第74話 試験対策とサバサンド
学生における最大の敵、それはなんと言っても定期試験だろう。
前後期制を採用している修峰学園では、前期中間試験が六月上旬に行われている。
故に、五月の下旬から至る所で試験勉強に取り組む学生の口から阿鼻叫喚が漏れ出てくる。
とはいえ蓮は一年の時から常に主席を維持している。
一方の桜季も主席入学者。
特別狼狽えることなく順調に勉強を進めていた。
親友の凜も成績優秀であり、赤点とは無縁である。
問題は――
「サッキー! ここ教えてーっ!」
この日は蓮と桜季、そして凜と美鈴の四人での勉強会。
切羽詰まった美鈴の悲鳴が、蓮の部屋のリビングへと響き渡った。
「美鈴、どうしたの?」
「ここ! 公式だとこうでしょ? 初速を考えれば加速度を加えてこうなるんじゃ……」
「それ、外力の組み合わせが間違ってる。要素要素でのベクトルが時間ごとにズレるから……」
ルーズリーフに条件を書き加えながら桜季が丁寧に説明をする。
美鈴は身を乗り出すようにしてノートを覗き込み、真剣な眼差しでそのペン先を追っていた。
「まず、この力は右向き。こっちは下向き。それでそれぞれの力の加わり方がこう。ここまでは大丈夫?」
「うん……、あ、そっか。tがここにも影響与えてるのか」
「そう。だから一度ベクトルを分けて、それぞれの運動を考える。それから条件をまとめると――」
さらさらとペンが走る。
数本の補助線と矢印、それに対する数式を加わると、美鈴の表情がみるみると明るくなっていった。
「あっ……出来た!」
「うん。それで大丈夫」
「ありがとー! アタシ、最初から全部まとめて考えてた!」
「うん。それだと途中で辻褄が合わなくなっちゃうからね」
それを正面で見ながら蓮はふう、と一息ついた。
蓮も自分の勉強を進めていたのだが、その中で耳に入る桜季の言葉は教わる側にも理解しやすいように思える。
「サッキーの教え方、本当に分かりやすいよね。先生になれそう」
「そんなことないよ。美鈴がちゃんと聞いてくれるから説明しやすいだけ」
照れたように微笑む桜季へ、美鈴は勢いよく頭を下げた。
美鈴としても蓮達三人ほどではないが、ここまでの所基本的なところは出来ており、決して勉強が苦手といった雰囲気でもない。
「ありがとうサッキー! よし、この問題ならもう一回自力で解けそう!」
「うん。頑張ってね」
✿
その後も各々で試験対策を進めていく。
分からない箇所は確認し、理解を深めていく。
面白い会話があるわけではないが、こうして静かに集中して勉強するのもなんだか心地良い。
自分一人で勉強するよりも効率が良さそうな気がしてくる。
気が付けば時計の針は十二時を少し回っていた。
「もう昼か。一旦休憩しよう」
蓮の言葉で三人も時計へと目を向ける。
「あ、本当ですね」
「ずいぶん集中してたなあ。捗った」
「……あ、もう一分待って。この問題だけ」
少しして美鈴も一段落したので、一度勉強を切り上げ昼食の時間とする。
「それじゃあ昼飯を作るか」
「はい」
蓮が立ち上がると桜季も後を追うように立ち上がる。
一方で凜と美鈴はテーブルの上を簡単に片づけていく。
蓮と桜季は洗面所で手を洗いキッチンへ。
そして昼食を作る準備を始める。
本日のメニューはトルコ風のサバサンド。
バルックエキメキとも呼ばれるトルコの代表的な料理だ。
焼いたり揚げたりしたサバと野菜をバゲットに挟み、レモンやマスタードで味付けする。
魚の旨味と野菜の爽やかさが調和した、港町を代表するストリートフードだ。
それに加えて焼きポテトと朝に作った野菜スープ。
「それじゃあおれはサバの方をやっちゃうから」
「はい。それではわたしはポテトの方を作りますね」
蓮がサバを調理する傍ら、桜季はジャガイモを調理していく。
電子レンジで柔らかくしてオーブンへ。
ジャガイモの加熱が終わるまでの間、桜季はレタスを洗い、玉ねぎを薄く切って冷水へさらしていく。
それを横目に蓮はサバに軽く塩と胡椒を振り、温まったフライパンへと並べた。
じゅう、と心地よい音が鳴り、ほどなくして香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がっていく。
「いい香りですね」
ジャガイモを電子レンジから取り出しながらの桜季の一言に蓮も頷く。
「サバの香りって食欲がそそられるよな」
「はい。よりお腹が空いてきました」
くすっと笑う桜季を見て、蓮もつられて笑みを浮かべた。
「それじゃあ急がないとな」
「焦らなくても大丈夫ですよ。それに、どんなに頑張ったって焼き上がりが早くなるわけじゃないじゃないですか」
「まあそうだけどな」
「ふふっ。でも美鈴が飛んでくるかもしれないですよ」
「あはは。それは大変だ」
二人の視線が重なり、同時に笑い声がこぼれる。
