第32話 プレゼントと名前呼び
途中、予想外のハプニングはあったがその後は三人で仲良くケーキを食べた。
とはいえケーキアソート全ては三人でも多いので、残りは桜季と琴乃で明日食べることになる。
その後はお茶を飲みながら談笑する。
途中、桜季が蓮の作ったウサギのぬいぐるみに興味津々そうにしていた為、それを貸すと嬉しそうに胸に抱えて撫でる。
「ウサギが好きなのか?」
「はい。特に耳が可愛いんですよね。ぴくっと動くところとか」
嬉しそうにウサギの魅力について語りだす。
その語り口からどれだけウサギが好きなのか伝わってくる。
「前に先輩に頂いたビーズ人形もとても可愛くて」
そう言えば最初の部活紹介になし崩し的に連れて来た時に、蓮が作ったウサギのビーズ人形を嬉しそうに手に取っていた。
あれも外見がウサギだったからということか。
「あ、お姉が机に飾ってるあれ、お兄さんが作ったんだ」
「こ、琴乃っ!?」
琴乃の指摘に慌てる桜季。
先ほどと同様に顔が真っ赤になってしまった。
「あはは。大切にしてくれて嬉しいよ」
「う……、は、はい……」
✿
そんなやり取りをしているとそろそろ夜もいい時間。
桜季がリビングの時計を見て、あっ、と驚く。
「もう夜遅くなってしまいましたね」
「そうだな」
時刻は二十二時少し前。
そろそろ帰った方がいいだろう。
「先輩。今日はありがとうございました」
「お兄さん、ありがとー」
桜季だけでなく、先程からからかってばかりの琴乃も姿勢を正し、姉妹揃ってきっちりと頭を下げてくる。
こういったところ、やはり姉妹だな、等と思ってしまう。
「いや、こちらこそだよ。ケーキもご馳走してもらったし」
本来は久美子と夕食を食べる予定だったのが、桜季と琴乃に変わっただけ。
そこにケーキまで食べることが出来たのだから、蓮としても望外の幸運だ。
「それでは蓮さん、失礼します」
「うん。お兄さん、ご飯ありがとー。久しぶりにとっても美味しいご飯食べたよ」
その言葉に蓮は少し引っ掛かってしまう。
よく考えたら以前桜季は『現在はお弁当やお惣菜を買って食べているような状況なのです』と言っていた。
「なあ、渡利」
「え? なんでしょうか」
蓮の言葉に桜季と琴乃は立ち上がろうとするのを一度やめて座り直す。
「込み入ったことを聞くけどさ、お母さんの方の容態はどうなんだ?」
「え、ええっと……」
「あ、さすがに話したくないのなら――」
「い、いえ、先輩になら問題ありません。以前骨折したといいましたが、大腿骨を骨折していまして……」
「大腿骨!?」
琴乃の言葉に、蓮は驚いて声を上げてしまう。
大腿骨の骨折ともなれば、確かリハビリなどを含めれば、数週間に渡り入院が必要になったはずだ。
入院が終わってもすぐに元通りの生活は無理だろう。
「ちなみにお父さんは?」
「その……父はそう簡単に帰ってくることのできない職業でして……」
ということは、下手をすればこれから数か月は姉妹二人だけの生活ということだ。
「ちなみに、明日の朝食はどうする予定なんだ?」
「ええっと……」
蓮の問いに、桜季はばつが悪そうに目を逸らす。
しかし黙っていてもしようがないと思ったのか、ゆっくりと口を開いた。
「明日は食パンにジャムを塗った物にしようかと……」
それを聞いて蓮は思わず固まってしまう。
確かに朝食が菓子パンだけ、もしくは食べないといった小中高生も増えてきているとは聞く。
しかし、それが隣で暮らしており、見知った相手だとすると蓮としても心配だ。
「夕食は弁当とか総菜を買って食べてるって話だったよな」
「は、はい……。その、以前サラダや目玉焼きなどを作ろうと思ったのですが……その、失敗してしまいまして…………」
「そうか……」
「ですので、家庭科部に入っていることですし、これを機に料理が上達出来ればと……」
「とは言ってもな……」
家庭科部は毎日ある部活動ではないし、調理部でもないので毎回料理を作るとも限らない。
故にすぐに料理が上達することには繋がらないだろう。
もちろん時間を掛ければその限りではないが。
(であれば……)
蓮の頭の中に一つの提案が浮かぶ。
「なあ、渡利」
「は、はい……」
「料理、教えようか?」
思いついた提案が素直に口から出た。
それを聞いた桜季と琴乃が目を丸くして驚く。
「えっ、ええっと……」
「あまり他の家庭のことに口を出すのもなんだけどな、成長期にそんな食事ばかりだと体を壊すぞ」
「そ、そうですが……」
おそらくそれについては桜季も自覚はしているはずだ。
だからこそ、蓮はその提案を繰り返す。
「だからさ、料理、作るのを教えようか?」
そう提案すると、桜季が驚いたように固まった。
そして内容を理解したのか、おずおずと口を開く。
「…………そ、それはわたしがこちらで先輩と一緒にお料理をする、ということでしょうか?」
「ああ。料理については作りながら教えられる。隣におれがいるから失敗する可能性は低くなるしな」
その言葉に桜季は視線を落とし、少し考えこむ様子を見せる。
「あの、それは確かにわたしにとってはとてもありがたい提案なのですが、先輩にこれ以上迷惑をおかけするわけには……」
