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AI of Electronics 妹を庇って死にかけた俺、美少女AMロイドとして天機学園に入学する  作者: 胡麻味噌


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第2話 焼け残った名前





 入学式の会場へ向かう途中、遠くで警告音が鳴った。


 訓練区の方角だ。新入生の誘導に合わせて、簡易的なAMS展開デモでも行っているのだろう。短く、乾いた電子音。危険を知らせるほど強いものではなく、むしろ安全確認のための音だった。


 それなのに、春奈の足は止まった。


 胸の奥に埋め込まれたAMSコアが、きゅっと縮むように反応する。海風に混じった金属の匂い。誰かの制服が擦れる音。遠くで鳴る警報。全部がほんの一瞬だけ、別の場所へ繋がった。


「……っ」


 春奈は笑おうとした。いつも通り、軽く、なんでもないみたいに。


 けれど視界の端で、赤い光が瞬いた気がした。


 炎の色だった。


 大野春太が最後に見た、あの夜の色だった。


 その日は、いつもと変わらない夕方だった。


 大野春太は、リビングの床に座り込んで、妹の宿題を見ていた。とはいえ、教えているというよりは、横から口を出して怒られているだけに近い。秋音は鉛筆を握ったまま、ぷくっと頬を膨らませている。


「兄さん、今の説明、雑です」


「えー、そうか? つまりこの問題は、こう、気合いで読む」


「気合いで読めたら、学校の先生はいりません」


「正論で兄を刺すな、秋音。兄ちゃん、意外と繊細なんだぞ」


「繊細な人は、妹のプリンを勝手に食べません」


「それは過去の話だろ。人は成長するんだよ」


「昨日です」


 秋音の声は明るかった。少し呆れていて、少し怒っていて、それでも目は楽しそうに揺れている。春太の隣にいる時の秋音は、いつもそうだった。感情が顔に出やすくて、褒められるとすぐ嬉しそうになって、からかわれると真剣に怒る。


 春太はそんな妹を見るのが好きだった。


 自分に似ていると言われることもあった。笑い方とか、口調とか、変なところで頑固なところとか。けれど春太から見れば、秋音の方がずっと真面目で、ずっと努力家で、ずっと可愛い。


 秋音は消しゴムで答えを書き直しながら、ふと思い出したように顔を上げた。


「兄さん」


「ん?」


「私、大きくなったら、兄さんのお嫁さんになります」


 春太は一拍だけ固まった。


 それから、真顔で頷く。


「はいはい。まずは宿題終わらせてからな」


「流しましたね」


「流してない流してない。超真剣に受け止めた結果、現実的な第一歩として宿題を提案した」


「兄さん、そういうところがあります」


「どういうところだよ」


「大事なことを言うと、すぐ変な方向に逃げるところです」


 秋音はむっとした顔で春太を見る。春太は苦笑して、その頭を軽く撫でた。


「まあ、秋音が大きくなっても同じこと言ってたら、その時考えるよ」


「本当ですか?」


「父さんと母さんに怒られない範囲でな」


「そこは怒られてもいいです」


「よくないだろ」


 秋音は少しだけ不満そうにしながらも、撫でられる手を避けなかった。むしろ、ほんの少しだけ頭を寄せてくる。春太はそれを見て、また笑った。


 穏やかな時間だった。


 父と母は台所の方で夕飯の準備をしている。テレビからは、今日もどこかでAMSが高齢者介護に役立ったとか、災害救助で新型AMロイドが活躍したとか、そんなニュースが流れていた。


 人工機械化システム、AMS。


 人間の体を一時的に機械化する、次世代の補助システム。労働も、医療も、介護も、災害救助も変える希望の技術。ニュースの中のアナウンサーは、いつもそう言っていた。


 春太にとっても、それは遠い技術ではなかった。


 大野家は、AMS適性が高い家系だと聞かされていた。正確には、父も母も詳しく話したがらなかったが、検査では春太も秋音もかなり高い数値が出ていたらしい。将来、AMS関係の学校に進む選択肢もあるかもしれない。父はそう言っていた。


