第7話 義理チョコキング
部活の説明をしていると、オーブンから甘い香りが立ち上ってくる。
まもなくマドレーヌの焼き上がりだ。
室内に期待や緊張した空気が漂い始める。
とはいえまだ少し時間は掛かるのだが。
ガラッ
突然家庭科室の扉が開かれ、そこから一人の女性が入って来た。
家庭科部顧問の柊久美子。
蓮と凜のクラスの担任でもあり、担当教科は化学。
また、蓮と凜の元ご近所さんで姉の友人という関係から、小さい頃からの知り合いだ。
端正な髪型、びしっと着こなしたスーツ、落ち着いた立ち居振る舞い。
一目で『出来る女性』と感じる佇まい。
新入生の一部は目を輝かせ、憧れの眼差しで久美子を見つめている。
そんな中、久美子は家庭科室の前方へと立ち、ゆっくりと口を開いた。
「おはようございます、皆さん。新しい学生生活が始まって一週間、新たな環境には慣れましたか? もう授業で担当したクラスの学生もいるでしょうが、家庭科部顧問の柊久美子です。今日からよろしくお願いします」
久美子の声は落ち着いていて、家庭科室全体にしっかりと響いた。
新入生の間からパラパラと拍手が起きる。
「新入生の皆さん、今日から一緒に学ぶことになりますね。私はこの家庭科部を、とても大切に思っています。家庭科部とは、ただ料理や裁縫を学ぶだけの場所ではありません。生活の知恵や工夫、人と協力する力、思いやり……。これら全てが、皆さんのこれからの人生で必ず役立つ力となります――」
久美子が部を大切に思う気持ちを語り始めた。
家庭科の技術はもちろん、生活の知恵や協力の心、思いやりが人生で大きな力になること。
その部の顧問であることに責任を持ち、部員一人一人に寄り添いながら指導する覚悟を語る。
「はぇー……」
美鈴などは目を輝かせ、久美子に尊敬の視線を向けている。
(よく言うわ…………)
久美子の演説を聞く一年生達の姿を見て、蓮は心の中で半ば呆れてしまう。
そんな蓮の心情を知らず、久美子は更に言葉を続ける。
「家庭科部は一度、廃部の危機に立たされてしまいました。私はその時に思ったのです。生活に根ざした学びの場を、この学校から無くすわけにはいかないと。料理や裁縫はもちろん、日常の知恵や工夫を学べる大切な場所。それを守る為、必死に尽力しました」
「わあーっ、先生、すげぇ! カッコいい!」
「うん。凄いよね」
久美子の言葉を聞いて美鈴と桜季が感嘆の声を漏らす。
他の一年生の反応も二人と似たような物だ。
蓮の耳に、久美子に対する賞賛の声が届く。
久美子にもそれが届いたのか、誇らしげな表情になる。
だが、その空気をあっさり壊す声があった。
「……でも先生。それ凄く美談っぽく言ってますけど、実際は中身が違いますよね」
呆れながら口を開く蓮。
久美子を尊敬の眼差して見ていた一年生達は一転して『ん?』と頭に疑問符を浮かべ、蓮に視線を向ける。
「え……? ちょ、ちょっとあなた、何を……」
先ほどまで『出来る女』のオーラを醸していた久美子が、蓮の言葉にいきなり動揺する。
とはいえ蓮としてはここで言葉を止めるつもりは毛頭ない。
久美子の想い、考えはそんなに素晴らしい物ではないのだから。
「そもそも先生がこの部活の顧問にこだわる理由は、家庭科部がなくなったら運動部の顧問やらされて、仕事がめちゃくちゃ増えるのが嫌だからですよね?」
「……え?」
蓮の言葉に一年生達が疑惑の眼差しを久美子に向ける。
それを受けて、久美子はより焦っていく。
「ちょ、ちょっとあなた、な、何を言って……」
「ついでに言えば、家庭科部はただで料理を色々食べられて、顧問としての仕事もほとんどない楽な部活なんですよね?」
「ち、違います! ふ、二人共、そんなこと……これは教育の責任感で……!」
蓮に続く凜の言葉に、久美子は顔を赤くし必死に訂正を試みる。
だが他の二、三年生も笑いながら口を挟む。
「いや、くみちゃんせんせー、そう言ってたじゃないですか」
「そうそう。去年くみちゃんせんせー『このままじゃ美味しい料理食べられないし、家庭科部つぶれたら忙しくなるからイヤ!』って言ってましたよね」
「ち、違うの! あれは……半分冗談で……!」
久美子は必死に両手を振って否定する。
とはいえ部員の反応は変わらない。
久美子の所業を洗いざらいしゃべっていく。
「そもそも、おれがこの部に入ることになったのは、先生が泣き落としで頼んできたからですよね。『あなた、まだ部活は決まってないわね! お願い! 家庭科部に入って! あなた以外に料理とか色々と出来そうな人に心当たりないの! 私の休日を守って!』って言って」
入学当初、蓮と凜は家庭科部に入るつもりなど全くなかった。
それを色々と理由を付けて半泣きで頼んでこられた為に、仕方なく入ったのがきっかけだ。
「ち、違うの! 本当に家庭科部は大事なの! その、つい……本音がちょっと……」
