市場に出したら国家予算が動いた
騎士団の皆さんが、担ぎきれないほどの巨大キュウリとイチゴを抱えて(一部は台車に乗せて)帰っていってから数日。
我が家の家庭菜園は、さらに手が付けられない状態になっていた。
「うーん……困ったわね。シロ、あなたもそんなに食べられないでしょ?」
『グルル(主よ、さすがにこの「魔力密度が太陽並み」のナスを一日十本は、龍の胃袋でもはち切れそうです……)』
番犬のシロが、贅沢な悩みを抱えて庭に寝そべっている。
特製肥料の効果が止まらないのだ。朝に収穫しても、夕方には新しい実が倍の大きさで実っている。特に最近、肥料に「裏山の洞窟で見つけた光るキノコ(実は一万年に一度生える神木霊芝)」を隠し味に入れたせいで、作物の成長速度が音速を超えつつあった。
「そうだわ! 村の市場に持っていって、みんなに分けてあげましょう。ハンスさんみたいに元気になれば、村の農作業も捗るはずだし!」
私は名案を思いつくと、物置から古い大八車を引っ張り出してきた。
そこに、ラグビーボールサイズのジャガイモ、大蛇のようなキュウリ、そしてルビーのように発光するトマトをこれでもかと積み込む。
普通なら重すぎて動かないはずだが、肥料をたっぷり吸った野菜たちは、なぜか重力の影響を無視しているのか、ふわふわと浮き上がるような軽さがあった。
「シロ、お留守番お願いね!」
『ワン!(心得た。この聖域、蟻一匹通しません)』
私は軽やかな足取りで大八車を引き、村の中心部にある市場へと向かった。
ルナール村の市場は、最近の不作のせいで閑散としていた。
並んでいるのは、どれもしなびて虫に食われたような貧相な野菜ばかり。村人たちは暗い顔で、なけなしの銅貨を握りしめて歩いている。
「みんな、おはようございます! 今日はうちの庭で獲れた野菜を持ってきたよー!」
私が市場の端っこに店を広げた瞬間。
市場中の視線が、私のワゴンに釘付けになった。
「な、なんだ……あの輝きは……? 太陽が市場に降りてきたのか!?」
「おい、見ろよ! あのジャガイモ……あんなにデカいのに、表面から黄金の粉が舞ってるぞ!?」
ざわざわと人だかりができ始める。
私はニコニコしながら、一番上にあったトマトを取り出した。
「はい、おじいさん。これ、試食してみて。元気が出るから!」
通りがかった、今にも行き倒れそうな老人にトマトの欠片を差し出す。
老人がおどおどしながらそれを口にした、その瞬間。
ドォォォォォォォォン!!
老人の背中から、神々しい後光が差し込んだ。
「――っ!? ぬ、ぬおおおおお!! 膝が! 十年来の持病だった膝の痛みが消えたばかりか、視力が、視力が五・〇くらいになったぞ! あの山の頂上の蟻が交尾してるのが見える!」
「えっ、本当!? よかった!」
その光景を見ていた村人たちが、一斉に私のワゴンに殺到した。
「私にもくれ!」「そのナスを売ってくれ!」「金ならある、銅貨三枚だ!」
市場がパニックになりかけた、その時。
「どけ! どかんかッ! ギルドの査定員様のお通りだ!」
人混みをかき分けて現れたのは、この地方の商業を束ねる商人ギルドの職員、マルコさんだった。彼は傲慢な態度で私のワゴンを見下ろしたが、次の瞬間、その目に嵌めていた「鑑定のモノクル」がバチンッ! と火花を散らして砕け散った。
「ぎゃあああっ!? 私の特注モノクルが!?」
「あら、大丈夫ですか? はい、キュウリ食べます?」
「バ、バカを言うな! 私はプロだぞ、食べ物くらいで――モグッ」
無理やり口にねじ込まれたキュウリを噛み締めた瞬間、マルコさんの顔色が、青、赤、白、そして輝く金色へと変化した。
彼はその場に膝をつき、嗚咽を漏らしながら地面を叩いた。
「……何だこれは……。今まで私が『最高級』と呼んで扱ってきた王都の食材は、すべて泥水だったのか……。これはキュウリではない。概念だ。世界を構築する根源的な生命力の結晶だ……!」
マルコさんはガタガタと震えながら、私の手を握りしめた。
「リーネさん……! このジャガイモ一個、いや、一切れでいい。いくらだ!? 私の全財産、金貨五百枚で足りるか!?」
市場に激震が走った。
金貨五百枚。それはこの村が数十年かけて稼ぐ国家予算並みの金額だ。村人たちが「ひえっ」と声を上げて後退りする。
