地上に庭が入りきらないので、大陸を浮かべます
ルナール村の私の家の周りは、今や「世界の中心」と呼ばれているらしい。
朝、窓を開ければ、魔王ヴォルガが部下の悪魔たちを指揮して魔界から運んできた「最高級の腐植土」を庭に敷き詰め、空を見上げれば女神アステリア様が天界の純水を雨として降らせている。
さらに庭の隅では、元大賢者のゼノンさんが「このトマトの光合成効率を0.01%上げれば、宇宙の真理に到達できる……」と呟きながら、難解な数式が刻まれた魔法陣で苗を囲んでいた。
「……シロ。なんだか最近、お庭が窮屈だと思わない?」
私は、成長しすぎて家と同じ大きさになった「超・巨大キャベツ」を見上げながら溜息をついた。
特製肥料の効果に加えて、魔王の土と女神の水、そして大賢者の管理が合わさった結果、作物のサイズがもはや「家庭菜園」の域を完全に逸脱してしまったのだ。
「ええ、主。このままではルナール村全体が、主の育てた野菜の葉に覆い尽くされて、日光が届かなくなってしまいますね。村人たちからは『野菜が大きすぎて、家が押し潰されそうだけど、美味しいから許す!』という、嬉しい悲鳴(?)が届いております」
シロが、肥料入りの「星屑コーヒー」を差し出しながら淡々と答える。
「おじいちゃんのノートを読み返してみたんだけど……『庭が手狭になったら、重力を反転させて空に広げればいい』って書いてあったの。シロ、これなら村のみんなに迷惑をかけずに、もっとたくさんお野菜を育てられるわよね?」
「……主、それはつまり『浮遊大陸』の創造ですね。……承知いたしました。現在の庭のメンバーであれば、造作もないことです」
作戦はすぐに始まった。
私は庭の中央に立ち、おじいちゃんのノートにある「空間拡張と浮揚の術(リーネにとってはただの配置換え)」の陣を描いた。
そこに、シロが龍の息吹を吹き込み、ゼノンが空間固定の魔法を上書きする。
「魔王ヴォルガ! 貴様の軍勢に命ずる! この庭の土壌を、魂ごと空へ押し上げろ!」
「承知した、ゼノン! 野郎ども、リーネ様の新農園の基礎作りだ! 気合を入れろ!」
魔王の号令と共に、三万の魔族たちが一斉に魔力を地面に叩きつけた。
地響きと共に、私の家の庭――いや、ルナール村の周囲の広大な土地そのものが、ゆっくりと空に向かって浮き上がり始めた。
ドォォォォォォォォン!!
村人たちが驚いて空を見上げる中、巨大な土の塊は雲を突き抜け、太陽に近い高度でぴたりと止まった。
そこに女神アステリア様が天界の光を収束させ、永劫に枯れない光源(人工太陽)を設置する。
「おーほっほっほ! 見なさい、これこそが神の農園! 私が責任を持って、この大陸に天界の加護を定着させますわ!」
女神様の翼から放たれる光が、大陸全体を包み込み、そこは一瞬にして「この世の楽園」へと変貌した。
地上の村とは、光の階段(特製肥料を塗ったツタ)で繋がれ、誰でも自由に行き来できるようになっている。
「わあ……すごい! これなら、太陽に一番近いところで、最高の『宇宙トマト』が育てられるわ!」
新しい「空中農園」での生活が始まって数日。
私は、さらなる実験を開始していた。
今回のテーマは、「意思を持つ野菜」だ。
「収穫の時に、野菜が自分からカゴに入ってくれたら楽でしょ? だから、この『知恵の果実(肥料)』をジャガイモに撒いてみるわ」
「……主、それは野菜を『植物生命体』に進化させるということですね。……嫌な予感しかしませんが、お手伝いしましょう」
私が虹色に脈打つ液体をジャガイモ畑に撒いた、その瞬間。
ポコッ、ポコポコッ!!
