第39話 ハニージンジャーミルク
本日のメニューであるクリームシチューも問題なく完成した。
これなら桜季の練習も野菜のカット以外にやり始めてもいいかもしれない。
「「「ご馳走様」」」
夕食後、三人揃って手を合わせる。
食後、テーブルの上にはまだ使い終えた皿が並んでいる。
この後は昨日と同様に、桜季の洗い物の練習だ。
片付けへと取り掛かる前に、蓮は椅子に深く座り背もたれに背中を預け、大きく息を吐いた
じわりとした疲れを体に感じ、コキコキと手を伸ばしたり簡単にストレッチ。
加えて精神的な疲労もある。
一人で料理するのであればそんなに疲れる事も無いのだが、桜季の様子を見ながら慎重に進める必要があるのでずっと気を張っていた。
「あの、蓮さん」
そんな蓮にテーブルの対面から遠慮がちな声が掛けられる。
そちらを向くと、桜季が少しだけ不安そうにこちらを見ていた。
「ん? それじゃあ始めるか」
「あ、いえ。そうではなくて……」
てっきり洗い物の催促かと思ったがどうやら違うらしい。
「その、お疲れではありませんか? 昨日今日と色々と教えていただいて、気を使わせてしまっていますので……」
自分が原因ではないかと申し訳なさそうに告げる桜季。
オロオロと視線が揺れている。
「まあ、疲れてないって言えば嘘になるけどさ。気にするほどでもないぞ」
確かにいつもよりは気を張っているが、とはいえそこまで大した問題でもない。
心配を掛けないように軽く肩をすくめて返すと、桜季は小さく頷いた。
「あの、無理をさせてしまっていませんか?」
「無理なんかしてないって。それにさ、桜季が手伝ってくれる分、多少は楽になるしな」
「そう言っていただけると助かります」
少しだけ緊張が抜けたように桜季は胸に手を当て息を吐いた。
そして決心したように頷き、蓮の方を向き口を開く。
「あの」
「ん?」
「洗い物の方、少しだけ待っていてもらっても構いませんか? その……すぐに戻りますから」
「待つのはいいけど、何するんだ?」
問い返すと、桜季は一瞬だけ言葉に詰まった。
「いえ、その……、少し、わたし一人で作りたい物があって……」
「……分かった。火とか使うなら気をつけろよ」
「はい。ありがとうございます。すみません、材料を取ってきますね」
桜季は頷いて一度自室へと向かい、小さな袋を取って来た。
おそらく放課後に何か買ってきたのだろう。
(……作りたい物って何だ?)
不思議そうに思い琴乃の方を見ると、琴乃はニヤッと笑った。
「まあまあお兄さん。出来てからのお楽しみってことで」
どうやら琴乃は桜季が何をしているのか知っているようだが話す気はないらしい。
蓮のいるリビングからキッチンの細かな様子は見ることができない。
ただ、その背中や音からおぼろげながらに何をしているかは想像出来る。
時折『あっ……!』『えっと……』などと焦った呟きが聞こえてくるが、あまり深刻な感じはしない。
やがてコンロに火が入り、しばらくして、鼻に甘い香りが漂ってくる。
(ハチミツ……、それにショウガか)
特徴的なその香りに蓮はなんとなく察する。
しばらくして、桜季がマグカップが三つ入った盆を両手で持って戻ってきた。
こぼさないようにゆっくりと、少しぎこちない歩き方だ。
「……お待たせしました。よろしければ、どうぞ」
「お、ありがと。これ、ハニージンジャーミルクか?」
中には蓮の予想通り牛乳が入っており、そこからショウガとハチミツの香りが漂ってくる。
受け取りながら尋ねると、桜季は少しだけ驚いたように目を瞬かせる。
「……はい、そうです。香りで分かりましたか?」
「まあな。わりと特徴あるし」
軽く答えながら、カップの中を覗く。
「その、いつもお世話になっていますし、何かお礼が出来たらと思って。わたしは蓮さんに負担をかけるばかりですし、何か無いかと調べたところ、疲れた時はこういった物がいいと書かれていました。これなら作れるのではないかと考えて、レシピを調べて……」
照れや緊張が混じり合った表情でおずおずと説明してくれる。
「そっか。ありがとな」
桜季の言葉に蓮は優しくお礼を言って、カップに口を付ける。
ハチミツの甘さにショウガの風味がよりダイレクトに鼻へと届く。
一口飲めば、牛乳とハチミツの甘みが口内に広がる。
直後にショウガの辛さがわずかに追いかけてくる。
それぞれの量が絶妙のバランスで成り立っており、とてもありがたい。
「その、どうでしょうか……?」
「うん、美味しい。ありがと」
「あ…………」
顔色をうかがいながら心配そうに問いかける桜季にそう答えると、桜季は安堵してゆっくりと息を吐きだした。
「良かったです……」
