第42話 二人の保護者
翌日の朝。
まだ少しだけ緊張の残る胸を抱えながら、桜季は琴乃と共に蓮の部屋を訪れる。
玄関が開き、蓮が姿を現す。
「お、おはようございます、蓮さん」
「おはよー、お兄さん!」
「ああ、おはよう」
蓮の姿に、声に一瞬胸がドクンと響いた。
朝、顔を合わせてからも蓮はいつも通りに接してくれている。
その優しさが本当に嬉しい。
「その、昨日は……ありがとう、ございました……」
「気にしないでいいって。……昨日言ってたように、コンタクトしてないんだな」
「はい。その、蓮さんが綺麗だって言ってくれたので…………」
昨日、自分の瞳を綺麗だと言ってくれた。
その時のことを思い出し、再び胸が震える。
「ああ。桜季の目、似合ってるぞ」
「え……あ、ありがとうございます……」
不意打ちでの一言。
その一言が胸の中で大きく跳ねる。
先日までこの瞳を見せることが怖かった。
しかし今は、もっと蓮に見てもらいたい。
「……あ、えっと、どうかしたのか?」
「えっ!? あ、い、いえ……」
つい、蓮のことを見過ぎてしまった。
そんな自分のことを、既に玄関の中に入った琴乃がニヤニヤと見つめてくる。
恥ずかしくて顔が熱くなってしまう。
「そ、それではおじゃまします」
「ああ。今日は頑張って作ろう」
「はいっ」
✿
キッチンに立つ桜季の隣にいるのは蓮と琴乃。
今日は夏帆の見舞いに行く日、そして蓮に料理を教えてもらっていることを伝える日。
そして、蓮に教わりながら、夏帆への差し入れを作ることになっている。
作るのはチョコチップクッキーとキャロットクッキー。
蓮曰く、先日の部活でも作ったし、アレンジも簡単とのことだ。
「それじゃあ、材料は揃ってるな?」
落ち着いた声で確認してくる蓮に、桜季は小さく頷いた。
「はい。ニンジンも摩り下ろしてあります」
容器の中には鮮やかなオレンジ色が輝いている。
細かく摩り下ろされたニンジンからは、ほんのりと甘い香りが漂っている。
「いいな。じゃあ溶かしたバターと砂糖を混ぜていこう」
「はい」
指示を受けてボウルに材料を入れる。
(大丈夫……落ち着いて……)
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと手を動かす。
その様子を横で見ていた琴乃があはは、と笑った。
「お姉、めっちゃ真剣」
「琴乃……! からかわないで……!」
「だってさ、顔、入試の時に頑張って勉強してた時と同じだよ」
「もう……」
「まあ真剣なのはいいことだ。ちゃんと美味しいって言ってもらえるように頑張ろう」
「は、はいっ」
少しだけ頬を赤くしながらも手は止めない。
蓮の指示を守って、一工程毎に丁寧に作っていく。
✿
そして蓮の指示の下、生地が完成した。
「わあ……とても綺麗ですね……」
「うん! これ絶対美味しいやつだよ!」
出来上がった生地を予熱したオーブンへと投入。
「上手に出来るでしょうか……?」
もし美味しくできなかったら、そう思うと不安で胸が押しつぶされそうになる。
「大丈夫だろ。隣で見てたところ、ミスもなかったしな。それに、生地を味見した時もちゃんと出来てたぞ」
「は、はい」
「だから自信もっていい。それでも自分が信じられないならおれを信じてくれ」
「蓮さん……。はい、蓮さんがそう言って下さるのなら……」
蓮にそう言われただけで、少し胸が軽くなる。
自分のことはそう簡単に信じることはできないが、蓮の言葉なら――
「ま、とにかく後は完成を待つだけだ。朝食の方、作っていくか」
「はい、分かりました」
そう言ってクッキー作りの後片付けをして、朝食の準備を始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
