第33話 一緒に登校
朝、蓮が玄関を開けると、約束通り桜季の姿があった。
「みつ……蓮、さん……。お、おはようございます」
「あ、ああ。おはよう、桜季」
お互いにまだ名前呼びになれておらず、なんだか恥ずかしい。
ちなみに蓮に料理を教わるのは桜季だけ。
まだ中学生の琴乃には、そこまで負担を掛けるわけにもいかない。
「そ、それではよろしくお願いいたします」
「ああ。それじゃあ作っていくか」
「はい」
そして、桜季と共に朝食を作り始める。
メニューは鮭のお茶漬けと白菜の浅漬け。
白菜の浅漬けに関しては蓮が既に作り終えている為に、桜季が練習するのは鮭茶漬けの方だ。
幸いなことに蓮の部屋の冷凍庫に鮭の切り身がいくつかあったので、それを使用することにする。
「さて、まずは鮭を焼いていこう」
✿
「うぅ……」
修峰学園へと向かう通学路。
大通りまでまだ距離がある小道は静かな空気が残っている。
その中で、がっくりと肩を落として歩く桜季の口から漏れたため息が小さく響いた。
結果として桜季の行った調理は失敗と言って良かった。
「まあそう気を落とすなって。初心者ならしょうがない」
「はい……」
隣から蓮が慰めの言葉を掛けると桜季は小さく声を返す。
鮭の調理中、皮を綺麗に焼こうと動かした際に身が崩れてしまった。
そしてその失敗を取り戻そうと慌て、更にひどいことになるという初心者の典型的なパターンに見事にはまってしまった。
「先輩にあのような物を食べさせてしまって……」
「気にするなって。多少焦げはしたけれど、充分食べられたし味にも問題はなかった」
「ですが……」
一方で蓮がお手本として焼いた鮭。
皮は綺麗なきつね色でパリッとした質感が見て取れる。
身の方もふっくらと盛り上がり、当然ながら焦げてなどいない。
桜季としては失敗作は自分で食べるつもりだったのだが、蓮による『成功した物と比べることも大切だから』という説得により、半分ずつ分け合うことになった(琴乃は蓮が焼いた物)。
「それに、その他の支度や片付けも……」
「それこそ気にするな。初心者なんだから、色々なことに手を出さずにまずは一つ一つゆっくりと覚えて行こう」
「はい……」
隣で肩を落とす桜季を見ながら、蓮はゆっくりと反省する。
確かに初心者がいきなり作るにしては、多少難易度は高かったかもしれない。
とはいえ見た目が少し悪くなっただけで、味はほとんど問題なかった。
お茶漬けということで身もほぐすわけだし、見た目が崩れたところで問題ない。
(夕食はちゃんと難易度の低い物にしておくか)
まあ、桜季と共に料理をするというのは昨日の晩に突発的に決まったことだし、朝のメニューが限られてしまったことは仕方がない。
であれば、夕食はちゃんと桜季の腕を考えたメニューにするべきだろう。
「渡……さ、桜季」
「えっ!? は、はい……!」
声を掛けると慌てたような反応が返ってくる。
これまではお互いに苗字で呼んでいたので、やはりこうした名前呼びにはまだ慣れない。
「今日の放課後、予定はあるか?」
「放課後ですか? いえ、大丈夫ですが……」
「そうか。それなら夕食の買い物に行かないか?」
「買い物、ですか? は、はい。よろしくお願いします」
「食べたいメニューとか……っと」
角を曲がったところで、前方に蓮達と同じ修峰学園の制服を着た学生が歩いているのが見えた。
友人同士で楽しそうに話しているグループを自転車に乗った学生が追い越していく。
それを見て蓮は慌てて口を噤む。
「み……蓮さん? どうかしたのですか?」
「ああ、いや。人が増えて来たなって」
「人が? ……確かにそうですね。もう学園も近いですし」
桜季の方も周囲を見渡して頷く。
学園の敷地に近づくにつれ、学生の姿は徐々に増えてくる。
