第8話 マドレーヌの完成
桜季が蓮や凜、久美子の話を楽しく聞いていると、セットしたタイマーが家庭科室内に鳴り響いた。
待ちに待ったマドレーヌの焼き上がりを知らせる音に、皆が話をやめて立ち上がり、オーブンの方へと向かう。
当然桜季と美鈴も同様だ。
「それじゃあ取り出していきますよ」
ミトンを付けた蓮がオーブンを開けると、美味しそうな香りが一段と強くなり室内に広がった。
中にはいい感じに焼き色の付いたマドレーヌが並んでいる。
一分ほど置いた後焼き型を外し、それぞれのテーブルへと運んでいく。
自分の作ったマドレーヌを見て、皆が口々に歓声を上げた。
「わあ、いい香り!」
「あ、私のちょっと焦げてる」
「私のは……、うん、大丈夫、かなあ?」
「あたしのは……あ、ちょっと膨らみが少なかったかも」
などと自分の作ったマドレーヌを見て口々に感想を言い合う部員達や一年生。
桜季も美鈴と自分達の作品を覗き込む。
「サッキー、そっちのどう?」
「えっと……。見た目は良く出来たと思うんだけど……」
桜季が自分の作ったマドレーヌを見ながら首を傾ける。
美鈴の作った物と見比べてみてもパッと見て差があるようには思えない。
「でも、せんぱい達の作った奴の方が見た目綺麗だよね」
「うん」
やはり、というべきか、料理初心者である桜季と美鈴の作ったマドレーヌは蓮の作った物に比べて形が崩れていたり、焼き色も蓮の方が綺麗だ。
蓮ほどではないとはいえ、凜の作った物と比べても差があるのは分かる。
「それじゃあ早速食べて行こうか!」
「熱いので気を付けて食べて下さい」
粗熱を取った後、麻美と蓮の言葉で皆が自分の作ったマドレーヌを口にする。
桜季と美鈴も自分の作ったマドレーヌを一口食べる。
「――ッ!」
口の中に甘い味が広がった。
「…………美味しい」
ぽそりと一言、気が付けば言葉が口から漏れていた。
「うん! ちょっと硬いかもしれないけど美味しい!」
美鈴も同じように目を輝かせて感想を口にする。
自分で作ったマドレーヌ、蓮や凜に比べれば見た目こそ悪いが、それでも初めて作ったお菓子の味は格別だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「二人共、美味しく出来たみたいで良かったよ」
蓮が自分の席へと戻って来ると、桜季と美鈴が美味しそうにマドレーヌを食べていた。
どうやら美味しく出来たようで何よりだ。
「はい。先輩、ありがとうございました」
「うん! ありがとうね、せんぱい!」
二人がお礼を言ってくれる。
それを聞き、蓮も自然と笑みを浮かべる。
「いや、こっちこそありがとうだよ。半ば無理に誘ったようなものだし」
「い、いえ。そもそも光井先輩が道案内をして下さったのがきっかけですし、それにわたしもこうして美味しい物を食べることが出来たのですから」
「うんうん。感謝してるよ、せんぱい!」
「そうか。そう言ってくれたら誘ったかいがあったよ」
二人の言葉に胸を撫で下ろす。
それであれば何よりだ。
「持ち帰りたいんだったら向こうにある袋に詰めてくれ。ラッピング用のリボンもあるから」
「はい。ありがとうございます」
そう言って桜季と美鈴は袋を取りに席を立つ。
すると残った凜がこちらに向けて小さな声で話しかけて来た。
「こんなに笑顔で楽しんでくれるなら、教えてあげた甲斐があるな」
「そうだな。まあ、二人共家庭科部に入部希望ってわけじゃないけど」
桜季も美鈴も入部希望というわけではなく、今回はあくまでも怜に対するお礼の意味合いとしての参加だ。
これがきっかけで参加してくれれば嬉しいが。
「いいんじゃねえのか? 家庭科部は部員以外の参加も自由だろ? ってかお前が誘ったら入ってくれるんじゃね?」
「そう上手くいくかね? 二人共今日はたまたま時間があっただけってこともあるし」
高校生ともなれば、放課後の時間は色々な使い道がある。
