第63話 ケリー
穏やかな空気の中、不意に足音が聞こえてきた。
「悪い、待たせた――って」
ラフな格好をした凜が姿を現す。
その手にはリードが握られており、先には大型犬が繋がれている。
そして次の瞬間。
「わっ!?」
勢いよく飛び出してきた大型犬が、そのまま蓮へと一直線に駆け寄って来る。
「ちょっ!」
「ケリー、待て!」
凜が叫ぶとその大型犬、ケリーは蓮の前で急停止。
そんなケリーの前で蓮はゆっくりと膝を落とし優しく頭を撫でる。
「久しぶりだな」
「ケリー、よし!」
「ワンッ!」
凜の合図にケリーは勢いよく動き出す。
どすん、と前足を掛けられ、蓮は思わず体勢を崩しかける。
尻尾をぶんぶんと振りながら顔を擦り付けてくるケリーの頭を、蓮は苦笑しながら撫で続ける。
数年前、幼稚園の前に捨てられているケリーを凜と共に発見した。
その後、凜が両親に世話をするから飼わせてくれと懇願し、凜の家に住むことになったのだ。
それからは毎朝蓮と凜が共に行っていたランニングにも一緒に参加するようになり、毎日のように遊んでいた。
蓮が高校入学と同時に引っ越してからは毎日会えるわけではないのだが、それでもたまに顔を見せに来てはいる。
「ははっ、愛されてんなあ」
「そりゃあれだけ遊んでたからな」
凜はそう言いながら近付いて、蓮と共にケリーを撫でる。
二人に撫でられてケリーもご満悦の様だ。
「お、大きいですね……」
「わんこだーっ!」
その傍らで桜季は少し驚いたように、美鈴は目を輝かせてその犬を見つめていた。
「この子、凜さんが飼ってるの!?」
「そうだぞ。ケリーって言って、オレの大切な家族だ。良かったら撫でてみるか?」
「えっ、いいの!?」
即座に美鈴が反応する。
一方で桜季は少し不安そうに蓮を見る。
「ええっと、大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫。人懐っこいだけだから」
「は、はい……」
そう言って桜季は美鈴と共にケリーへと近づく。
早速美鈴が手を伸ばすと、ケリーは嬉しそうに身を震わせる。
「ワンッ!」
「わあっ! カッコいいなあ!」
美鈴はそのままわしゃわしゃとケリーを撫で続ける。
ケリーの方も美鈴にされるがままだ。
「ほら、サッキーも!」
美鈴が撫でるのを止めずに桜季の方へと視線を向ける。
「え、ええっと……」
そっと桜季が右手をケリーへと差し出し――すぐに戻した。
不安に震えるように蓮を見る。
「大丈夫だって。この子はちゃんと躾けられてるから」
拾った直後はだいぶ警戒されていたのだが、一か月もすればすぐに凜と蓮に懐くようになった。
今は凜の言うことをちゃんと聞く、頭の良い子だ。
「は、はい……」
「ほら、まずはケリーの鼻先に手を出して匂いを嗅がせてあげて」
「はい……」
蓮の指示通り、桜季が恐る恐るケリーへと手を差し出す。
緊張に震えているが、それでも今回は手を引っ込めずにケリーの前から動かさない。
するとケリーは鼻を鳴らし、桜季の匂いを嗅ぎ始める。
「ウウ……ワンッ」
「きゃっ」
安心したのかケリーは桜季の手へ自分の鼻先を軽く押し付け、そしてそのまま手を舐めた。
驚く桜季だが、ケリーの雰囲気に安心したのか顔に笑顔が戻る。
「良かったな、ケリーに受け入れられたぞ」
「はい。……ふふっ」
「ほら、顎の下とか撫でてあげると喜ぶぞ」
「分かりました」
蓮の言った通りに桜季がケリーの顎の下を撫でる。
するとケリーはすぐに気持ち良さそうに目を細めた。
「わっ、サッキーすごっ! ねね、凜さん。他はどんなところが気持ちいい感じ?」
「お腹とかも喜ぶぞ」
「分かった。ケリー、撫でさせて!」
美鈴も桜季に負けずとケリーへと手を伸ばしてお腹を撫でる。
ケリーは美鈴にお腹を撫でられながら、気持ち良さそうに寝転がった。