病院の廊下を歩きながら、蓮は自分を落ち着かせようと胸を撫でる。
「お兄さん、そんな気にしなくて大丈夫だって」
「いや、だけどな……」
琴乃が励ますように言葉を掛けてくれるが、それでも一向に落ち着かない。
勢いで始まった桜季と琴乃との半共同生活。
それを告げた際に、桜季の母が怒ったりしないだろうか。
桜季の母とは面識があるが、どちらかと言えば良い印象を持たれている、とは思っている。
とはいえ大切な娘が同年代の男の家で料理を作り、共に食べるのだ。
怒りはしない物の、母親としての立場から不安は湧くかもしれない。
反対される可能性も充分にある。
するとクッキーの入ったケースを大事そうに持った桜季が、こちらを見上げて口を開く。
「大丈夫だと思いますよ。先日、蓮さんがお母さんに挨拶したいって言った後で、今日面会に行くと伝えた時に軽く話したんです。『お母さんがたまに話す隣の部屋の男の子がわたしの部活の先輩だった』って」
「そうなのか?」
「はい。今日、その人と大事な話があるからと伝えたら、なんだか凄く驚いた後、優しい声で待ってるからって言ってました」
「そ、そうか。なら、少しは安心か」
「はい」
桜季の言葉で少しは胸が軽くなった。
そんなことを話しながら歩いていると、やがて目当ての病室の前に到着。
「お母さん、来たよ」
「ええ、いらっしゃい」
桜季が軽くノックしながら声を掛けると、中から声が返って来た。
病室の扉を開けると、中のベッドの上に女性がいた。
リクライニングで体を起こし、桜季と琴乃に笑いかけた後でこちらを見る。
緊張に唾をゴクリと飲み込む蓮だったが、女性は娘達に向けたのと同じように蓮に対して微笑んだ。
「お久しぶりね、光井君。桜季と琴乃の母の、渡利夏帆です」
「お久しぶりです。光井蓮と申します」
「ええ。この前桜季からも話を聞いたのだけれど、学校の先輩なんですってね。桜季がお世話になっております」
ベッドの上で頭を下げる夏帆に、慌てて蓮も頭を下げる。
「ふふっ。ほら、三人共、立ったままじゃ辛いでしょ? 座って」
そう言って、置かれていた丸椅子へと視線を向ける夏帆。
蓮達三人はそれに腰掛け、夏帆へと向き直る。
「あの、実は――」
「蓮さん、待って下さい」
自分達の関係を夏帆へと伝えようとしたが、それより先に桜季に制される。
どういうことかと視線を向ければ、桜季は決意に満ちた視線で蓮を見る。
「蓮さん。これは、わたしから伝えます」
「ん、分かった」
蓮がそう答えると、桜季は夏帆へと真剣な表情で向き直る。
驚いたように目を丸くしていた夏帆だがんっ、と咳払いをして桜季を見つめる。
「お母さん、電話でも言ったけど、聞いて欲しいことがあるの」
「え、ええ……。ちょ、ちょっと待ってね……。その、一応覚悟はしてたんだけど、いざとなると……。すー……はー……すー……はー……。うん、もう大丈夫。聞かせて」
大きく深呼吸をして胸を撫でた夏帆。
その夏帆に、桜季はゆっくりと口を開く。
「あの、実はわたし、蓮さんと――」
「え、ええ…………」
落ち着かない様子で聞き入る夏帆に、桜季は大切なことを伝える。
「一緒に料理を作ってるの!」
桜季が一気に言い切った。
「…………え?」
一瞬、夏帆の表情が固まる。
次の瞬間、目をぱちぱちと瞬かせた。
「……えっと、それだけ?」
「う、うん……。その、部活でも教わっているんだけど、家でも少しだけ……」
桜季が顔を赤くして続ける。
「その、この前わたしの誕生日だった日。その日、手違いで夕食を食べることが出来なくて……。その時、蓮さんと偶然アパートで会ったの。そして、隣に住んでるのが蓮さんだって知って」
「え、ええ……」
まだポカンとした表情で頷く夏帆。