勉強に力を入れたり、アルバイトをしたり。
そもそも他の部に入ることだって充分に考えられるだろう。
一方で久美子は蓮の作ったマドレーヌを食べると、幸せそうに口元に笑みを浮かべる。
「うん、これは美味しいわ……。さすがあなたが作った物ね。ふんわり感が絶妙よ!」
「ありがとうございます。ってか普通におれの作ったの食べてますよね。別にいいんですけど」
肩をすくめながら苦笑する蓮。
そもそも久美子が食べることを想定して、その分多めに作ってはいる。
久美子はついでに凜の作ったマドレーヌにも手を伸ばして口に放り込む。
「君のも美味しいわね。焦げ目もアクセントになって、いい感じよ。甘さも控えめでちょうどいいわ」
「いや、偶然です……。焦げたのはわざとじゃないっすよ。でも、あざっす」
凛も少し照れ笑いしながら肩をすくめる。
ふふっと笑いながら次のマドレーヌを口に運ぶ久美子。
その仕草はまるで子供のようで、家庭科室に登場した時の威厳ある姿は跡形もなくなっていた。
そして一つ食べる毎に美味しいとちゃんと口にしてくれる。
「でも、こうやって皆の作ったものを褒めてくれるところは、さすがだよな」
隣の凜をちらりと見ながらそう呟く。
「確かにな。ポンコツなとこもあるけど、嫌な気は全然しないし」
凜も頷き、マドレーヌの香りに包まれた室内を見渡す。
蓮は小さく息を吐き、心の中で少し微笑む。
教師として、家庭科部の顧問として。
時折見せるちゃらんぽらんさを併せ持つ久美子。
この人が部活の中心で皆に慕われる理由はまさにそれだ。
「……まぁ、こういう人だから、皆もついてくるんだろうな」
蓮と凜もマドレーヌを口にしながら、そう小さく呟いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
桜季は美鈴と別のテーブルに移動し、袋にマドレーヌを丁寧に一つ一つ袋に入れていく。
「でも……やっぱり、先輩って凄かったね。作るだけじゃなくて、焼き加減も完璧だし」
手元の作業に集中しながらも、自然と蓮の話題になる。
「わたし達のも上手に出来たと思うけど、やっぱり先輩の腕前にはかなわないね」
「だね。それにその前に食べたスコーンとかも超美味しかったし」
「でも、まさかこうやって家庭科室で楽しく過ごすなんて思ってもみなかったよね」
「うんうん。荷物運ばされたことに感謝かな」
もし物理準備室に荷物を運んでくれ、と言われなかったら、こうして家庭科室を訪れることもなかっただろう。
それに、蓮と出会うことも。
「ねね、サッキーはさ、そのマドレーヌ誰かにあげるの?」
「え? うん。お母さんと妹も甘い物好きだから持って帰ってあげようかなって」
「そっかー。アタシも家族で食べようと思って」
そんなことを話しながら、桜季は心の中でふと思う。
(これ、お母さんと琴乃、喜んでくれるかな……?)
甘い物好きな二人にこれを渡したら。
自分の作ったお菓子で笑顔になってくれるのだろうか。
ふと、マドレーヌを食べて美味しいと言ってくれる二人の顔が頭に浮かぶ。
すると、美鈴が笑いながら顔を覗き込んでくる。
「サッキー、なんかニヤニヤしてる?」
自分が笑みを浮かべていたことに気付いて、桜季は少し照れくさそうに笑ってしまう。
「ううん、なんでもない。ただ、お母さんと妹が、このマドレーヌ見て喜ぶ顔を思い浮かべてただけ」
「そっかそっか。喜んでくれると良いねー」
「うん。美鈴もね」
二人で思わず微笑み合う。
想像の中で、母と妹が袋を開けて目を輝かせ、楽しそうに笑う姿。
「……ふふっ、やっぱり、こういう時間っていいね」
「そうだね。せんぱいにも感謝だね」
ふと蓮の方を振り返ると、凜と久美子とわいわいとしながらマドレーヌを食べていた。
それがおかしくて、手元のマドレーヌを一つずつ袋に入れながら、つい二人で静かに笑ってしまった。