桜季の言葉に蓮はゆっくりと首を横に振り優しく微笑む。
「その程度で迷惑なんてことはない。それにな、別に一人分も二人分も作る難易度ってのは大して変わらないんだ」
「先輩……」
「おれだって今でこそ一人暮らしをこなしてるけどな、始めた当初は結構トラブったんだぞ。でも、周りの人が助けてくれた」
風邪を引いた時、久美子やその家族が様子を見に来てくれた。
掃除を凜が手伝ってくれた。
他にも様々な予想外の問題が発生したが、その都度他の人に助けを求め、アドバイスを貰い成長してきた。
「だからな、渡利ももっと他人に頼ってくれ」
「先輩…………」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「だからな、渡利ももっと他人に頼ってくれ」
蓮の言葉に、桜季は心を揺さぶられる。
母が怪我をしてから、ずっと気を張って生活してきた。
食事、掃除、洗濯――
他にも慣れないことを一生懸命やろうとして、そして失敗してきた。
琴乃にも迷惑を掛けてしまった。
そんな自分に、この優しい先輩が手を差し伸べてくれている。
「先輩…………」
「ああ」
「頼っても、よろしいんでしょうか……? わたし、この前も先輩に火傷をさせてしまったり、ただでさえ先輩に迷惑をかけっぱなしなのに……」
「何度も言うけどな、迷惑だなんて思ってないぞ」
優しい蓮の微笑。
「それに、おれは渡利に作るのを教えるって言ったんだ。厳しい言い方をすれば、渡利と妹ちゃんの二人の為に、あれこれ世話を焼いてあげるわけじゃない。あくまでもやる気があるんなら手伝うって言っただけだ」
「…………それは、充分に世話を焼いていると思いますよ」
「そうかな?」
「そうですよ」
とぼけた調子で言う蓮に、桜季も自然と笑ってしまう。
そう、出会ってからずっと、蓮はこうして優しく『手伝って』くれていた。
マドレーヌやクッキーを作るのを、買い物をするのを、弁当のおかずを作るのを――
「それにさ、さっきはおれの作ったご飯を美味しそうに食べてくれたから」
「え…………?」
きょとんとする桜季だが、蓮は少し恥ずかしそうに鼻の頭を掻いている。
「その、な……。やっぱ、一人の食事ってのは寂しいものがあるって言うかさ。だから、一緒に美味しく食べてくれるとやっぱり楽しい」
出会ってからずっと大人びていた蓮の可愛らしい本音。
まるで年相応、いや、むしろもっと幼い子供のように感じてしまう。
隣の琴乃の方を向くと、琴乃は目を輝かせて頷いた。
「うん! あたしは問題ないっていうか、お兄さんがいいんならむしろさんせーっ!」
嬉しそうな顔で手を挙げる琴乃。
正直、琴乃のことはずっと心配だった。
中学一年生という重要な時期に、このような食生活を何か月も続けるのかと。
それであれば、もう答えは一つだけ。
「光井先輩。それでは、わたしが料理が上達するお手伝いをしていただけますか……?」
その問いに蓮も桜季を真正面から見据えて頷く。
「ああ、任された。『約束』するよ」
「はい。『約束』ですね』」
そう言って桜季は右手の小指を立てて差し出す。
蓮もその意図を察して自分の小指を桜季に差し出してくる。
そして指切りをして桜季と蓮は再び笑い合う。
「やった。お兄さん、これからよろしくーっ!」
琴乃も嬉しそうにはしゃいでいる。
そう、これでやっと、新たな一歩を踏み出すことができた。
この義理チョコキングと呼ばれる優しい先輩のおかげで。
話がまとまったところで、桜季と琴乃は改めて席を立つ。
「ああ。それじゃあまた明日」
蓮も笑いながら立ち上がる。
その時、ふと自分の隣に置かれているウサギのぬいぐるみに目が行った。
以前に部活動の練習で作ったぬいぐるみ。
ウサギ好きの桜季も気に入っていたようで、食事前に撫でていたし、食事中も何度かそちらへと視線が向いていた。
「渡利」
「え?」
玄関へと歩き出そうとした桜季が振り返る。
蓮はそのぬいぐるみを手に取って、桜季の前へと差し出した。
「これ、持って行くか?」
「え…………?」
目を丸くして驚く桜季。
そんな桜季に、蓮はゆっくりと言葉を続ける。
「練習で作ったやつで、別におれの部屋に置いておく理由もないしな」
「い、いえ、そんな……」
桜季が慌てて両手を振る。
しかし蓮は軽く肩をすくめて笑って続ける。
「気にするなって。さっきも撫でてただろ?」
「えっ……あっ…………」
指摘された桜季の顔がみるみるうちに赤くなる。
「は、はい……。可愛かったので……」
「だったら誕生日プレゼントってことで貰ってくれ。手作りで悪いが」
「い、いえ……! 先輩の手作りが悪いなんてことはありません! ……あっ」
慌てて大声を出してしまったことに気付いたのか、桜季が口を覆う。
そんな桜季に、蓮は再びぬいぐるみを差し出す。
「ほら」
「は、はい……。ありがとう……ございます…………」
おずおずと手を伸ばして桜季が受け取る。
そして、慈しむような表情を浮かべてぬいぐるみをぎゅっ、と抱えた。
(ま、喜んでくれたってことでいいよな……?)
