第3話 目覚めたら、美少女AMロイドでした
最初に戻ってきたのは、音だった。
遠くで機械が低く唸っている。一定の間隔で鳴る電子音。空調が空気を循環させる微かな振動。どれも聞き慣れないはずなのに、なぜか身体の内側まで響いてくるようだった。
春太は、ゆっくりと目を開けた。
白い天井が見えた。病院、だろうか。いや、病院にしては天井が高すぎるし、照明の色も少し冷たい。視界の端には、透明なパネルがいくつも浮かび、意味のわからない数値が流れている。
身体が重い。
いや、違う。
重いのではない。軽すぎる。まるで、自分の身体の重さをまだ脳が覚えていないみたいだった。
「……秋、音……?」
妹の名前を呼ぼうとした。
その瞬間、春太は固まった。
声が、高い。
細くて、柔らかくて、明らかに自分の知っている声ではなかった。喉に手を当てようとして、持ち上がった手にも違和感を覚える。指が細い。手首も細い。肌の感触も、自分の記憶とずれている。
「……え?」
春太は上体を起こそうとした。
その動きに合わせて、やけに長い髪が肩から流れ落ちる。さらりと頬に触れたそれに、春太は反射的に顔を引いた。自分の髪ではない。少なくとも、春太だった頃の髪ではない。
いや、待て。
落ち着け。
火事があった。秋音を逃がした。AMロイドがいた。背中に衝撃があって、身体が動かなくなって、最後に白衣の女がいた。
出雲孔雀。
そうだ。あの人が、自分に聞いた。
生きたいか、と。
春太はベッドの上で硬直したまま、恐る恐る自分の身体を見下ろした。
白い医療用の検査着。見慣れない細い腕。自分のものとは思えない身体の線。胸元の内側、心臓とは少し違う場所に、かすかな熱がある。そこだけが一定のリズムで、静かに脈打っていた。
「いやいやいやいや……」
声が震える。
やはり高い。
「待て待て待て。落ち着け俺。落ち着け。こういう時こそ冷静に状況確認だ。まずここはどこだ。次に俺は誰だ。いや、俺は俺だろ。大野春太だろ。たぶん。いや、たぶんってなんだよ」
自分で言って、自分で怖くなる。
春太はベッド脇に足を下ろそうとした。すると、足先が床に触れる前に、身体が思った以上に軽く動いた。バランスを崩しかけ、慌ててベッドの縁を掴む。
「うわっ、軽っ……!」
身体の重心が違う。筋肉の動きも、手足の長さの感覚も違う。だが、動きそのものは滑らかだった。むしろ火災前よりもずっと反応がいい。少し力を入れただけで、身体がすぐに答える。
怖いくらいに。
春太はふらつきながら立ち上がり、近くにあった透明なパネルへ目を向けた。医療モニターかと思ったそれは、近づくと鏡のように反射した。
そこに映っていたのは、知らない少女だった。
明るい色の長い髪。大きな瞳。整いすぎた顔立ち。医療用の検査着を着ているせいで飾り気はないのに、どこか現実感がないほど綺麗だった。モデルか、アイドルか、少なくとも普通の男子中学生が寝起きに見る顔ではない。
春太は、鏡の前で口を開けた。
鏡の中の少女も、同じ顔で口を開けた。
「……誰だこれぇ!?」
「君だ」
背後から声がした。
春太は弾かれたように振り返る。白衣の女が、椅子に座っていた。長い脚を組み、タブレット型の端末を片手に、妙に楽しそうな顔をしている。火災の中で見た時と同じ、場違いなほど鮮やかな存在感。
出雲孔雀。
AMSを作った天才科学者。ニュースで何度も見た顔。ついさっきまで、生死の境目で自分を覗き込んでいた女。
孔雀は満足げに頷いた。
「うん。目覚めの反応としては百点だな。声の裏返り、表情の崩れ方、鏡を見てからの間。実に良い」
「何を採点してんだよ!」
「貴重な初回反応だぞ。記録するに決まっているだろう」
「記録すんな!」
春太は叫んだ。
叫んだ声が、やっぱり自分の声ではない。それがさらに混乱を加速させる。怒っているのに、声だけ聞けばただの少女が慌てているように聞こえるのが腹立たしい。
孔雀はまったく悪びれない。
