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社交界の毒ヘビと普通のお茶菓子

「……やっぱり、行かなきゃダメ?」

 鏡の前で、私は溜息をついた。

 私が着ているのは、村一番の仕立て屋(最近、私の野菜を食べて視力が十・〇に上がったおばあちゃん)が、「リーネちゃんに恥をかかせるわけにはいかない!」と徹夜で縫い上げてくれたドレスだ。

 生地は村の裏山に住んでいた『天蚕てんさん』という、肥料水の飛沫を浴びて巨大化した蛾が吐き出した糸でできている。光の当たり方で七色に輝き、鋼鉄よりも頑丈で、魔法をすべて無効化する性質があるらしいけれど、私にとっては「ちょっと丈夫でツヤツヤした服」でしかない。

「主、王都側が『大賢者様を辞職させるなら、せめて一度その育て主にお会いしたい』と泣きついてきましたからね。ここで顔を貸しておけば、今後の野菜の出荷もスムーズになりますよ」

 白髪の老紳士姿のシロが、手慣れた手つきで私のドレスの背中のリボンを整えてくれる。

 彼の後ろでは、除草班のカイルたちや、元・大賢者のゼノンが「リーネ様の護衛は俺たちの命に代えても!」と、鼻息を荒くして整列していた。

「みんな、お留守番お願いね。お土産に王都の珍しい種とか買ってくるから」

 私は、村の皆さんに持たされた「お土産」を大きなカゴに詰め込み、王都から迎えに来た魔導馬車に乗り込んだ。

 カゴの中身は、もちろん特製肥料で育てたジャガイモ、ナス、そして「お茶菓子」として乾燥させただけの『干し芋』だ。

 王都の王宮で行われたパーティーは、目が眩むほどの豪華さだった。

 大きな水晶のシャンデリアが輝き、高価な香水の匂いが立ち込め、着飾った貴族たちがワイン片手に談笑している。

「あら、見て。あの方が噂の『辺境の魔女』?」

「魔女というより、ただの田舎娘じゃない。あんな安っぽいカゴを持って……」

 会場に入った途端、扇子で口元を隠した令嬢たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。

 その中心にいたのは、この王都の社交界を牛耳る「毒ヘビ」の異名を持つ、公爵令嬢のイザベラだった。彼女は絶世の美女として知られているが、プライドが非常に高く、自分より目立つ女を徹底的に叩き潰すことで有名だった。

「おーほっほっほ! 貴女がリーネさん? 騎士団長や大賢者様をたぶらかして、田舎のジャガイモを高く売りつけているという詐欺師さんは」

 イザベラが取り巻きを引き連れて、私の前に立ちはだかった。

「詐欺師だなんて、人聞きが悪いです。私はただ、美味しい野菜を育てているだけですよ」

「まあ! そのカゴの中身がその『野菜』? 泥臭いわねぇ。王都の最高級シェフたちが作ったお料理の隣に置くなんて、失礼だと思わないのかしら?」

 イザベラは私のカゴを指差し、鼻で笑った。

 周囲の貴族たちからも失笑が漏れる。

「そんなに泥臭いって言うなら、試しに一つ食べてみます? お腹が空いてると、意地悪な気持ちになっちゃいますよ。はい、これ。うちの『干し芋』です」

 私はカゴから、黄金色に輝く一本の干し芋を取り出し、イザベラに差し出した。

 ただの干し芋だ。特製肥料で育てたサツマイモを、シロが龍の吐息(低温乾燥モード)で仕上げただけの、何の変哲もない(?)保存食である。

「はぁ? 貴女、私にそんな庶民の食べ物を口にしろと? 万死に値するわよ。……でも、そこまで言うなら、どれほど不味いか証明してあげましょう」

 イザベラは嘲笑を浮かべたまま、ひょいと干し芋を口に放り込んだ。

 ――モグッ。

 瞬間。

 会場全体の時間が止まった。

「……え?」

 イザベラの瞳が、かつてないほど大きく見開かれた。

 彼女の手に持っていた扇子が、パラリと床に落ちる。

「…………な、な、なななな……ッ!!」

 彼女の脳内では、今まさにビッグバンが起きていた。

 口の中に広がったのは、芋の概念を覆すような、濃厚な甘みと大地を凝縮したような芳醇な香り。そして、特製肥料に含まれていた「神の雫(魔力)」が、彼女の全身を駆け巡ったのだ。

