第4話 マドレーヌを作ろう
桜季は家庭科室に入っていく蓮の背中を見つめながら、ふと思う。
(マドレーヌかあ。上手に出来るかな?)
その様な事を考えてしまう。
先程蓮に言った通り、桜季は普段から料理をしたことがない。
ましてやお菓子作りなどなおさらだ。
それでもそれが気になった理由の一つは言うまでもなく蓮の存在。
見返りなど求めずに嫌な顔一つせずに手を貸してくれた。
そんな優しい先輩に、お礼が出来ればと思っての事。
そして他の理由としては、チラシや蓮の説明によると出来上がったマドレーヌを持って帰ってもいいとのことだったからだ。
(お母さん達、こういうの好きだもんね)
桜季の母親は甘い物が好きで、よく焼き菓子やケーキを買って来る。
その影響で、桜季や妹もお菓子が好きになった。
(わたしがマドレーヌを持って帰ったら、みんな、美味しいって食べてくれるかな……?)
大切な家族の喜ぶ顔が見たい、そんなことを考えてしまう。
(で、でも万一失敗したら……。う、ううん、光井先輩も簡単だって言ってたし、それにもし失敗しても自分で食べればいいだけだし……)
「あれ、サッキーどしたん?」
立ち止まっていると美鈴が不思議そうに振り返る。
そんな美鈴になんでもないよと返しながら、桜季は蓮の後を追って家庭科室へと入って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
蓮が家庭科室の扉を開け中に入ると、中にいた生徒の視線が集中する。
「お疲れ様ー」
「あ、蓮、やっと来たか。まだ予定時刻になってないから大丈夫だぞー」
そんな声が耳へと飛んできた。
そちらの方へと目を向けると、峰岸凜がこちらに向かって歩いて来た。
幼馴染であり、蓮の親友でもある。
比較的落ち着いた感じの蓮に対して凜は勢いに任せていくところがある。
それが凜の長所でもあるし、蓮としても色々と助けられている。
加えて顔立ちも良く、外見と性格双方から異性人気が高い。
蓮と凜の二人が二年生の中で最も有名と言っても過言ではないだろう。
「そうだよなあ。まだ時間的には大丈夫なんだよなあ」
蓮は凜の言葉に頷きながら不満げな視線を向ける。
しかし凜の方はその視線に対してこちらも不満気に
「だから、それは部長に言ってくれっての」
と返してきた。
まあ確かにまだ予定時刻前なのに『遅れた』などとのたまった相手は目の前の凜ではなく部長ではある。
よって蓮は首の角度を変えて、こちらの方を眺めていた家庭科部部長、瀬川麻美の方へと視線を向けた。
「ってわけで部長、時計の時刻の見方、知ってますか? ちなみにこれは小学校一年生の算数で習うレベル話なんですけど」
家庭科室の壁に掛けられている掛け時計を指差しながら、皮肉を込めてそう問いかける。
そこに表示されている時刻は、予定の時刻までまだ五分程度の余裕があった。
「いいじゃない、別に。細かい事気にしないの。禿げるよ」
「禿げねえですよ! てか全然細かくない!」
「それにちゃんと新入部員捕まえて来たみたいじゃない」
蓮の抗議を受け流しながら、麻美は蓮から視線を外して入口の方を見る。
当然そこには蓮が連れて来た桜季と美鈴が立っていた。
「まだ部員じゃないですよ。とりあえず体験だけって感じです」
この二人は蓮が多少の無理を言って来てもらったのだ。
そんな二人を強引に入部させるわけにはいかない。
「はーい! 光井せんぱいに部活紹介に誘ってもらいましたー! 一年の白川美鈴でーす! よろしくお願いしまーす!」
早速美鈴が上級生にも物怖じせずにニコニコと挨拶する。
もちろん上級生達もそんな美鈴の態度に腹を立てる者もいない。
むしろいい人材が来てくれたと好意的に捉えているようで何よりだ。
「同じく一年の渡利桜季です。よろしくお願いします」
こちらは礼儀正しく名乗った後にぺこりと頭を下げる。
そんな美鈴とは対照的な挨拶に家庭科部員はきょとんと目を丸くした後、にっこりと微笑む。
「うん! よろしくねー」
「二人共入口なんかに突っ立ってないで入って入って!」