こうして肩を並べて料理をするようになって、もう一か月以上が経過している。
初めの頃とは違い、細かく指示を出さずとも自然と役割が分かれ、必要な道具もすぐに手渡される。
「桜季、マスタードお願い」
「はい」
呼ばれるよりも一瞬早く、桜季は冷蔵庫から取り出して蓮へ差し出していた。
少し誇らしげに微笑む桜季に、蓮は思わず口元を緩める。
「ほんと、助かるよ」
「こちらこそです。一緒に作ると、とても楽しいですから」
その何気ない一言がやけに嬉しい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
蓮と桜季がキッチンで楽しそうに料理をしている。
そんな姿を凜は美鈴と共にリビングから眺めていた。
キッチンから聞こえてくる穏やかな会話。
香ばしい香りにときおり漏れる笑い声。
そんな様子を見て、対面の美鈴は思わず頬を緩める。
「なんかさあ、あの二人見てると和むよね」
「和むなあ」
凜も二人の姿を見ながら小さく笑う。
こうして二人で料理をする姿がとても自然になっている。
まるで何度も打ち合わせを重ねたような息の合い方だ。
「サッキー、幸せそうな顔してるよね」
「蓮もな。やっぱ一緒にいて楽しいんだろうよ」
「二人共、それだけじゃない気がするけど」
美鈴は意味ありげに口元を緩める。
キッチンでは、桜季が蓮に何かを話しかけ、蓮が笑って応じていた。
それだけのやり取りなのに、どこか甘酸っぱい。
なんだか見ているこちらが恥ずかしくなってしまいそうだ。
「……ていうかさ」
美鈴はぽつりと呟いた。
「あれ、いつもあんな感じなのに、なんで付き合ってないの?」
「知らん。むしろオレが聞きたい」
美鈴の問いに凜は即答する。
傍から見れば完全に夫婦の様な空気を醸し出している。
それが恋人同士ですらない、むしろ、お互いに好意を自覚すらしていない。
「あれ、絶対両想いだって」
「距離感バグってるんだよなあ」
そんな会話に気付かず、蓮と桜季はキッチンで調理を続けている。
「見てよ。あの距離感」
「見てる。もう見飽きたレベルで」
「近いどころじゃないって。あんな自然に料理して、笑って、褒め合ってて、それで恋人じゃないなんて信じらんない」
「そりゃオレだってそうだ」
凜はどこか諦めの入った様子で答える。
しかし美鈴は納得いかないらしく、頬杖をついて小さく唸った。
「もーっ。見てるこっちがヤキモキする!」
その叫びにも似た小声に、凜は肩をすくめながら苦笑した。
そんなことを話していると、料理が完成したのか盆を持った二人がリビングへとやって来た。
「何話してたんだ?」
「ん? ああ、試験についてだ。去年どんな感じだったかってな」
さすがに正直に答えるわけにもいかない為、適当にお茶を濁す。
蓮と桜季はそうか、と納得したようで、テーブルに料理を並べていく。
「うわっ、美味しそう!」
料理が並べられると、美鈴が目を輝かせる。
皿の上には存在感のあるバゲットサンドが鎮座している。
隣にはポテトと野菜スープ。
漂ってくる香りがもうたまらない。
「「「「いただきます!」」」」
四人で手を合わせ、揃ってサバサンドへとかぶりつく。
焼きたてのサバは外側が香ばしく、中はふっくら。
シャキシャキとしたレタスや玉ねぎの食感、爽やかなレモンの風味が合わさり、食欲をどんどん刺激していく。
「んーっ! これ美味しい!」
美鈴が目を丸くしながら声を弾ませた。
「サバってこんな食べ方もあるんだ!」
「トルコの定番料理だからな。普通に屋台に並ぶらしい」
蓮がそう説明すると、美鈴は感心したように何度も頷く。
「ポテトもほくほくで美味しいです」
桜季が微笑みながら口にすると、凜もスープを飲んで一息ついた。
「勉強の合間の飯って、なんでこんなに美味いんだろうな」
「頭使ったからじゃない?」
蓮の言葉に美鈴が笑って返す。
和やかな空気の中、料理はあっという間に減っていく。
昼食を終え手分けして片付けると、少しだけ休憩を挟み、再び参考書とノートを広げた。
しばらく無言で問題を解いていく。
「……蓮さん」
不意に桜季が小さな声で蓮に呼びかけた。
「ん?」
「消しゴム、そちらにありませんか?」
「ああ、悪い」
蓮の方に桜季の消しゴムが紛れ込んでいたらしい。
それを蓮は桜季へと渡す。
「はいよ」
「ありがとうございます」
受け取ろうとしたその瞬間、二人の指先がほんの少しだけ触れ合った。
「「あ……」」
桜季は小さく声を漏らし、慌てたように手を引っ込める。
「ご、ごめんなさい」
「い、いや、おれの方も……」
「…………クスッ」
「…………ははっ」
そして二人で顔を見合わせて、小さく微笑み合った。
「…………だからこれ、どうして付き合ってないの?」
隣から聞こえた小さな質問に、凜は無言で首を横に振った。