「あ、熱い……! 何かが、私の中で弾けていく……!」

 イザベラの全身が、眩い黄金色の光に包まれた。

 周囲の令嬢たちが「きゃあああ! イザベラ様が発光してるわ!」と叫ぶ。

 光が収まった後、そこには驚愕の光景があった。

「……う、嘘でしょ……? イザベラ様、そのお顔……!」

 イザベラの肌は、まるで生まれたての赤ん坊のように透き通り、ツヤツヤと輝いていた。

 さらに、彼女が長年気にしていた目元の小さなシワも、乾燥気味だった髪の毛も、すべてが最高級のシルクのように蘇っている。

 ただの「美容」ではない。彼女の背後からは、高位の聖女にしか現れないという『聖なる後光オーラ』が立ち昇っていた。

「……ああ……視える。世界が……こんなにも美しかったなんて……」

 イザベラは、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

 彼女の目からは、大粒の涙が溢れ出していた。

「私……私はなんて愚かだったのかしら。王都の宝石だ、ドレスだと着飾って……そんなものは、この『干し芋』の気高さに比べれば、ただのゴミ屑……!」

「イザベラ様!? 大丈夫ですか!?」

「触らないで! 私のような汚らわしい女が、この干し芋を口にする資格があったなんて……。リーネ様、いえ、お姉様!!」

 イザベラは、私のドレスの裾を掴んで縋り付いてきた。

「お願いです! 私を貴女様の弟子にしてください! その干し芋……いえ、その『聖なる黄金』を育てるための土になりたいのです!」

「ええっ!? 土になるのはちょっと困りますけど……」

 会場は大パニックになった。

 「毒ヘビ」と恐れられた公爵令嬢が、田舎娘に土下座して弟子入りを志願しているのだ。

 その様子を見ていた他の貴族たちも、我先にと私のカゴに殺到した。

「私にもその芋を!」「金貨百枚出す、ジャガイモを一個売ってくれ!」「いや、私の領地と交換だ!」

 パーティー会場は一瞬にして「リーネの野菜即売会」へと変貌した。

 国王様までが「ちょっと私にも一口……」と列に並び始める始末だ。

「あらら、おやつに持ってきただけなんだけど……。はい、国王様。これはジャガイモの煮っころがしです」

「……う、美味い……。美味すぎる……。余は、今日から王を辞めて、ルナール村の村人になりたい……」

 国王様が涙を流しながらジャガイモを頬張る姿を見て、宰相が頭を抱えていた。

 そんな中、一人だけ面白くない顔をしている男がいた。

 隣国の軍事国家『ガリア帝国』の特使、ザックスだ。彼は以前、リーネの村にスパイを送った張本人でもある。

(※ザックスの思考:バカな……あの少女が持っているのは、ただの野菜ではない。一国の軍事力を一夜で塗り替える『戦略魔導触媒』だ。あんなものをあの小娘に独占させておくわけにはいかん。ガリア帝国が、武力をもってしても奪い取ってやる……!)

 ザックスは静かに会場を後にし、国境へ向かって合図を送った。

 「計画通り、軍を動かせ」と。

 パーティーが終わり、私はシロにエスコートされて馬車に乗り込んだ。

「ふぅ、疲れちゃった。王都の人たちって、みんな元気すぎてびっくりしちゃうわね」

「主、お疲れ様でした。……もっとも、主が与えた『干し芋』のせいで、王都の医療ギルドが『誰も病気にならないから仕事がなくなった』と閉鎖し、公爵家が『農業に転向する』と宣言したせいで、政治は大混乱のようですが」

「あら、みんな健康になるのは良いことじゃない。ねえ、シロ、お土産に珍しい『毒キノコの胞子』を買ったんだけど、これ肥料に混ぜたらどうなるかしら?」

「……主、それは確実に『食べた者が不死身になる代わりに、頭からキノコが生える薬』になります。……楽しみに調合しましょう」

 リーネの「普通」が王都の価値観を根底から破壊した夜。

 国境付近では、隣国の帝国軍が大挙して押し寄せようとしていた。

 しかし、彼らはまだ知らない。

 リーネの庭には、今や「元・隣国のスパイ」と「元・大賢者」という、最強の防衛布陣が敷かれていることを。

 そして、リーネが新しく調合した「毒キノコ肥料」が、さらなる地獄(あるいは奇跡)を呼ぶことを。

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