目に留まる。
春奈はそれを、嫌というほど知っている。
陽極寮に戻る頃には、共有ラウンジで新入生たちの自己紹介が始まっていた。
誰かが持ち込んだ菓子がテーブルに並び、寮内端末には各自のクラス予定が映されている。明るい声が飛び交い、早くも連絡先を交換しているグループもあった。春奈が入ると、数人がすぐに顔を上げる。
「あ、大原さん戻ってきた」
「どこ行ってたの?」
「もうモデルの仕事?」
春奈は一瞬で表情を切り替えた。
「ちょい仕事。入学初日から労働とかウケるよね」
「え、忙しすぎない?」
「大人って怖いわー」
軽く笑うと、周囲もつられて笑った。
春奈はその輪に自然に入る。名前を聞き、顔を覚え、相手の話し方や距離感を測る。誰が場を回したがるタイプか、誰が緊張しているか、誰がこちらに強い興味を持っているか。陽極寮の空気は明るく、反応が早い。春奈のギャル口調は、その中に驚くほど馴染んだ。
だが、内側では別のことを考えていた。
秋音のこと。
入学式のログ異常。
火災事件との類似。
管理領域を試すような不気味なノイズ。
「大原さん、疲れてる?」
近くにいた女子生徒が、小さく聞いた。
春奈は目を瞬かせ、それから笑う。
「え、バレた? 入学式と移動で普通に体力削られたかも」
「無理しないでね。明日から授業も始まるし」
「ありがと。優しすぎて泣きそう」
「泣いてないけど」
「そこは流して?」
場にまた笑いが生まれる。
春奈は笑いながらも、ほんの少しだけ胸元に意識を向けた。コアは静かだった。さっきよりも落ち着いている。けれど、完全に何もないわけではない。秋音の名前を思い出すたびに、奥で小さな熱が揺れる。
夜。
自己紹介会が一段落し、春奈は自室に戻った。
部屋の窓からは、夜の天機学園が見えた。海上に浮かぶ学園都市は、夜になると昼とは別の顔になる。中央学区の灯り、研究区の青白い光、訓練区の警告灯、遠くに見える港湾区の誘導ランプ。海面にはそれらが滲み、まるで都市全体が機械の心臓のように輝いていた。
春奈はベッドに腰を下ろし、学生証を手の中で転がした。
表示されているのは、陽極寮。
その向こう、別の寮棟には陰極寮がある。
そこに、秋音がいる。
「秋音。あんた、どんだけ頑張ったんだよ」
小さく呟いた声は、部屋の中に落ちた。
誇らしかった。
春太の妹は、やっぱりすごい。兄がいなくても、両親がいなくても、感情を凍らせたままでも、努力して、努力して、天機学園のトップクラスに立っている。
でも、怖かった。
その努力の理由が、春奈にはわかってしまう気がした。
兄のような被害者を増やさないため。
火災を起こしたものに近づくため。
復讐のため。
春奈は学生証を握りしめる。
窓の向こうで、陰極寮の灯りが静かに瞬いていた。
「今度は」
その声から、ギャルの軽さは消えていた。
大野春太だった頃の、兄の声に少しだけ近かった。
「ちゃんと守る」
胸の奥で、AMSコアが静かに熱を返した。




