第81話 思い出した原点
数日後の昼休み、昼食を終えた桜季は美鈴と凜と共に人気のない空き教室にいた。
午前中の休み時間に、昼休みに話があると凜からメッセージを貰ったからだ。
凜も美鈴もいつもとは違った真剣で、そして不安そうな表情をしている。
部屋の空気もなんだか重い。
「さて、なんとなく理由は察してるだろうけど」
美鈴と顔を見合わせて頷き合う。
ここ数日、蓮の様子は時を追うごとにおかしくなっていった。
いや、おかしいというよりも余裕がない、それを強く感じてしまう。
「なんか、蓮の様子がおかしくないか?」
「うん。部活の時なんかも全然楽しそうじゃなかったし」
「はい……」
凜の言葉に美鈴も同意する。
昨日行われた家庭科部での活動では、蓮と凜は大会に向けたケーキを作り直していた。
しかしその姿はやはりいつも楽しそうに料理をしていた蓮とは違い、思いつめたような、張り詰めた空気が流れていた。
美鈴と凜の視線が桜季を向く。
「サッキー、なんか心当たりない?」
「小さなことでもいい、何かないか?」
心配そうに尋ねてくる二人。
しかし桜季としても、先日からいきなり変わったようにしか思えない。
「いえ……。土曜日の朝までは普通だったのですが……」
「だよな。バイト中は普段通りだった。少なくともオレの見た限りは」
「ってことはバイトが終わった後?」
「だと思うんだけどなあ」
美鈴の言葉に凜は考え込むように俯いてしまう。
「…………あの、すみません。蓮さんの様子がおかしくなったのって、今度の大会に向けたケーキについてですよね?」
おずおずと問いかける桜季。
あの日の夕食後の蓮の様子を思い出してみる。
大会用のケーキを食べさせてもらったのだが、その時から蓮はケーキに対してこれまでは見たことの無いレベルでこだわりが強くなっていた。
以前『優勝を目指して特別な練習をしたり、生活を大会中心にしたりするつもりはありません』と語っていたのが嘘のように。
「そうだな。昨日の部活の時もまさにそんな感じだった」
「家でも、『もっと良くしないと』『これじゃ足りない』って、一人で考え込んでいて……」
普段、夕食後は勉強をしたり桜季や琴乃と雑談をしたりしているのだが、その時間すら今は一心不乱にケーキを作っている。
その時の蓮の表情を思い出し、桜季は胸が締め付けられる。
「あんな蓮さんを見るのは、初めてでした」
重い沈黙が流れる。
「うん。サッキーの言う通り、蓮さん前に『料理ってのは優劣を競うよりも、自分が食べて、誰かに食べて貰って『美味しい』って思ってもらえればそれが一番だし、そういう物だと思ってる』て言ってたしね」
「今は全然違うよな……。まるで今は作業みたいに、悪い意味で一心不乱に作ってる」
凜の言葉に桜季は胸がドキリとする。
先日エマと交わした会話を思い出す。
『レンが今みたいに楽しんでお菓子を作ってるのならいいと思うよ。でもね、もしそれが崩れたら。自分や誰かに食べてもらう為に、じゃなくて、そういった楽しいモチベーションが無くなったら……。ただ、他の人よりも美味しいお菓子を作ることが楽しめない、ただの作業になっちゃったら……、多分レンは深く挫折すると思う』
そう、正に今はそのような状態ではないのか。
あの時はどこか信じがたい、遠くの出来事のように感じられたエマの言葉が、今は現実感を持って目の前に現れている。
「凜さんは原因聞いてみたの?」
「まあ一応はな。だけど――」
キンコーン
そこで昼休み終了のチャイムが鳴る。
三人で時計に目を向け、ひとまず話を打ち切ることにする。
「まあ、なにか分かったら教えてくれ。それじゃあな」
「うん。またね」
「失礼します」
そう言って桜季と美鈴は凜と別れて教室へと向かう。
階段を昇りながら、美鈴が桜季に顔を向けて聞いてくる。
「サッキー、蓮さんホントにどうしたんだろうね?」
「…………」
美鈴の言葉を聞きながら、桜季はエマの言っていた言葉を思い出す。
『だけどね、もしそんな時が来たら、サキが支えてあげて』
(…………そう、だよね)
エマの言うことが確かなら、今の蓮を支えられるのは――
(うん。これまでわたしは何度も蓮さんの世話になったんだから)
蓮と出会ってからこれまでのことを思い出す。
荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
妹の弁当を作るのを手伝ってくれた。
誕生日を祝ってくれた。
一緒に料理をしようと言ってくれた。
家族としての在り方を、見つめ直すきっかけをくれた。
これまでたくさん蓮に助けられてきた、支えられてきた。
なら、今度は、自分の番――
「サッキー? 大丈夫?」
心配そうにのぞき込んでくる美鈴。
そんな美鈴に、桜季は笑顔で首を横に振った。
「ううん、大丈夫。心配かけてごめんね」
「大丈夫ならいいけどさ」
「うん。わたし、蓮さんに聞いてみるね」
「え? 聞いてみるって?」
驚く美鈴を脇に、桜季は決意を胸に宿す。
そう、今度は自分が蓮を支える為に。
✿
夕食を終えると蓮が冷蔵庫からケーキを取り出した。
ここ数日で改良を施した一品らしい。
先日同様、琴乃と共に桜季は一口食べてみる。
(……美味しい。でも…………)
そう、確かに美味しい。
だが、それだけ。
隣を見ると琴乃も微妙な表情で手を止めていた。