先ほどから一転して、嬉しそうに笑う桜季。
その笑顔に一瞬目を奪われた蓮は、慌てて再度マグカップへと口を付ける。
「いや、これ本当に美味しい」
「うん! お姉、凄い!」
琴乃も同じように桜季へと目を向ける。
蓮と琴乃の視線を受けて、桜季は少し恥ずかしそうにして自分もミルクを飲む。
「実は、こちらに来る前に何度か練習してきました」
「練習ってことは、やっぱり一発じゃないよな」
「はい、さすがに」
わずかに苦笑して桜季が答える。
「最初は甘すぎてしまって、飲めないほどではなかったのですが……」
「ハチミツ入れすぎた感じか」
「はい。二回目はショウガが強く出てしまって、少し刺激が強くなってしまいました」
「それはきついな」
「三回目でようやく調整できるかと思ったのですが、今度は逆に薄くなってしまって……」
「極端だな」
「……はい、自分でもそう思います」
しょぼんと項垂れる桜季。
素直に認めるあたりが、桜季らしい。
「それで、その……、四回目で、ようやくこれに落ち着いて」
「うん。普通に美味いと思うぞ。むしろ初めてにしては上出来だろ。最初から上手に作れる方が珍しいしな」
「ですが、四回も失敗してしまったというのはやはり少し情けないと言いますか……」
「いや、そこ気にするところか? むしろ四回でここまで来てるなら、充分センスある方だと思うけどな」
そう返すと、桜季は少しだけ考えるように視線を揺らした。
恥ずかしいのか少し肩を丸めて縮こまってしまう。
「そう、でしょうか。自分では、まだまだだと思ってしまうのですが……」
「まあ、そう思うのは分かるけどさ。でも、自分で一回一回調整して次に繋げてるしな。次はもっと良くなるだろ」
「そう言っていただけると、その……もう少し頑張ってみようと思えます」
蓮の言葉に桜季が頷く。
その声には、先程よりもはっきりとした前向きさが混じっていた。
「それにしても」
蓮はカップを軽く持ち上げる。
「こういうの用意してくれるとは思わなかったな。正直、ちょっと驚いた」
「そうでしょうか? その、せっかくですので、お礼を何か形にしたくて」
もう一口飲む。
温かさが、じんわりと体に広がる。
「ありがとな。普通に助かるし、こういうのあると疲れも抜ける。おれのことをちゃんと考えて作ってくれたってのは嬉しい」
そう言うと、桜季はほんの少しだけ表情を緩めた。
「それなら良かったです。本当に」
先程と同じく笑みを浮かべ、桜季はハニージンジャーミルクを口にする。
蓮も残りをゆっくりと飲み干す。
残った温もりが、体の奥にじんわりと広がっていく。
ふと顔を上げると桜季と目が合った。
少しだけ不安そうに、けれどどこか期待を含んだ視線。
そのまま見つめ返すと、桜季は慌てたように視線を逸らした。
その反応が妙に可愛らしくて、蓮は思わず小さく笑う。
「そんなに気にしなくても、大丈夫だって」
「……いえ、その……」
言いかけて、言葉が続かない。
蓮はカップを置いてゆっくりと続ける。
「また気が向いたら、作ってく欲しいな」
その言葉に桜季は一瞬だけ驚いたように目を大きく開き――
「……はい」
嬉しそうに微笑を浮かべた。
蓮は背もたれに体を預けながら、静かに息をつく。
感じていた疲れは気づけばほとんど残っていなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
マグカップを傾けて残りのハニージンジャーミルクを口に運ぶ蓮の様子を桜季は静かに見つめていた。
作っている最中は、緊張で心臓が大きく跳ねていた。
いざミルクを渡すと、不安で胸が押しつぶされそうになった。
だが今は、じんわりとした温かさが広がっている。
(良かった)
美味しいと言ってもらえた、その事実だけで肩の力が抜けていく。
もう一口、蓮がミルクを飲む。
急ぐ様子はなく、ゆっくりと味わうように。
その様子を見ていると、不思議と胸の奥が落ち着いてくる。
(ちゃんと、飲んでくれている……)
作って良かった。
何度も失敗して、それでもやり直して。
(お礼、出来た)
ほんの少しだけ、胸を撫で下ろす。
これまで教えてもらってばかりだった。
上手く出来なくて、迷惑ばかりかけている気がしていた。
だからせめて、何か一つでも返したかった。
顔を上げるとちょうど蓮がカップを傾けて、最後の一口を飲み干すところだった。
その何気ない仕草に、ふっと力が抜ける。
「良かったね、お姉」
隣の琴乃が嬉しそうに親指を立ててくる。
それにゆっくりと頷いて、再び視線を蓮に戻す。
(蓮さんに喜んで貰えるの、なんだか嬉しいな……)
声には出さず、心の中でそっと呟いた。