「ちなみに全身鏡を正面に置く案もあったのだが、あまりに露骨すぎるかと思って反射パネルにした。配慮だ」
「どこが!?」
「いきなり全身を見せたら衝撃が強いだろう?」
「今でも十分強いわ!」
「元気で何よりだ」
「そういう話じゃねえ!」
春太は頭を抱えようとして、長い髪が指に絡まった。そこでまた動きが止まる。髪。声。手。身体。全部が知らない。どれだけ否定しても、鏡の中の少女は同じように混乱した顔でこちらを見返している。
孔雀は端末を操作しながら、平然と言った。
「まず状況を説明しよう。大野春太の身体は、医学的には救命不能だった」
その名前を聞いた瞬間、春太は息を呑んだ。
大野春太。
自分の名前。
けれど孔雀の言い方は、まるで過去の人物を指しているようだった。
「通常治療では無理。再生医療でも間に合わない。外部デバイス式のAMS補助でも神経系が保たない。要するに、君はあのままなら確実に死んでいた」
「……じゃあ、これは」
「治した、というよりは作り直した」
孔雀はあっさりと言った。
春太の胸元、心臓から少し外れた場所を指す。
「君の体内にはAMSコアがある。通常のAMロイドは外部デバイスを介して機械化するが、君は違う。コアそのものを身体に内蔵し、肉体とAMSを直接同期させている。世界初の内蔵型AMロイド、と言えば聞こえはいいが、実際は私でも再現性を保証できない前代未聞の個体だ」
春太は胸元に手を当てた。
そこに、確かに熱がある。心臓とは違う。鼓動とも違う。機械のようで、でも完全な機械ではない、不思議なリズム。
「俺の身体……どうなったんだ」
「大部分を再構築した。元の情報を可能な限り参照したが、損傷が大きすぎた。だからAMSコアとの親和性を最優先に、新しい身体として成立させた」
「新しい身体って……」
「そうだ。今の君は、大野春太ではない」
孔雀はそこで、ほんの少しだけ声を落とした。
「少なくとも、戸籍上も、身体上もな」
春太は鏡を見る。
そこには、知らない少女がいた。
大野春太はいない。
火災の中で秋音の手を引いた兄はいない。両親に呼ばれていた息子はいない。学校で友人と馬鹿な話をしていた男子はいない。鏡の中には、孔雀が作り直したという、美しい少女だけが立っている。
怒りが込み上げた。
「勝手に……」
声が震える。
「勝手にこんな身体にして、勝手に名前まで消して、それで助けたって言うのかよ」
孔雀は黙って春太を見ていた。
いつものようなふざけた笑みは、少し薄くなっている。
「君には怒る権利がある」
「当たり前だろ!」
「だが、私には謝る資格がない。選択肢を与えたとはいえ、あの時の君は瀕死だった。正確な同意とは言えない。私は君を救うために、君の身体を勝手に変えた」
「だったら……」
「それでも、他に手はなかった」
孔雀の言葉は冷静だった。
冷たいのではない。ただ、事実を削らずに置いている声だった。
「命を残すには、それ以外の全部を諦める必要があった。姿も、名前も、元の身体も。私はその中で、君が生きる可能性を選んだ」
春太は唇を噛んだ。
怒りたい。
殴りかかりたい。
ふざけるなと叫びたい。
けれど、わかってしまう。自分は本来死んでいた。孔雀がいなければ、秋音の声を最後に聞いたまま終わっていた。今ここで怒れていること自体が、孔雀のしたことの結果だ。
だから余計に苦しかった。
助けられたことを否定できない。けれど、この姿をすぐに受け入れることもできない。
春太は、かすれた声で問う。
「秋音は」
孔雀の表情が少し変わった。
「生きている」
その一言で、春太は膝から崩れ落ちそうになった。慌ててベッドの縁を掴む。身体が震える。知らない身体なのに、涙が出そうになる感覚だけは昔と同じだった。
「……本当に?」
「ああ。大きな外傷はない。煙を吸ってはいたが、処置済みだ。現在は保護下にある」
「よかった……」
春太は息を吐いた。
胸の奥のコアが、静かに熱を放つ。秋音が生きている。それだけで、身体の力が抜けた。今の自分がどうなっているのか、怒りも恐怖も全部、一瞬だけ遠くなる。