「うわー、全然警戒してないじゃんこの子!」
「人を見る目はあるからな」
「にひひ。犬は飼い主に似るって言うしね!」
「ははっ、サンキュ」
そんな軽口を交わしながら、美鈴は楽しそうにケリーを撫で続ける。
一方で桜季も、最初の緊張はかなり解けたらしい。
恐る恐るだった手付きも、今では随分自然になっていた。
「……ふふ、ここがいいの?」
顎の下を撫でると、ケリーが気持ち良さそうに目を細める。
「凄いですね。まるで人間の言葉が分かってるみたい」
「まあ賢いからな」
そう言いながら、蓮も桜季と共にケリーの頭を軽く撫でる。
するとケリーは当然のように蓮の方へ身体を寄せる。
「ほんと懐いていますね」
「おれがこっちに住んでた時、ずっと一緒に遊んでたからな。朝に一緒にランニングしたり」
「休みの日に一緒にボールで遊んだりな」
それこそ自分で飼っているかのように。
そんなやり取りに、美鈴が楽しそうに笑う。
「へえー。なんか想像出来るかも」
「出来ますね」
桜季も小さく頷いた。
「てか美鈴は犬が好きなのか?」
「うんっ! 飼ってみたいんだけど、両親に反対されてね」
凜の問いに残念そうに美鈴が答える。
確かに先程からの美鈴は本当に楽しそうにケリーに触れている。
「そっか。それじゃあ飯の後は一緒に遊ぶか?」
「えっ、マジで!? やった!」
凜の提案に嬉しそうに声を上げる美鈴。
そんな二人の姿を、蓮と桜季はくすくすと笑いながら眺める。
「よーし! それじゃ今日はいっぱい遊ぶぞー!」
美鈴が元気よく拳を突き上げる。
するとその声に反応するように、ケリーも『ワン!』と元気よく鳴いた。
「ははっ、完全に分かってるなこいつ」
「ケリーは賢いからな」
蓮はそう言いながらケリーの頭を撫で、立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ場所行くか」
凜がそう言って園庭の奥を指差す。
そこには大きな桜の木があり、その傍には木製のテーブルと椅子が置かれている。
幼稚園児達が普段使っているものよりは少し大きめで、あらかじめ凜が用意した物だ。
「うわ、めっちゃいい場所じゃん!」
「そうだろ?」
桜の枝はちょうどテーブルの真上まで伸びており、風が吹く度に花びらがふわりと舞い落ちてくる。
贅沢過ぎるシチュエーションだ。
「本当に綺麗ですね……」
桜季が上を見上げながら小さく呟く。
その横顔を見て、蓮は少しだけ目を細めた。
春の日差しを受けた桜季の髪が柔らかく光っている。
さっきから何度も思っていることだが、今日の桜季は妙にこの景色に馴染んでいた。
「……やっぱ似合うな」
「えっ?」
不意に零れた言葉に、桜季がこちらを見る。
「桜季が、さ。さっきも言ったけど、景色に合ってるっていうか……」
「……そ、そうですか?」
桜季の頬がほんのり赤く染まる。
その様子に、隣を歩いていた美鈴が小さく笑みを浮かべたが、何も言わずにそのまま前を歩いていく。
一方の蓮も、自分がまた自然にそういうことを口にしていた事実に気付き、少しだけ気まずそうに頬を掻いた。
「……悪い。なんか今日、思ったことそのまま口から出る」
「い、いえ……」
桜季は小さく首を横に振る。
そして少しだけ視線を伏せながら、照れたように口元を緩めた。
「……でも、嬉しいです」
「――っ」
その言葉に、蓮の心臓がまた妙に強く跳ねる。
どう返せばいいのか分からず、蓮は誤魔化すように前方へ視線を向けた。
「ほらほらー! 二人共早くー!」
「早く食べようぜーっ!」
先にテーブルへ向かっていた美鈴と凜が大きく手を振る。
その隣では、ケリーも待ちわびたかのように尻尾を動かしている。
「行くか」
「……はい」
桜の花びらが舞う中、蓮と桜季は並んでテーブルへ向かった。