土の中から、無数のジャガイモたちが手足を生やして飛び出してきた。
彼らは「リーネ様!」「収穫の時間ですか!?」と流暢な言葉を話し、自らカゴの中へとダイブし始めた。
「まあ! なんてお行儀がいいのかしら!」
しかし、進化しすぎたジャガイモたちは、それだけでは終わらなかった。
彼らは手に手に小さなクワを持ち、自分たちで自分たちの畑を耕し、害虫(といってもゼノンの結界を潜り抜けた猛者)を格闘技で追い払い始めたのだ。
「報告します、リーネ様! 南側のトマト戦線において、カメムシ三匹を捕獲! すべて堆肥室へ連行いたしました!」
ジャガイモ兵士が、敬礼しながら私に報告してくる。
「……ゼノン様。我々の仕事が、ついにジャガイモに奪われようとしていますよ」
除草班のカイルが、呆然とジャガイモたちの軍事行動を見つめながら呟いた。
「フフ……。大賢者の私が、ジャガイモの魔法制御術に負けるとはな。……だが、これでいい。リーネ様の野菜が、ついに自律進化を始めたのだ。これは宇宙が新たな段階に進んだ証拠だ」
ゼノンはもはや、自分のアイデンティティが野菜に負けても笑っていられるほどに、リーネの「普通」に毒されていた。
しかし、この「浮遊大陸の出現」と「意思を持つ野菜」の誕生は、ついにこの世界の「創造神」の耳にも入ることとなった。
ある日の午後。
空中農園の中央に、女神アステリア様さえも平伏するほどの、圧倒的な光の化身が現れた。
それは、この世界を創ったとされる『唯一神』の意思。
「……人間よ。貴女の行いは、もはや世界の均衡を著しく乱している。神の領域を侵し、意思なき植物に魂を与え、天と地を逆転させた。……その罪、万死に値する」
神の言葉一つで、空中農園全体が激しく揺れ、ジャガイモ兵士たちが恐怖で震え上がった。
しかし、私はいつものように、収穫したばかりの『宇宙トマト』を丸かじりしながら、神様の前に歩み寄った。
「神様? 難しいことはよく分からないけど……そんなに怒ってると、血圧が上がっちゃいますよ? ほら、このトマト。宇宙のエネルギーがいっぱい詰まってるから、一口食べて落ち着いてください」
「……神に向かって、食べ物を差し出すか。不遜な。……だが、その香りは……。万物の源たる私でさえ、嗅いだことのない……」
神様は、差し出されたトマトを、無意識に受け取って口にした。
――ジュワッ。
その瞬間。
世界からすべての音が消えた。
神様の光の体が、一瞬にして弾け、そこには「パジャマ姿の、疲れ果てた表情の青年」が立っていた。
彼がまとっていた「威厳」という名の鎧が、トマトの圧倒的な生命力によって完璧に融解し、彼の中にあった『孤独』と『激務の疲れ』が癒やされていく。
「……ああ……。私は、世界を管理することに疲れ果てていたのだ……。なぜ、こんなに素晴らしいものが作れる人間を、私は排除しようとしたのか……」
神様は、トマトの汁を口の周りにつけたまま、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「……美味しい。ただ、美味しい。それだけで、すべてがどうでも良くなる。……リーネ、君が神にならないか? 私はもう、君の野菜を食べて、のんびり隠居したいんだが……」
「ええっ!? 神様になるのは疲れそうだから嫌です! 私は、ここでお野菜を育てているのが一番幸せなんです」
「……そうか。それなら、私もここで『農業見習い』として雇ってくれないか? 神の権能を使えば、天候操作も時間の加速も自由自在だぞ?」
「あら! それなら大歓迎です! シロ、新しい従業員さんよ!」
「……主。ついに創造神まで雇用してしまいましたか。……承知いたしました。神様、あちらでジャガイモたちが堆肥の配分で揉めていますので、仲裁をお願いします」
唯一神は「了解した!」と元気に返事をし、ジャガイモたちの群れへと走っていった。
空中農園は、今や人間、悪魔、天使、そして神が共生する、文字通りの『聖域』となった。
リーネの「普通」の暮らしは、ついに世界の理そのものを「美味しい野菜を育てるためのシステム」へと書き換えてしまったのだ。
本人は今日も、空に浮かぶ巨大なスイカを見上げながら、「次は銀河を肥料にしてみようかしら?」と楽しそうに笑うのであった。
しかし、世界が平和になればなるほど、リーネの作る野菜の「異常性」は加速し、ついに異世界の扉さえも開きようとしていたのだが……。