秋音が生きている。
自分が守った。
それだけで、まだ立っていられる気がした。
けれど孔雀は、すぐに続けた。
「ただし、君の両親は亡くなった」
春太の息が止まった。
わかっていた。
どこかで、そうだと思っていた。あの時、父と母とは離れた。炎が道を塞いだ。父の目が、行けと言っていた。戻れなかった。助けられなかった。
それでも、言葉にされると、胸の内側が潰れた。
「……そっか」
それしか言えなかった。
孔雀は余計な慰めを言わなかった。それがありがたかった。今、優しい言葉をかけられても、きっと受け止められない。
春太は鏡の中の少女を見る。
父と母の息子だった自分は、もうこの世にいない。秋音の兄だった自分も、世間的には死んだのだろう。
「俺は……どうなってる」
「大野春太は、火災事件で死亡したことになっている」
孔雀の声は静かだった。
「君を生かすには、表の記録から切り離す必要があった。今の君は、あまりにも特殊すぎる。体内AMSコア。デバイス不要の機械化。通常の管理AIの管轄からも外れかねない出力特性。どれ一つ取っても、表に出せば国も企業も軍も黙っていない」
「つまり、俺はもう春太として戻れないってことか」
「少なくとも今は無理だ」
「秋音にも?」
孔雀は答えるまで、少しだけ間を置いた。
「今すぐ会えば、あの子は壊れるかもしれない」
春太は顔を上げた。
「なんでだよ。秋音は、俺が生きてるって知ったら――」
「喜ぶだろうな。だが同時に、君を失った現実も、君が変わってしまった現実も、両親を失った現実も、全部一度に突きつけられる」
「……」
「しかも、今の君は大野春太の姿ではない。声も、顔も、身体も違う。君がどれだけ本物だと叫んでも、彼女にとっては死んだ兄が別人の姿で戻ってきたことになる」
孔雀は端末を閉じた。
「それが救いになるか、さらなる傷になるか。私は断言できない」
春太は何も言えなかった。
秋音に会いたい。
今すぐ会いたい。生きてると伝えたい。大丈夫だと言いたい。父と母を守れなかったことを謝りたい。あの時、手を離したことを謝りたい。
けれど、秋音の顔が浮かぶ。
泣きながら伸ばした手。
兄さん、と叫ぶ声。
もしその妹の前に、知らない少女の姿で立ったら。
秋音は、笑うだろうか。
それとも、もう一度壊れるだろうか。
春太は拳を握った。細い指が、白くなる。
「秋音が生きてるなら……それでいい」
声にした瞬間、自分でも嘘だと思った。
孔雀もすぐに見抜いたように、眉を上げる。
「本当にそれだけでいいのか?」
「よくない」
春太は即答した。
「よくないに決まってる。でも、あいつが生きてるなら、俺はまだ我慢できる」
それは、強がりだった。
けれど同時に、本音でもあった。
春太にとって、秋音が生きていることは、何よりも優先される。自分がどんな姿になっても、どんな名前になっても、秋音が息をしているのなら、それでまだ耐えられる。
耐えなければならない。
孔雀は少しだけ目を細めた。
「君は、思ったよりも面倒な兄だな」
「うるさい」
「褒めている」
「褒め方下手すぎだろ」
春太はそう言ってから、少しだけ息を吐いた。
怒りも、悲しみも、混乱も消えていない。むしろ、何一つ整理できていない。けれど秋音が生きていると聞いたことで、足元に一本だけ細い線が引かれた気がした。
生きる理由。
それだけは、ある。
孔雀は立ち上がり、部屋の奥にある端末を操作した。空中に一枚の身分データが投影される。名前、年齢、仮の経歴、健康情報、AMS適性データ。そこに表示されていた名前を見て、春太は顔をしかめた。
「大原、春奈……?」
「今日から君の名前だ」
「いや、勝手に決めんな」
「不満か?」
「不満しかない。なんだよ春奈って。名前まで美少女っぽいの、腹立つな」
「似合っているだろう?」
「似合ってるのが一番ムカつくんだよ!」
孔雀は愉快そうに笑った。