必死に弁解する久美子だが、誰も信じていない。
久美子が否定する言葉を失ったところで、蓮はやんわりフォローを入れる。
「まあでも先生、こう見えて顧問としての仕事はちゃんとしているから。行事の時とかは本気出してますし」
とりあえず新入生の幻想さえ壊せればそれでいい。
後は、普段の久美子の良い所と悪い所をありのままに知ってもらえればいいだけだ。
「そ、そうそう! 私はやる時はやる女なのよ!」
久美子は胸を張り、なんとか立て直そうとする。
だが凜が笑いながらの一言。
「でも普段は部員が作ったもの食べて『美味し〜』って言ってるだけですけどね」
「それは……っ! 部員の士気を高めてるの……!」
久美子の必死な言い訳に、家庭科室は笑いに包まれた。
桜季と美鈴も思わず吹き出し、最初の『出来る女』への憧れは、いい意味で親しみやすさへと変わっていった。
✿
「……ってか先生ってなんでせんぱいが料理出来ること知ってるの?」
「確かに不思議ですね」
一段落したところで再び各テーブルに別れたところで(久美子は蓮達のテーブル)、不思議そうな顔で美鈴と桜季が問いかけてくる。
「ああ。先生はおれの近所に住んでておれの姉さんの友達なんだ。だから、ここに入学する前から交流があったんだよ」
「なるほどね」
「そうだったのですね」
美鈴と桜季が納得がいったと声を上げる。
「そ、そうなのよ。光井君は昔からしっかりしてて……」
「なるほど……だからせんぱいが先生を甘やかしてるんだ」
呆れたように笑う美鈴。
しかし言っていることは正しい。
久美子も反論出来ないのか視界が泳いでいる。
「でもやっぱり先輩って優しい人なんですね」
「そうなのよ。誰か困ってるとさりげなく手助けなんかしてくれたりしてね」
「あ、やっぱそんな感じなんですか?」
「当然だ。蓮はいつも優しいからな」
桜季の言葉に対し、スコーンをぱくついていた久美子ではなく、凜が自分が褒められたように誇らしそうに答える。
すると、美鈴もうんうんと頷いた。
「やっぱりー」
「いや、そうでもないだろ」
蓮としてはここまで褒め殺しにされるのは恥ずかしい。
本人的には大したことをしているわけではない。
「いやいやそんなことあるって。ねえサッキー」
「はい。先輩は優しいと思います」
桜季も迷うことなく美鈴の言葉に同意する。
とそこでスコーンを一つ食べ終えた久美子が口を挟む。
「しかもね、皆に優しいもんだから、『義理チョコキング』って呼ばれてるのよ!」
「ちょっ!!」
その瞬間、思いもしなかった発言に蓮は慌てて立ち上がる。
しかし、その言葉は桜季と美鈴の耳にもしっかり届いていた。
二人は思わず顔を見合わせて
「ぎ、義理チョコキング……?」
「それって……何ですか?」
と不思議そうに問いかけてくる。
蓮としては正直に答えるのも嫌なので、ごまかすように視線を外す。
「ああ。バレンタインに、たくさん義理チョコを貰えそうな人、という意味でね。誰にでも優しいから、自然とそういう名前がついたのよ。本命はともかく義理チョコ一番貰えそうな人」
笑いながら説明する久美子。
「ほえー! なんかめちゃくちゃカッコいいじゃん。義理チョコキングって!」
「いや、そんなに褒められることでもないと思うが……」
何と言って良いか分からず、蓮は頬を掻いてしまう。
「ってことは実際に義理チョコ貰ってるからそのあだ名がついたわけじゃないんだよね? 実際のバレンタインはどうだったの?」
「あだ名の通りの状況。結構多くの義理チョコ貰ってた」
興味深そうに問いかける美鈴に凜が素直に答える。
なお、本命もいくつかは貰っていたのだが。
とはいえ蓮としてはバレンタインで本命チョコレートを貰うことに特段意義を感じているわけではない。
「でもそうですね。多くの義理チョコを貰える、というのは多くの人から慕われているということではないでしょうか。そんな先輩はやはり素敵な人だと思いますよ」
「「「「……………………」」」」
すると桜季の口から思いがけなかった言葉が出て来た。
思わず四人で固まってしまう。
「あ、あれ……? わたし、今、変な事言いましたか?」
四人のリアクションを見て、慌てて桜季が問いかけてくる。
そんな慌てた姿がなんだか可愛らしい。
出会った時の凛とした姿からは想像も出来なかった。
「いや、変なことは言ってないって。なあ蓮?」
「ま、そう思ってくれるのは嬉しいけどな。っと、お茶がなくなったな、持って来る」
カップの中の紅茶がなくなったのをいいことに席を立つ。
このままここに居続けるのは恥ずかしくてかなわない。
少し離れて冷静さを取り戻したい。
「ごまかしたな」
「うん。せんぱいごまかしたね」
そんな蓮の後姿を見て、クスクスと笑みを浮かべる凜と美鈴。
ツッコミを入れると痛い目を見そうだったので、蓮はそのまま聞こえないふりをした。