「……あんまり美味しくなかったか?」
「えっと、いや、美味しいんだけどね……」
何と言って良いか分からない様子で言いよどむ琴乃。
すると蓮は桜季の方を向く。
その視線を受けて桜季は大きく深呼吸。
フォークを置いて、真っ直ぐに蓮の顔を見て口を開いた。
「美味しいのですけれど、なんだか蓮さんの作った物ではないような感じがします」
そう、思ったことを正直に告げる。
すると蓮は驚いたように固まった。
「あ、それそれ。あたしもお姉と同じだな」
「おれの作った物じゃないって……」
二人の感想に蓮が困惑する。
「蓮さん。わたしは前に蓮さんが作った方が好きです。ケーキも、お料理も」
「うん。あたしも前みたいに食べたいな」
「前に作った物……?」
「はい。土曜日に食べたムース。それだけではありません。オムライスやビーフシチュー、それに桜とイチゴのレアチーズケーキ。そういった物の方が、わたしは好きです」
正直に感想を口にする。
上手く言葉には出来ないのだが、最近食べているのは蓮の料理とは思えない。
美味しいことに変わりはないのだが、蓮の手作り料理ではなく、まるでどこかのレストランに行ったかのようで。
「それ、は…………」
桜季の言葉に蓮は激しく動揺してしまう。
「わたしは、今の蓮さんが蓮さんではないように思えてしまいます。『自分が食べて、誰かに食べて貰って『美味しい』って思ってもらえればそれが一番』と言っていた時の蓮さんとは」
「あ…………」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そう、確かに以前はそうだった。
他の人よりも美味しい物を、なんて考えていなかった。
ただ、自分を含めて食べる人が美味しいと思ってくれる、ただそれだけを。
そう思っていると、席を立った桜季がゆっくりと蓮の後ろに回る。
そして、両手で優しく頭を抱きしめて、
「蓮さん。教えて下さい。何があったんですか?」
その優しさに、不思議と心が落ち着いてくる。
焦りに焦っていた先ほどまでの自分が、剥がれていくように。
「…………今度の大会で審査員を務める人に会ったんだよ」
ゆっくりと、何があったかを伝えていく。
「エクラ・デュ・マタンで鍛えられたおれの出す品を楽しみにしてるって。だから、おれは……」
「エクラ・デュ・マタンの名前を背負っていると思ったのですよね?」
桜季がゆっくりと言葉にする。
蓮は小さく息を呑み、ゆっくりと頷く。
「だから、期待に応えなければいけないって」
力なく頷く。
「もし中途半端な物を出したら、おれじゃなくて店まで評価される気がして……。ねーさんやにーさんが大事にしてきた店なのに、おれが傷を付けるかもしれないって思ったら……」
「蓮さん」
優しく名前が呼ばれ、腕が解かれる。
視界に映るのは、穏やかにほほ笑む桜季の顔。
「エクラ・デュ・マタンの名前を大切に思う気持ちは、とても素敵だと思います」
桜季は一度言葉を切り、蓮の目を見つめる。
「でも、そのお店で蓮さんが学んだ一番大切なことは、『誰かに勝つお菓子』ではありませんよね?」
その一言に、蓮は思わず息を止めた。
陽翔をはじめとする皆から教わってきたこと。
エクラ・デュ・マタンで何度も聞き、何度も見てきた姿勢。
勝つ為ではなく、食べてくれる人のことを考えて作ること。
それこそが、この店で学んできたことだった。
そして、自分が楽しいと思えることだった。
「そうか……そうだよな。ある意味、それが一番エクラ・デュ・マタンから遠かったってことか」
自然と目に涙が浮かんで来る。
それが、優しく拭われる。
「はい。だからこそ、わたしは蓮さんの作るお料理やお菓子が大好きなんです」
「うん、あたしも!」
琴乃も大きく頷く。
「はい。わたしも琴乃も。そして美鈴や凜さんも。そして、おそらく家庭科部の皆さんも」
桜季は穏やかに微笑む。
「見失わないで下さい。出来ますよ、蓮さんなら。いつも通りの蓮さんなら」
その言葉に、蓮の胸を締め付けていた重苦しい何かが、少しだけほどけていくのを感じた。
(そうだよな。エクラ・デュ・マタンの名にこだわり過ぎて、大切なことを見失ってたか)
そう、それこそが蓮の原点であり、一番のモチベーション。
「ありがとな、桜季」
苦笑しながら頭をかく。
誰にも相談せず、一人で勝手に思い詰めていた。
その結果、自分が一番大切にしていたものを見失いかけてしまった。
「蓮さん。今度からは、もっと頼ってください」
桜季は優しい口調で続ける。
「蓮さんがわたし達にしてくれたように、悩んでいることも、一緒に分け合いたいです」
その言葉に、蓮は静かに頷いた。
「ああ。今度はちゃんと相談する」
「はい」
桜季は満足そうに頷く。
すると琴乃も安心したように笑った。
「やっといつものお兄さんに戻った」
「あはは……悪かったな」
「ホントだよ。ここ数日、見てるこっちまで心配だったんだから」
頬を膨らませる琴乃に、蓮は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめん」
「よろしい」
琴乃は満足そうに笑い、残っていた紅茶を一口飲んだ。
その様子を見て桜季も小さく笑う。
数日前まで張りつめていた空気は、もうどこにもなかった。
食卓には、ようやくいつもの穏やかな時間が戻ってきていた。