おそらく、客観的に見れば、気に入ってくれたと考えていいだろう。
普段から気を張っているような桜季がふと見せた、無垢な微笑み。
その顔を見て、蓮の胸がドクンと強く震えた。
「絶対、大切にしますね」
「ん。そうしてくれると嬉しい」
桜季が本当に嬉しそうにぬいぐるみを抱える。
練習で作ったぬいぐるみだが、思わぬところで効果を発揮したようだ。
「それでは今度こそ失礼しますね」
「失礼しまーす」
「ああ。渡利も妹ちゃんもまた明日」
そう蓮が言葉を掛けるとふと琴乃が立ち止まり、そして何かを思いついたというような表情を浮かべる。
「ねえ、お兄さん」
「どうした?」
「あたし、琴乃って言います」
「ん? いや、それは分かってるけど……」
そもそも自己紹介は先程終わっている。
改めて名乗り合う必要はないだろう。
しかし琴乃は蓮の顔を真っ直ぐに見て
「だったら名前で呼んで下さい」
そうきっぱりと言い切った。
「えらい急だな……」
「急じゃありません。普通です」
琴乃はむしろ当然だと言わんばかりの顔で腕を組む。
そしてそのまま蓮に期待するような眼差しを向ける。
「駄目ですか?」
「いや、まあ駄目だということはないけど……」
「それじゃあお願いしますっ! あ、ちゃんとかさん付けとかはいらないですからね。是非呼び捨てでお願いします」
「分かった。……琴乃」
蓮が琴乃の要求通りに名前呼びすると、琴乃は満足そうに頷く。
ふと隣の桜季を見ると、驚いたような表情で琴乃を見ていた。
何か言いかけたように口を開きかけて――しかしすぐ閉じる。
表情は次第にオロオロとしたようなものに変わっていく。
そんな桜季の様子に、琴乃はにひひ、と笑いながら
「ってなわけで、お兄さん! 次はお姉のことを名前呼びですよね!」
「え?」
「ええっ……!?」
無邪気に告げられたその提案に、蓮と桜季は揃って声を上げてしまう。
慌てて隣の琴乃へと詰め寄る桜季。
「こ、琴乃……? いったい何を――」
「だってそうでしょ? 渡利、じゃああたしだって渡利じゃん」
「そ……そうだけど…………」
琴乃の言葉に、蓮は桜季と顔を合わせる。
桜季の顔はオロオロと慌て、それでいてどこか期待するような感じがした。
「……………………」
「……………………」
言葉が出てこない。
単に相手のことを名前で呼ぶ、ただそれだけのはずだが、どうしてか躊躇してしまう。
「ほら、お兄さん。呼んでみて下さい!」
「え、えっと……、その、いいのか……?」
「え……? は、はい……。その、確かに琴乃と区別が付きにくいですから……」
一応本人に確認して見ると、恥ずかしそうにしながらもゆっくりと頷いた。
隣では琴乃が『早く、早く』と言った感じで視線でプレッシャーを掛けてくる。
「わ、分かった……。そ、その……、さ……………………」
「……………………」
もう一文字、後一文字が遠い。
喉の奥で、次の一音がつかえて出てこない。
しかしそれでも意を決して口を開き、その名前を口にする。
「さ……………………き……………………」
「は…………はい…………」
蓮は視線を逸らしてそう呟く。
それを聞いた桜季は更に顔を赤くしてしまう。
「桜季……」
「はい……」
「うんうん! それじゃあ今度はお姉の方だよね!」
「ええっ!?」
琴乃の提案に、桜季が驚いたように顔を上げた。
「だってさー、お兄さんがお姉のこと名前で呼んでるんだから、お姉も名前で呼んでみたら?」
「え、えっと…………」
困ったような表情で蓮を見る桜季。
蓮は顔を赤くしながらもゆっくりと頷く。
「えっと……、おれは、構わない、けど……」
「は、はい……。そ、それでは…………」
そう言って桜季は意を決したように表情を変え、一度深呼吸。
胸に手を当て、蓮を見てゆっくりと口を開いた。