「ほらほら! こっちこっち!」
たちまち二人を取り囲んで室内へと案内する二、三年生達。
皆仲が良くノリがいいのが家庭科部の特徴の一つだ。
「よろしくねー」
「ようこそ家庭科部へ」
「うちの部は部員以外の参加も基本OKだけど、出来たら入部してくれたら嬉しいな」
などと声を掛けていく。
それに対して桜季はまだ少し緊張しながら、一方で美鈴はその持ち前のノリの良さで返事を返していった。
✿
少しして蓮が時計を見ると、もう予定時刻を迎えるところだった。
麻美が時計を見てパンパンと手を打ち鳴らして注目を集める。
「はいはい。それでは予定時刻になったので始めるよ。あたしが部長の瀬川麻美。よろしくね」
私語が止み全員の視線を集めたところで麻美がそう切り出す。
一年生は桜季と美鈴を合わせて八人。
そのうち何名に正式に入部してもらえるかは分からないが。
なお上級生は全員で十五人の参加となっており、その内正式な部員は十二人だ。
残る三人は仲の良い友達に誘われただけである。
前日までにその旨を伝えれば部員外の参加も了承されており、こういった緩さも家庭科部の特徴の一つだ。
「それでは本日の講師役を紹介するよ。光井、お願い」
そう言って麻美が横へと移動して、空いた場所へ蓮が立つ。
すると当然ながら室内の視線が自分へと集中した。
そんな視線に対し、蓮は緊張もせずに説明を開始する。
「はい。分かりました。それではここからは部長に変わっておれが担当しますね。光井蓮です。よろしくお願いします」
その言葉に一年生の間から多少の驚きが聞こえる。
男子が家庭科部に在籍しているだけでも意外だったことに加え、まさか講師として教える立場であるとは思わなかったということだろう。
まあこれについては蓮も、そして凜も理解はしている。
昨今の世界情勢により男女の役割という固定概念が薄れてきているとはいえ、まだまだ料理、家庭科は女性がメインだという考えを持っている者は多いだろう。
実際、この家庭科部に所属している男子学生も蓮と凜の二人だけであるし、二人共当初は入部する気などは全くなかった。
現在家庭科部に籍を置いているのは偶然の巡り合わせによるものである。
とはいえ一年生の間でも驚きこそあるものの、それに対する嫌悪感というものは伝わってこない。
その辺りは一安心だ。
「それではまずレシピの方を配りますね」
蓮の言葉に他の部員があらかじめ用意してあったレシピを皆に配っていく。
これを作ったのも蓮であり、イラストや写真を載せて分かり易いように作成した。
参加者全員にレシピが渡ったところで説明を再開する。
「まず、このレシピを見ていただければ分かるように、今回のマドレーヌは初心者でも簡単に作れるようになっています」
「あ、ホントだ。混ぜて焼くだけっぽい」
「そうだね。確かにこれならわたしにも出来そう」
怜の説明にレシピを見ながら美鈴と桜季が小声で話しているのが耳に届く。
「本来であれば薄力粉とかベーキングパウダーだとか、色々と準備するのですが、今日はホットケーキミックスを使ってさらに簡単なレシピです。これは昨年も家庭科部で作っていますので、分からないところがあったら部員達に遠慮なく聞いて下さいね。……先輩方、大丈夫ですよね?」
念の為に一応上級生の方にも確認してみると、その大部分から問題ないと返事が返って来た。
一抹の不安はあるが、最悪自分と凜で何とかすればいい、というかそれしかない。
「よし、それでは始めましょう。まずは手を洗って下さい」
それだけ言ってパン、と両手を打ち鳴らすと、皆がそれぞれ手を洗いに向かった。
そして蓮も制服の袖をまくると、右腕のアームスリーブが姿を見せた。
✿
「ん-っ、混ぜるのってこんなもんかなあ?」
「うん。多分大丈夫だと思うけど」
「だよね。サッキーの方は?」
「えっと……どうだろう……」
蓮が自分の分を混ぜ終えた後確認がてら皆の進捗を確認していくと、美鈴と桜季が互いにボウルの中身を確認していた。
するとそのタイミングで振り向いた美鈴と目が合う。
「あ、ちょうどいいとこに。せんぱい、これってどう?」