「ちなみに苗字は大野から少し離した。完全に無関係ではないが、すぐに結びつきはしない。経歴も整えてある。しばらくは私の管理下で身体に慣れてもらう。その後、必要な教育と訓練を行う」
「訓練?」
「ああ。君はただ生き返ったわけではない。内蔵型AMSコアを持つ、前代未聞のAMロイドだ。制御できなければ、自分も周囲も壊す」
「……俺が?」
「正確には、君の出力がだ」
孔雀は春太の胸元を指した。
「そのコアは、既存の出力制限システムとは同期の仕方が違う。通常のAMロイドは管理AIの許可を得て出力を上げる。だが君の場合、最終的な鍵は君自身の意志に寄っている。つまり、君が暴れれば洒落にならない」
「なんでそんな危ないものを俺に入れた」
「入れなければ死んでいたからだ」
「ぐっ……」
反論できなかった。
孔雀はさらに続ける。
「だから訓練する。身体の使い方、AMSの制御、機械化の展開、戦闘、護身、そして自分を人間として保つ方法」
「人間として……?」
「君はこれから何度も問われる。自分は人間なのか、機械なのか、AIの一部なのか。だから先に言っておく」
孔雀は珍しく、まっすぐ春太を見た。
「君が何であるかを、他人に決めさせるな」
春太は、言葉を失った。
ふざけた女だと思っていた。いや、今でもそう思っている。勝手に身体を作り直し、美的感覚を反映したとか言い出す、倫理観の怪しい天才科学者だ。
けれどその目だけは、笑っていなかった。
春太は胸元に手を当てる。
AMSコアが静かに熱を返す。機械なのか、命なのか、まだわからない。けれど、少なくとも今の自分はここにいる。
「訓練したら、秋音を守れるのか」
「可能性は上がる」
「火災のことも、調べられるのか」
「それも可能性はある」
「じゃあ、やる」
春太は鏡を見た。
そこには、まだ知らない少女が立っている。大野春太ではない。大原春奈という、孔雀が用意した新しい名前の少女。
それでも、その瞳の奥には、秋音を守りたいと思った自分が残っている。
だったら、まだ終わっていない。
「大原春奈……か」
春太は、その名前を口にした。
ひどく馴染まない。口の中で転がしても、自分のものという感じがしない。それなのに、鏡の中の少女には妙に似合っていて、それがまた腹立たしかった。
孔雀がにやりと笑う。
「どうだ、悪くないだろう?」
「悪くはない。腹は立つけど」
「素直でよろしい」
「別にあんたに褒められたくない」
春太は、いや、春奈は小さく息を吐いた。
まだ何も受け入れられていない。
父と母がいないこと。大野春太が死んだことになっていること。秋音に会えないこと。自分が美少女の身体になっていること。体内にAMSコアがあること。
全部、重すぎる。
それでも、一つだけ決める。
「秋音が生きてるなら」
春奈は鏡の中の自分を見た。
知らない少女が、泣きそうな顔でこちらを見返している。
その顔を、無理やり笑わせる。
「この身体でも、生きてやるよ」
孔雀は何も言わなかった。
ただ、満足そうに口元を緩める。
部屋の外では、いくつもの機械音が鳴っていた。白い壁の向こうに、見知らぬ研究施設が広がっている。そのさらに先には、春奈がまだ知らない世界がある。AMS、AMロイド、管理AI、天機学園、そして火災事件の奥に潜む何か。
大野春太は、あの夜に死んだ。
けれど、秋音を守りたいという願いだけは焼け残った。
春奈は胸元に手を当てる。
そこにあるコアの熱は、機械のものか、命のものか、まだわからない。
でも、今はそれでよかった。
「で、孔雀」
「なんだい、春奈」
「その呼び方、まだ慣れないからムカつく」
「慣れるさ」
「あと、鏡は片づけろ。目覚めた瞬間にこれ見せるの、普通に性格悪いからな」
「褒め言葉として受け取ろう」
「受け取るな!」
春奈の叫びが、白いラボに響く。
その声はまだ、自分のものには聞こえなかった。
けれど確かに、そこには生きている自分がいた。
大野春太ではなく。
大原春奈として。