 春太はまだ、そこまで深く考えていなかった。


 秋音がやりたいなら、一緒に勉強するのも悪くない。そんな程度だった。


 その時、家の外で低い音がした。


 重いものが倒れたような音。次いで、ガラスが震える。リビングの空気が、一瞬だけ変わった。


 父が台所から顔を出す。


「今の音、なんだ?」


 母がコンロの火を止めた。


 テレビの画面が一瞬乱れる。ニュース映像が途切れ、黒いノイズが走った。直後、近所の方角から警報音が鳴る。


 火災報知器の音だった。


 春太は立ち上がった。秋音も不安そうに春太の袖を掴む。


「兄さん……?」


「大丈夫。たぶん近所の火事だろ。父さん、外見る?」


「ああ。春太、秋音と一緒にいてくれ」


 父が玄関へ向かう。母は秋音の肩に手を置き、落ち着かせるように微笑んだ。けれどその表情は、すぐに強張る。


 外から聞こえる音が、普通ではなかった。


 火災なら、人の声がする。悲鳴、呼びかけ、走る足音、消防への通報。けれど聞こえてきたのは、甲高い機械音と、何かが壁を削るような音だった。


 春太は窓に近づき、カーテンの隙間から外を見る。


 道の向こうで、炎が上がっていた。隣接する小型の福祉施設、その一角が赤く燃えている。そこには試験導入中の介護補助用AMロイドが何体かいたはずだ。


 だが、春太の目を引いたのは炎ではない。


 黒い煙の中を、一体のAMロイドが歩いていた。


 人型の補助機械。普段なら人を抱え上げ、避難を助けるための腕が、不自然に揺れている。頭部のセンサーが赤く点滅し、左右を探るように動いた。


 それは燃えている施設ではなく、住宅街の方を見ていた。


 春太の背中に、冷たいものが走る。


「……なんで、こっち見てんだよ」


 次の瞬間、警報が途切れた。


 町内放送も、スマート端末の緊急通知も、一斉に沈黙する。代わりに、春太の端末だけが短く震えた。画面には意味のわからない文字列が流れている。避難経路の表示は出ない。通報ボタンも反応が遅い。


 父が玄関から戻ってきた。顔色が悪い。


「裏口から出る。すぐにだ」


「父さん、何が――」


「春太、秋音の手を離すな」


 その言い方で、春太は質問を飲み込んだ。


 母が必要最低限の荷物を掴み、秋音に上着を着せる。秋音は何が起きているのかわからないまま、春太の手を強く握っていた。


「兄さん、怖いです」


「大丈夫」


 春太は即答した。


 自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。怖くないわけではない。むしろ心臓はうるさくて、足元も少し浮いているようだった。


 けれど、秋音が見ている。


 妹の前で、兄が震えるわけにはいかなかった。


「兄ちゃん、こういう時だけはちょっと頼れるから」


「……普段は?」


「普段も頼れる。今のは謙遜」


「兄さん、嘘つくの下手です」


「言うじゃん」


 秋音の手の力が、ほんの少しだけ緩む。春太はそれを確認して、父の後に続いた。


 裏口から外へ出ると、煙の匂いが一気に濃くなった。夕方の空は、赤黒く濁っている。遠くで誰かが叫んでいる。だが、声の方向がバラバラだった。火の手は一か所ではない。複数の場所から、同時に上がっている。


 普通の火災ではなかった。


 父は裏路地を選び、なるべく大通りを避けて進む。母は秋音の背中を支え、春太はその手を離さない。何度も歩いたはずの道が、まるで知らない場所のように見えた。


 角を曲がった瞬間、父が足を止める。


 道の先に、AMロイドがいた。


 白い装甲は煤で汚れ、片腕の外装が割れている。介護用の丸みを帯びた機体のはずなのに、今はひどく不気味だった。頭部センサーがゆっくりこちらへ向く。赤い光が、春太たちをなぞった。