「そしたら蓮さんが、一緒に夕食を食べないかって提案してくれて、それで、琴乃と蓮さんの部屋にお邪魔して、夕食をご馳走になったの!」
「そ、そうなの……」
「それで、その後でわたしと琴乃が普段はコンビニ弁当やスーパーのお惣菜を食べてるって言って、それから蓮さんにお料理を教わるようになって――」
「ちょ、ちょっと待って! 一旦ストップして!」
「え? う、うん……」
早口でまくしたてられた夏帆が、一度言葉を止めるように桜季に伝える。
そして再び深呼吸し、蓮と桜季の方を向く。
「あの、その件ですが、提案したのは私の方からです。桜季……さんに、朝食と夕食を作るのを教えようか、と私が提案しました」
夏帆の目をしっかりと見てそう告げる。
ここのところがごまかさずに。
もし何か夏帆が気に入らないとしても、怒られるのは自分だけであるように、と。
「れ、蓮さん……!」
「これは本当のことだからな」
「で、ですが……」
慌てる桜季だが、蓮としても譲る気は毛頭ない。
「ふふっ」
そんな蓮と桜季に、夏帆の小さな笑い声が届く。
そちらの方へと視線を向けると、いつもと同じように穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「別に怒ったりはしていませんよ」
「あ、そ、そうですか……?」
多少は身構えていたが、思っていた以上に受け入れられて戸惑ってしまう。
そんな蓮に、夏帆はクスリと笑って続きを口にする。
「ええ。見ず知らずの相手とその様な事をするのであれば、母としても言うべきことは言いますが――。ですが、これまで蓮さんと話した感じから、蓮さんであれば信用出来るのではないかと」
「え、そ、それはありがとうございます……」
「それに何より、桜季は人を見る目はあると思っています。過去に色々とあって、警戒心が強い桜季が信用している相手ですから」
そう言ってこちらを見る琴乃の表情は、やはり穏やかだった。
警戒心が強いというのは、昔に瞳のことについてからかわれたから、あまり初対面の相手を信用しなくなったのだろう。
「桜季さんの瞳については耳にしています」
「あら、本当に!?」
驚いたように桜季を見る夏帆。
それほどまでに、桜季が自分の秘密を話したことが信じられなかったのだろう。
「うん、昨日バレちゃった。でもね、蓮さんは似合ってるって言ってくれた。わたしにピッタリだって」
「ええ。私もそう思ってるわ」
うんうんと頷く夏帆。
桜季の瞳の色が、実母から受け継がれた物であるにもかかわらず、義母の夏帆は嬉しそうに微笑む。
やはり、血は繋がっていなくとも強い絆で結ばれている。
「それに、ちゃんと家族だって」
「ええ、あなたは私の娘だもの」
「うん! お姉はあたしのお姉ちゃんだよ!」
その通りだとばかりに琴乃も声を上げる。
ベッドの傍の桜季へと夏帆が手を伸ばし頭を撫でる。
それを桜季は嬉しそうに受け入れている。
そして夏帆は蓮の方へと向き直る。
「蓮さん。桜季と琴乃の事、ありがとうございます」
「い、いえ、私の方も色々と手伝ってくれて助かっていますし……」
「ふふっ。謙遜は結構ですよ。何しろ、これまでほとんど料理なんてしてこなかったんですから」
夏帆の言葉に、桜季が恥ずかしそうに縮こまってしまう。
そんな桜季に、夏帆はふふっ、と笑いかける。
「私が退院するまでまだ時間は掛かってしまいます。蓮さん、申し訳ありませんが、あなたに頼らせて下さい。桜季と蓮のこと、どうかよろしくお願いいたします」
真剣な表情で蓮に告げた後、深々と頭を下げる夏帆。
そんな夏帆に、蓮も真剣に答える。
「はい。出来ることは、きちんとやらせていただきます」
短く、しかしはっきりと。
自らの決意を夏帆へと伝えた。