「さすがに誰に聞かれてるとも分からないし、この話の続きは後にするか」
「はい。確かに他人に知られると面倒になりかねませんし……」
蓮はアパートで一人暮らしをしている。
そこに桜季が朝夕訪れて一緒に食事を作り、食べる。
知られてしまえば噂話がエスカレートするのは目に見えている。
下手をすれば取り返しのつかない事にもなりかねない。
「それでは、その……名前で呼び合うのも止めた方が良いですかね?」
「そうだな。まあ、いずれは構わないとは思うけど、今はいい感じの言い訳が思いつかない。人目の有るところではこれまで通りにするか」
「分かりました。それでは放課後についてはまた後程」
その後は授業や教室でのことなど当たり障りのない会話をしながら歩いていく。
やがて視界の先に修峰学園の校舎が見えてくる。
すでに多くの学生が集まっており、友人同士で話す声や笑い声があちらこちらから聞こえてきた。
そのまま二人で昇降口へたどり着く。
「それでは先輩。失礼します」
「ああ、またな」
それだけ言葉を交わして、蓮は教室へと歩いていった。
✿
「おはよー」
教室の扉を開け、朝の挨拶をして席へと向かう。
普段であればこの後はクラスメイト達と軽い雑談や、もしくはスマホを眺めるか、予習をするか。
しかしこの日の蓮はそのどのケースにも当たらなかった。
挨拶をした瞬間、何人かのクラスメイトの視線が蓮を捉える。
その視線の種類はいつもとは明らかに違っていた。
「おはよ、ミッチー」
「はよー」
「おはー」
席に向かう途中、何人かがすぐに寄って来た。
蓮が席に座り鞄を置くと、周囲を取り囲まれる。
明らかにいつもの雑談の類ではない。
「何だ? 何かあったか?」
「何かあったのはそっちだろ? さあミッチー、説明してもらおうか!」
「説明? なんそれ」
いきなり説明を求められても何のことか蓮には分からない。
しかしそのクラスメイト、武夫が蓮の机の上に両手を置いて詰めよって来る。
正直暑苦しいので少し離れて欲しい。
「なんそれ、じゃねえよ! お前、今日女子と登校して来たよな! それもこの前話してたあの超可愛い子じゃねえのか!?」
「……この前? ああ、お前が宮部と真田にボコされた時のか」
わざとらしく先日のことを口に出すと、当の女子二人、宮部詩織と真田芹那が武夫へとキツい視線を向けた。
それを受けて武夫は若干たじろいだが、すぐに蓮の方へと向き直る。
「それはとりあえず置いとけ! で、あの子、家庭科部のあの子だろ?」
「日本語の言語能力に問題がありそうな言い回しだな」
鞄から教科書やノートを取り出し机の中に入れながら適当にあしらう。
「やっぱ付き合ってんのか!?」
「そうそう! 一緒に登校とか!」
「え? なになに!? ミッチーに彼女!?」
武夫を起点として、教室中に話が広まっていく。
ここで強く否定しては怪しまれるので(実際に誤解なのだが)蓮はゆっくりと被りを振って落ち着いた声で言葉を紡ぐ。
「あほか。一緒に歩いてたくらいで彼女認定するんじゃねえ。通学途中で出くわしたから、そのまま来ただけだ」
ある意味嘘は言っていない。
通学途中(玄関数歩)で、(待ち合わせをして)登校を開始しただけだ。
「そのまま? 一緒に?」
「ああ。知らん仲じゃないしな」
「男子と女子が?」
「別におかしくないだろ」
「俺はそんな経験ないけど」
「知るかボケ」
疑惑の目を向けてくるクラスメイト達。
とは言われても蓮の知ったことではない。
そもそも蓮は男女ともに友人は多いし、あまり性差なく接している。
「まあ、ミッチーだからねー」
「そうそう。さすが義理チョコキング」
「ミッチーなら女子の方も安全か」
一方で擁護意見も耳に届く。
こういう時に『義理チョコキング』で納得してもらえるのは喜ぶべきか、嘆くべきか。
