第76話 ご褒美のケーキを選ぼう
カラン、と。
アンティークベルが綺麗な音色を奏でながら扉が開く。
放課後、蓮と桜季は約束通りにエクラ・デュ・マタンを訪れた。
「いらっしゃいませー……ってあれ?」
レジの所にいた店員がこちらに気付き、にこりと笑いかけてくる。
「蓮、それに桜季ちゃんも。いらっしゃい」
蓮の姉である旭が優し気な目を向けて微笑む。
店内に他の客の姿はなく、今は店員であるよりも蓮の姉としての顔を見せている。
「こんにちは、ねーさん」
「こんにちは」
桜季も並んで頭を下げる。
「今日はどうしたの?」
「中間試験の結果出たからさ。ちょっとケーキでもって」
蓮がそう告げると、隣の桜季も小さく頷く。
すると旭は納得したようにうんうんと頷いた。
「そう。それで結果はどうだったの?」
全くもって心配していないと言った表情で旭が問いかけてくる。
この辺りはさすがに姉という感じだ。
「とりあえず今回もトップ。ちなみに凜は二位だった。それに桜季も一年生でトップだったよ」
そう告げると旭は少し驚いたように目を丸くし、そして先ほどと同じようにほほ笑んだ。
「そうなの。二人ともおめでとう」
「ん。ありがと」
「ありがとうございます」
旭からの祝福の言葉に、桜季はどこか照れくさそうに会釈をした。
そして少し恥ずかしそうに、ショーケースへと視線を向ける。
「ゆっくり選んでいってね」
「はい」
その言葉に促されるように、蓮と桜季は並んでショーケースの前へ移動する。
こうして客として訪れるのは久しぶりで、いつもとは違った新鮮な気持ちでケーキを眺めてしまう。
一方の桜季は、それぞれのケーキを確かめるように視線を巡らせ、真剣に、それでいて楽しそうに悩んでいた。
「目星はついたか?」
蓮が穏やかに声を掛けると桜季は少し困ったように笑った。
「えっと……どれも美味しそうで、なかなか決められません」
そう言いながらも、その横顔はどこか嬉しそうだった。
もちろんそれは蓮も同様。
ここのケーキはどれも絶品だし、期間限定で出している物も少なくない。
それぞれのケーキにはそれぞれの魅力が込められている為、どれにしようかと悩んでしまう。
「いっそのこと全部買って帰りたいな」
そう冗談を言うと、桜季は一瞬だけ本気で考える様な顔をして、そしてクスリと笑った。
「ふふっ。それはとても魅力的ですけど、とても食べきれそうにありません」
「まあな。そうなったらケーキに失礼だし」
「はい」
そんな軽口を交わしながら、再びショーケースへと視線を戻す。
桜季は少しだけ身をかがめ、ショーケース内のケーキに目線の高さをそろえる。
商品の説明札まで丁寧に読みながら、一生懸命に吟味している。
「決めました」
迷いが晴れたような表情で桜季が顔を上げる。
先程まで真剣に悩んでいた表情とは違い、小さな達成感が滲んでいた。
「本当か? 結構迷ってたみたいだけど」
「はい。でも、最後は最初に気になったものに戻ってきました」
そう言いながら桜季がそっと指差したのは、艶やかな焼き色が美しいイチゴのベイクドチーズケーキだった。
イチゴのピューレをチーズ生地に加えて焼き上げられており、断面が淡いピンク色。
上にはカットされたイチゴが飾られている。
「これにします」
「なるほどな」
蓮も納得したように頷く。
以前琴乃が、桜季はフルーツが乗っていると嬉しいと言っていた通りだ。
蓮も当初考えていたザッハトルテを選ぶことにした。
「蓮さんは、それでよろしいんですか?」
「ああ。せっかくシェアするんだから、違った味を選びたいと思ってさ」
「ふふっ。確かにそうですね」
あと一つ、餡子と抹茶のロールケーキと共に旭に注文を告げる。
しばらくするとケーキの入った箱が手渡された。
「えっと……」
「代金はいらないわよ」
財布を取り出そうとすると、旭が微笑んでそう告げてくる。
「いや、でも……」
「テストを頑張ったご褒美。ほら、持って帰りなさい」
強引に箱を押し付けられる。
隣の桜季と顔を見合わせ、そして財布を仕舞う。
「ありがと、ねーさん」
「ありがとうございます」
「ええ。それじゃあね」
そのまま二人で、店を後にする。
店の扉を開けると、夕方の風が頬を撫でる。
もう六月ということもあり、この時間でも外はまだ明るく、身体に当たる風も若干暑い。
蓮は箱が傾かないよう注意しながら歩き、隣を歩く桜季と話しながら歩いていく。
「旭さん、とても優しい方ですね」
ぽつりと漏らした桜季の言葉に、蓮は照れくさそうに笑った。
「昔からあんな感じだよ。面倒見が良くてさ」
「そのお気持ちが伝わってきました」
無料でもらったことへの申し訳なさもあるのだろう。
桜季は箱へ視線を落としながら、そっと苦笑した。
「今度、何かお礼をしたいですね」
「気持ちだけでも喜ぶと思うけどな」
「それでもです。いただいたままというのは、やっぱり落ち着きませんから」
実に桜季らしい返答だった。
そんな会話を交わしながら歩いていると、やはり甘い香りがほのかに漂ってくる箱へと意識が向いてしまう。
「食べるのが楽しみですね」
「あはは。夕食だって手を抜かないぞ」
「はい。美味しいお夕飯と美味しいケーキ。贅沢です」
試験勉強に励んだ日々を思い返す。
同じ時間を過ごし、同じ努力を重ね、その締めくくりとして同じ食卓でケーキを囲む。
特別豪華な祝いというわけでもない。
だが、それで充分だ。
間違いなく満たされるご褒美の時間になる予感がしていた。
ケーキの入った箱を大切に抱えたまま、帰宅する足を少し速めた。