「ええっ!? そんなのダメですよマルコさん! これ、ただの家庭菜園の余り物なんだから。えーと……ジャガイモ一個、銅貨五枚でどう?」
「……正気か!?」
マルコさんが絶叫した。
「そんな値段で売ってみろ、世界中の商人がこの村に押し寄せて戦争が起きるぞ! 価値のインフレが起きて、通貨制度が崩壊する! リーネさん、君が売っているのは『野菜』じゃない、『神の恩寵』なんだぞ!」
「でも、おじいちゃんが『食べ物はみんなで分けるのが一番美味しい』って言ってたし……」
私が困り果てていると、背後から馬のいななきが聞こえてきた。
現れたのは、豪華な装飾が施された馬車。中から出てきたのは、この地方を治める領主、バドラス伯爵だった。
彼はもともと強欲で有名な貴族で、不作の村から無理やり重税を取り立てようと視察に来ていたのだ。
「騒々しいな。不作だと泣き言を言っていた村が、何を騒いで……ん?」
伯爵の視線が、私のワゴンに止まった。
彼の目が、ギラリと卑俗な輝きを放つ。
「……ほう。見事な造花だな。そのように光る細工を施して、商人を騙そうというのか。どれ、没収して鑑定してやろう」
伯爵が無理やりトマトを奪い取ろうとした。
その時。
「――主の所有物に、汚らわしい手を伸ばすな、凡夫」
低い、地の底から響くような声が響いた。
市場の入り口に、いつの間にか一人の白髪の老紳士が立っていた。
その身に纏うのは、汚れ一つない純白の燕尾服。だが、その瞳は爬虫類のような鋭い金色の光を放っている。
「……シ、シロ!?」
そう、それは番犬のシロが、リーネの特製肥料野菜を食べ続けた結果、ついに手に入れた「人化」の姿だった。
「主、お迎えに参りました。あまりに帰りが遅いので、野菜が自意識を持って逃げ出すのではないかと心配になりまして」
「シロ、すごーい! かっこいい服!」
『シロ』と呼ばれた老紳士は、優雅に一礼すると、冷徹な視線で伯爵を射抜いた。
その瞬間、伯爵の周囲の空気が、ミシミシと音を立てて凍りついた。龍王の威圧だ。
「な、なんだ貴様は……!? 私を誰だと思って――」
「お前の名前など興味はない。この土地を治める者だというなら、弁えよ。この御方が育てた作物は、お前のような腐った魂を持つ者が触れて良いものではない」
シロが軽く指を鳴らすと、伯爵の足元が爆発し、彼は無様に尻餅をついた。
「ひ、ひいいいっ! バ、バケモノだ! 衛兵! 衛兵ーーっ!」
伯爵は部下を置き去りにして、脱兎のごとく馬車で逃げ帰っていった。
市場に残された村人たちとマルコさんは、ただただ呆然としてシロと私を見つめている。
「あの……リーネさん。その……『シロ』さんは、一体……?」
「ああ、うちの番犬……じゃなくて、番人さんです! 頼もしいでしょ?」
シロは再び優雅に一礼し、私の大八車を軽々と持ち上げた。
「主、本日の市場はこれくらいにしておきましょう。あまりに刺激が強すぎたようです。残りの野菜は、私が責任を持って村の各家庭の玄関に、気づかれぬよう配置(超高速移動)しておきますので」
「ええっ、いいの? 助かるわー、シロ!」
私はシロと一緒に、嵐のような市場を後にした。
後に残されたのは、「一口の試食」で超人並みの活力を得てしまった村人たちと、砕け散ったモノクルを抱えて「歴史が……歴史が動いてしまった……」と呟き続けるマルコさんだけだった。
その日の夜。
ルナール村のすべての家庭の玄関先に、「神々しく光る巨大野菜」が一つずつ届けられた。
それを食べた村人たちは、翌朝、全員が十歳から二十歳ほど若返り、村全体の生産力が以前の五百倍に跳ね上がるという奇跡が起きたのだが、リーネは「みんな元気が一番よね!」と、今日も新しい肥料の調合に勤しむのであった。
しかし、逃げ帰った領主バドラス伯爵が、王都に「辺境に魔女と龍が現れた! 反逆の兆しあり!」と虚偽の報告を送り、さらなる波乱を呼ぶことになるのだが……。
「ねえ、シロ。次はあの光るキノコと、シロの抜け殻の鱗を混ぜてみようと思うんだけど、どうかしら?」
『……主、それはもしかすると、死者すら蘇らせる禁断の霊薬になるのでは? まあ、主がそう仰るなら、全力でお手伝いしましょう』
リーネの家庭菜園は、もはや国家の存亡を左右する「戦略兵器製造拠点」へと進化しつつあった。




