第51話 れっちゃん
「……残念です」
肩を少しだけ落としながら、桜季がぽつりと呟く。
棚を一通り見て回ったが、それらしいワッペンは見当たらなかった。
店員にも確認してみたが、どうやらこの店舗では取り扱っていないらしい。
先程まで楽しそうにしていた分、その落差が分かりやすい。
「まあ、こういうのは店によって偏りあるからな」
「そう、ですね……」
視線を落としたまま、小さく頷く桜季。
加えて、直前の期待からの絶望だ。
本人としてもしょうがないとは分かっているのだろうが、残念に思う気持ちは理解出来る。
ここまで素直に残念そうな顔をされると、流石に放ってはおけない。
「……だったらさ、いっそのこと刺繍してみるか?」
蓮の言葉に悲しそうに伏せていた桜季の顔が上がる。
「刺繍、ですか?」
「ああ。ワッペンが売ってなかったのは残念だけどさ、刺繍なら自分の好きな様に作れるだろ?」
「そんなことが出来るのですか?」
思いがけないであろう提案に、目を輝かせて蓮の顔を見上げてくる。
「ああ。簡単なのならな」
蓮はそう言って、売り場の一角を指差す。
そこには刺繍糸や裁縫道具が並んでいた。
「最初から凝ったのは難しいけど、ワンポイントくらいなら練習すればいけると思うぞ」
桜季は自分の手元を見つめる。
先ほど購入したエプロンの紙袋を抱えたまま、ほんの少しだけ考えるように。
「自分で作るんですよね? わたしにも出来るでしょうか……?」
「難しい所はおれがやるよ。桜季は簡単な所だけやってみてくれ。まあ上手く出来るかは分からないけど、世界に一つだけのオリジナルだ」
「……はいっ」
小さく頷くその表情は、さっきまでの落ち込みとは違っていた。
不安と、それ以上の期待が混じっている。
「やってみたい、です」
顔を上げてはっきりとそう言う。
その目は先程までと同じようにまっすぐで。
「なら決まりだな。色々と見ていくか」
「はいっ」
沈んだ様子が嘘のように、明るい声で頷いた。
桜季は売り場に並ぶ刺繍糸を手に取り、色を見比べ始める。
「ウサギなら、やっぱり白……でしょうか。でも少しクリーム色の方が――」
ぶつぶつと呟きながら真剣に悩んでいる。
その横顔を眺めながら、蓮はクスリと笑みを浮かべた。
(さっきはあんなに落ち込んでたのにな)
一喜一憂する桜季の表情。
それを見ているのがなんだか楽しい。
「それでは蓮さん。購入するのはこれでいいでしょうか?」
「ああ。道具はおれの部屋にあるからそれだけでいい」
「ありがとうございます。それでは買ってきますね」
そう言って桜季は楽しそうに、選んだ糸をレジへと持って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その他、食材などを買い込んでアパートへと帰宅。
購入した物を片付けた後で、桜季は慎重に、かつ嬉しそうに紙袋からエプロンを取り出した。
これから行う刺繍が楽しみで仕方がない。
帰宅中もどの様なデザインにするかで頭がいっぱいだった。
新品の生地はまだ張りがあって、触れると少しだけ硬い。
「それじゃあ、まずは下書きからだな」
裁縫道具を取って来た蓮に、桜季は小さく頷く。
「はい。よろしくお願いします」
「よし。それじゃあまずエプロンを見せてくれ」
ソファーテーブルにエプロンを広げる。
シワが寄らないように丁寧に手で伸ばしてから、改めてその中央へと視線を落とす。
「どの辺りに入れたい?」
「えっと……この辺りです」
胸元の少し下を指差す。
柄がない為どこに入れてもいいのだが、やはり胸元に入れるのが一番だろう。
「ああ、その位置ならバランスもいいな」
そう言いながら、隣に座った蓮が確認する。
自然な動きのはずなのに、距離が一気に近くなる。
「じゃあ、まずは軽く形を取る。いきなり細かく描こうとしなくていいからな」
「はい」
渡されたチャコペンを手に取り、桜季はゆっくりと息を吐いた。
描くのはウサギ。
ただのウサギではなく、誕生日に蓮がプレゼントしてくれたぬいぐるみをモチーフすることに決めた。
(大丈夫……落ち着いて……)
そう自分に言い聞かせながら、エプロンにペン先を当てる。
だが――
「……あっ」
最初の一線が、思ったよりも歪む。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、そのくらいなら全然問題ないって」
すぐ横から落ち着いた声が返ってくる。
「これはあくまでも下書きだからな。修正なんていくらでも出来る」
「あっ、はい……。もう一度やってみます」
今度は先程よりもゆっくりと線を引く。
ぎこちないながらも、少しずつ形になっていく。
「……こんな感じで大丈夫でしょうか?」
「ん……。ああ、いいんじゃないか。っていうか、これ……」
描き上げたイラストを見てきょとんとする蓮。
蓮にも自分が作ったぬいぐるみだというのが分かったのだろう。
「はい。れっちゃんです」
「……れっちゃん?」
「あっ…………」
慌てて口を押えたが後の祭り。
既に蓮には聞かれた後だ。
「そ、その…………」
恥ずかしさで蓮の顔がまともに見れない。
穴があったら入りたいとはまさにこのことだろう。
「れ、蓮さんから頂いたぬいぐるみの……名前、です…………」
「あ、ああ……」
「その……蓮さんの名前かられっちゃんと…………」
「そ、そうか……」
「は、はい……」
言葉が続かない。
チラリと蓮の方を見上げて見ると、蓮も顔を赤くしていた。
(うぅ………)
エプロンの上にある小さなれっちゃん。
それを見ながら、桜季は小さく呻いてしまった。