「絶対怪しいって!」
「いやでもミッチーだしなあ……」
「家庭科部の子ってマジで可愛い子じゃん!」
本人を無視して、教室のあちこちからそんな声が聞こえてくる。
とはいえ先ほどの蓮の発言により、本気で蓮と桜季が付き合っていると思っている者はおそらくいないだろう。
そんな教室の喧騒をBGM代わりにしながら、蓮は桜季と作る夕食のメニューへと思いを馳せた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
蓮と別れた桜季はそのまま教室へと真っ直ぐ向かう。
「おはようございます」
教室に入り軽く挨拶をすると、何人かの生徒がこちらを振り向いた。
「おはよー、サッキー」
「おはよ」
いつものように挨拶を返しながら自分の席へと向かう。
特に変わった様子はない、いつも通りの朝の教室だ。
――この時点までは。
「ねえねえサッキー」
席に鞄を置いたところで、後ろから声を掛けられる。
振り向くと、美鈴をはじめとした友人がニヤニヤとした表情でこちらを見ていた。
「美鈴、どうかしたの?」
美鈴はずいっと顔を近づけてそう言いながら、意味ありげに笑う。
「サッキー、せんぱいと付き合ってるん?」
「……はい?」
唐突な美鈴の言葉に、桜季はきょとんとする。
何を言われているのか理解が追い付かない。
一瞬遅れて美鈴が何を言っているのかに気付く。
「つ、付き合ってるって?」
一体全体、なぜそのようなことを思われているのか皆目見当がつかない。
「さっき、せんぱいと一緒に登校してきたじゃん」
「そうそう! すっごく仲良さそうに!」
「サッキーが男子とあんなに仲良くするとこ見たことないって!」
そこまで言われて、ようやく桜季もどういうことかと理解した。
蓮と並んで歩いての登校。
思ったよりも見られていた相手が多かったらしい。
「違うよ。途中で会ったからそのまま一緒に来ただけ」
本当は玄関前で待ち合わせしたのだが、それを言うと余計にドツボにはまってしまう。
よって当たり障りのない嘘で答える。
おそらく蓮としてもそちらの方が都合がいいだろう。
「えー? ホントに?」
「付き合ってないの?」
「付き合ってないよ」
きっぱりと否定する。
このまま話が進み付き合っていると誤解されれば、蓮にも迷惑が掛かってしまう。
よって、ここは絶対に誤解を解いておかなくてはならない。
それに先程から教室内が妙に静かだ。
あちこちから聞き耳を立てているような感じがする。
「でも凄く仲良さそうだったよね?」
「それは、まあ……。部活でも色々とお話しする機会があるし。ねえ、美鈴?」
「え? まあそれはね」
同じ部活の美鈴がそれもそうか、と頷く。
それに先日は共にショッピングモールでも助けてもらったのだ。
「じゃあ、ホントに偶然ってこと?」
「うん。そう言ってるでしょ」
「まあ、確かにせんぱいって話しやすい雰囲気あるしねー」
普段の蓮の姿を知っている美鈴が納得したように頷く。
実際に蓮は男子ということを意識せずに話せる人物だし、普段の態度から下心なども感じない。
性差なく接することの出来る相手だ。
「そうだよ、別に付き合ってないからね」
「あはは、勘違いしちゃってごめんね」
「サッキー、許してー」
「ごめんってー」
桜季は小さく息をつき、机の上の教科書に視線を落とす。
美鈴達はまだくすくすと笑っているが、納得してくれたのかもう深追いはしてこない。
まだざわめく教室の中、桜季はひとまず安心して深呼吸する。
そして美鈴達との雑談に混じりながら、蓮との放課後に想いを馳せた。
一方で、誰にも気づかれなかった胸のドキドキはしばらく収まることはなかった。
ストック残り少ないため、明日以降は、月~金曜日の12:00に投稿する予定です