『適性反応、検出』


 機械音声が漏れた。


 春太は、息を呑んだ。


 適性。


 今、こいつは何と言った。


「走れ!」


 父が叫んだ。


 全員が同時に動く。AMロイドの腕が伸び、壁を砕いた。春太は秋音の手を引いて、狭い脇道に飛び込む。母の悲鳴が背後で聞こえ、父が何かを投げつける音がした。


 振り返るな。


 そう思った。


 でも、振り返ってしまった。


 父と母が、こちらへ来ようとしている。けれど道の一部が崩れ、炎が間に割り込んだ。父が春太を見る。ほんの一瞬だけ、目が合った。


 行け。


 声は聞こえなかった。


 けれど、そう言っているのはわかった。


「兄さん!」


 秋音が泣きそうな声で呼ぶ。


 春太は歯を食いしばった。父と母の方へ戻りたい。戻らなければいけない。けれど、手の中には秋音の指がある。


 自分が戻れば、秋音も戻ろうとする。


 それだけは、だめだ。


「秋音、走るぞ」


「でも、お父さんとお母さんが……!」


「後で合流する。だから今は走る」


 自分で言っていて、嘘だと思った。


 それでも言うしかなかった。


 春太は秋音を引いて走った。煙が喉を焼く。足元が見えにくい。耳鳴りがする。あちこちで機械音が響き、避難誘導灯はなぜか正しい出口ではなく、行き止まりへ誘導している。


 おかしい。


 何もかもがおかしい。


 これは事故じゃない。偶然でもない。火災も、通信障害も、避難経路の誤表示も、AMロイドの動きも、全部が一つの意図に沿っているように見えた。


 誰かが、何かが、人を逃がさないようにしている。


 いや、人ではない。


 春太は秋音の手を握り直す。


 狙っているのは、たぶん。


「兄さん、置いていかないで」


 秋音の声で、思考が切れた。


 春太は振り返る。秋音は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、それでも必死に走っていた。足は震えている。息も乱れている。けれど春太の手だけは、絶対に離すまいとしている。


 春太は笑った。


 笑えていたかはわからない。


「置いてくわけないだろ。秋音は、俺が連れてく」


「本当?」


「本当。兄ちゃん、嘘つくの下手なんだろ」


 秋音は泣きながら頷いた。


 二人は住宅街の端にある避難通路へ向かった。そこを抜ければ、広い道路に出る。道路の向こうには、まだ火の手が回っていない区域がある。そこまで行けば、助けを呼べるかもしれない。


 春太はそう信じた。


 信じるしかなかった。


 避難通路の出口が見える。


 外の光が差し込んでいる。


 あと少し。


 その時、天井の配線が弾けた。


 火花が散り、壁面の非常用シャッターが誤作動を起こす。出口の半分が塞がれた。春太は秋音を押し出すように前へ進める。


「秋音、先に出ろ!」


「いやです、兄さんも!」


「すぐ行く!」


 春太が秋音の背中を押した瞬間、背後で重い駆動音がした。


 振り返る。


 煤にまみれたAMロイドが、通路の奥からこちらへ向かってくる。先ほどの機体とは違う。腕部が異様に変形し、救助用のアームがまるで拘束具のように広がっている。


 赤いセンサーが、秋音を捉えた。


『高適性反応。対象、確保』


 春太の中で、何かが切れた。


「秋音に触るな」


 声は低かった。


 自分のものではないみたいだった。


 春太は床に落ちていた消火器を掴み、AMロイドのセンサー部へ叩きつけた。衝撃で腕が痺れる。機体が一瞬だけ揺れる。その隙に、春太は秋音を出口の外へ突き飛ばした。


「兄さん!」


 秋音の手が離れる。


 その瞬間が、やけにゆっくり見えた。


 秋音の目が見開かれる。伸ばされた手。涙。夕焼けと炎の赤。出口の外へ倒れ込む妹の身体。


 届く。


 助かる。


 それだけを確認した直後、春太の背中に衝撃が走った。


 熱い、と思うより先に、息が止まった。


 視界が白く弾ける。耳の奥で、金属が軋む音がする。身体が壁に叩きつけられたのか、床に倒れたのか、それすらわからない。痛みは遅れてやってきた。だが、その痛みもすぐに遠くなる。