「すー……はー……。そ、それでは呼びますね。そ、その……れ…………れ…………れ……ん……さん…………」
「あ、ああ…………」
「蓮、さん……」
「桜季……」
二人揃って恥ずかしさから顔を耳まで赤くして下を俯いたまま黙り込んでしまう。
「な、なんだか恥ずかしいな……」
「は、はい……。な、名前を呼ぶだけなんですが…………」
ただ、苗字から名前呼びに変わっただけ。
たかがそれだけなのにとても気恥ずかしい。
相手の顔を見ることができない。
「…………ねえ二人共、あたしの存在忘れてない?」
耳に入ってきた言葉に蓮と桜季は慌ててそちらの方を向く。
そこには呆れ半分、からかい半分といった表情でこちらを眺める琴乃の姿があった。
「わ、忘れてないぞ……?」
「う、うん……。忘れてないよ……」
二人揃って妙にしどろもどろな返事になってしまう。
その様子を見て、琴乃はクスクスと笑って肩をすくめた。
「まあいいや。それじゃあお兄さん、さよならー」
「し、失礼します……」
「あ、ああ……それじゃあ…………」
桜季と琴乃は玄関から出ていく。
それを見送った後、蓮はリビングに戻り、へなへなと椅子に倒れるように腰を下ろした。
「桜季…………」
先程口にした名前を再度口にする。
未だにドキドキは消えず、心臓の鼓動は速まったまま。
(ヤバイ……。本当に落ち着けない……)
そのまま胸や頬の熱が引くまで、蓮は椅子に座り続けていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
蓮の部屋の玄関が閉まると、桜季は一度深呼吸をする。
(蓮……さん…………)
先程口にした名前を再度頭の中で反芻する。
ただ、名前で呼んだだけ、そして名前で呼ばれただけ。
ただそれだけの事なのに、思い出すだけで胸の内が震える。
「お姉、入らないのー?」
自室の玄関の中から問いかける声で、桜季はハッとし、慌てて中へと入っていった。
「お姉、顔真っ赤」
「ちょ、ちょっと……」
ニヤニヤとからかってくる琴乃。
そもそもこうなってしまった原因は、まぎれもなくこの妹だというのに。
「お兄さんに名前で呼ばれて嬉しかった?」
「そ、そんなことは…………!」
ない、と言おうとしたところで言葉がつかえてしまう。
それは、例え嘘でも否定したくなくて。
「あはは。あたしは応援するよ」
「お、応援って何を……!」
「なんだろーねー」
そう言って琴乃はさっさとリビングの方へと向かってしまう。
「…………蓮、さん」
玄関の中に佇んだまま、今度は頭の中ではなく、口に出して言ってみる。
その響きは何故だかとても幸せに感じた。
✿
夜、桜季は自室のベッドの上で仰向けになる。
琴乃はもう寝ているのか、小さな寝息が部屋の中に響いている。
桜季の胸の中には、蓮に貰った誕生日プレゼントのウサギぬいぐるみ。
そのウサギの耳をそっと撫でると、ふわふわして少しくすぐったい。
「可愛い……」
今日の誕生日は予想外のことの連続だった。
蓮の部屋で手作りの夕食を食べて、プレゼントを貰って。
そして、料理を教わることになって、名前で呼び合うことになって。
「蓮……さん……。蓮、さん、蓮さん」
胸の中のぬいぐるみを蓮だと思って何度も呼んでみる。
そのたびに胸の中が温かくなる。
その優しい温かさに身を任せ、桜季はぬいぐるみを抱えたまま目を閉じた。
「蓮さん……。おやすみなさい…………」
――――――――――
これが、本来であればありえなかった蓮と桜季の新たなる生活。
いくつもの偶然が重なりあって生まれた日常。
二人がこれから手にするであろうかけがえのない新しい幸せ。
その第一歩となる半同棲生活の始まりとなった。
ストック残り少ないため、明日以降は、月~金曜日の12:00に投稿する予定です