差し出されたボウルの中身を覗き込み、溶かしたバター、卵、砂糖がダマになっていないか確認する。
念の為にへらで軽く仲の様子を見てみる。
「うん。ちゃんと混ざってる。大丈夫だ」
「ホント? ありがとね」
「あの、わたしの方はどうでしょうか」
桜季のボウルも同じように確認すると、問題なく混ざっていた。
「えっと……ああ、大丈夫だ。それじゃあ二人共、ホットケーキミックスを混ぜていこう」
「はい。ありがとうございます」
そう言って桜季と美鈴の二人は次の工程へと進んでいく。
「あの、先輩。私の方はどうでしょうか?」
今度は別の後輩から確認の依頼が入る。
「……まだ砂糖が固まってるな。もう少し混ぜた方がいい」
「はい。分かりました」
その後輩は再び同じ工程へと戻って行く。
「ししょーっ。こんなもんでいいかね?」
今度は三年生からの質問だ。
一応三年生もこれを作った経験はあるとはいえ、お菓子作りというか、料理全般の経験値は蓮の方が遥かに上だ。
なので今回に限らず家庭科部の講師役は基本的に蓮が行っている。
その為、家庭科部内では凜を除き、蓮を『ししょー』と呼んでいる。
「ししょーはやめて下さい。はい。先輩のも大丈夫ですよ。ホットケーキミックス混ぜて下さい」
「おっ、ありがと、ししょー」
相変わらず変なあだ名を止めない上級生に蓮は溜息を吐きつつも、全体の様子の確認を続ける。
そんな感じで何人かに進捗の確認を求められる蓮。
混ぜ具合が気になるのか、何人かが怜に確認を求めに来る。
基本的にかき混ぜるだけではあるのだが、逆に言えば失敗するとしたらそこだろう。
せっかく作るのだから、皆に成功して欲しい。
そう思いながら蓮は各人の様子を確認していく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そんな蓮の様子を桜季は驚いたように眺める。
隣では美鈴が同じように驚いていた。
「……せんぱいって凄いんだねー」
「うん。なんか一人だけ手際が違うって言うか」
男子である蓮に家庭科部に誘われた時にも驚いたのだが、こうして蓮の手際を見ると更に驚く。
女子の多い部活に出会いを求めて男子が入部することがある、ということは知識としては知ってはいるが、蓮と凜はそういったことではないようだ。
いや、出会ってからの人柄から考えてもそのような人だとは思っていなかったが。
「……わたしも家庭科部に入れば光井先輩のように上手にお菓子が作れるのかなあ?」
「え? サッキー、家庭科部に入るの?」
「あ、ううん。ふと思っただけ。まだ部活に入ろうとかは思ってないし」
「そっかそっか。でもなんだか面白そうな部活だよね。先輩達もみんな仲良さそうだし」
「うん」
美鈴の言う通り、こうしてみる分には上級生達も仲良くマドレーヌ作りに精を出している。
不真面目というわけでもなく、かといって固すぎる空気でもなく和気藹々と作業を続けている。
随分とフレンドリーな部活のようだ。
男子である蓮と凜の二人も随分と部活に溶け込んでいる。
「でもこれなんだか面白いね」
「うん。お菓子作りってもっと色々と面倒なのかなー、とか思ってたけど」
お菓子を作った経験がないので良くは分からないが、イメージとしてはそのような物だ。
「でもこれ簡単なレシピって言ってたし、ちゃんと作るとなるとやっぱり色々な手順を踏まなきゃ駄目なんじゃないのかな?」
「かもね。っと、そろそろ混ざってきたかな? あ、ダメだ。まだダマがある」
ホットケーキミックスを加えたボウルの中身を確認すると、まだ所々に塊が見受けられる。
もう少し混ぜる必要がありそうだ。
「ってかせんぱいってさっきの時点でもうここまで終わらせてたんだよね」
「多分そうだと思うよ」
自分達がホットケーキミックスを入れる前の段階で、既に蓮はこの工程までを終わらせていたのだろう。
現に今も自分のボウルには目もくれずに皆の工程を確認し、アドバイスを与えている。
(……やっぱり凄いなあ)
そんあ蓮の様子を眺めながら、桜季は再びボウルの中身を混ぜ始めた。