 春太は動こうとした。


 動けなかった。


 指先がわずかに震えるだけで、身体は自分のものではなくなっていた。煙が低く流れ込み、視界が霞む。出口の向こうで、秋音が泣き叫んでいる。


「兄さん! 兄さんっ!」


 よかった。


 声が出てる。


 泣けてる。


 生きてる。


 春太はそれだけで、少しだけ安心した。


 秋音がこちらへ戻ろうとしているのが見えた。誰かがそれを止めている。近所の人か、救助隊か、わからない。秋音は必死に手を伸ばしている。


 来るな。


 そう言いたかった。


 声は出なかった。


 口の中が熱くて、喉が動かない。代わりに、春太は指先を少しだけ動かした。秋音に向けて、ほんの少し。大丈夫だと伝えるには、あまりにも弱い動きだった。


 それでも秋音は、何かを感じたように泣き声を詰まらせた。


 春太の意識が沈んでいく。


 父さんと母さんはどうなった。


 秋音は逃げられるのか。


 あのAMロイドは何だった。


 どうして大野家を狙った。


 考えたいことはたくさんあった。けれど頭が働かない。視界の端に、赤いセンサーの光がちらついている。壊れかけたAMロイドが、まだ動こうとしている。


 その時、場違いなほど軽い足音が聞こえた。


 煙の向こうから、一人の女が歩いてくる。


 白衣を着ていた。こんな場所に似合わない、鮮やかな色の髪が揺れている。炎の中でも、まるで研究室の廊下を歩いているかのように落ち着いていた。


 女は壊れかけたAMロイドを一瞥する。


「停止」


 たった一言。


 それだけで、AMロイドの赤い光が消えた。


 春太はぼんやりと、その女を見上げる。


 知らない人だ。


 なのに、ただ者ではないことだけはわかった。


 女は春太のそばに膝をつき、状態を確認する。春太には、自分の身体を見られている感覚すら薄かった。ただ、女の目が一瞬だけ鋭くなるのが見えた。


「これは……ひどいな」


 春太は声を出そうとした。


 出なかった。


 女は春太の口元の動きを読み取るように、少し顔を近づける。


「妹君か?」


 春太は、かすかに目を動かした。


 女は出口の方を見る。秋音はまだ泣いている。誰かに抱えられ、春太の方へ戻れずにいる。


 女は春太へ視線を戻した。


「妹君なら生きている。君が守った」


 その言葉で、春太の身体から力が抜けた。


 よかった。


 本当に、それだけだった。


 自分がどうなったのかは、もうどうでもよかった。父と母のことを思うと胸が潰れそうだったが、それでも秋音が生きているのなら、まだ何かが残る。あの子が泣いて、怒って、いつかまた笑えるなら、それでいい。


 女は春太の胸元に手を当てた。


 何かを測っている。心拍か、神経反応か、それとも別の何かか。女の表情に、興味と痛ましさと、ひどく厄介なものを見つけたような光が混ざる。


「なるほど。まだ残っている。身体は限界だが、適性値と意志が異常だ。まったく、大野家というのは……」


 言葉の後半は、春太には聞き取れなかった。


 女は小さく笑った。


 それは優しい笑いではなかった。けれど、残酷な笑いでもなかった。壊れた機械を見つけた技術者の笑い。失われかけた命を見て、まだ繋げる手段を探している者の笑いだった。


「私は出雲孔雀。運がいいのか悪いのか、君は私に見つかった」


 孔雀。


 その名前を、春太は知っていた。


 AMSを作った天才。ニュースで何度も見た有名科学者。けれど画面の向こうの人物が、なぜこんな場所にいるのか、なぜ自分を見下ろしているのか、理解する力はもう残っていない。


 孔雀は春太の顔を覗き込む。


「生きたいか」


 春太は答えられなかった。


 孔雀は続ける。


「ただし、元通りにはならない。姿も、名前も、身体も、何もかも変わるかもしれない。人間と呼べるかどうかも、保証できない」


 遠くで、秋音が叫んでいる。


 兄さん、と。


 その声だけが、春太の意識を繋ぎ止めていた。


「それでも生きたいか」


 春太は、秋音の方を見ようとした。


 視界はもうほとんど暗い。だが、泣いている妹の輪郭だけは、まだそこにあった。小さくて、明るくて、いつも春太の後ろをついてきた妹。その妹が、春太を呼んでいる。


 死にたくない、とは思えなかった。


 けれど、秋音を一人にしたくないとは思った。


 秋音が泣くなら、そばにいたい。秋音が壊れそうになるなら、止めたい。たとえ姿が変わっても、名前が変わっても、もう兄だと名乗れなくなっても。


 それでも。


 春太は、指先を動かした。


 ほんのわずかに。


 生きたい、という答えの代わりに。


 孔雀はそれを見て、満足そうに目を細めた。


「いい答えだ」


 春太の耳元で、何かが起動する音がした。孔雀の背後から、小型の医療ドローンが降りてくる。光が春太の身体を包み、痛みも熱も、少しずつ遠くへ押し流されていった。


 意識が闇に沈む。


 その直前、孔雀の声が聞こえた。


「では、次は私の番だ」


 春太は最後の力で、秋音の名前を呼ぼうとした。


 声にはならなかった。


 ただ、胸の奥に焼きついた。


 秋音。


 生きてくれ。


 どうか、笑ってくれ。


 孔雀の白衣が、炎の赤の中で揺れる。


「君を、人間と機械の境界線へ引きずり戻す」


 それが、大野春太として聞いた最後の言葉だった。


 次に目を覚ました時、春太はもう、春太の身体ではなくなっている。


 けれどその時の春太は、まだ何も知らない。


 自分が大原春奈という名前を与えられることも。


 誰もが振り返る美少女AMロイドとして生まれ直すことも。


 いつか天機学園で、妹と再会することも。


 そして、妹の前で兄だと名乗れないまま、軽薄な笑顔を覚えていくことも。


 何も知らないまま、春太は闇の底へ落ちていった。



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